洗足池あたりのこと   (43  中川芳子)

(町井かをる あて)

カボちゃん!すごーい!

洗足池のカルガモ親子の写真を撮って送信したいのですが、携帯の写真をPCに取り込めなくて残念です。 

  軽鳬の子を先に行かせて遊ばせて    望子

(堀川義夫)

中川芳子さんんが洗足池で撮った画像と映像を代行して送ります。

(37 杉本光祥)

我々がコロナ自粛をしているうちに、カルガモはもうこんなに育っているのですね。揃っての無事成長を祈るのみです。

コロナの世軽鳧(かる)の一家の末祈る 光祥

いい句を沢山作り続けてください。

(37 菅谷国雄)

カルガモ親子の動画を見ました。
洗足池は学生時代まで緑が丘に住んでいたので私のホームグランド、懐かしく拝見しました。

それにしても俳句の世界、カルガモを軽鳬と詠むのですね。
辞書で「鳬」を探して納得です。

(43 猪股博康)

洗足池懐かしいです。
洗足池のボートによくのりにきました。
今年3月に亡くなった従弟が、博康兄ちゃん(私のこと)と散歩し
その後ボートに乗るというのがとても楽しかったと言っていたこと
思い出しました。ちなみに、実家は小池小学校近くにありました。

そのような記憶があったので、日吉に住んでいた頃に、孫が遊びに
きた時、車で洗足池まできて、ボートにのせてあげてあげました。
彼らにも思い出として残ることでしょう。
池の畔にある中学校で、2年の時、同じクラスでしたね。洗足池に
殊の外思い出を感じます。

こんな鬱陶しいときに、カルガモの愛らしい写真を送っていただき
楽しい思い出をよみがえらせてもらいました。ありがとうございます。

 

(編集子)小生、昭和21年6月に満州から引き上げ、しばらく伯母の所に寄寓後、22年12月から大田区立赤松小学校に入学した。大井町線北千束駅前、というより、本件の発信者もうここと中川芳子の姉上、立川おちえご自宅の真ん前にある、ま、小学校でいえば ”名門”、である。なんたって(在学時の)校歌に ”池は洗足水かがみ” ”花はあけぼの桜山” とあるくらいだし、トーゼン、洗足池あたりではよくあそんだものだ。本件を通じてはじめて菅谷・猪俣両兄と洗足のつながりを知った。ヤブの方は少し年が離れているが、おじいとはどっかですれ違っていたかもしれないと思えば愉快である。もうこのご自宅は大岡山と聞くが、赤松在学中自宅は旧住所で言えば目黒区宮ヶ丘、いまは環状7号にかき消されてしまったあたりに住んでいて、大岡山は毎日のように通っていた。そういう意味でも懐かしい。ヤブともうこ、ひょっとして六中?

新型コロナウィルス感染症緊急事態宣言解除にあたって  (34 船曳孝彦)

大方の予想通り、一部解除と決まりました。世の中、解除ブームに乗って、一気に街に繰り出すような気配に心配しております。日本は無症状感染者が多いと思われますので、第2波の感染爆発を怖れます。友人の科学者からのメールが来ましたので、それも踏まえて書きます。

コロナ対策の厳しさはOxford大学で点数化して評価していますが、それによるとSweden,Singapoleに次いで下から3番目です。大甘と言えます。私は2,3月時点から、このPCR検査低施行率が続けば、ある日感染爆発が起こり、やがて集団免疫獲得が早く到来するのを意図的に待っているのではないかと勘繰っていました。Swedenが大きな犠牲を払いつつ、はっきりした集団免疫獲得政策として対処していることは、今回友人から学びました。

友人も最近の驚くべき四つのニュースと言っています。①コロナの報告がファックスでなされていたこと ②PCR検査が行政検査であったこと ③37.5℃以上4日間の基準は誤解であったとのこと ④感染者は10倍、20倍、30倍いるかもという専門家会議副議長の国会での発言です。

厚労省健康局結核感染課から各都道府県、保健所設置市、特別区あてに出された『ウィルス行政検査について』、および『新型コロナウィルス感染症に関する行政検査依頼』なるものを読みますと、37.5℃発熱かつ濃厚接触者、発熱かつ渡航歴、発熱かつ入院を擁する肺炎症状、医師が疑わしいと診断した患者に対し、季節インフルエンザ検査で陰性なものに対して検査を行うと明記され、地方衛生研究所において実施不可能な時は、公印付きの依頼書とともに直接国立感染症研究所に送付すると書かれ、輸送にあたっての責任者、容器なども厳重に規定されています。とにかく検査を絞り込むことに重点を置いた対応としか思えません。しかも発熱などを誤解ですという神経は許せません。

感染者数は現公表数よりはるかに多い(私の印象では一桁違い)のではないかと思っていますが、専門家会議副議長の立場の人が、しかも国会で10~30倍という発言には驚かされました。立場というものがあります。海外で驚きを持って報じられました。とにかくPCR検査数が他国と比べて2桁も違っては検討に値しないと相手にされなくとも致し方ありません。しかもそのデータの扱いが、FAXであったり、判定日だったり、保健所・地方衛生試験所以外の大学、研究所、病院で独自に検査した数値は加算されていないなど、どうしようもない体たらくとしか言えません。陽性者は感染法に基づき報告し統計されているでしょうが、陰性者は検査数に反映されるようになったのでしょうか。先日の報告ミスがあったという訂正発表は、実はこの陽性者を加えた変更ではなかったかと思います。

保健所の施設数(半減)、人員、予算全て削減しておいて、今回のコロナ対策を、全て保健所を通すような仕組みで対応させようとは、信じがたい政治です。公的病院の併合によるベッド数削減案(コロナ禍で一時延期)にせよ、国立大学の経費削減にしても、利益、経済効率を追求するのが新自由主義であり、これを国の政治基本としていることに諸弊害の根源があると思います。世界でも問題が多発し、新自由主義、これに基づくグローバリズムが崩壊してきているというのに、日本はまだ固持し続けていることに、切歯扼腕しています。

嘆かわしく、まさに日本沈没の危機に瀕しているように感じています。二流国どころか三流国、発展途上国(高度な医療レベルは持っているという自負はまだ捨てていませんので)でなく後退している後進国になってしまいます。

無症状感染者が多いことから、東京の緊急事態宣言解除の日はまだまだ先のことになると思います。

自分だけは大丈夫という信念みたいなもの(これを正常性バイアスというのだそうです)は全く根拠ありません。すべての人がコロナウィルスレセプターACEⅡを持っているのです。クワバラクワバラ

皆さん、くれぐれもご自愛のほどを祈念しております。

 

月いちメンバー家に籠る (25)  (38 町井かをる)

月2回のドイツ語授業がオンラインレッスンになりました!
スマホを持っていないガラケイ人間ですし、5月に入って80歳になってしまった私がオンラインレッスンなんて、まだ信じられません。
勿論、最初の設定は娘がしてくれましたが、8日のお試しレッスンで私の顔が映ったり、チャットをしたり、グループ分けをされたり、ミュートにしたり、解除したり…をあちこちクリックして、どうにかついてゆけました。
三田会費を登望会員から集める仕事も始まりますので、自粛生活は忙しくなりそうです。
(編集子)やってますね。僕も個人教授で足掛け4年位、ドイツ人(日本女性と結婚、永住することを考えているような人です)にレッスンをしてもらっています(ここしばらくにくきコロナのため中止)。なんせ、記憶能力の減退を嘆くばかりです。

”政府対応”記事について     (HPOB 菅井康二)

国際比較に使える唯一の指標「超過死亡」で明らかになる実態

COVID-19パンデミックに対する我が国の対応策に対してPCR検査数がOECD諸国中では最低水準で諸外国からはまるでこれもガラパゴス化?かと言われ放題の状態でありますが、興味深い記事を見つけましたのでご紹介させていただきます。あえて私の余計な補足は致しませんので記事をじっくりとお読みくだされば幸いです。

https://bit.ly/3clROnE

あくまでも私見ではありますが早期の沈静化を図るには誤差があるとしても感染者と非感染者を識別するPCR検査の数を劇的に増やす方策を考え出すことが必要だと思われます。そして感染者を徹底的に隔離する。さもないと経済というよりは社会のシステム自体が崩壊してしまいます。

本を出版します   (44 安田耕太郎)

まもなく世界一周放浪記を自費出版する予定です。

半世紀以上前の学生時代に2年間に亘って東廻りで世界一周の旅をしました。
健康面の相談をS34 船曳先生にしました。盲腸は切って行った方が良いでしょうか、の質問に笑って一言「何を馬鹿なことを」。太平洋を貨物船で横断しましたが、往復切符を持たぬ出国で当時必要だったアメリカビザの獲得をS38大岡先輩に助けて頂きました

アメリカ入国後、カリフォルニア州パロアルトに赴任しておられた、それまでに面識のなかったS36中司ご夫妻宅に泊めて頂きました。KWVの活動経験から勇気をもらい、諸先輩方々の助けをいただき世界一周放浪の旅を終えることが出来ました。自費出版につきましてもS36「ナンカナイ会そのふみあと」本の製本出版に携わったH7田所君をジャイさんに紹介していただき、上梓に向けて尽力していただいています。KWVに所属してなければ、旅も出版もありませんでした。

5大陸50数ヵ国訪問の旅は1968〜70年、21〜23歳の時期でした。
旅行記は、文章24万字、足跡を示す地図20数枚、写真数十枚を含め600頁を超す長文となりました。前書きと目次に続く最初の書き出し部分をご参考までに下記の通りご紹介します。コロナ禍の影響で上梓は予定より大幅に遅れ今夏になる見込みです

世界一周に付き合ったリュックサック

1.  旅のはじまり
1969年11月、僕はジブラルタル海峡を渡るカーフェリーの船上にいた。日本を発ってからすでに1年半が経過していた。横浜港から貨物船に乗り込み、14日間かけてアメリカのウイルミントンに上陸し、旅の第一歩を踏み出したのが遠い昔のように思えた。あれからどれだけの足跡を残してきたのだろうか。
アメリカでの旅費稼ぎの日々、憧れのルート66、中南米15ヵ国踏破、犬と登った5400mアンデス峰、南米フィヨルド海域の軍艦乗船、ヨーロッパ最北端ノースケープの白夜、東西冷戦の象徴東ベルリンの壁でのあわやの危機など、日本では決して味わえない経験をしてきた。そして今、未踏の地であるアフリカ大陸に向けて僕を乗せた船は白浪を立てていた。
出港地アルヘシラスから対岸のセウタへはわずか2時間ほどの船旅だ。しかし、僕に旅の思い出をゆっくりと振り返る暇はなかった。フェリー内で僕はある「仕事」をしなければならなかったからだ。それは、これから向かうモロッコを旅する人の車をゲットすることだった。

ジブラルタルのザ・ロック(The Rock)。別名ヘラクレスの柱(Pillar of Hercules)ともいう。

僕はフェリー乗船直後から車で旅する人とできるだけ会話をした。そして、ドイツ人男性とアメリ人女性のカップルが大きなベンツでモロッコを一週間旅することを聞き出し、親しくなることができた。会話に夢中になるあまり、カーフェリーの船内からジブラルタルの「The Rock」の景観を見逃したほどだ。それから一週間、日・独・米の奇妙な組み合わせでモロッコを旅することとなった。
不安を抱いてフェリーに乗り込んだが、フェリーから下船する際にはベンツの後部座席に陣取っている・・・。これまでに幾度もあった旅の面白さの一端がここに凝縮されているように思える。このような幸運に恵まれるのもこれまでの旅で培われた多くの経験によるものだ。そもそもなぜ僕が世界一周へと旅立ったのか。まず旅の始まりから記したい。

モロッコでベンツ車ヒッチハイク。道端でランチピクニック。

WANTED ! 古き友 楽譜   (36 後藤三郎)

ウイルス騒ぎで時間もたっぷりあるので以前から気になっていた慶応ワンダーフォーゲルが間違って歌っている ”古き友” についてブログに載せて各位にこの際正しい楽譜から皆さんにお知らせしようと思って楽譜をネットで探しましたが見つかりません。

実はこの件は7-8年前に山岳部の友人から指摘を受けて森田半兵衛さんと一緒に正しい歌い方を何回かの集まる機会で試みましたが長年歌ってきた癖を簡単に修正できずで爾来半ば諦めています。御存じでしょうがこの歌は慶応の山岳部の”創部XX年記念”にスイスからこの歌を頂いて来たとの歴史があり、山岳部の連中はワンダーでこの歌を歌うこと自体は問題ないがメロデーが間違って歌っているので出来れば楽譜を見て修正して欲しいと言われております。

今回は時間も皆さんがあると思うので譜面を見ながら間違っている個所を直せればと思う次第です。誰かこの歌の楽譜を保有している人がいたらブログにアップしてください。

 

(編集子注)確か、何年か前のスキー合宿だったか忘年会だったかで、山岳部にも縁のあった寺田捨巳が正調を披露して、練習した記憶がある。サブには悪いが、俺には確か美しの新人歓迎の時だったと思うが、初めて聞いたときの感動がまだ残っていて、不正調から離れられないきがするんだが。なんたってその方が俺にとっての古き友なんでね。スミマセン。

月一メンバー 家に籠る (24)   (36年組まとめて面倒見よう)

(深谷勝)

ご無沙汰です。小生の日課は、朝5時半起床、犬の散歩30分~1時間(犬のご機嫌により)、午前中は家の掃除、洗濯たまに庭の雑草取り、午後は、近くを流れる「古利根川」の土手を往復約1時間ウオーキング(歩数で7000~8000歩)という生活です。

犬の散歩を含めると毎日1万歩は歩いております。ゴールデンウイークに入り、土手も家族連れのサイクリングが増えてきました。明日、庭の芝刈りを予定しています。最近、PCのジグソーパズルを見つけ、いまハマっています。

(遠藤夫士男)

2月イタリア北部3泊、ミュンヘン2泊後3月 2日に帰国してから82歳の歳と合わせて周囲に特別の関心を持たれ続けた2か月でした。当初「海外旅行者は要注意人物」で肩身の狭い1~2週間でしたが、最近は「2週間以内の渡航歴」と捜査対象から外れました。帰国後2か月、体温36度5分、血中酸素98%前後で安定しています。ただ、毎日の生活態度はお恥かしい限りの体たらくです。「月一」社中各位のメールを拝見するにつけ、反省するばかりです。

昼間から深夜までTVやPCを友とし1万歩以上の散歩は週に1~2回程度、電車やバスは全くご無沙汰です。これから鎌倉へ墓参りに行ってきますが、怖い東京は湾岸道路で素通りし、県外者(車)お断りの鎌倉には朝日奈峠からこっそり入ります。ほんとに「もう収まってもいいコロナ」。

(翠川コメント)イタリア旅行、お疲れ様でした。今の私から見れば貴兄は宇宙人のような存在ですな。今日は紀子と家から武蔵関公園まで11,000歩、歩いて来ました。帰りに「いなげや」で一寸(夕食準備の)買い物。

(高橋良子)

私は12年ぶりにゆったりとした日々を送っております。24時間を自由気儘に自分ために使うことができるなんて、こんな幸せなことがありましょうか。健康と日々の糧も少々ありますしね。

ここ机の前に座ってばかりいましたので、腰痛がでてしまいましたから、近所の整骨院へいきました。これは運動不足もあるでしょうからと思い、2,3日前から近隣をあてどもなくぶらぶらりと探索を、それでも毎回6000歩ばかり歩きました。最近は少住宅が増え地域の様子も変わってしまいました。少住宅の連なりにはいつの間にか地主さんが御殿のような邸宅を建てていました。また他所では庭にプールがあるお屋敷を発見しました。ここはネリマですよ!もうなんだかゴチャゴチャになってきたものだ…と驚きつつ我が陋屋に帰ってきました。

(翠川コメント)長距離ウオーキングをご苦労様でした。殆ど平地でアップダウンが少ないでしょうし、一万歩は歩けますよキット。

私が保谷へ引っ越して来た20年前でも、大泉通が環八と交差する近くに潰れそうな茅葺屋根の農家(空き家だったと思う)がありましたから、矢張り練馬にはダイコンが自慢の農村地帯の名残が残っていました。直ぐ近くの練馬区春日町3丁目に姉達が2軒並んで住んでおります。

「我が陋屋」の「陋」と言う漢字は私のパソコンの変換では出て来ません。
IBMの漢字コード一覧表でやっと見付け入力出来ました(JIS07991でした)。

(鮫島浩吉郎)

3月には医者通い以外はすべて予定がキャンセル。散歩、庭いじり、散歩で過ごしていました。しかし、今は医者は電話で診断、処方箋が郵送され、買い物は娘が代行、散歩も合う人が多く控えめとさらに運動不足になっております。
我慢しかありません。早く終息を願っておりますが、日本は規制が緩やかで大丈夫かと思う毎日です。

(吉牟田正稔)

皆さんと同じく何とか体力が落ちないように 早朝に散歩を心がけてます。
でも本当に退屈ですね。
娘家族と二所帯生活しているがコロナ騒動により娘夫婦が二人とも自宅で
仕事する日が多くなり孫二人も家でブラブラしているので今まであまり気に
していなかったが色々大変です。

パチンコ屋を含め賑わっていた下北沢も1週間前位からさすがに人の流れが
がらりと変わりました。

(岡秀雄)

私の最近の田舎生活は下記の様にして過ごしております。ただし体力・気力・知力の衰えは激しく思うようにはすべて進みません。

元気にしておりますが、テニスクラブも一月前に閉鎖状態になり(時々は32年の荻原先輩夫妻とテニスやティータイムで楽しんでいた)、行く所が減りまして運動不足の状態です。またガラ携帯からiphoneに2月末より変えたので、pcとの関係もあり、てんてこ舞いの日々を過ごしております。

施設(サンシティ)では絶対に感染が無いよう厳しく外部との遮断をしておりますので、外部の人は親子でも避けさせ、内部の人は外出は出来るだけ避ける様にし、外出届を出し帰館時には体温測定と大変面倒になっております。勿論外部業者達の館内立ち入りは原則不可です。

秦野市は田舎なのでコロナ騒動も人口17万弱で感染者は12名のようでして、私は出来るだけ自然の中を散歩していますが、人とは会わない道を通りますし行き交う時も距離はありますので、マスクも不要で生活しております。

マスクは買物に行く時スーパーやコンビニの店内のみ使用します、平日は空いていますのでほとんど無くても大丈夫だとは思いますが、今後はサブの投稿してくれた「コロナ対策・必要な基礎知識」で現金払いは止めようと思います。時間に余裕がある毎日なので運動不足対策として、コロナ対策で新聞が部屋まで配達されないで施設の玄関脇の個人用ポスト迄取に行くようになっているので、毎朝新聞を取りながら館内ウオークを始めました、1号館は8階、2号館は7階、3号館は6階で階段を上り下りして端から端まで歩いて来ると階段上下共350段強で所要時間20~30分、歩数で約3千歩をはじめました。他には天気が良い日は自然の中良い空気吸いながら良い景色を眺め2時間前後歩く生活も続けるようにします。元気にして抵抗力を弱めぬようにはしたいと思い努力しております。

 

 

 

一反市民的行動の記録     (投稿者不明)

国を挙げて行動自粛が叫ばれている中ではあるが、浜の真砂と盗人は絶えず、おかみに逆らって県外行動をした男女(70歳代後半、そういうことはないと思うが万が一大学卒であれば昭和41年位の卒業生と推測され、居住地は埼玉県北部朝霞あたりと思われる)から本稿あて送られてきた投稿を転載する。

にっくきコロナで朝霞の川土手4Kmだけを歩き回っていた夫婦には、少々アキが来ておりました。京都上洛も出来ずに愛車を1カ月半近く車庫止めさせていたので、天気が良ければ誰にも会わない夫婦二人だけで慣らし運転兼ねてのドライブを敢行しようかと不埒な計画を考えておりました。

ルートは関越ぶっ飛ばして心のふるさと三国山荘へ、紅山桜を観に行こうと意見は一致したのです。トイレとコンビニ弁当買う時だけは人との接触場所になるので最善の注意と感染予防準備怠りなく、さていつ敢行しようかと思っていた矢先に、XX様(この3文字、解読不能)からの早朝メールが届きました。一報曰く「反逆行為の成果、かたずをのんでお待ち申し上げ候。」…こいつは即行かねばなるまい!

5月1日天気良好にて、おだやかな春霞の日でした。午前11時二人は奮って朝霞宅を愛車で反逆の旅へと出発致しました。運転席はカミさん、助手席は旦那が当家のドライブ定席なのです。街中は結構車で混雑していて、買い物客が通常の生活感を漂わせて普通にあふれておりました。関越道所沢ICから入線しばらくはトラック、自家用車と並走していましたが、だんだん車が減って来るのを感じてはおりましたが、東松山辺りからは前方に車が消えたように見えなくなりました。

GWなのにとても信じられません。この様がにっくきコロナがもたらす“自粛”という現況なのでしょうか?初体験にもうビックリの連続です。軽井沢方面への分岐藤岡JCTを過ぎ車は2~3台しか目に入らない関越道を高崎、前橋、渋川へと進み赤城高原SAでトイレタイム、駐車場はガラガラです。

越後湯沢の中野屋でヘギ蕎麦でも食べようかとTELするも臨時休で不通、やむなくSAの食堂で舞茸てんぷらそばをお互い2m離れて食す、人の作ったものはとても美味なのだ!でSAスタート。

ルートを月夜野ICから17号線三国トンネルコースに変更し、春のどかな利根の里を気持ち良く快走、猿ヶ京では雪をかぶった谷川前衛峰小出俣山が豪快に迫り、三国トンネルの手前街道からは名峰・稲包山が凛々しく仰ぎ見える。気分は最高いよいよふるさと浅貝が近いぞ!紅山桜ははたして咲いているのかな?と思案を巡らしながら暗いトンネルを出て、三国街道を一路三国山荘へと下る。

別荘地入口付近の紅山桜の小並木は残念無念、紅色の小花は一分咲きという具合でございました。気を取りなおして三国山荘へ。誰もいない山荘ではいろいろな春の色を生み出しておりました。

フキノトウの淡黄花、カタクリの紫花、サンシュユの鮮やかな若緑、白樺の緑小葉、青い空と白い雲、いいな、いいな!夫婦は勝手にあちこち庭を歩き回って春の上越の息吹を身体に染み込ませました。残念ながら征蔵桜の芽吹きはまだまだでしたが枝木を通して見える残雪の筍山が大きくそびえています。これこそが最高な反逆の成果です!我が心のふるさと浅貝の静かな春をおおいに堪能致しました。

山荘あたりのカタクリの花

今回は福島屋の母ちゃんにも会いませんのでお墓にお参り挨拶をして、後半ルートの開始です。帰路は越後湯沢に周って、湯沢パーク広場の紅山桜に少しの望みを託し静かな街道を一路下ります。下り三国街道では山々に咲く白い山桜、清流の若葉林などを見物しながら、相変わらず対抗車少ない曲道を快走して湯沢パーク広場に到着、山桜は盛りを終え散り桜に、紅山桜はこれから桜で5分咲きでしたが綺麗な紅色を見せてくれました。ちょっと満足を感じながらも次回こそ満開
時に観桜行をしたい!

そして、関越道・越後湯沢ICから自宅に向かいます。土樽付近からは上越のマッターホルン太源太山がカッコ良く迫ります、長い清水トンネルを抜け、行き交う車は相変わらず少なく、出ましたスピードが……旦那は助手席でコックリ居眠り中、「ちょっと、ちょっと!」とカミさんの声「後ろは覆面パトカー?」で飛び起き、確信しました。覆面パトカーの誘導で赤城ICで取り調べ、老警官から「40Kスピードオーバーと追い抜き車線走行2Km」の違反警告です。これは交通違反大罪だぞ!と思った時でした老警官のコロナ(心)良い一言は「コロナでパトカーへのメーター確認移動は困難ですので今回は通行帯違反だけにします!」
との判決です。何と6000円の罰金、原点1点でお許しを頂けたのでした。

結果、反逆のドライブ行は「にっくきコロナ」のお陰でお開きになりました。 功罪半々でメデタシメデタシ!

山麓の春はこんなだった

連休入り各地のありよう (3) 京都   (41 田中透)

京都寺町通

京都の近況ですが、この4月から単身赴任で大阪勤務になりました倅から一報が入りました。

京都駅正面口

感想一言「いつもごった返している京都に人がいない。東京より大阪より、京都の落差がすごい。とにかく空いている、ガラガラゴーストタウン、そこに存在していることに罪悪感を感じるよ!」だそうです。

 

四条大橋

 

 

錦市場
京都駅東八条口 みやこみち

自粛中のカウンターから  (バーオーナー 川島恭子)

自粛休業の張り紙をしてから18日目の、今日も休業中の店に来ています。

BARが、遊興施設となっている事に納得がいかないですが、BARに一度でも来てくださった方は、違う側面を感じてくださっていると思います。全国にいるバーテンダーの仲間達は、お客様を誇りに思い、バーテンダーの仕事に誇りを持って働いています。

どんな時でも バーテンダーは、お客様をお迎えする為の準備を大切にしています。営業している店も、自粛休業している店も、色々な心配がなくなり 笑顔があふれる空間を提供出来る日を待ち望んでいます。今後も、皆様がBARの空間においでくださるよう、BARの存在を応援してくださるようお願いいたします。