2019 スキー合宿  (34 真木弓子 36 遠藤夫士男 後藤三郎)

平成最後のKWVスキー合宿は新たなホテルステイで成功裏に終わったと思います。天候もまずまずで、大きな怪我もなく、湯の花漂う温泉にはみな満足だったようです。

長野五輪ではフランスチームが宿泊したホテルだそうで、食事や設備もまずは合格点、ホテルスタッフの「おもてなし」姿勢は好感が持てました。

34年が3人(含む夫人)35年4人、36年3人、37年4人、38年1人、39年5人で30年代20人。最長老Fドクターは相変わらずの達者な滑りで、新雪を漁っていましたし、軽井沢と志賀の年間パスで今シーズンすでに75日滑ったという現役スラローマー森永さん(35年)は次のレースが間もなくとのことでジャイアンツを何本も直線的に滑り降りていました。

“平成が滑り納めと膝が云い” 遠藤夫士男

ジャイへ すっかり春ですね~、私達世代の季節到来!。KWV三田会スキー合宿湯治班に参加しておサルさんの地獄谷温泉に入るのを楽しみにしておりましたが、な 何と長女が急性盲腸炎で入院 手術となり、残念ながら不参加となってしまいました。混浴の地獄谷温泉入浴の平松さん、北尾さんはおサルの親分の貫禄でおサルカップルが恥ずかしそうに俯いておりましたよ。その「良い湯だな♪」のお写真をオスタちゃんからご送信頂きましたので、オスタちゃんにご連絡なさっては如何でしょうか?平松さん北尾さんの表情が極楽 極楽で本当に良いですよ~ 。私もおサル達に一族本家の伯母として混浴したかったわ!

真木弓子

写真は殆ど写していませんが合宿の解散直後に蓮池(現在は違う名前です)のバス停からジャイアント・コースを眺めてスケッチしました。思えば大学の冬の体操実技でスキーを選択しワンゲルの同期の仲間達と合宿の準備も兼ねてキスリングを背負いジャイアントの林間を全制動で必死に下ったことを思い出しました。今のコースとは少し違っているようですがお互いにあの頃は元気でしたね。

後藤三郎

1年の体育実技のスキーには、KWVからの参加がずいぶんあった。夜行列車で長野、志賀高原へ入り、確か丸池(蓮池だったか?)の下のほうでクラス分けがあり、今考えても無理があったと思うのだが、多少滑れたものは全員、ジャイアンツコースを下ろされて発哺へ入った。春合宿へ直結だったので、皆、大型のキスリングを背負っていたから、無残な滑降だった。最後の半日はKWVのメンバーは免除されて裏日本まわり、坂町から米沢まで、たぶん生涯一度の経験になると思うが米坂線というのに乗って五色温泉へたどり着いた。長かったなあ。

2019 2月 月いち高尾報告 (39 堀川義夫)

2019年の2月の月いち高尾は暖かな晴天ではありませんでしたが、悪天候のはざまでそれほど寒くもなく楽しい山行でした。本来なら陣馬の茶屋で餅つきをする予定でしたが、茶屋の主人が肺炎で入院と言うハプニングで餅つきは中止になりましたが、予定通りに陣馬山を楽しみました。参加者は総勢20名で、てんぐ飯店は18名の参加でした。

日 時 2019年2月8日(金)

参加者 楽々コース 椎名、翠川紀子、立川、堀川 4名

定番コース 遠藤、吉牟田、後藤、高橋、翠川、中司、平松、町井、三嶋、多田、河合、藍原、武鑓、浅野 川名、岡沢 16名

楽々コースは、堀川が横浜線が不通とのことでメンバーに連絡をしながら家を飛び出し駅へ。幸い電車は動き始めていて藤野には予定より1本早く到着。4人でタクシーで和田峠へ。タクシー代3160円。ここからの登りも楽々コースで巻き道を利用して約30分、11時35分に頂上に到着。残念ながら富士山は見えない!

定番コースは横浜線の遅延があったが、全員予定の9時34分に乗車して、10時10分に陣馬高原下に到着。バス停にあるトイレが凍結のため使用禁止張り紙があり男性は外で連れ?? 10時15分に出発。車道を約20分歩いて陣馬新道コースに入る。途中、かなりの急登があり女性は足を持ち上げるのに苦労する。また、木の根が張り出していて引っかからないように注意を要する道だった。この道は、下りには不向きな道だ。尾根に出ると楽で予定通りに12時到着、楽々コースの4人を加わって記念の集合写真。清水茶屋が開いていたのでなめこ汁を飲んで昼食をとる。12時45分に下り始める。15分ほど下って所用のある遠藤、多田が和田のバス停に下山。残りの18人は幅広の穏やかな下りをおしゃべりをしながら途中一ノ尾テラス防火用水で小休止して落合バス停へ。

14時58分のバスに乗って藤野駅15時05分着。わずか5分で電車に乗り換え高尾へ。全員でてんぐ飯店へ。何時もの料理、何時もの焼酎、一人2000円で少しお釣りも来た。17時過ぎに解散!

白銀の後立山です! (39 西澤昌幸)

今週月曜日から白馬・岩岳に行ってきました。幸い好天に恵まれ白馬三山をはじめ、後立山連峰全体が望めました。テレビ東京の「ガイヤの夜明け」で紹介された岩岳の山頂に昨秋新築された展望テラスより撮りました。お楽しみください。

(中司―西澤)

ありがとう。岩岳ねえ。僕はここは2度くらいしか行ったことがありませんが、山頂でコーヒーを飲みながら、白馬の絶景に息をのんだことを鮮明に覚えています。高校1年の夏、(当時の)信濃森上から(まだあるのかな)成城のヒュッテを越えて山頂へたどりつき、大雪渓を興奮しながら降りて(3号雪渓のあたりで落石に肝を冷やしたのが、ワンダーにつながることになりました。田中新弥、浅海、飯田オベイとはそれ以来の腐れ縁です。昨年の西穂でたぶん北アは見納めと思っていますが、こういうのを見ると !!  になるようです。

PS
昨日の陣馬餅つきハイク、小屋の都合で餅はだめでしたが、高尾とは打って変わって静か、全行程で出くわした人は10人とおらず、僕らの独占でした。寒かったし、富士は見えませんでしたが。また、3月。

アサ会2019新年会  (34 平松克彦)

遅くなりましたが今年の新年会の集合写真をおくります。新年会はここ10年ほどは高輪の和彊館で開催してます。

今年の参加者は太田、小泉、桜井、佐成、椎名、城田、妹尾慶子、田中、永野夫妻、西川、西島、林田、平松、藤野、船曳、眞木、松本圭、丸橋、三神、三ッ本、茂手木、矢郷。

妹尾の奥様が参加してくれました。過去に参加してくれた奥様を来年からお誘いしようと思ってます。

妹尾の遺品としてブルーのザックを貰いました。よく一緒に山に行ったザックです。ひょんな事から妹尾が集めたぐい呑み等を沢山もらい受けました。アサ会の新年会で皆さんに貰って頂きました。ジャイの分も取ってあります。機会をみてお渡ししますのでお受け取り下さい。まだ沢山ありますのでスキー合宿にも持っていきます(私はスキーは卒業です。湯治です)。

スキーのない冬 ? (39 堀川義夫)

(復信)

ジャイさん    遠藤さんを忘れていますよ!  私は、クマ夫婦とジェラ達に叱咤激励されながら佐々木大輔さんのガイドツアーを終えました。あと2日間、帯広在住の48年卒の奥村さん宅にお世話になって帰ります。足のモモの筋肉が悲鳴をあげています。

(往信)

第二回目のスキーのない冬を過ごしています。いろいろとやることもあるので、それなりに充実していて無聊ということは感じませんが、やはりどっかに郷愁?があります。同期では深谷もどうやら今シーズンでスキーから卒業するような雰囲気です。さすが一時は隆盛をほこったサンロク軍団も歴史の影に隠れる時代ですかな。残党は浅海と後藤だと思います。せいぜい面倒見てやってください。

2019初W 月一高尾報告 (39 堀川義夫)

 

山頂からの富士遠望

2019年の初の月いち高尾は暖かな晴天に恵まれ、歩いても汗をかかない程度で何とも心地よい高尾を楽しむことができました。例によって10時に高尾登山口に集合定番の稲荷コースと楽々組は大垂水峠までバスで行きました。

日 時 2019年1月17日(木)

楽々組    船曳夫妻、小泉、平松、椎名、中川、堀川 7名

稲荷山コース 遠藤、吉牟田、高橋、翠川、中司、町井、三嶋、蔦谷、武鑓、浅野、伊川、岡沢 12名

楽々組は大弛峠までバスを利用、楽々コースの名にふさわしく、山の裾をまくコースで最後の高尾山頂上への登り以外は、ほとんど登りを感じないゆったりしたトレッキングを楽しみました。汗もかくでもなく日差しが穏やかで問題はなかったのですが、登りが少ない分距離があったためでしょうか、12時10分に頂上に着きました。

4号路を行く

本隊は日当たりの悪い6号路(びわ滝コース)でなく 真冬の定番コース 尾根道歩きの稲荷山コースを歩きました。10時高尾山口駅発 いつもの12時に細田小屋に着くペースで歩きます。今日は本当に天気よく 途中で暑くなり 衣服の着脱のための小休止何回か 鼻かみの小休止。10時52分 東屋着 休憩11時発 頂上直下の四差路で 私含め3名は右折し1号路経由頂上へ。残り9名の元気組は 直登を選択。11時55分に頂上着。 楽々組も 以外に(失礼)早く 12時4分着でした。

山頂にて集合写真

細田小屋が休業だったため、久しぶりに昼食は山頂の三角点周辺で暖かな日差しの中で昼食をとり、全員で人気の少ない4号路を利用し、

4号路つり橋

みやまつり橋を経由して蛇滝への下山路へ。途中何人かはケーブル利用、1号路利用で下山しましたが、全員元気に蛇滝口バス停着。バスで高尾北口に行きこれまた定番のてんぐ飯店で打ち上げ15名が参加しました。

翠川いわく:

今日は今年初めての「月イチ高尾山」をご一緒させて頂きありがとうございました。久々に「ひたすら登る」高尾山も最後の登りは結構息が切れましたが、「こんな調子で長く続けられたら」と改めて感じました。
生憎の「この時期らしい」天候で頂上からの富士山も撮影の面からはイマイチでしたが「新春の富士」は矢張り良いものですね。
また次回もよろしくお願いします。

天狗飯店にて新年を祝う

ひとりぼっちの山荘です (41 田中透)

明けましておめでとうございます❗️
平成1月、雪の中の三國山荘です。
塾旗がカッコ良く翻って自然に囲まれてとても似合ってます。
たった独りの小舎番は気分最高ですね。山荘ライフの醍醐味は冬の中でしか味わえないと思います!
今日はこれから、マサボンや、島君、金子君達が食料、お酒持って入荘予定です。楽しい夜になりそうですね!
仲間が小舎に集まって一緒に過ごす夜なんて最高の人生だと思います!
KWVが青春をまだまだこさえてくれている有り難さを感じています!
三國山荘からの便りでした。
S41 田中透より

2019年度ニューイヤーズパーティ

亀井先輩のご発声で乾杯!

1月12日、今年度のNYPが恒例通り、芝パークホテルで開催された。30年卒宮本・坪田先輩らの主宰されていたシニアワンダラーズの会とOB会公式行事とを合わせて行われるようになった新年会で、すっかり暦年行事として定着したが、今回は24年卒溝口先輩のご出席を得て、”OB会1年生”を任じる30年卒の川上君まで、年齢差は実に70歳、ありていにいえば曽祖父から孫の年代まで、合計128名(うち2名は現役)という大規模な集まりになった。

今年は鏡割りが登場。年男女が盛大に新年を祝った

実行担当の親睦委員会メンバーや女性として初めてこの会を取り仕切ったCLの久米行子君、司会者としておなじみの54年卒石倉周一郎君、ほか多くの関係者に感謝したい。

久米CL開会宣言

挨拶に立たれた27年卒亀井先輩は塾評議員から引退されたことを報告され、”数多くの三田会のなかでもベストテンに入る素晴らしい会であることに自信を持て”と結ばれた。

たしかに会員数などでいえば、大企業や地方組織で我々よりも大規模な会はたくさんあるだろうが、行事への参加とか、年台を越えた ”われらケイオー” の、福沢以来の ”社中” 精神の意義がこれほど濃密な会合はあまりないだろう。今後とも、”若手” の参加が増えていくことを期待しよう。

年代別出席者人数と全体に対する割合は20年代が5名で4%、以下30年代45名35%、40年代57名44%、50年代17名37%、60年代17名で13%となった。平成年代は今回は川上君のみだったが、次回からはもっとにぎやかになるだろう。現役からは部長の中川直輝、山荘の武藤遼、両君。

このあとはスキー合宿、春の日帰りプラン、と行事が続く。活発な各位の参加があることだろう。

締めのエール、今年は遠路かけつけた山田君(S49)が担当

12月度 月いち高尾報告 (39 堀川義夫)

 

今年最後の月いち高尾が20日に開催されました。異常なほど暖かい今年の冬ですが、この日も晴天に恵まれ冬の木漏れ日の中、カキ尽くしのBBQ付とあって29名の参加を得ました。BBQは4年前に小さな鉄板を持ち込みちゃんちゃん焼きをしたところ好評でしたので何となく12月の最後の月いち高尾はBBQで締めにしようという風なことになってきています。昨年もカキ尽くしで好評でしたので、今年もさらに殻付きカキを加え、豪華なBBQとなりました。BBQの開始時間の関係でトレッキングの方はいささか時間不足になってしまいましたことをお詫びします。また、最近の傾向ですが、レベルにあった無理のないトレッキングをするよう心がけていますので、今回はご自身のレベルに合わせてトレッキングは3班に、そして、BBQのセッティング班と合せて4班となりました。以下、各班の報告です。(原文のまま)

三嶋班  高尾山口駅10:02発・・・・・ケーブル前10:10発・・・・・薬王院11:25着・・・・・山頂手前のトイレ11:55・・・・・作業道・・・・・日影キャンプ場12:40着

参加者(敬称略);浅海、鮫島、高橋、中司、翠川、吉牟田、町井、久米夫妻、三嶋  10名

1号路の登りはかなりの急こう配。 ゆっくりと しかし休みを少なくして 展望台は通過。男坂、女坂では迷わず階段の無い方に進み、薬王院着。お賽銭とお線香で ”神頼み”を丁寧に済ませて、鮫島さんご推薦の車椅子でも行けると言う道を進み、山頂前のトイレ横へ。山頂はカットして、巻き道から日影への作業道に入る。

着くころには牡蠣尽くしが出来ているだろう、と歩を進める。少し遅れそうだが、携帯は圏外で連絡できず。久々に時間を気にしながらの 山歩きでしたが、10分遅れながら無事到着。平均年齢78.ウン歳 皆さん大したもんです!

牡蠣をこんなにたくさん 思いっきり食べたのは初めてで大満足。 その後お腹も無事でした。堀川シェフ始め 設営の方々には感謝しかありません。

 

岡沢班  我が班は、12時30分集合という時間を考え、全部まともに歩いたらとても集合時間に間に合わない、皆様に迷惑をかけられない という殊勝な考えで ケーブルを利用することに賛同した者の集まりです。

参加者 9名 平松 小泉 椎名 船曳夫妻 深谷 中川 浅野 岡沢

10時15分のケーブルカーに乗り、20分に歩き始め、参道はガラガラいつもの人込みはどこへ行ってしまったのか。ゆっくり歩き薬王院に参拝 そして唯一の急登の階段を過ぎ 山頂には 11時12分着。12時半前に出発しようとするとなんと病院道コースの5名が到着。 我々は 4号路からいろはの森コースを行き キャンプ場には12時34分に到着。全員何事もなく無事に予定通りに歩け万々歳でした。

藍原班  人数が多い為 岡澤さん相談し、3班体制を組む。琵琶滝コースを藍原が受け持つ。メンバーは 遠藤さん・後藤さん・西澤さん・川名さん・藍原の5名10時15分出発。琵琶滝から 高尾山の登山路では一番(?)の急登「琵琶滝コース」に入る。今日は好天で風もなく快適。紅葉は見られないが、山の風情を楽しみ、足取りも快調に、数人を追い越して登る。トップは遠藤さん。それにしてもペースが早い、早すぎる。着いて行けそうもないので、リーダー権限でペースを落とすよう再三要請する。45分で一号路との合流点に到着。川名さんを除いて皆ロートルの筈、こんなに元気でいられることに感心するばかりです。薬王院にて皆思い思いに願いを込めてお参りし、山頂へ。11時30分到着。

山頂では薄もやが掛かっていたが、富士山の威容も拝めた。いろはの森コースを下り、日蔭沢キャンプ場に時間通り、12時30分到着。今日は良い空気を吸い、美味しい牡蠣料理を頂き極上の一日でした。

堀川班  BBQ設営班と言うことで若手の伊川、関谷、実方が買って出てくれました。それに会計の仕切り役オチエとあまりの量に不貞腐れ気味の私の5名です。本当はバスで行く予定でしたが私の荷物が30kg超でしたので、タクシーで日影沢キャンプ場へ。実方が提供してくれた軽トラで集合地の登山口駅からコンロやフライパンなど、事前に購入してくれたビールは水等々を運び入れてくれました。大助かりです。感謝感謝です。10時45分頃から準備開始、さすがワンダーの面々は手慣れたもので1回の説明で理解してくれ、どんどん準備が進んでいきました。12時には火をおこし、12時20分ころには何時でももいらっしゃい! と言う体制ができていました。やがてトレッキング組も順次到着。楽しい宴が始まりました。殻付きカキ62個、むき身のカキ5kgを完食!!素晴らしきかなこの食欲!! 女川のカキに感謝!! GIさんの恒例になりつつあるケーキの差し入れ、ワイン、何よりもカセットコンロや鍋、フライパンなどご協力を感謝します。

閑人会 (44年同期) 忘年会  (44 般若隆)

S44閑人会は、恒例の忘年会をここ10年近く利用している銀座交詢社で12日に催した。体調不良、遠方地方居住、海外居住の不参加者が数人いたが24人が参加。岡山 富山からの遠方組を含め、全部員の9割近い参加率(物故者一人の奥様参加)。齢70を超えたあたりから、種々の同期行事への集まりが目に見えて良くなったように感じる。仲間との掛け替えのない貴重な時間と機会を悔いなく過ごそうとする心境は、皆言わずもがな共有している証拠であろう。落伍者を出さずにできるだけ長く続いてほしいものだ。
来年は卒業50周年の節目の年。会の始めに、それを記念して作成するユニフォームシャツとエンブレムのデザインを決定。一年先輩S43山下さん(体育社)のご協力を頂き来春に完成予定。 その後、今年を振り返り閑人会四国夏合宿の反省・感想、ひとりずつ近況報告、来年のプラン打合せと会が進んで行く。病気の話が殆どなかったのは良かった。
話題が来年の行事予定になってくると盛り上ってきた。我々の代の年中行事は、まず正月早々は七福神巡り、そのあと神田のスッポン料理屋で新年会。春は観桜会、昨年は皇居乾通りを歩き、その後懇親会。夏から秋にかけては夏合宿。夏合宿前に三田会夏合宿の準備山行も兼ねて三国山荘泊で周辺山歩き。三田会行事にも参加しつつ年末の忘年会へと続く。
七福神巡りは、まず最初に谷中、続いて浅草、深川、隅田川と回を重ね下町界隈を歩き終えたので、来年は新宿御苑スタートの新宿山ノ手七福神巡りに決定。渋谷君の立案企画・リーダーシップに感謝。歩いてみると知らないところや新発見に嬉しい驚きがあるのが七福神巡り。来年もどんな新発見があるかワクワクする。また美味しいスッポンに舌鼓を打って滋養とコラーゲンを頂くのも楽しみだ。向こう一年間の鋭気を養うのに持って来いだ。
2006年還暦時から続いている毎年の夏合宿は、来年は北海道と決まった。時期は三田会夏合宿と繁忙期を避け、8月末から9月初旬あたりとする。我々が一年生の時(1965年)の思い出深い北海道夏合宿と同じ分散集中方式に決定。利尻・礼文、大雪山、平地プランの三本立てで集中地は旭川周辺とした。それぞれのLとSLも決定。詳細はこれから詰めていく。
以上のような話の展開で優に二時間以上経過。記念撮影をしてお開き。その後、半数が学生時代からの馴染み「Brick 」にて延長戦。会の開始一時間前から多くが既にBarで一献傾けていて、数時間に及ぶ長丁場を楽しんだ忘年会であった。