現在の外気温24度、雲が多い空模様ですが晴れとなっております。湿度が高めでジメッとした空気に感じます。
「八ケ岳シャイン」として栽培している葡萄を本日、「よってけし長坂」に初出荷してきました。朝5時に収穫して、仕分け、梱包等を済ませ、店舗内に置かせてもらいました。少しづつですが、出荷していきますので目に付きましたら、手に取って頂けたら幸いです。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
以下の“戦争もの”を立て続けに読んだ。
1.「暁の宇品」(ノンフィクション)。添付の感想をご覧ください。
2.「銃弾の庭」(フィクション)。著者:S.ハンター。連合軍、ノルマンディー上陸後、米軍を悩ませて来たドイツのスナイパー(狙撃手)を、同じくスナイパーのアール・スワッガーがやっつけるお話し。
3.「暗い波濤」(フィクション)。著者:阿川弘之。ミッドウェイで米国にボロクソに負けて以降、終戦(敗戦)までを、海軍第二期予備学生たちの群像を中心に描いた負け戦のお話し。
ノンフィクション、「暁の宇品」、副題が「陸軍船舶司令官たちのヒロシマ」を読む(著者:堀川恵子、出版:講談社、発行:2021年)。宇品港(現広島港)を作った広島県令(知事)、千田貞暁の一字を取って、その司令部は「暁部隊」と呼ばれた。
亡くなったノンフィクション作家、立花隆(例えば、「田中角栄研究」、「日本共産党の研究」など)が堀川を極めて高く評価していたが、それを裏切らない出色のノンフィクションだっ
た。ただし、以前、堀川が亡夫、林新の原稿を基に書いた「狼の義 新犬養木堂伝」を読んでいたから、これが初めてのことではない。
勿論、題材が殆ど知られていない陸軍の船舶部隊のことだったことにもよるが、事実を徹底的に調べぬき、それを一つの物語に仕立てた手腕は並大抵のものではない。
その内容は、陸軍と言っても戦闘の話しではなく、戦闘に欠かせない兵員輸送と兵站の話しだ。日本と言う島国からは、戦闘員を目的の大陸、島などに輸送する手段が必要となる。勿論、兵站についても同様だ。だが、日本では、海軍が自分のことで手一杯であったことから、そう言った輸送は陸軍がやることになった(他の主な国では海軍がやっており、日本の場合は長州[陸軍]、薩摩[海軍]の軋轢があったが故の話しとも言われている)。
しかし、陸軍に船舶の建造能力などある筈がなく、船員も含め全て民間の商船などを徴用して輸送船とせざるを得なかった(この戦争で、7200隻以上の商船が、撃沈されたと言われている)。これら裏方の業務を一手に引き受けたのが、軍港である宇品にあった陸軍船舶司令部だ。呉が海軍の軍港であり、宇品は陸軍の軍港だったわけだ。
なかでも注目すべきは、陸軍の船舶輸送制度を整備し「船舶の神」と言われ、昭和12年(西暦1937年)から15年(同1940年)、宇品の陸軍船舶司令官だった中将、田尻昌次の止むに止まれぬ建白書だ。田尻は、日本の兵站の脆弱性、致命傷を充分に知悉、熟知していただけに、米国との戦争は勿論のこと東南アジアに南進することさえも無謀であることを陸軍の中枢のみならず各省にも訴えている。しかし、船舶司令部内で不審火があったことを理由に、事実上、解任されてしまった。
また、原子爆弾が広島に投下された際、陸軍船舶司令官だった佐伯文郎中将の果敢な行動も忘れ難い。当時は、本土決戦も有り得る戦況だったが、佐伯は、独自の判断で(広島の陸軍は壊滅)、全兵力を燃え盛る市内の人名救助と災害復旧に割いた。放射能汚染の危険をも顧みず、戦闘司令部を市内の中心部に置き、自ら陣頭指揮を執った。実は、彼には、関東大震災の時の陸軍の支援活動の経験があったのだ。
その結果、今、呉が、依然として、海上自衛隊の拠点になっているのに対し、宇品には陸軍船舶部隊の影も形も残っていない。
これを読むと、作中、田尻が建言して、実質、解任されたように、当初から、日本は戦闘に必要な兵站を充分に考慮しておらず、大東亜戦争が全く無謀な試みであったことが良く分かる。それにしても、今にして思えば、日本は、途轍もなくバカなことをやったもので、つまるところ、その実体は、「ナントカナル」と言う得体の知れない代物だった。
(編集子)むむ。”暗い波濤” を読んだか。俺は感動して読んだね。いま、ひょととしたきっかけがあって、逢坂剛の イベリアシリーズというのを中古で買ってきて(アマゾンで一冊150円)最後の一冊を読んでる。貴兄ご指摘の全く無謀な戦争に至る背景(英国はアメリカの参戦を待つためどうしても日本に戦争を始めさせたかった、という見方)がメインの筋立てで、スペインという結局は中立で押し通した国の事情がなるほど、と思わせる。
直接関係はないが、貴兄の文章でながいこと疑問に思ってることがある。はなし、という単語に し という送り仮名は必要なのか? 小生かなづかいなんか気にしたことがないので、当用漢字が設定された時になにか決まりが設定されたんだろうか、という事を今さら尋ねるのも気が引けて今まで来た。ご解説賜れば幸甚にて候。
9月5日、私も遂に第1回目の帯状疱疹不活化ワクチンを打ちました。筋肉内注射です。やはり高齢になってからの帯状疱疹は怖いからです。しかし、コロナのワクチン接種の時は何の副反応も起こらなくて,効いているのかと心配だった私が、今回は接種翌日に早朝テニスしたのが良くなかったのか、接種部位(テニスのことを考えて左腕に打ったのですが)の発赤・熱感・圧痛があり、体温も36.8℃に上昇(平熱は36.1~36.2℃)。熱は1日ですぐ下がったものの、注射部位の熱感と圧痛は3~4日以上続きました。まあ軽い副反応ですね。しかし仕事や日常生活・運動には何の支障もありませんでした。今後、接種する人はこのぐらいの副反応は覚悟しておいてください。
何故、そんな副反応を我慢して(たいした副反応ではありませんが)、しかも自腹を切って、帯状疱疹ワクチンの接種をしたかの理由をお話ししましょう。
子供に感染する「水ぼうそう(水疱瘡)」というウイルスの病気があります。これに一度でも感染すると、背骨の近くにある神経の塊(神経節)にそのウイルスはズーと潜んでいることが多いのです。静かに潜んでいるだけなら問題ありませんが、加齢・ストレス・過度の疲労・抗がん薬の使用などで貴方の体力・免疫力などが落ちた時に、チャンスとばかり一気にウイルスが増殖を開始することがあるのです。
50歳過ぎると、特に女性は、無論男性も、発症の危険があります。またお孫さんなどから改めて直接移ることもあり得ます。あるデータでは70歳以上の日本人の1/3はこの病気に罹るとか。そして最近、特に増えていることは確実です。
症状は、最初は紅色のポツンとした胸や背中、腕などの出来る発疹ですが、放置するとアッという間に発疹は拡がります。我慢できない痒みと痛みがあり、水疱(小さな水ぶくれ)が発疹の中にみられることもあります。その水泡の中にはウイルスが詰まっている可能性があります。この水泡に触れても、或いは飛沫感染も、また体液や物品を介しての感染もあり得ます。
さらに厄介なのは、発疹がはっきりしなくても、神経痛(肋間神経痛・腹痛・上腕痛・顔面痛など)だけの症状も出ることです。目の近くの感染で失明したり、あるいは難聴や排尿・排便障害が起こることもあります。
その予防がワクチンです。ワクチンは2種類、生ワクチンと不活化ワクチンがあります。発症予防効果は前者が50~70%、後者は90~97%と言われていますから、後者を私は選びましたが。不活化ワクチンは高額でかつ2回も接種しなければならないのが欠点です。費用は医院によって多少異なりますが、平均すると前者で8000円から1万円、後者で2万円前後(後者はそれを2回、すなわち4万円です)。
しかし、50歳以上の方なら、お住まいの都道府県によっても違いますが、ワクチン接種に補助金が出るところが多いようです。ちなみに私の住んでいる東京都港区では前者で6,500円、後者では1回あたり15,000円の補助がでますから、後者で2回打っても10,000円前後の持ち出しで済みます。一方、ある方の話では横浜市では補助金がでなかったとか?
まあ、港区は区民税がバカ高いからね。この点は、お住まいの区市町村の保険機関に注射を申し込む前に必ず問い合わせて、必要書類を貰ってください。
発症してしまったらどうするかって? なるべく早く、皮膚科の先生に相談することです。早めの診断と対応が必要で、抗ウイルス薬の内服・点滴などあります。しかし、皮膚科の先生の中には発疹の治療だけに気を取られ、神経痛などの合併症には気を使われない方もいるのでご注意を!! 読者に皮膚科の先生が居られたら、ごめんなさい。
私も2か月以上先の、2回目接種の副反応だけが、一寸だけ、心配です。
9回、秋広の2ベースから期待した奇蹟は起こらず。
(菅原) どうするもこうするも、原は賞味期限を過ぎた。リーグ優勝9回、日本シリーズ優勝3回、WBC優勝1回、やってんだから、晩節を汚すな。読売が、再び常勝軍団に戻るためには、監督、落合。これは、少なくとも、ナベツネが生きてる間は有り得ない。要するに、弱い読売は、クソの役にも立たない。
(安田) 読売巨人軍の監督にはだれがなろうと興味はありませんが、外野席の傍目八目としては、広岡達郎、野村克也、落合博満の巨人軍監督の采配をみたかったです。原は東海大学が産んだ、柔道の山下康裕と並ぶ有名人(原が一歳若い)。東海大学の前総長・松前達郎はなかなの活躍した人物。彼は一歳ナベツネより若い。ナベツネが松前前総長と昵懇の仲であったなら(事実関係は全く知らず)、東海出身の原に引導は渡しにくいかも。
西武で成功を収めたV9時代のキャッチャー森祇晶もナベツネ(あるいは正力)に嫌われたのですかね?江川の声も全く聞かれませんでした。
慶大出身者は水原、藤田、高橋といましたが、絶対的カリスマ性は不足した感がしました。高橋の再登板の芽があるかも!?
(編集子)現在の岡本をつくったのはなんたってヨシノブ。松井をつくったのがチョーさんだった。現在の御贔屓、秋広を育ててくれるのもョシノブみたいな気がするんだけど。
1ヵ月前に友人M氏から、日本チームの外国人選手に関し、その資
説明メールを貰っていましたので、ご参考までにそのまま転送しま
これに合点して、Global Japanの次のマッチも盛大に応援しましょう。
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先日、最近のRugbyのJapan 代表は他の競技と比べると外国人選手が多いのは何故というご質問
「代表になる資格」
先ず、日本をはじめ各国の代表になるには、ワールドラグビーの国
「他国での代表経験が無い」というのが「大前提」ですが、(つま
下記条件のうち「1つ」でもクリアーできれば、例え日本国籍を取
1, 当該国で出生している。
生まれた国が当該国(ここでいう日本)なら、国籍が他の国でも日
2. 両親・祖父母のうち一人が当該国で出生している。
自身が当該国で生まれていなくても、両親、祖父母のうち一人が当
3. 60カ月(5年)継続して当該国を居住地としている。(プレーす
す。)
4. 累積で10年間当該国に居住している。
プレーする直前に60カ月継続して当該国に居住していなくても、
では何故他の競技と異なり「ラグビー」だけこのような「
その中には「ニュージーランド」や「オーストラリア」「南アフリ
そこで、これらの国に移住したイギリス人が、国籍に関係なく当該
従い、現在で、日本のみならず、World Cupに出場する各国には、上記の条件を満たす外国選手が多数参
(参考)
モロッコの地震に心を痛めております。
この作品の監督ジョン・フォードは義に篤い人だったらしく、恩義に感じた古手の俳優を短時間の出演でも人々に好感を与える脇役で起用することが多かった.。この作品では西部劇の往年のスターであったハリー・ケリーを讃えて、次のように敬意を表している。
初期西部劇の空に輝く明星、ハリー・ケリーに捧ぐ。
To Harry Carey, Bright Star Of The Early Western Sky.
また冒頭部分で登場する街の保安官スイート役のワード・ボンドの夫人にはかつて今でいうグラマー女優としてならしたメエ・ウエストが登場する。僕らのころで言えばジェイン、マンスフィールドかアニタ・エグバーグ、といった存在だったのだろうと想像する人だが映画では老境の良き夫人役である。
フォードと同じころの監督では、小生の知ってい
る例ではハワード・ホークスが 赤い河で、苦労して牛を運び込んだモンゴメリー・クリフトに破格の条件を出して厚遇する牧場主の役にハリー・ケリー・シニアを充てている。 ”三人の名付け親” では息子のジュニアが主役のひとりだが、やはり年齢にふさわしい好人物として登場,かたやシニアもふさわしい脇役で出ている。フォードは、特に西部劇では、好んでアイルランド系の俳優を用いていて、通称 フォード一家 とよばれるのだが、この映画もまさにその一家ものだ。日本での西部劇の隆盛をみたのは、アパッチ砦・リオグランデの砦・黄色いリボン という騎兵隊三部作 というフォード一家ものが大いに力があったというべきだろう。この作品でも、ウエイン、ワード・ボンドにペドロ・アーメンダリスにベン・ジョンスン、女役はミルドレッド・ナトウイックにハリー・ケリージュニア、とくればそれだけで雰囲気ができてしまう。一家の常連だがこの作品では出番がなかったのはヴィクター・マクラグレンとヘンリー・フォンダ、おっとモリーン・オハラくらいだろうか。
西部劇、というもののイメージは勧善懲悪のガンプレイと主役が最後に愛を得るという筋書きが決まっているようなものとして、ハイブラウな層にはあまり受けがよくなく、そのイメージを脱却しようといろいろな試みがされてきた。グレース・ケリーが初めて出演したという意味でも話題になった 真昼の決闘 の保安官は尽くしたつもりの街の人の協力も得られず、結局自分ひとりで刑務所あけの悪と戦う。なぜ逃げないのか、といわれて、too proud to run すなわち逃亡することを自分の誇りが許さない。それだけだと気付く。対決が終わった後、その誇りを賭けたバッジを投げ捨て、自分を裏切った街を去る。それまでの西部劇のヒーローとはかけ離れた描写だった。この時期に売り出したテックス・リッターの歌う主題歌 do not forsake me my darling とともに記憶に残る名画だった。
よくわからないがこの映画が出た後あたりから、それまでのパターンから脱却することが西部劇の復活につながるというような風潮が出てきたような気がする。このあたりの解説は御大小泉さんにお任せするが、万事単純な小生からすると、評論家筋にはいろいろと解釈があるけれど、そういう系統の作品はいかにもアメリカらしい、おおらかさに欠ける。同じテーマならなにも西部劇にする必要はないじゃねえか、という気がする作品も多かったように思われるのだ。
その点、三人の名付け親 という作品は、小生の愛するアメリカ人とその風土を心地よく味わえる、しかし同じフォード―ウエインものでも騎兵隊物などとは違った、むしろ同じ西部劇でいえば リバティバランスを射った男 に近い後味がある。
ストーリーは銀行強盗を試みた三人の男たち(ウエイン、ペドロ・アルメンダリス、ハリー・ケリー・ジュニア)が失敗し、保安官(ワード・ボンド)に追われ、砂漠に逃亡せざるをえなくなる。後を追おうと主張する街の人を、いや、それよりひどい旅になるだろう、とボンドは予測する。その通り、水のない苦しい逃亡になるのだが、その途次、置き去られた馬車に行き会う。馬車には身重の女性が一人で助けを待っている(作品の冒頭、保安官とは知らずに一行が世話になるワードの夫人(メエ・ウエスト)が姪がクリスマスに帰ってくるはずなのにやってこない、という場面があるが、この見捨てられた女性がそうだったことは後でわかる)。彼女は苦労の末、男の子を出産し,三人に後を頼んで息を引き取ってしまう。銀行を襲って金を得るはずだった三人はこの女性の遺志をはたそうと砂漠の旅を続けるが、先住民との戦いもあり、ケリーもアルメンダリスも倒れてウエインが一人だけ、町に行きつくのだが、その過程で聖書が重要な役を果たす。小生はこのあたりの話には全く無知なのだが、荒くれの男たちが素直に聖書を信じて人間としての務めを果たす、このあたりが、繰り返すが素朴な、まっとうなアメリカ男の在り方として素直に感動できるフィルムである。フォードのエーガの中では、改めて考えてみると一番好きな作品かも知れないと思ったことだった。
ジョン・ウエインは癌に侵されて世を去るのだが、彼と同じころ、西部で撮影にあたったハリウッドの俳優の多くが癌で死ぬことが多く、その遠因が40年代から50年代にかけて米国が西部の砂漠で繰り返した原爆実験の汚染によるものだった、ということが 広瀬隆著 ジョン・ウエインはなぜ死んだか という本に詳しい。この作品での準主演だったアルメンダリスも癌に侵されたと知って、絶望して拳銃自殺した。僕が永遠にあこがれる大西部のひろがりとそこに生きる、この三人のような素朴なアメリカのありかたと現代の悲劇とのギャップには向かい合うすべをしらない。
またまた ”戦争ものエーガ” にまつわる話だが、第二次大戦中、米軍が使用した救命胴衣は メエ・ウエスト と呼ばれている。米国版グーグルでの解説をのせておく。これで思い出すのはウイリアム・ホールデンの 第十七捕虜収容所 で米軍捕虜の間でベティ・グレイブスが人気で、彼女の白昼夢を見る、というエピソードだ。
グーグルにいわく(なるほど、こういう場合は generous というのか):
How a life jacket came to be named after Mae West.
(飯田) 映画「三人の名付親」に因んだ、エーガ愛好会への貴兄の寄稿文を拝読。さすが、セイブ劇、中でもジョン・フォード監督作品を好む貴兄のこの映画への論評は説得力があると感心しました。
フォード監督への信頼度の高さは、出演俳優の名前を見ただけで、驚くほど目溢しのないことにも、表れています。保安官役のワード・ポンドの夫人役のメイ・ウエストの紹介や赤ん坊を生んで、見知らぬ3人の男に赤ん坊を託して死んでしまうだけの母親役のミルドレット・ナトウイックの名前まで、残さずに挙げていることに現れているとおもいました。
ところで、この母親が砂漠の荒野で亡くなって、3人の男たちが埋葬するシーンで、ハリー・ケリーJr.が歌う弔いの歌が「リパブリック讃歌」であって、ジョン・フォードの他の作品での歌(「荒野の決闘」のMy Darling Clementine)や(「黄色いリボン」)ほど話題にならない物の、いきなり聞くとちょっと驚くシーンではあります。日本では「リパブリック讃歌」は≪じんべさんの赤ちゃんが風邪ひいた≫と灰田勝彦がハワイアン・コミックソングで歌っていますが、替え歌では≪おたまじゃくしは蛙の子≫や≪たんたん狸の・・・は≫など、人口に膾炙された歌詞で歌われている曲ですね。
(編集子)過分のご評価いただき恐縮です。
(安田)1967年、20歳の時に“青年は荒野をめざす”を読み、痛く刺激をうけました。翌年‘68年からの世界放浪の旅の後押しをしてもらいました。
手許に著書はないので、確かめようがありませんが、仰るように記憶では主人公がストックホルムで リパブリック賛歌 をトランペットで吹きます。原題は The Battle Hymn of the Republic とのこと。アメリカ合衆国の民謡・愛国歌で南北戦争での北軍の行軍曲とのこと。日本語で直訳すると「共和国の戦闘賛歌」、随分勇ましい題名です。ジョン・フォードは生粋のアイリッシュ系、メイン州出身。勿論、北軍側で、経験なカトリック信者だと推察します。映画題名の 3 Godfathers も新約聖書の登場し、イエス誕生時にやって来てこれを拝んだとされる人物たち。ヨーロッパの美術館では嫌というほど “東方の三博士” 関連の宗教画を見せられます。三人のならず者たち(東方の三博士になぞられた)は、打ち捨てられた馬車の瀕死の母親(実はワード・ボンド扮する保安官の姪)から、生れたばかりの赤ん坊を託され、名付け親となる。三人は聖書に導かれ、贖罪の旅に足を踏み入れる。西部劇とはとても思えない筋立てに大変驚きました。
ハリー・ケリーJrの歌声(吹き替えでなければ)