KWV忘年ゴルフ会     (37 菅谷国雄)

スタート直前で写真も緊張意味?名手後藤三郎にしても緊張のあまり手振れしたか?

12月5日、ワンダー有志による平成最後の忘年ゴルフが行われた。

最年長は80歳超えの36年組から若手は未だ現役の52年組まで、ある者は自慢の腕を試めさんと、又ある者は義理と人情にかられて痛む体に鞭打って総勢30名、府中CCに集合した。終日曇り空ながら師走にしては気温も高くまずまず、懇親会では速いグリーンに悩んだ失敗談に花が咲く。無事終了が何より、和気藹々賑やかにお開きとなった。ただ、途中クラブハウスで行方不明になる者も出るなど、認知症の進行も懸念され世代交代必死の、正に平成最後のゴルフ会でもあった。

振り返れば、学生時代は殆んどが縁がなく、むしろ敬遠していたゴルフ、夫々社会に出てから仕事の付合いなどで始めたゴルフも、いつの間にか懇親を深める格好の場に変わり、ワンダー仲間も各代競う様にゴルフ会が催されて来た。

各代のゴルフ会にも誘われて参加して来たが「100人ゴルフ」も思い出が多い。記憶もおぼろげになってしまったが、そもそもの始まりは40年ほど前、故荒木庄平さんの発案だった。私の同期、今は人吉で闘病を続けている福永浩介君の衆議院選挙に挑戦する、その激励会を兼て故川鍋達朗さん経営の「夷隅CC」でのオールワンダー・ゴルフ大会が行われた。その後KWV三田会の組織再編と発展に併行し、形を変えて「100人ゴルフ」が盛大に行われて来た。最盛期には23年卒の吉田晴彦先輩が養老温泉に泊まり込みで参加されたり、32年卒の伊豆山康夫先輩がブラジルから駆け付けて来られたり、正に「100人ゴルフ」に相応しい盛り上がりだったが、近年は会員の高齢化に伴い年々参加者が減少して寂しさ一入の感がある。世間一般、ゴルフ人口も減っているのでやむを得ない傾向と思えばそれまでだが、人生100年時代、老いて益々盛んなワンダー仲間の登場を期待したいところだ。

来春には桜咲く頃に、府中CCにで「オールワンダー懇親ゴルフ」がある。 誘い合わせて賑やかにやりたいものだ。

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府中カントリクラブ、今回の使用ティで全長6042ヤード、天候は薄曇りから晴れという絶好のゴルフ日和だった。前回のチャンピオン佐藤充良(48)、毎回BGを狙う矢部精一(37)、傘寿ながら週一回ラウンドという老練浅海昭(36)、豪打連発の40年組藍原瑞明や淵田晴彦らを抑えて優勝はネット69で斎藤邦彦(51)。なお実情を考慮して(?)このコンペではBGの表彰はないが、今回は淵田春彦(83)。その外特記すべきことは品川正良がハーフ70の壁を破ったことである。次回のBB戦がどうなるか、楽しみになった。

斎藤君の51年卒の代は雨男軍団の別名があり、過去担当の日帰りワンデルングを何回も流していたが、今年は春(大月)秋(飯能)と2回無事終了、忘年ゴルフも学年優勝といいことずくめだった。以下、斎藤君の投稿。

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12月5日(水)「府中カントリークラブ」にて開催されたKWV忘年ゴルフ大会において図らずも優勝の栄に浴させていただきました。グロススコアでは到底及びませんが「新ぺリア方式の隠しホール」がズバリ的中し大きめのハンディを頂いたおかげだと思います。有難うございました。とりわけ菅谷先輩には今回も予約手配等を頂き深く御礼申し上げます。サポート頂いた伊川先輩、安藤さんにも感謝いたします。このような立派なコースと素晴らしいメンバーでラウンドすることは珍しいので私は大変楽しみにしています。

この大会は元々36年卒組と37年卒組の対抗戦として始められたと伺っています。今回は参加者30名のうち36年卒組が最高齢で4名、37年卒組が8名というご参加でした。私の計算では平均年齢は75.9歳ですが100を切るスコアの方が4割の12名という成績で驚異的にお元気なコンペだと思います。若いころからの精進の賜物でしょうか?

次回からもできるだけ大勢の仲間を誘って参加したいと思っています。ご参加の皆様がますますお元気で、3月末の定期大会と12月のこの大会が末永く開催されますよう願っています。

斎藤君撮影の菅谷君挨拶。太陽に向かっていたがハレーションは発生せず。

病み上がりの月いち顛末   (36 吉牟田正稔)

2011年1月の同期ナンカナイ会の新年会の席でGIから月に1回くらい高尾山位に行かないか!との提案で始めた 月一高尾の集りだが我が家から比較的に近く便利だし 打ち上げ場所の 天狗飯店という現在の指定場所のおばさんともすぐに仲良しになり 予約から登山途中からの確定人数連絡やら 料理の発注から 特別割り勘計算などまで楽しんでいました。今まで 前立腺の手術後 2月ほど休んだ以外は ほぼ全参加だと自負しています。現在は世代交代し若手にバトンタッチ後も体力が持つ間は参加の気持ちです。

本年 山荘祭頃より右膝が痛くなり日常の生活も多少不便になり 整形外科医のMRI検査を受けたところ 右膝半月板が損傷しており 暫く登山中止し 週1回のヒアルロン酸 注射と別の整骨院にてのマッサージ治療を約2ケ月行い ほぼ痛みも無くなり 先日は同期の第4回目の街歩きに参加し15000歩歩いても大丈夫だったので 今回 月一高尾にもチャレンジした次第でした。

小生の膝の治療してくれている 下北沢の整形外科医は慶応高校から阪大卒の医
者で ワンゲル仲間で毎月継続している…今回も14人も集まったなど話すと そんな仲間のいる クラブは羨ましいですね! 元気に継続参加してください!と励まされてます。

今回の参加は当初 どこで膝が痛くなり途中リタイア―するかもしれず 個人参
加として1号路を登り 疲れ具合で ケーブルでの下山を考えてましたがGIが同期の面倒を見てやる… と同行してくれるとの温かい提案を受ける考えでした。当日 高尾山口駅集合地で コンクリート道の1号路を登るより バスで標高差を稼ぐ大垂水コースのほうが楽かもしれないと本隊に合流させて貰いました。途中 何時もの 高橋良子のおしゃべりにも無言で体力を温存し黙々と登り 下りも以前から細田小屋の親父さんから聞いてた郵便道路ルートを始めて下り多少不安を抱えての参加でしたが 皆さんの応援で完走出来ました。参加の皆さんに大感謝の月一高尾でした。

登山から2日ですが膝の痛みは全く無く 加齢による筋肉痛はありますが大丈夫
です。

11月月いち高尾報告  (39 堀川義夫)

 

一丁平から紅葉台へ

久々の月いち高尾でした!! 月いち高尾としては久しぶりの晴天に恵まれ紅葉の高尾を楽しみました。何せ、今年は毎月企画するも呪われたがごとく、実施日と言えば雨、雨、雨でやっと11月が実施できて5割アップとなりました。

参加者 順不同敬称略

一丁平展望台。富士山は残念ながら見えなかった

中司 吉牟田 遠藤 深谷 岡 高橋 椎名 後藤 町井 蔦谷  三嶋 伊川 岡沢 堀川

日 時  2018年11月14日(水) 高尾山口駅集合 10時

大垂水から静かな路を行く

久しぶりの月いち高尾ということで全員入れ込み気味。バスで大垂水まで行きゆっくりと一丁平らを目指しました。高尾登山口あたりは紅葉シーズンということで込み合っていたが、ほとんど人に会うことのない静かな山を楽しむことができました。一丁平からもみじ台、そして久しぶりの細田小屋でこれまた定番のなめこ汁を楽しみ、GIさんの提案で日陰方面への下山は作業用の道を利用し、わずか40分ほどで林道に下山しました。細田小屋のご主人はたしか郵便屋道と言っていました(新聞やみちだったかな)。

紅葉台からの通称郵便屋道というルートをくだる

この道は今後一般の方々に知られない登山道として月いち高尾の秘密の登山道になることでしょう。

日陰の林道からバス道に出て、今日は、バスに乗らずに摺差(するさし)の豆腐屋さんに一直線。寄せ豆腐に、岡沢の用意したたっぷりの薬味のねぎとポン酢、そして堀川がずっと担いできた冷えたビールでしばし豆腐ブレイクタイムを楽しみました。

今回の白眉、するさしの豆腐。前回さめちょー企画の時は醤油だけしかなかったが今回はビールまで、万事快適。

ここで一時解散、バスで、また、小仏川沿いの散策路を高尾へ。これまた久しぶりの天狗で全員参加の打ち上げ。酒が旨い!!

帰りがけ、さぶちゃんが財布がないと大騒ぎになるも、なんと自宅の電話の前に置き忘れた事実判明。天才サブローもまた、人の子なりと同期生一同、安堵。

細田小屋昼食中、なめこ汁が遅い!と文句を言っているあいだにさぶちゃんはスケッチを。この時はまだ財布がないとは知らない(どうやってなめこ汁代を払ったのか、不明)。

私の不注意からお財布紛失騒ぎを起こしてしまい大変失礼いたしました。折角の酔いを醒まさせて挙句に自宅に置いてきたことを忘れて騒いだことを衷心からお詫びします。先ほど茶店の所で描いたスケッチを添付で送りますので取りあえずこれでお詫びの印にしてください。今日はとても良いプランでリーダー・サブの二人には本当にお世話になりました。   後藤三郎

昨日は大変お世話になりました。
殊に、準備万端整った寄せ豆腐のパーテイーは、秀逸でした。
久しぶりの好天のもと楽しい一日を過ごすことが出来、有難うございました。                  深谷 勝

素晴らしいコースアレンジで、高尾の良さをしみじみと味わいました。何よりも豆腐パーティが楽しいひと時でした。年末の牡蠣山行が楽しみです。昨日親睦委員会で実方さんを誘いました。久しぶりに参加すると意気込んでいらっしゃいました。生牡蠣は苦手なようですが、焼・蒸・煮は大丈夫です。     伊川望

 

 

 

 

秋の奥武蔵日帰り - その4

かなりの人数になった人気コース

36年卒の中でFEMAと呼ぶグループがある。深谷、遠藤、翠川、浅海の4人で、これに後藤を加えた5人はしつこく強い。過去の合宿や日帰りでもそれぞれのコースを選んでいて、なかなか集まることがなかった。それが今回の奥武蔵ではナンカナイ会参加メンバーの全員が日和田山コースに集まった。案内文がとてもやさしく楽に思えたからか、佐藤・久松というリーダーの人柄だったのかは定かではないが、いずれにせよ珍しい現象だった。

指示通り、武蔵横手なる辺境?駅に最年長の荒川先輩を筆頭に集合。少しばかり危ぶまれる天候であったが歩くにつれ安定した空模様になった。コースは途中で一度一般道にもどるという多少変則的ではあったが、

日和田山頂での昼食

日和田頂上では地元児童たちの遠足に合流、眺めもなかなか。高尾山からほぼ毎月見ている眺望が30度くらいずれた感じであった。下り道の一部が岩場とまではいわないが多少荒れていて、年寄りには多少応えた。夏合宿では西穂の独標の登りで足元が危ぶまれ、自分は登れるかもしれないが落石を引き起こす面倒を考えて引き返したことなど考えると、そろそろ考える時期に来たのかもしれない。

BC地にはともかく無事到着、今回は32年の上田さん、35年の手塚さんをはじめ、しばらくぶりにお会いでき、楽しい時間だった。この交歓にとりまぎれて、後で知ったのだが折角BC班が用意してくれた飯能名物を食べそこなったのだけが残念だった。解散後は飯能の居酒屋を浅野三郎君らのご努力で席を確保、大いに盛り上がった。佐藤、久松両君はじめ、”若手”各位のご助力に感謝。以下、参加者雑感。

高尾で見慣れた気もするが30度くらいふれているかな

下見を繰り返し、コースをしっかり頭に入れリードしてくださったリーダーの方々、お陰様で楽しく歩けました。有難うございました。

品行方正なメンバーが揃っていたようで、お天気にも恵まれました。
結婚前に14年間、石神井に住んでいましたが、西武池袋線の奥に山歩きに良いあのような場所があるとは、全く知りませんでした。日帰りワンデルングという企画があってこそ、体験できた今回の山歩きですね。荒川先輩を目標にあと5年も参加出来れば嬉しいのですが…(38 町井)
この度は、大変お世話になりました。予想外の好天に恵まれ、楽しい一日を過ごすことができ有難うございました。
二日経過しましたが、お蔭様で筋肉痛もなく、まだしばらくは「山歩き」ができるかなと思っております。いずれの時か、またご一緒できればと念じております。(36 深谷)
久しぶりに思い切り「山の歌」を歌えました。懐かしい方々。若い方々との山の一日でリフレッシュできました。又、の山行の再会を楽しみに致しております。(44 浅野治史 別名 歌う泥靴
この度はお世話になりました。お礼申し上げます。
今回は36年の会員のうち、山登り派メンバーほぼ全員がこのコースに
参加いたしました。私はいつも礒巾着のよに同期の方々の後をついて
まいりますが(まさか、触手で餌を捕らえませんが!)、私達も早や傘寿を迎え
昔の元気は何処やら、の今日この頃です。この度はお若い方々とご一緒でき
ましたので、安心して山歩きを楽しんでまいりました。全員の方々のお顔とお名前を覚えることを出来ないのが残念ですがこれからも、よろしくお願い申し上げます。(36 高橋)

心配した天気も秋のワンデリングには最適の一日となり、楽しい山行を楽しむことができました。大パーティーを見事にまとめられた、佐藤L 久松SLの事前準備から始まるご苦労に、深謝申し上げます。年を感じさせない諸先輩に元気をいただきました。また、皆様とご一緒できることを楽しみにしています。(42 井上徹)

 

日一日と秋も深まる中天気予報を気にしながらの日帰りワンデリングも予想を裏切る天気に恵まれ楽しい一日をご一緒させて戴き有難うございました。何時もながらKWV行事では旧知の方々との再会を楽しみにもしています。又の行事でお会いご一緒出来る事を楽しみにしています。(45大江)

昨日は楽しい一日のワンデルングを過ごさせていただき有難うございました。滅多に行くことがない奥武蔵の山を軽く歩くプランはとても新鮮でした。L,SLの二人が3度も下見をされて計画を無理のない形で作ってくださりお蔭で全てがバッチリでした。最近、急速に歩く状態がバランスを欠いたり斜面での登り、降りが不安定になってきた気がするので少し心配でしたが丁寧な道案内と無理のない歩行計画のお蔭で気持ち良く歩けました。お世話になりましたこと改めて御礼申し上げます。有難うございました。今日はこれから府中に天皇賞を観に行きますが、併せて慶応の優勝と広島カープが勝てれば祝杯ですが・・(36後藤)

日和田山コースにご参加の皆様

4班参加の諸先輩の皆様、お疲れ様でした。朝雨模様でしたが、何とか天候も回復し、無事皆様をBC地まで案内ができて、ホットしています。足、ヒザなど筋肉痛大丈夫でしたでしょうか。又ご一緒に山行できる事楽しみにしています。(48 久松)

何とか天候も持ち直し、秋の山歩きを楽しんでいただけたことと思います。最多パーティでしたが皆様のご協力により、ほぼ事前想定コースタイム通りに歩くことができました。ありがとうございました。

33年の荒川先輩はじめ山を愛する先輩方の姿、心から敬意を表します。またご一緒させていただけることを楽しみにしております。森田先輩  今回は残念でしたが次の春ワンに参加できますよう。(48 佐藤充)

 

第四回 タウンウオーク - 巣鴨界隈 (36 横山美佐子)

2月の柴又以来のタウンウォーク、巣鴨駅に集まったのは世話役のミドリ夫妻をはじめとする総勢13名のお馴染みの面々だが、前夜突然の風邪でダウンした首謀者、ジャイの顔が見えないのがチョッと淋しい。

『おばあさんの竹下通り』の異名で名高い地蔵通り商店街は、やけに目立つ赤パンツを売る店の陰でひっそりと商いを続けている駄菓子屋やお惣菜屋に江戸の下町の風情を感じ嬉しくなる。庚申塚から都電の唯一残っている路線で『鬼子母神』へ。

都電というと銀座や青山の大通りの真ん中を威風堂々と走っていた嘗ての姿をイメージするが、ここでは裏通りを遠慮がちに走る姿以上に存在感のある文字通りの庶民の足。とはいっても乗客の大半はわれわれと同類の『不要・不急のやから』のようでした。

飛鳥山の澁澤栄一記念館を見学したのち再び(三度か)都電で巣鴨に戻り、うな重の昼食。腹ごなしに六義園を散策して解散。

都内にもまだまだ知らない、いいところがいっぱいありますね!

恐れ入谷の鬼子母神前 今回は失敗作級の写りと翠川反省。

安東はテニスの試合があるとかで午前のみの参加、六義園へ足を延ばしたのは翠川夫妻、前田、深谷、遠藤、吉牟田、高橋、オヤエ。途次、遠藤君ご愛用の山靴屋 GORO へ立ち寄り。12月はなにかあったかい、ほんのりしたコースを考えたい。門仲あたりでぬる燗、てえのはどうかなあ、と考慮中なり。

 

秋の奥武蔵日帰りW ー その3  (H30 川上友輔)

若手組集合! 左から稲毛、渡辺、高田、川上

OB1年目、H30年卒の川上友輔です。先日の秋の日帰りワンデリングについて書かせていただきます。私はワンゲルは卒業したもののまだ学生をやっており、時間があるため今年度の三田会行事には全て参加しようと決めていました。秋ワンについても参加するつもりでいましたが、締切直前までどの班に参加しようか迷っていたところ、丸満Lの10班にメンバーがいないと、親睦委員会から直々に参加要請が来たため、春ワンに続き丸満班に参加することに決めました。同期のイベント好きな稲毛、高田、渡邊の3人と、内定先の先輩でもあるS61年卒新山さんをお誘いし、S60年高橋さんも加わり無事8人パーティとなったわけです。

山域は伊豆ヶ岳東尾根というバリエーションルートで、いかにも丸満さんらしいルートで、山行中は、5,60代のOBと一緒に登っているとは思えないほどハードだった。SLの50年卒岡田さんがトップを務めたが、ペースの早いこと。どんな急登でもスイスイ駆け抜けていく。我々若手4人は為す術もなく、息を切らしながら必死についていった。出発から2時間半足らずで伊豆ヶ岳に到着。山頂では丸満さんのお馴染みの爆弾お手製牡蠣の燻製を始め、チーズケーキ、果物、お菓子など差し入れ祭りとなり、疲れた体に染み渡った。下りも一瞬で駆け下り、13時前には正丸駅に到着した。もはや皆走っていた。休憩を除くと3時間半程で全ての行程を終えてしまった。素晴らしい疾走感と達成感であった。後から岡田さんに聞いた話だと、事前に丸満さんに、今回は若手がいるからペースを上げてみようと言われていたらしい。それにしても、あのスピードを出せるのは素直にすごいと思った。体力と歩行技術が磨かれていないとできないため、我々はまだまだだと痛感したと同時に、自分が60歳近くなったときの目標にもなった。久しぶりに1年生に戻ったような感覚で、学びが多く刺激的なプランだった。ありがとうございました。

そしてお楽しみのBC地では、今回も100人を超えるOBが元気に飲み騒いでおり、これもまた刺激的でした。春ワン、夏合宿でも感じたことですが、これだけの数のOBが集まり、高齢にも関わらず元気に山に登り酒を飲むKWV三田会という団体は大変魅力的です。私はここで会えるおじいちゃんおばあちゃん達が大好きであります。近年三田会活動には若手はあまり参加してこなかったが、H28年卒の金さん水上さんが壁を崩してくれたおかげで私も参加できるようになりました。今後も若手が気安く参加できるような環境を作っていきたいし、それが私の使命だと思っています。これからもよろしくお願いいたします。

<H30年卒高田蒔子>

「お手柔らかに…」と自己紹介をされたはずの先輩方の歩くスピードの早いこと。渋い秋山を、息をきらして登り、牡蠣をはじめとするおいしい爆弾を分け合い、下山後には盛大な飲み会、とワンゲルらしさのぎゅっと詰まったプランでした。いつまでも山に登りたい、この人たちと、登り続けて行きたいと、強く思いました。

アサ会:忘年登山から紅葉狩へ  (34 小泉幾多郎)

先日の日帰りW.はご苦労様でした。我々3班は、標高195mと271mの低山でしたが、夫々趣きがあり楽しめました。その前の週の10月15~16日 のアサ会で奥日光と東照宮に出掛けたことを取りまとめてみました。

例年11月から12月にかけて、我々34年卒アサ会は、忘年登山と称し、どこかの山に登っていたのですが、80の大台を過ぎ、山登りも億劫になってきたこともあり、今年から、忘年登山から紅葉狩りへと退歩することになりました。
平松君が、日光方面へ下見に出掛けたことから、戦場ヶ原散策と東照宮参拝のプランをたててくれ、総勢16名が、平松リーダーのもと、10月15~16日行ってきました。

戦場ケ原から男体山

日光は紅葉シーズンともなれば、ある程度の人出は予想してましたが、東武
日光駅に下車して驚いたのは、バスを待つ人の波。JR日光駅が始発駅との情報を得て、そちらに並んだお蔭で、次のバスに乗車出来、しかも座席確保

陽明門

外国人の多いのにも驚き、中国人韓国人なら、言葉を発しなければ日本人と変わりないものの、欧米人が多いから余計に外国人が多いように感じたのでしょう。渋滞で有名ないろは坂は、それ程でもなく、中禅寺湖を越え、目的地赤沼で下車。戦場ヶ原を湯川に沿った自然研究路を湯滝までの約5キロを散策。男体山から大真名子山、太郎山、山王帽子山等の日光連山、湯川沿いの紅葉を楽しみながら湯滝へ。紅葉を愛でながらの散策、楽しいことに変わりはないが、昨年までの忘年登山には勿論のこと、山を歩けば先頭を歩かなくては気が済まなかった妹尾君が先頭にいないこと、寂しさを禁じ得ない。

竜頭の滝

湯滝まで宿泊先の小西ホテルの送迎バスが来てくれて助かる。乳白色の温泉に入浴後懇談。 翌朝再び送迎バスで昨日寄れなかった竜頭の滝上部で降ろしてもらい、紅葉の滝を満喫しながら、再び送迎バスで、東照宮へ。平成の大修理で、本来の輝かしさを増した極彩色の陽明門をはじめ本宮から、207段の階段を登る家康公の墓所奥宮等を参詣した。帰り日光駅前では、昼食に日光名物?ゆばラーメンを食し帰宅。うち3名が、37年卒の渡辺佐平商店に立ち寄り、日本酒の試飲を楽しんだとのこと。

昨年まで続いた忘年登山を振り返ると、どうやら我々の殆んどがサラリーマン生活に終止符を打った65歳近くの2000年ごろからアサ会忘年会を兼ねて山に登ってきたようで、記録を辿ってみたくなり調べてみました。どうやら1999年12月の湯河原泊幕山が最初のようで、何人かは登山翌日湯河原CCでゴルフも楽しんでいたようです。翌2000年には熱海の岩戸山に登り、夜は花火大会を見物、翌日は初島で遊んでました。
2001年は足和田山へ、翌2002年から2004年は永野夫妻経営の伊豆下田のラメールでの会合が夏から秋に変更になったこともあり、ラメール宿泊による近辺散策や伊豆下田CCでのゴルフ会に重点が置かれました。2005年からは毎年夫々に世話役が代わり、忘年登山も本格化し、昨年まで続いたのでした。2005年から列挙しますと、浅間嶺、棒の折山、高水山、荒船山、嵩山(たけやま)、三国山荘・大沢山温泉、西沢渓谷、夜叉人峠、石割山、三国山荘・清津峡、乙女峠・丸岳、筑波山、鋸山の山々。毎年よくぞ続いたものでした。

後列左から茂手木夫妻、田中、平松、西島、城田、真木、松本、小泉、西川 前列船曳夫妻、椎名夫妻、矢郷、太田

 

60周年記念山荘祭

今回新登場した ”絵馬” は好評を博した

60周年記念として挙行された山荘祭について、担当の52年卒桑原君は次のようにまとめてくれた。いずれ正式な報告はOB会ホームページや”ふみあと”に掲載されるだろうが、ここではいくつかのスナップショットを紹介しておきたいと思う。

9月15日(土)~17日(月)の3日間、と三國山荘に於いて、毎年恒例の山荘祭を開催しました。今年は山荘建設60年の記念の年であるので“60周年記念山荘祭”と銘打ち、企画致しました。

参加は、現役60名超、OB・OGも昭和34年卒の先輩から、今年卒業の若手OBまで、世代を超え・繋ぎ60名超の参加で、お陰様で総勢、120名超の“記念 大山荘祭”となりました。
天気は、メインイベントの中日16日(日)は、KWVの思いと情熱が通じ、昼のプラン行動中は、雨も降らず、この季節としては、恵まれた天気でした。昼のワンデルングは、下記4プランで現役OBとも好評であったようです。
 1、旧三国街道散策       2本
  ・三国峠~般若塚~法師温泉
  ・永井宿~般若塚~三国峠~三國山荘
 2、湯ノ沢(旧三国スキー場)~三坂峠~稲包山~三国峠
 3、温泉三昧(猿ヶ京温泉~周辺散策)

夜のイベントは、来賓とし浅貝町内会の師田会長、苗場観光協会の佐藤会長(兼 山荘管理人)をお招きし、大BBQ大会で昼のプランの情報交換、また、現役の夏合宿の報告会等々、交流を図りました。

来年からは、古希に向け、また歴史を積み上げて参ります。皆さまの積極的なご活用が山荘の維持管理に大きく貢献致します。よろしくお願いいたします。

天気は夕食パーティが始まる前まで持ったが、悪化が予想されたので庭にテントを張ったり、現役諸君が頑張ってくれた。特に今回は地面に板を敷き詰めるなどの配慮があり、深夜からの降雨にも十分耐えた。来年も今年と同じくらいの参加人数だとテントがもう一張り、欲しいとろかもしれないが。

例によってキチンは大忙し。初代の設計から基本的構造は同じだが、全般的に衛生的?向上があったように思える。最近では飯盒やストーブ飯などは無縁だし、電気家電品がずらりと並ぶ。

キチンはきれいになったけど、料理人は手をあらってるんだろうな

ただしBBQ前の食事メニューは60年変わらないカレーライス(小生は自分の用意をわすれたこともあり3連続で食べる羽目に陥った)。ただし、荒木床平さんが見るだけで機嫌を悪くした時代とは大違いの味なのは、ルーの進化か女性部員の腕なのかわからないまま。

小屋の中でぐだぐだしてるのも小屋生活の楽しみ、とするのは60年たっても変わらないようだ。現役の中にはPCを持ち出して一見、勉強しているらしいのもいたがOB連は(この時間から飲みだすか、どうか?)という雰囲気である。一時こういう時には必ずギターを持ち出す奴がいたものだが、いまやカントリー・ウエスタンは出番が少ないのかもしれない。

かたやOB, 飲もうか、歩こうか?

一方、山荘祭といえどもワークキャンプを兼ねるのも変わらないようだ。今回伐採した樹の残材処理に、いつも通りストイックに取り組んだのが妹尾。駆り出されたのか、義侠心かはたまた運動不足解消なのか、一部現役の中には(たぶん、しょうがねえなあ、このおじさん!)と思っていたのもいたに違いないが、妹尾の見積もりでは5トン!を超えるという残材処理が進行していた。ワークキャンプに酷使されたチェーンソーの修理など、裏方の地道な活躍も見慣れた光景であった。

いつまでやるんかなあ!
あんだけ使えばキカイだって疲れるよなあ

第二日目は現役OB交歓の場として企画されたワンデルング。中でも健脚元気組を対象にした稲包ー三国峠プランは、いわゆる”新道開発プロジェクト”で開発されたルートの一部がめでたく ”KWV新道” として県の管理下に入ることを受け、そこに建てる指導標を運び上げる、というアルバイトが組み込まれた。桑原君からのメモを再度ひいておこう。

道標は、ご指摘の通り皆さま先輩の強く厚いご支援で完成した“KWV新道”の道標です。記録では、全17本ですが、実際は、20本有ります。記録に有る17本の内、朽ちて倒れてダメージの酷いものから順に、建て替えます。その正に1本目がこの写真です。

小生も新道開発プランの途中でこの20本のうちの1本をほんのわずかの距離を背負った記憶があるが、あれを稜線まで担ぐというのか!というのが正直な反応。

四勇士は現時点OB見習い心得の渡辺、4年座間(担いでいる本人)、中野、3年田辺、の面々

この他のプランはともかくも天候に恵まれて無事完了。夜は恒例のBBQ大会を楽しんだが、後半から空模様悪化、現役諸君恒例のパフォーマンスが始まるころから雨となった。これをきっかけに、ロートル組にはねぐらに引き返したものも多かったが、それぞれ、宿で愉快な夜を過ごしたのは間違いない。

翌朝、小屋前に集合。今年からは時間が大幅に早められ、夕べの残りか、体操がつらかったOBも多かった。最後は現役を代表、3年鈴木君のエールと慶応讃歌で幕を閉じた。この朝の情景を俳人、杉本光祥君(37年)はこう詠んだ。

六十年の小屋の思ひ出秋の夜」

       霧上がり 老若男女 集ふ 朝

楽しい時間を演出してくれたCL以下、関係各位に改めて感謝申し上げる次第である。

ワンダーよ永遠なれ!

雲南省への旅     (44 安田耕太郎)


中国雲南省麗江・玉龍雪山訪問記です(2017年11月11日~17日)。S44同期仲間総勢5人で行きました。齢70歳を超えるワンダラーには4500mまでロープウェイで上がれるという老齢者には打ってつけの山岳観光コースでした。

中国雲南省のビルマ・チベットに近く、氷河を持つ山としては北半球で最南端に位置する玉龍雪山。南北35キロ東西13キロに及ぶ巨大な山塊。ヒマラヤの最東端に位置する。麗江は中国南部・ラオス・ミャンマーから四川省・チベットを結ぶ茶葉街道の要衝、少数民族 納西(ナシ)族  30万人の都。玉龍雪山は納西族にとって聖なる山。標高5,596m、未踏峰。ユネスコ自然世界遺産、麗江もユネスコ世界遺産の美しい古都。

麗江はの省都 昆明から飛行機で一時間500キロ西北に位置し、標高2,450m(立山室堂と同じ)、北北西へ仰ぎ見る山頂まで水平直線距離15キロ(東京駅から羽田空港までと等距離)、標高差3,100余m。因みに富士山は山梨県富士吉田市(標高700m~900m)から直線水平距離15Km。ちょうど、標高差と距離は富士吉田市から仰ぎ見る富士山と同じ位です(3000m強、15Km)。今や麗江は人口100万を超える大都市。高いビルは無く旧市街を取り巻いて新市街が整然と緑溢れる景観の調和を保っている。これ程高い山が大都市の至近に聳えるのは、1969年に訪れたボリビアの首都ラパス(標高3600m)から指呼の距離にある、イリマニ山(6439m)以外知りません。ラパス市からは標高差2,800m。

麗江 玉龍雪山は歴史 文化 大自然の異なる魅力が混合した、中国でも超最高級の国立公園に指定されている一級のトラベル地でした。登山口は山塊の東側、麗江から25キロ、標高約3,000m地点。山塊の北東に清流の谷 「藍月谷」、大規模な上高地の類あり。標高2,800m~2,500m、山頂まで谷からの標高差 約3,000m。チベットに近くヤクも生息。到達最高地点4,680mへは3,300m地点からロープウェイで4,500mまで上り、そこからは徒歩で標高差約200m登った地点(空気が薄く携帯酸素ボンベ持参)。スケールはアルプスを裕に凌駕してヒマラヤの雰囲気に近い。景観的に四姑娘山とミニ九寨溝と歴史文化古都を混ぜ合わせた大変魅力に富む山岳歴史文化の旅でした。乾季で毎日快晴に恵まれたのも幸運でした。東京からは上海、昆明、麗江と飛行機を乗り継ぎます。写真には猛々しくも美しい山岳景観のみならず、イナゴ・蜂・さなぎの中国色濃い揚げ料理、昆明近くの世界遺産Stone Forest(石林)、麗江の旧市街の写真を紹介します。

 

 

新ルートご案内ありがとう!  (34 小泉幾多郎)

堀川義夫様
月いち高尾、バリエーションルートによる小仏城山はお蔭様で、三人長老を含め、無事所期の目標を達成することが出来、ありがとうございました。写真付きの報告書も有難くいただきました。

バリエーションルートも、30分くらいはやや急な登りであとはずっと緩やかな登りという事前ののご託宣でしたが、長老の身には結構堪えました。 このルートの入口、澤を渡渉する場所はわかりずらい筈が、事前歩いていただいた岡沢さんの先導で難なく見つかり、いよいよ木立の中の急登が始まりました。台風19号20号の影響も若干あるのか、蒸し暑い登りには参りましたが、リーダーの言われる
通り、確かに尾根筋に出ると風があったりで、また先頭の岡沢さんのゆったりしたペースに守られ、先ずは標高446mの御料局三角点に到達。ここからは緩やかな登りで,のんびりと登れるものと思っていましたが、確かに緩やかなところもありましたが、そうもいきませんでした。621mのピークに到達したと思ったら、下りでまた登りが 始まるといった具合。しかしちょっとした椅子のある休憩場があり一息。そこからちょっとで日影沢からの広い道に出て、目的の小仏城山に到着。皆一目散にかき氷を注文。あまりの大きさに、平松君の半分をいただく。昼飯のおにぎり2個持参も1個しか食べられなかった。

あとで調べたら登山口日影の標高 243mで城山670.4mだから、標高差427.4m、結構な標高差。僕のコースタイムで 休憩含み2時間20分、休憩除き1時間35分の奮闘でした。 写真城山頂上の2枚ご笑覧下さい。

8月27日    小泉幾多郎