同窓会はしごの一日 (継前稿)

(バー アンノウン オーナー 川島恭子)

昨日は以前 聖蹟桜ヶ丘にお住まいだったお客様が、社会人同期の方々や後輩と来店くださいました。
マティーニ2杯から始まり ウイスキーダブル ジンフィズ ジントニックなど 品良くたくさん召し上がり、遠くまでお帰りのお足元もしっかり楽しそうでした♪
ダンディーな皆様から「ありがとう🍸 」のお言葉をいただき これからも諦めずに聖蹟桜ヶ丘のBAR明かりを灯す為に頑張ろうと思った素敵な一夜でした。

今週末もBARの空間を素敵な時間にしたいです

2月8日、編集子はKWV同期会を銀座で終えて、その足で多摩市まで戻り、多摩市在住のころからの付き合い、バー ”アンノウン”へ、今度はhp時代、”汎用” コンピュータで苦労した仲間たちとの飲み会に参加。いわばこの日は同窓会のはしご、だった。
たまたま、この事業でマーケティングの責任者だった坂東正康が故郷徳島から上京する、という事を聞きつけて、セールスの中心者の一人、楠路夫がよびかけ、とりあえず連絡がつく仲間での急造の会合だった。もうひとり、カスタマサービスで苦労した小野寺務も京都から来る手はずになっていたが、急用ができて残念ながら不参加。結果として集まったのはほかに(日本語のしゃべれないコンピュータならアメちゃんに売ればいいじゃん)と ”外資系会社殺し” と異名をとった麻生洋、本稿でもご存じ、PCを先取りしていた(と自称する)坂東配下の菅井康二、SEの大元締めで頼りにされた沖本重之、それと坂東のセクレタリで彼の獅子奮迅の日々をささえた染谷(木村)幸恵、の7人。4時間前の会合で山歩きの想い出や失敗談が中心だったが、ここでは当時絶好調だったhpでただひとつ、”お荷物”と揶揄されたビジネスでの苦労話が懐かしく話題になった。

しかし沖本が喝破したように、この時にhpが提唱した、当時の用語でいえばDDP(Distributed Data Processing) と ユーザフレンドリネス、という流れは今まさに時代の主流である。(ま、俺達がすすみすぎてたわけよ)ということで納得し、恭子ママ自慢のマティニーの杯を重ねた2時間だった。彼女が言ってくれたように “品よく” だったかどうかはわからないが、”たくさん” は事実だった。上京多忙の坂東が(現役時代の彼の飲みっぷりからすれば)早めにリタイアしたため、二次会はなく、”品よく” 解散。

PS: hpの先進性、ということで、(これも引かれ者の小唄、かも知れないが)一言付け加えれば、同じ時期、現在の ウインドウズ に匹敵する NEW WAVEという製品も完成に近づいていた。もし、もし、HPにもう一段のチャンスがあったら、今頃の世界はNW vsApple,  になっていたかもしれないのだ。ま、歴史にIF がない事は承知してのくりごとだが。