昨年、大雪で登れなかった尾瀬の至仏山に、ワンゲル同期3名でリベンジ登山をしてきました。(3日戸倉温泉泊 4日鳩待峠からピストン)この山は、中級者向けの割合易しい山ですが、稜線を「蛇紋岩」が続き、滑りやすく結構苦労しました。(前日も3名大けがをしたそうです。)
山頂からは尾瀬ヶ原が一望でき、紅葉には少々早かったですが、上の方は真っ赤に紅葉した木々もありました。高い山に登るのは、せいぜい後1年ぐらい?・・・体力の衰えを痛感する1日でもありました。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
先に書いた、ヌーヴェルヴァーグというジャンルに入るエーガのいくつかを紹介しておく。
①勝手にしやがれ
ヌーベルバーグの記念碑的作品であり、フランソワ・
ハンフリー・ボガートを崇めるミシェルは、
やがて一緒に逃げることを断念したパトリシアが警察に通報してし
ジャン=ポール・
アラン・ドロンとは、
2021年9月6日、フランスのメディアによって、
②大人を分かってくれない
フランソワ・トリュフォー監督の最初の長編映画。原題の「Les Quatre Cents Coups」(あえて直訳すれば「400回の殴打、打撃」)は、
12歳のアントワーヌ・ドワネルにとって、
そんな彼の楽しみは映画を観ることだけだ。しかしある日、
パリに生まれたトリュフォーは両親の離婚から孤独な少年時代を過
③去年マリエンバートで
『去年マリエンバートで』(きょねんマリエンバートで、L’
脚本のロブ=グリエ自身の言によれば、黒澤明監督の『羅生門』
ロブ=グリエがこの映画の仕掛けについて語っている。 それによると、黒澤明の『羅生門』がモチーフとなっており、
• 現在
• Xの回想(Xにとっての主観的事実)
• Aの回想(Aにとっての主観的事実)
• 過去(客観的事実→Mの視点)
の4本の脚本が作られ、それらをバラバラにつなぎ合わせて、
④二十四時間の情事 日本題名が良くないなぁ
Hiroshima mon amour ヒロシマ・モナムール)は、1959年の日本・
来日し、広島へ反戦映画のロケに訪れたフランス人女優が、
2人はともに第二次世界大戦で戦争による悲劇的な体験を有してい
日本のヌーヴェルバーグ映画については余白無くまた、
猪木さんは、かなり若いころから糖尿病だったようです。39歳で、血糖値はなんと590!一度の食事で、
猪木さんは2019年に国の指定難病にもなっている「
このアミロイドが沈着する原因は実際には完全にわかっていません
2型糖尿病のすい臓でもアミロイドの沈着が認められる場合があり
2型糖尿病、アルツハイマー病、
最近、新聞記事(編集子宅では読売)を読んでいて何となく疑問というか違和感を感じることがいくつかある。
そのひとつがAI という用語の氾濫である。AI、とはなにか、といえば、日本語では人工知能、という用語があてられるがもともとは英語であるから、英語版のウイキペディアなどを見てみると、the theory and development of computer systems able to perform tasks that normally require human intelligence (通常は人間の知性を必要とする仕事を行うコンピュータシステムの理論と開発)あるいは intelligence demonstrated by machines, as opposed to the natural intelligence displayed by animals and humans(動物あるいは人間がおこなう固有の知的行動を機械が代わって行うこと)と定義される。またほかの文脈では discernability (識別能力)という用語も用いられている。
現代はITの時代であると言うときのIは information であり、その意味は情報、ではあるが知性、inteligence ではない。
コンピュータが企業などの実社会で使われ始めた時代には information のもとになる data という用語が用いられていた。現在ではどこの企業や組織であっても、コンピュータを扱う部署は情報処理課、とかIT部、などと呼ばれるだろうが、60年代まではデータ管理部とか、ズバリ電子計算機課、などという呼称がふつうであった。つまり生のデータを集めてあらかじめ定めた方式によって処理をするという人力作業の効率化高速化することから始まって、システムの高速化・大規模化によってその処理結果を高度化し、単なるデータの集積から人的判断処理の補助へと効果が、データではなく情報と呼べるものになってきた。そのプロセスがさらに高度化され、人間とのインターフェイスも数字や文字の羅列からグラフィック処理やシユミレーションなどが手じかになった結果、information technology ITという現実ができた、というのが現在の情勢だろう。しかしコンピュータのもたらす効果が intelligence というレベルになっているのは、言語処理とか翻訳とか医療行為の一部などといった限られた領域のそのまた一部である。コンピュータシステムの能力・効果はまだ information process というレベルであり、新聞記事に気安くAI によって処理をする、などと書かれていることの大半はまだまだ人間の discernabiility を置換するまでのレベルになっているとは思えないものがほとんどだと思われる。
僻目かもしれないが読者に誤った期待を抱かせないためにも AI という用語の使用にはもっと厳格である必要があるように思うのだがどうだろうか。もっともコンピュータの使用が一般化されはじめた段階でも電子頭脳、などという用語がまかり通っていたものではあるのだが。
僻目、という事でもう一つ、しっくりこないのが皇室に関する記事の書き方である。ただこれは小生が知らないだけで、メディア界にあっては何か統一されたノームがあると思うので、ご存じの方からご教示を期待して書いている。
今皇室の方々の一般の呼称は例えば常陸宮さま、とか、愛子さま、というように誰でもわかる尊称がつく。このことは皇室の方々にのみ使われるのであって、ほかの個人には絶対に使用されない。現在の国民の象徴、という立場からしても納得できる慣行である。小生が違和感を覚えるのはそのあとの書き方だ。せっかく宮様、という尊称を使っているのに、たとえば何かの会合に ”出席した” と書くが ”出席された” という敬語はもちいられない。文意が曲げられることはないが、どうもこの二つが違和感をもたらすのだが、これも昭和人の末席につらなる人間だからだろうか。
(船津)敬語は戦前の使い方からかなりかなり変わり、色々議論が有り、
(菅原)首件のブロッグ拝読。昭和13年生、諸手を挙げて賛成。
1.今の段階のAIってのは、正確には、まだまがい物だから、AIマガイ。 2.最近の記者は、敬語の使い方を全く知らないんじゃないの。それを咎めないデスクもどうしようもない。こうやって日本語が乱れて行くんだ。
(斎藤)そこいらへんで言われているAIと言う言葉は、
実は、コロナ前まで、データマイニング仲間が集まって、
今は、
この「追跡1947」の監督ラオール・ウオルシュは、西部劇から
冒頭ニューメキシコの岩峰がそそり立つ一角を女性一人馬を走らせ
主演ロバート・ミッチャムが若き頃から、その個性を発揮、テレサ
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”ラレドの通り” 「TheDyingCowboy」としても知られる「StreetsofLaredo」は、死にゆくレンジャーが別のカウボーイに物語を語る有名なアメリカのカウボーイバラード、アメリカ西部作家連盟のメンバーは、これを史上最高の西洋の歌のトップ100の1つとして選んでいる。
As I walked out in the streets of Laredo
As I walked out in Laredo one day
I spied a young cowboy all wrapped in white linen
Wrapped in white linen as cold as the clay
I see by your outfit that you are a cowboy
These words he did say as I boldly walked by
Come sit down beside me and hear my sad story
I’m shot in the breast and I know I must die
It was once in the saddle I used to go dashing
Once in the saddle I used to go gay
First down to Rosie’s and then to the card house
Got shot in the breast and I’m dying today
(菅原)70年以上も前の話しですが、拙宅は「朝日新聞」に加え、何故か「日刊スポーツ」を購読していました。「日刊スポーツ」は、結構、米国大リーグの情報を掲載していました。それとは別に、レフティ・オドゥール率いるサンフランシスコ・シールズの訪日(1949年)。これって3Aだったけど、日本は一回も勝てませんでした。確か、6戦やった筈です。そう言えば、巨人の別所もやってましたね。
その「日刊・・・」で覚えているのが、ボブ・フェラー、テッド・ウィリアムス、ラルフ・カイナー、スタン・ミュージアル、ウォーレン・スパーン、ジャッキー・ロビンソン、後にマリリン・モンローの旦那となったジョー・ディマジオ(両親はシチリア島出身の移民だそうです)。他にもいたけど、全く思い出せない。でも、苗字だけでなく名前まで出て来るほど影響されてたわけです。
(小川) 大昔の話、懐かしいね~。シールズの試合名古屋で観戦しました。
(飯田)懐かしい、ミッキー・マントルとロジャー・マリスのポスター写真を見て思い出したのは、数年前にニュー
ヨークのセントラルパークのジョン・レノンの墓(イマジン・メモリアル)を観に行った時に、ランチの場所を探して付近を歩いていたらミッキー・マントル・カフェが見つかりランチをしました。あまりの偶然見つけた店だったので、嬉しくなり店にお願いしてメニューを貰って帰り自宅の小さなバー・キャビネトの上に飾っています。
福留孝介が引退しました。ジャイアンツ・ファンの圧倒的に多い「エーガ愛好会」ですから関係ない話ですが彼がシカゴ・カブスで活躍していた年にシカゴでシカゴ・カブスVSシンシナティ・レッツの試合を観戦しました。カブスの球場はチューインガムで日本でも戦後有名だったリグレー社が所有しているとても歴史的な球場で雰囲気のある球場です。福留は中日ドラゴンズに入団しましたが、PL学園から巨人に行きたかったのに中日ドラゴンズに入団したかと記憶してますが。
(安田)> カブスは「ヤギの呪い」から108年振りに解かれて優勝し
(保屋野)先日、大リーグのレジェンド達が話題になりましたね。遅ればせながら一言。ボブ・フェラー、テッド・ウイリアムス、スタン・ミュージアル、ジョー・ディマジオ等々懐かしい名前がありました。
記録からは、ホームラン762本の「バリー・ボンズ」とヒット4256本の「ピート・ローズ」が真っ先に名前が挙がるべきなのでしょうが・・方や「筋肉増強剤」方や「野球賭博~永久追放」で、とりあえずは対象外。では誰か・・戦後に限って言えば・・・・
スラッガーは「ハンク・アーロン」(ホームラン755本、ヒット3771本))次点「ウイリー・メイズ」(ホームラン660本、ヒット3283本)リードオフマンは「リッキー・ヘンダーソン」(ヒット3055本、盗塁1406回)次点「イチロー」(ヒット3089本)ではないでしょうか。さて、プーホールズがあと3本でホームラン700本達成です。ヒットも3400本近く打ってます。メイズを超える?。そして、大谷が後10年活躍できれば、総合第一位になるかも、期待しましょう。
(編集子)小生目下のコンサーンは桑田がピッチングコーチを首になること、だけであります。読売の最新情報ではどうやらそうなるらしいけど。本日現在わがG はCS進出ならず。昨晩の一戦、8回の無死満塁をなんと三者三振できりぬけた若武者大勢の奮闘むなしく、最後は実に岡本の3ゴロでダブルプレーとは、まさに今年のGの実力そのものでしたな。かの歴史に残る9回裏、江藤のグランドスラムで同点とし、二岡の右翼スタンドへの逆転ホーマー、ああいうドラマがあるものと信じていたのでありますが。
真夏の間、KWV三田会夏合宿と猛暑・熱中症を考慮して中断していた「月いち高尾」を再開しました。コロナ第7波の先が見えはじめ、台風襲来の合間をぬっての爽やかな秋空の下、小仏城山(670.3m)コースと、定番のケーブルカー~高尾山(599.3m)コースに分かれて実施。
メインの城山コースは、この夏の猛暑の名残とその締めを付けるべく、「城山茶屋」名物のかき氷を堪能することをうたい文句とした。平均年齢76歳の老健脚10名が参加(S36吉牟田、S37菅谷、S40武鑓、S43猪俣、S45安田、S46村上、S48佐藤充、S51斎藤、羽田野、S47関谷)。
10:30 日影バス停から行動開始。トップ関谷が小仏城山北東尾根の日影林道からのアプローチ口を見過ごし、キャンプ場まで行ってしまい、数百メータをバックするも、林道から登山道への適当な渡渉点が、水量が多かったこともあり、見付からず。そんな中、さすが老練な菅谷さん、最適なポイントを探していただいた。数年前、某先輩が渡渉中に岩から滑ってしまった(仮称)H落っこちを無事渡り、木漏れ日差す尾根筋を500m弱登り、小仏城山に約2時間で到着。
目的の一つであった「城山」茶屋のかき氷を堪能して、暑かったこの夏にお別れ。小仏峠経由、小仏バス停14:40発でJR高尾駅に戻り、ケーブル組(S36中司、遠藤、高橋、S38町井、S39蔦谷、S46猪俣、S47平井、伊川)が待つ「テング飯店」での懇親会に合流。
ケーブル組も、秋空の下、遠足の小学生で賑わう高尾山登頂、下りはケーブルと1号路経由に分かれ、初秋の高尾を楽しんだ。マスクを外して、自然の空気を一杯に吸い込み、気心が知れたワンダー仲間との楽しい一日だった。
(48 佐藤)
入会資格の厳しい「月いち高尾」に入れていただきありがとうござ
吉牟田先輩はじめ平均年齢76歳とはとても思えない健脚に感服で
(43 下村) 写真を拝見、後期高齢者とはいえこれだけ揃うと壮観ですね。皆さ
今回は参加できませんでしたが、来月の秋ワンは参加の予定です。
(43 猪俣)素晴らしいお天気のもと、山歩きを楽しみました。
企画、実施ありがとうございました。
城山は初めての経験でした。初心者程度のコースだと思いますが、結構
タフでした。やはり、歳とってきたのかなと感じています。
今日は老人会の体操の集まりのあと、松井田に来ました。明日はゴルフ。
明後日はワインの搾汁で勝沼に歳とったなど弱音を吐いている暇は
ないぞと自分を追い立てています。
次の機会も参加したいと考えています。また、よろしくお願いいたします。
今年の夏山の写真を何枚かお送りしますので、どうぞご覧下さい。天候不順の中で雨にも遭わず、幸運でした。いずれも “人生最後の〇〇山” です。
残念だったのは、唐松岳山荘で ビールが品切れで無くて・・・・最悪でしたよ(こんなこと初めてです!)。なお唐松岳山荘は@14,000円でした。
いつまで歩けるかは神のみぞ知るの心境ですが、“もう一度行きたいあの山” を目指しています。
(編集子)BS劇場で 勝手にしやがれ の放映があり、その登場の背景としていわゆるヌーヴェルヴァーグ映画についての議論が起きた。その定義づけとして博学船津の解説。長文にすぎるので(編集子の判断による)概要をお伝えする。作品の解説については別途エーガ愛好会でご紹介する。 (本文で船津がフランス語を ニューウエーブ Newwave と気楽に書いているが、愛好会メンバーでは菅井康二と小生には、わが黄金時代のhpの痛恨の敗退を意味することになった大プロジェクトの名前であり、エーガどころでは済まない深い傷?を負わせた単語である。関係ないか)
アレは高校大学時代。
ブックバンドの代わりにVANのワイシャツの箱に教科書入れて、
1950年代とは、
ヌーヴェルヴァーグ(フランス語: Nouvelle Vague)は、
映画批評誌『カイエ・デュ・シネマ』の主宰者であったアンドレ・
ヌーヴェルヴァーグの最初の作品は、最も狭義の概念、
カイエ派(右岸派)
即興演出、同時録音、ロケ中心というヌーヴェルヴァーグの作品・
一方、左岸派の活動は、カイエ派(右岸派)
トリュフォーやルイ・
日本におけるヌーヴェルバーグの影響としては、
前回は、ケシの果実から、アヘンが作られ、精製されてモルヒネ、
砂糖の起源は、
紀元前334年から始まったギリシャのアレクサンドロス(
イスラム世界では、イブン・スィーナーという哲学者が、
11世紀のキリスト教世界でも、トマス・
こうして、砂糖の需要が高まってゆくなかで、新大陸が発見され、
やがて砂糖・紅茶大好きなイギリスでは、
砂糖を飽食した者たちは、