5月のブログでお知らせしましたが清里丘の公園の室内プールがリニューアルしこどもパラダイス広場となりました。先々週の日曜日に私が出かけていたので主人が子供たちを連れて行ってきました。
室内には様々な遊具やブロックなどがあり、子供たちは一日飽きずに(お昼ご飯も食べずに)遊んでいた様です。入場料は子供800円、大人850円でした。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
慶応義塾大学医学部卒業の外科医で同時にワンダーフォーゲル仲間でもあり、専門分野にあっては脳外科医として世界的に著名な存在で外国文化との接触も多い河瀬斌君からのメールをまずご紹介する。
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私の大学時代の英語の先生は読書は専門的に優れるけれど、
(菅原)小生の経験(IBM)からも、貴意に100%同意。これに尽きます。
、『人にできない能力を持たせる』ことであって、秀逸な英語を話す能力ではありません。と言う教育に、日本はなっているでしょうか。
(船津)皆様 社会生活でトップに立たれて生活された方ですから「当たり前」の
河瀬斌さんも「子供にGlobalな、国際的な仕事をさせたい人
小中学校英語教育についてやり方が大問題なようです。英語教育
(安田)英語を通常の義務教育以上に専門的に学んではいませんが、「必要は発明(上達)の母」を実感した学生時代の世界一周の旅の2年間でした。英語は世界の人と通ずるための「道具」或いは「手段」だとのご指摘はまさにその通りで、より深く通ずるためには「道具」の質の向上は必要でしょう。仕事で英語を主たるコミュニケーションの手段として使用せざるを得なかった米国籍会社勤務時代もその感を強くしました。
しかし、ある程度道具が使えるようになれば、もっと重要なのは、その道具を使う本人の「魅力度」「能力」「人柄」とでも呼ぶべき、「道具」の質とは全く異なる、個性の育成と深化或いは熟成です。少年時代からの教育は、まさに「道具」の習得と、併せ人としての魅力度・能力向上を目指す個性の育成の両方がバランスよく達成されることが理想でしょう。少年時代に受ける英語教育の質と内容は、その子供の家庭環境、家計の経済状況、両親の意識などに大きな影響を受けます。経済格差が教育格差に直結する現実が存在します。幼少時代に個性の育成と道具(英語)の習得のどちらに重きを置くべきかと問われれば、「金太郎飴的な教育」から脱皮して『人にできない能力を持たせる』個性の育成教育だと答えます。大谷翔平の例を挙げられましたが、まさに至言です。
AIの進歩、同時通訳ロボットやスマホの普及に伴い、国民全員に等しく小学生時代から義務教育の必須科目として英語を学ばせるかどうかについては、絶対必要だと積極的に賛成する理由が見つけにくい。更に、英語教育に割く相当な時間がバランスのとれた子供の教育には弊害とはならないかなど慎重に検討する必要はあると思う。ただし、英語を喋る質と書く内容でその人の鼎の軽重が問われる仕事に従事する(する積もりの)人は、質の向上が必要不可欠なのは言うまでもない。
BS12では民放としては珍しく「西部劇特盛祭り」と称し、6月
開巻すると、「名前はジャック・クラブ、リトル・ビッグホーンの
物語
絆は一貫していても、その後の経緯はインディアンと白人の間を往
再び偵察員に雇われたジャックはカスター将軍以下がリトル・ビッグホーンで
以上が概要だが、本当にジャックは、122歳以上迄生きていたの
(ウイキペディア解説)
小さな巨人(ちいさなきょじん、原題: Little Big Man)は、1970年製作のアメリカ映画。同時代の『ソルジャー・ブルー』とともに、西部劇の転換点に位置する作品として映画史に残る作品である[要出典]。 トーマス・バーガー原作。121歳の老人のホラ話のような人生の中に、ネイティブアメリカンや当時のベトナム戦争の問題[要出典]をエンターテイメントに包んで表現している。
先日、ゴルフに行く前夜のことです。ま夜中2時頃に急に右肋骨の下の方に痛みを感じて目が覚めました。「今晩は寝なくてはいけないのに困ったな、夕食に何を食べたかな? 食あたりかな? かなりキリキリする強い痛みなのでアニサキスかな?」 頭の中を悪い想像ばかりが駆け巡り、眠れません。慌てて通常の腹痛でのむ〝ブスコパン“という薬を2錠服用。しかし痛みは軽減せず、まだ寝付けません。翌朝早く知人にキャンセルの電話を入れました。8時になっても痛みは取れず、ハッと気づいて、通常の痛み止めの〝ロキソニン”を服用したところ、20分ぐらいで痛みはスーツと無くなりました。
私の誤診でした。胃や胆のうの痛みではなく、もっと表面の肋間神経痛だったのです。そう言えば痛みはお腹の中というより、右最下部肋骨の裏側だったようです。そのまま軽快しましたし、発疹などは背中にも全くでなかったのですが、私の下した診断は「ヘルペスによる肋間神経痛」。無論その後、症状は全く消えてしまいました。
誰でも非常に疲れたり、仕事で数日余り寝られなかったりするとこの帯状疱疹に関連した神経痛が数年に一回ぐらい起こります。50-60歳以降の話ですが、今日はこの俗にヘルペスとよばれる帯状疱疹ないし、発疹が無くても(ここが重要です)、出現する神経痛についてお話ししましょう。
小さい時に〝水ぶくれを伴う発疹、水ぼうそう“に罹ったことはありませんか? 記憶になくてもだいたい90%の方は罹っています。これは水痘・帯状疱疹ウイルスが原因ですが、それが身体のどこか(特に脊髄の周囲)に何十年も潜んでいて、50歳を過ぎると、加齢や疲労・ストレスなどが原因でまた悪さをし始めるのです。主な症状は肋間神経痛や腹痛、あるいは上肢の強い痛みです。発疹が全く出ないことも、逆に痛みを伴う発疹で気づくこともあります。免疫機能が落ちているときに出やすいと言われます。発疹が出れば、どこの医者にも分かるのですが、発疹が出る前に、神経痛だけだとよく分からないと言われてしまう可能性もあります。最近、開業医さんでも、このヘルペスに対しワクチンを予防的に投与することが可能です。
ワクチンには生ワクチン(接種は1回、効果は70%ぐらい、5年有効)と、不活化ワクチン(2回接種が必要、効果は100%近い、10年ぐらい有効)の2種類があります。費用は前者が1万円ぐらい、後者は2回で4万円ぐらいですが、お住まいの地域から補助金が出るはずです。お知り合いの医師か、各市町村に相談してください。まあ、お金持ちで、2回接種に行く時間的な余裕もあり、今後10年以上長生きする自信がある方は、不活化ワクチンをど~ぞ。
但し、私はまだ打っていません (医者の不養生?)。
どう言う切っ掛けがあったのか判然としないのだが、かれこれ60年振りにD.ハメットの処女作「血の収穫」(1929年。翻訳:田口俊樹)を再読した。
「血の収穫」を初めて読んだのは学生時代だったと思うのだが(蛇足だが、A.クリスティーの「アクロイド殺し」(1926年)にまんまと騙されたのもその頃だ)、探偵小説は、今でもそうだが、先ず殺人があって(それもたったの一人)、その犯人を見つけて大団円となるまでのお話しだ。
「血の収穫」では20人前後の人が殺し殺される。これが何よりも新鮮で極めて衝撃的だった。血で血を争う抗争で決着が付く、これこそが血の収穫と言うことなのだろう。その衝撃が余りにも大きく、今の今までその印象だけが続いて来た。ところが、今回、再読してみて「血の収穫」のなんと長閑で牧歌的なことか。確かに、ほぼ20人ほどが殺され、ギャングども(正確には、賭博場経営者、故買屋、密造酒屋など)の抗争で大量殺戮が行われて決着が付く。しかし、その殆どが、だれそれが殺されたと言う伝聞であって、殺しの直接描写は殆どない。気の抜けたビールとまでは行かないが、いささか拍子抜けで少々がっかり。その理由は、これが、遍在することの出来る三人称の物語ではなく、この物語の語り手が、一人称のコンチネンタル・オプ(コンチネンタル探偵社調査員)であるからに他ならない。これでは、いくら行動の人と言っても、同時に別の場所にいるわけには行かず、情報は専ら伝聞に頼らざるを得ない。そして、良く考えてみれば、この間に、例えば、ドン・ウィンズローの「犬の力」(2005年)を読んでしまっては、「血の収穫」がいかにも生ぬるい感が否めなくなるのも致し方あるまい。何故なら、「犬の力」は血みどろの麻薬戦争の話しだが、殺人の直接描写があり、それが酷くて誠に陰惨なのだ。この描写が余り頻繁に出て来ると、確かに心地よいものではい。勿論、その人数の多さも「血の収穫」の比ではなかったが。
ただ色々調べて見ると、「血の収穫」の影響にはただならぬものがある。それは、作家の筒井康隆が、いみじくも言っているように、「「血の収穫」のプロット(筋立て)は、あらゆる小説、映画、劇画に利用されており、その数は、おそらく百を下るまい」。例えば、黒沢明の「用心棒」(1961年)はご覧になった方も多いと思うが、黒沢が、「血の収穫」は「ほんとは断らなければいけないぐらい使ってるよね」と語ったのは有名な話しだ。また、クリント・イーストウッドの「荒野の用心棒」もその黒沢の「用心棒」、つまるところは「血の収穫」が原点であるようだ。つまり、荒廃した街に巣くう悪党たちの間を主人公が行き来し、互いに争わせて破滅に導くと言う筋書きは「血の収穫」が原点であり続けて来たことになる。最早、古典になったと言っても差し支えないだろう。
「血の収穫」読了後、直ちにハメットの2作目 「デインの呪い」(1929年。翻訳:小鷹信光)を読み始めた。この小鷹がハメットの専門家であることも手伝って、その翻訳の良さは田口の比ではない。翻訳の良し悪しも読後の感想に大きな影響を与えている。もっとも、「血の収穫」は処女作、「デインの呪い」は第二作目と言う大きな違いがあるのかも知れない。
さて、ハードボイルドの始祖はハメット(1894年~1961年)だとばかり思っていたが、それは小生が知らなかっただけのことであって、どうやら然に非ず。解説者の吉野仁によれば、それは、私立探偵、レイス・ウィリアムズを主人公としたキャロル・ジョン・デイリー(1889年~1958年)だとのことだ。その短編こそ翻訳されているが、長編は未だに訳されていない。しかし、この件に深入りすると話しが長くなるので、それは別の機会に譲る。
それにしても、確かに、私立探偵が主人公なのだが、殺し合いが際立っている「血の収穫」が、果たして本来のハードボイルドなのかとなると、大きな疑問を抱かざるを得ない。それとも、ハメットと言えども、本格的なハードボイルドは、私立探偵サム・スペイドが初めて登場する「マルタの鷹」(1930年)を以って初めて言えることなのだろうか。
(編集子)
アクロイド殺人事件 でアッと思い、幻の女 でプロットに驚嘆し、Yの悲劇で 舌を巻き、それからHB, という同じコースをたどったものとして、スガチューの感覚というか意外性を感じたような書きぶりは納得できる。HBの創始者うんぬんについては小鷹だったか田中小実昌がデイリーにふれていたのを小生も思い出す。いわゆるブラックマスク派の本はまだ手に入るだろうか。この投稿に刺激されてアマゾンを探し、”犬の力” の中古を探し当てたので、それをすませてからスガチューに応えることにする。
今日も梅雨空、こういう日がHB耽読に向くのだが(薫風快晴、なんて日はやっぱりセーブゲキむきだな)。
しばらく前にエーガ愛好会の保屋野君が、かれの推す歌手番付?を送ってくれた。これについてはいろいろな感想があったが、今朝の読売新聞に添付の広告がのった。この手のものはしょっちゅう見ているが、保屋野説を思い出して全曲名について、自分でメロディがすぐ思い浮かぶものをチェックしたら89曲あった。ほかにも、ア、この曲名は知ってるな、というのが10曲くらい。つまりこの広告の200曲のうち知っているのは50%という事だ。これが多いのか少ないのか、よくわからないが、この広告の選曲でいくつか気がついた。
僕らの中学高校時代のラジオからはアメリカでのヒットソングの直訳ものが多かった。江利チエミの テネシーワルツ とかそのほか沢山あった。そのころの ”御三家” は江利、美空ひばり、雪村いづみだったが、この200曲にはまず雪村が入っていないし、江利はあまりヒットしなかったように思える1曲、美空は 真っ赤な太陽 しかない。このころ絶頂期にあった美空ひばりが1曲しかない、ということはこのセレクションが演歌や英語直訳ソング群を前提にしていないことを示すのだろう。演歌歌手、と言えばまず出てくるビッグネームは全く入っていないが、これがこのピックアップのいう ”ヒット歌謡曲” の定義のようだ。またいつごろがピークだったか、”フォークソング” というジャンルが出てきて、片方では ブラザースフォア だとかPPMなんかのイメージに対抗して和製フォーク、なるものが流行った。このころの 日本人のイメージした ”フォーク” は何だったかわからないが、これも重視されていないようだ。このころの人々の琴線に触れた歌が、現在の若い人達の愛好する、ビートとかリズムを重視したり、ラジオよりもテレビ映えが話題となる構成とはだいぶ違い、いうなればメロディアスなものだったのだと改めて感じる。
僕の大好きな 真夜中のギター と 虹と雪のバラード に 小さなスナック。この三曲が入っているから、ま、選曲もよしとするか。買うか? それはまた別の問題だ.
最近よくお目にかかる地政学、という分野。わかっているようでわかっていない用語の一つなので、なんか手っ取り早い本はないか、と気軽に買った1冊だが、著者が予備校の先生だけに手慣れた編集であり、要点がわかりやすく、いい入門書だった。
第一に、地政学そのものの論議よりも、近代史、とくに日韓関係やロシア、中国との関連などの解説が貴重だ。韓国という国は地政学的用語でいえば半島国家であって、半島の付け根の先にある大国の影響を避けられない、という説明はなるほど、と納得するが、さらに、この分野では高名な学者だそうだが,マッキンダーは現在のヨーロッパ地域が巨大な半島とみなして、この、半島国家と同じ運命にあると論じたという。この場合、”欧州半島” の付け根がバルト三国・ベラルーシ・ウクライナであり、古代にあってはマジャールやモンゴルの、くだってオスマン帝国の、現代ではロシアの影響を受けてそのたびに内部の混乱を招いてきた。このありようは朝鮮半島のそれと同じだというのだ。
そのために内部的に混乱し、片方では先端技術に優れた英国やフランスはこの付け根内部、すなわち現在で言う中東やアジアに侵入し、自国の論理だけに従って地域の分割占有を断行した。有名なサイクス・ピコ協定によるアラブの分断(映画 アラビアのロレンスの背景)、インド亜大陸の占領、さらには単なる資源獲得だけを目的としてしゃぶりつくしたアフリカ大陸の混乱など、おのおのの地域の民族や文化を無視した、地政学的に見て筋の通らない実情無視の国家分断が現代のこの地域に絶えない戦乱の原因である、とする。イデオロギーや経済政策の問題ではなく、まさに地政学的な観点で理解できるというのだ。
現代は米国対ロシア(多分中国)の構図で考えられるが、それはその前にあった英露の対抗を引きずったもの(米国が表舞台に出る結果になったのは第二次大戦への参加)であることが明快に説明されており、現在なぜウクライナがロシアにとってそんなに重要なのか、と言ったことも解説されている。さらに日本人として納得するのは、一部の日本人が例によって ”第二次大戦の結果の総括と謝罪をドイツはやったが日本はやってない” と自嘲するのがいかに現実を知らないか、ドイツは今までになにをしたか、という事実の解説でもある。
地政学、というものそのものを理解する前に、近代史の総括という意味で小生には非常に参考になった。それと同時に、われわれがいかにお人好しでわきが甘い民族であるかということを改めて認識させられた。結論的に小生が納得したのはわが国が島国であることが地政学的にみて絶対的有利な位置にあることだった。
それほどの大部でもなく、文庫版820円は安すぎるくらいの価値があった。一読をお勧めする次第。
(小田)あまり観たいと思う方はいらっしゃらないかと思いますが、今夜7時から《BS12》でエルビス・プレスリーの”60年代名作青春西部劇”?「いかすぜ!この恋」があります。いかすぜ…
(小田)「ママがサンタにキッスした」の1番の歌詞は
日本政府はコロナから逃げ出し(脱コロナ)、社会はコロナ終息と勘違いし、国民は自由に様々な行動をしてはおりますが、Withコロナであることは意識しておいてほしいと思います。日本の場合、これ迄いくつかの幸運が重なってきましたが、今も1日1万人の感染があると予測され(実数は誰も分かりません)1日10人は死亡しているようです。これはまさにインフルエンザ並みとなっています。風邪との区別も難しくなり、ごく身近に流行っているという印象です。実は私自身ニアミス状態を経験しました。ある会食で私の目の前の席にいた人が、翌日の定期的予定検査で陽性と判定され(全く無症状)2類時代なら濃厚接触者に当たる訳ですので、私も何ら症状はなかったのですが、念のため2回薬局でキット購入して抗原検査を行い、陰性でホッとしました。同席会食者たちも皆検査し陰性でしたので一件落着ということになりました。
世界的にも感染は続いており、WHOは警戒を緩めないようにとは言いつつも、大流行はなかろうという展望をしています。感染経験とワクチンにより免疫を持った人も増えています。しかしながら、高齢者や心肺疾患、糖尿病などのリスクを持つ人にとっては危険な感染症であることに変わりありません。
WHOは “高リスク者には春、秋の2回、一般に人は年1回全員が秋冬期にワクチン接種” を推奨しています。日本でもいわゆる6回目の接種が始まっています。私もすでに接種を済ませました。副反応なしです。
このCOVID-19の3年余りで、日本の政治のお粗末振りが世界にバレてしまい、1流国と見做されていたのが3流国になってしまいました。ウィルス学、ゲノム解析、ワクチン開発など各分野で研究者が減り、研究費が開発途上国や小規模国に比べても僅少となり、日本からの研究論文が量質ともにランクダウンして(黒木レポート)いることは悔しい限りです。
前報でも述べましたが、このポストコロナ期に、①タテ割り行政を改善し、②十分な検証を行い、③研究費を増額し、次なるパンデミック感染症への備えを構築せねばなりません。10年前新型ウィルス感染症にしっかりした報告書を出していながら、行政へ反応させずに失敗しています。今度こそと願いを込めております。
社会はポストコロナとして動いています。一部では抑制されたコロナ禍時代の反動的にコロナ前よりも大きく、一方一部ではコロナ禍で縮小したままで、そして多くはコロナ前を目指してと3方向あるようです。在宅勤務やWEB活用などコロナ期に伸びた利点は生かしつつも、伝統に根付いた人間関係を尊重するコロナ前の社会への復帰を目指そうではありませんか。