閑のあるまま―”三大” 何とかの話 (4)

昨晩テレビで ”三大” を ”四大” に広げられる候補を選ぶ、という番組に遭遇した。やはりこの世の中、洋の東西を問わず、big three というのは人間の心に響くもののようだと改めて思って…….いたら今度は5月1日夕刊に ”三体核力”という原子核物理学上の現象があって、それの解明に成功した東京工業大学の関口教授の話が載っていた。関口さんがこの研究にあたって、老子の教えの一節にある 三は万物を生ず という一節を意識してこられたそうだ。なんにせよ、三、という数というか言葉には神秘性があるようだ。

先回までで、”場所” がテーマになった話題と、その ”場所” から連想される味覚の話題をまとめてみた。一応アルコールからデザートまで来てみると(面白いことに今まで、肝心の食事、についての話題は出てこない)次はエンタテインメントがトピックになる順番だろう。”エーガ愛好会” というメル友グループでは、よくあるように自分の選ぶ映画ベストテン、という企画をやった。しかしグループ名を映画、でなくエーガ、としたのはユーチューブもサブスクもなく、テレビの連ドラと映画、しかなかった、いわば昭和中期に青春を謳歌した年代の話なので、もう一世代若い人たちの話も是非聞いてみたいものだ。 とにかく、この企画が選んだ映画のベスト10は次のようなものだった。         1.ローマの休日   2.カサブランカ     3.第三の男                     4.シェーン     5.風と共に去りぬ    6.アラビアのロレンス    7.ニューシネマパラダイス 8.駅馬車     9.我谷は緑なりき   10.荒野の決闘

1939年公開時のポスター

現在の若い世代にとってはいかにも古臭いものかもしれない。次回はぜひ、次世代の選んだベストテン、をどなたかに企画してもらいたいものだが、時代はエーガ館で見る映画からテレビやSNS 上で展開されるものに移っているはずだ。テレビの上での代表的なエンタテインメントとして大河ドラマをとりあげてみよう。まずは評判の良かったベストスリーは何だろうか。

エーガ評論ではエースの小泉さんは(どうも昔のほうが感激していたようだ)と述懐しながら

1.花の生涯    2.赤穂浪士    3.樅の木は残った

 

を挙げ、”若手(?)” を代表して武鑓君は                1.竜馬伝     2.西郷どん    3. 篤姫

を、安田君は                             1.真田丸     2.軍師官兵衛    3.樅の木は残った

を推している。NHKの大河ドラマはエンタテインメントというよりも歴史回顧みたいな部分が多いので、高評価が見るほうの歴史への関心の違いなのか、ドラマとしての出来栄えなのかは判然としていない。小生の場合は、大河ドラマという形態はとっていないが、特別番組だった 坂の上の雲 に好印象を持っているし新撰組! は同じ司馬原作で愛読書の 燃えよ剣 との関連もあって熱心に見た。出来栄えというよりも内容に関心を持つ立場から言えば、時代劇もので会話が現代語で使われているものには感心しない。小泉さんの場合はもっと立場が明快で、”大河ドラマどは評価しないとしている。その展開で、”大河ドラマ ワーストスリー” はどうか。

武鑓君は早くも 鎌倉殿の13人 をワーストワンとやり玉にあげ、いだてん、平清盛、も評価しない。安田君のワーストは おんな城主直虎、いだてん、花燃ゆだそうだ。

”がっかり” のことについて、岡沢君は別の観点から書いている。なるほど、こういう感覚もあるのだと妙に感心した。

”三大がっかり ”ではありませんが 私としては今でも大がっかりの話は伊藤左千夫の「野菊の如き君なりき」のことです。
中学生頃だったと思うが  小説が映画化され  有田紀子主演で民さん(タミさん)  政夫       本当に大感激したものです。が 、  作者の伊藤左千夫の顔写真をあとで見た時「えツ この作品の作者ってこんな顔なの」で大がっかり        幻滅の悲哀を感じました。小説の内容と作者の顔のイメージがまるで違ったので。今でもはっきりおぼえています。

 

今回のテーマとは関係ないが、各位から引き続きいろんな 三大 話をいただいているので順不同でご紹介しておく。

(菅原)小生、さしたる食通ではありませんが、以下、二つばかり。一つは、「利庵」(トシアン)と言う日本蕎麦や。高輪からはちょっと歩きますが、目黒通りを外苑西通り(通称、プラチナ通り)に折れて、ガソリンスタンドの手前。ただし、予約は出来ません。もう一つは、ご存知「シェラトン都ホテル東京」のシナ飯屋「四川」(陳健一の「四川飯店」とは関係なし)。最近、良く行くのは、こんなところです。

(保屋野 エーガ愛好会の”断崖”のついての議論のついでに)サスペンス感もイマイチで、ハッピーエンンド風のラストもイマニ。(真逆の原作は面白そうですが)K・グラントの容貌で、「ミステリアスな紳士風ダメ男」の役は似合わない。J・フォンテーンはまあまあですが、これでアカデミー主演女優賞?

断崖ついでに、私が選ぶ「日本三大断崖(海)」
①隠岐・西之島 国賀海岸・摩天崖(高さ日本一256m)
②陸中海岸・鵜の巣断崖(高さ200m)
③伊豆諸島・青ケ島の南 ソー婦岩(高さ100m)~写真・映像で判断+

観光地では
①福井、東尋坊
②陸中海岸 北山崎
③和歌山・白浜 三段壁

(斎藤)
■蕎麦屋で名前が出てくるのは2つ。
○水内庵(外苑東通り−南青山一丁目:現存)
社会人になった私の胃袋を満たしてくれたお蕎麦屋さん。お店のお姉さんにも随
分かわいがってもらった。会社で仕出し弁当(嵯峨野)が支給されるのだけど、それじゃ足らなくて、頻繁に通っていました。六本木交差点の角にも水内庵がありますが、兄弟店だそうです。信州蕎麦だったと思います。
近くに青山ツインが出来て、その地下1階に「くろ麦」という手打ち蕎麦屋が出
来て、ざるそばが1,500円と言われ皆でおどろいた。

○国田屋(水戸二十三夜尊近く旧大宮街道沿い:廃業)
ここは、私の蕎麦人生の師匠的な存在。
茨城の地粉を使う、いわゆる田舎のそば屋。そば打ちから、汁作りまで、全てこ
このおばあちゃんに教えてもらった。体育科の教授にそば打ちを習っていて、や
がてここに連れて行かれ、のめり込んでしまって留年の思い出あり

○布恒更科(品川区南大井3:現存)
地元の有名そば店。蕎麦はとても美味しい。大森駅からもそれほど遠くないので、繁盛しているようです。天ぷらはごま油の香りが強く、好き嫌いがありそうだけど、アナゴの天ぷら蕎麦は最高です。

■カレーライス
1軒です。YHPの方々を連れて行ってます。
○アジア会館(港区赤坂8)
ここのカレーライスは、日本の昔ながらのカレー。安かったので、来てくれた営
業さんとよく行きました。宿泊客は、ホテルの名の通り、アジアの方が多かったのですが、昼時はサラリーマンが多かったですね。今はホテルも改装されているようで、もうカレーライスは提供していないかもしれない。

(小田)外国旅行をしていて、困ることが三つあります。

①古い宿の鍵
共通の入り口と、個々の入り口2つの鍵があり、昔風の鍵でコツがなかなかつかめない。
②宿の駐車場:
一台ずつ壁で区切られていて入るのが大変だったり、駐車場の出入口の扉の開閉の方法がいろいろでわかり難い。又、中が空いていたので停めておいたら、2日分チャージされた。(外は只でした)
③レンタカー
教えてもらい発進した時はよいが、次に駐車したあとで操作が分からなくなる。
聖なる数字3にこだわると話題は尽きないようだが、今回はこのあたり。おあとがよろしいようで。

 

 

 

エーガ愛好会 (141)  リオグランデの砦   (34 小泉幾多郎)

ジョン・フォード監督の騎兵隊三部作の最終作。この連作は、太平洋戦争を軍人として戦ったフォードのアメリカ軍に対する讃歌とも言えるが、「アパッチ砦」では、ヘンリー・フォンダが演じた辺境の隊長の突撃戦法に対し、ジョン・ウエイン扮する副官は良識ある人物、「黄色いリボン」でのウエインも退役真近の老大尉に扮し、敵インディアンの良き保護者でもあったが、この映画のウエインは勇猛果敢な騎兵隊長となり、アメリカ領内を荒らすアパッチが、騎兵隊が踏み込めないメキシコ領内に逃げ込んでしまうのに怒り、国境のリオ・グランデ川を渡り、メキシコ領内のアパッチを殲滅してしまうタカ派の大佐を演じる。フォードのアメリカ軍への賛辞は、従順な弱者には極力寛大であろうと努めるが、相手が執拗に敵対して来るならば容赦なく相手を叩きのめすことを示していると言えるようだ。

南北戦争中、北軍だったウエインが、妻モーリン・オハラの南部の生家を焼いたため、戦後15年、妻と一人息子クロード・ジャーマン・ジュニアとで別居中。その息子が士官学校を落第し、志願兵となり、その息子を除隊させるために、後を追ってやって来たのだった。モーリン・オハラは白い肌に赤い髪、グリーンの瞳が映える美女で、当時総天然色カラー女優と言われ、時代活劇のヒロインとして華やかに彩ったが、これは残念乍ら白黒、それでも魅力的なやさしさやアップでの表情の美しさ。gisan お気に入りのウエインと再会してテントの中で帽子をとって話始める場面からその美しさは最後まで変わらない。

全般的にアクションを主体に、息子の教育問題で対立しながらも、ウエイン、オハラ夫妻の愛情か任務かの葛藤を絡ますシンプルな構成になっている。前半は、ウエイン、オハラ、ジャーマンの親子が再会による愛情が、叙情的に描かれると同時に、騎兵隊の仲間たちの絆、騎兵隊3部作で老軍曹長として重要な役割を演じてきたヴィクター・マクラグレンとのやりとりや、ベン・ジョンスンやハリー・ケリーjrが馬2頭に立って乗るローマ式騎乗、ジャーマンも含め三人とも練習して本人が実際に騎乗したようだが、ケリーだけはスタントとのこと。騎兵隊ものだけに馬が生きて使われていた。息子ジャーマンの一人立ちするためへの努力等も目立つ。後半になると、アパッチとの対決になり、馬車を襲うアパッチとの戦い、捕われた子供たちを救出すべく敵地へ乗り込む騎兵隊。アパッチを単純な悪として勧善懲悪になっているが凄まじい活劇で盛り上がる。中でも、ベン・ジョンソンが格好良い、馬上で岩山に不意に現れ、斜面を一気に駆け下りると食事をいただいた後、騎馬のインディアンを3人撃ち落とす連動感。戦いから帰還する騎兵隊を待つ家族、オハラのアップで無事か否かを確かめる場面、最後の表彰式で音楽に合わせて、オハラが日傘をくるくる回す場面等々印象的な場面が数え切れないうちに終幕。

音楽がヴィクター・ヤングだけに、優雅な旋律に纏われ、情緒豊かに描かれながら、騎兵隊専属のサンズ・オブ・パイオニアーズが歌いまくる。挿入曲は9曲とのこと。I’ll Take You Home Again, Kathleen 等を聴くと傾聴してしまい、ミュージカル映画かと見間違う場面も。このシーンを聴くウエインが「私の選んだのではない」オハラが「そうだったら嬉しかったのに」と答える。何とも言えないシーンとなった。その後二人は夫婦役で多くの名作「静かなる男1962」「マクリントック1963」「100万ドルの決斗1971」を残すことになった。

(安田)ジョン・フォードは抒情性豊かな作風から「映像の詩人」と評された。ひと昔(ずっと若い時)、この映画を観た時はそれほど感じなかったフォードのの詩情豊かな場面と映像を、今回は印象深く感じた。歳を重ねるとは“そういうことなのか”と悪い気はしなかった。ネイティヴ・インディアンを悪玉にして徹底的にやっつけるのは、現在の視点で観ればちょっと悲しいが、それを除けば、詩情ゆたかなアクションもあるさわやかな西部劇だった。

  1. 初老の指揮官役ジョン・ウェインは、豪放さと繊細さを併せ持ち、不器用ながら自然体で演じているのが良かった。
  2. 15年振りで会う妻(モーリン・オハラ)とは、別居の原因にお互いわだかまりを感じつつも、夫婦の微妙な愛情を随所に見せる“恥じらい”にも似た表現・演技は見応えがあった。「静かなる男」での共演でもこんな雰囲気であった。騎兵隊キャンプに到着してテントの中で二人きりのシーンは本映画のハイライトの一つ。
  3. 妻を歓迎して軍楽隊が歌うシーン、幌馬車隊が砦を出発する時、最後の表彰式での軍楽隊演奏など、要所でヴィクター・ヤングの音楽が感動的ですらある。
  4. ベン・ジョンソンとハリー・ケリーJrの二人が、裸馬2頭に立ったまま乗りグランド一周を疾駆する場面は、西部劇映画では他には見たことがない、名場面だ。ベン・ジョンソンはスタントなしで本人が演じたという。さすが、カウボーイの父親に育てられ、本人もロデオのチャンピオンになったことがあり、ハワード・ヒューズに馬の調教師として雇われたことが映画界に入るきっかけとなった事だけはある凄技だった。
  5. 幌馬車隊がインディアンに追われ逃げる場面や、ベン・ジョンソンが馬で疾駆する場面の迫力は、「駅馬車」や「荒野の決闘」などと同様、ジョン・フォード、ツボを心得ているな、と唸った。
  6. エンディング近く騎兵隊の突撃シーンはクライマックスを盛り上げる効果抜群。
  7. フォード一家のイギリス俳優の古株ヴィクター・マクラグレンは名前からしてフォードと同じIrish系であろう。フォードが初めてアカデミー監督賞を獲得した1935年制作の「男の敵」では、彼は主演男優賞を獲得した。それ以来のフォードとの付き合いであろう。世話係の伍長役を人情味とユーモアに溢れ、独特の風貌と演技で見事にこなして、印象深い。南部出身の妻(モーリン・オハラ)からは、北軍の兵士だった彼はからかわれるような、虐められるような絡み合いシーンがあり、大変面白かった。
  8. 息子ジェフ役のクロード・ジャーマン・ジュニアはどこかで覚えのある顔だな、と思ったら、グレゴリー・ペックの「小鹿物語」に続いて2作目だった。ナイーブでありながら騎兵隊生活になじんで逞しくなっていく様を見事に演じていた。
  9. 南部気質が顔を出すモーリン・オハラの頑固さや直情の感情表現はオハラの芯の強い逞しい南部女性を見事に演じていた。「風と共に去りぬ」のヴィヴィアン・リー演じるIrish系の南部女性スカーレット・オハラにも通ずるところがあった。
  10. 好きな場面は、エンディング近く表彰式に臨席した、ヨーク中佐(J.ウェイン)の横に並んだモーリン・オハラが白い品の良い日傘を頭上でくるくる回しながら、にこにこと笑いながら眺めているところ。この映画の温かさと優しさが象徴されていると感じた。フォードの詩情性豊かな感性の面目躍如たる場面。
  11. 男たちは勇敢で、純真で、女たちは可憐だが逞しく。家族愛、仲間愛に溢れ、古き良き時代のアメリカが見事に描かれた映画だと思う。ジョン・フォードの騎兵隊三部作の中では一番好きだ。最終作でもあったので有終の美を飾った感。

(小田)この何日かは、身内の出入りで、民宿のオバサン状態?でしたので、途中からですが、見ました。*この映画のキリッとしたジョン·ウエインは他のに比べ良いと思いました。

*西部劇の中の子役達…教会の鐘をならす女の子や息子役のクロード·ジャーマン·Jr.など好演していました。安田さんご指摘のクロード ジャーマン·Jr.は(’34 9月生)87歳で健在、起業家で、サンフランシスコ国際映画祭元事務局長やサンフランシスコ市の元文化局長も務めたようですね。
*馬の扱いについて話題にされていましたが、馬を一回で倒し、銃撃戦の楯にするシーンにも感心しました。
*小泉さんの御解説に有りました、❬I’ll Take You Home Again,   Kathleen❭ はElvis Presleyもしんみりと唄っています。

(編集子)この作品に登場するサンズオブパイオニアーズ。まだカントリという呼称が流行らず、ひっくるめてウエスタン音楽、と言っていたころ、上品なコーラスが印象深かった。いろいろ買った中から捨てきれずにとってあった ”レコード” がこれ。まだ残っている何枚かを聞きたくて、アンプも何台かつくったが、そのたびに今入手できるプレーヤが高価かつ超高性能でバランスが取れず、手軽にできるCDをソースにしたものばかりだ。そろそろ半田鏝とおさらばするのがいつか、というところまで来てしまったので、”最終作”にとりかかって、目をつぶって高いプレイヤーを買って,この ”レコード” を聞かねばなるまい。

皐月徒然・上野東照宮の春牡丹 (普通部OB  船津於菟彦)

時は巡り皐月です。「冬牡丹」についで「上野東照宮の春牡丹」満開とかで訪れてみました。

上野東照宮は、寛永4年(1627)、藤堂高虎と天海僧正により東叡山寛永寺境内に創建されました。藤堂高虎は津藩主で築城技術に長け、江戸城を築城した人物としても知られています。天海僧正は、徳川家康公のブレーンとして有名で、江戸の町の設計にも大きく関わりました。江戸の町づくりに大きな影響を与えた2人が創建に関わった上野東照宮は、寛永寺とともに江戸城の東北、鬼門の方角を守護する役割を果たしてきました。

現在の建物は慶安4年(1651)に造営されたものです。社殿・唐門・透塀は、金色に輝く大変豪華なもので、度重なる震災や戦火をくぐり抜け、現在に江戸建築の真髄を伝え、国指定重要文化財にも指定されています。

また寛永10年(1633)に酒井忠世が奉納した大石鳥居や江戸期に全国の諸大名が奉納した48基の銅灯篭も同じく現存し、国指定重要文化財に指定されています。
春の桜、秋も紅葉をはじめ季節折々の美しい風景を楽しめることも魅力ですが、中でも上野東照宮ぼたん苑では、冬牡丹が40品種なのに対して、春牡丹は約110品種ほどありますが、やはり春が一番の牡丹の時期になりますので、ボリュームも品種も多くなっております。冬は、1月から2月の二ヶ月程、春は、4月の中旬から5月の中旬までの一ヶ月程、開苑致しております。別な所で温室で栽培して植え替えているとのことです。
牡丹の花は「富貴」の象徴とされ、「富貴花」「百花の王」などと呼ばれています。日本には奈良時代に中国から薬用植物として伝えられたとされ、江戸時代以降、栽培が盛んになり数多くの牡丹の品種が作り出されました。中国文学では盛唐(8世紀初頭)以後、詩歌に盛んに詠われるようになり、日本文学でも季語として多くの俳句に詠まれ、絵画や文様、家紋としても親しまれてきた花です。
我がパートナーの一句 「天つ日へ緋の牡丹のためらわず」 聖子
「冬牡丹」2022年1月10日に撮影 冬牡丹は薦被りで風情があります。

”ウクライナ侵攻とグローバリゼーション” 補論  (53 林岳志)

「ウクライナ侵攻とグローバリゼーション」に関する私見です。

1985~1988にロンドン、2009~2012に北京に駐在した経験を踏まえると、グローバリゼーションは米国多国籍企業が自分の都合の良いように幻想を振りまいただけのような気がします。

各国・地域にはそれぞれ固有の歴史があり、それは様々な形でその民族に受け継がれ、繰り返しすり込まれています。英国(特にイングランド)は大英帝国の栄光が忘れられない、例えば、彼らにとって the Great war というのは米国が勝った第2次世界大戦のことではなくて、自分たちが主導した第1次世界大戦のことです。

中国では清朝末期に西欧・日本に食い物にされた屈辱が繰り返し語られます。このように、それぞれの国には栄光と屈辱に彩られた長い歴史があり、それはその民族共通の記憶になっていますが、米国にはそのような長い複雑な歴史的背景はなく、物量に物を言わせた(豊富な資源を背景にした)キリスト一神教的、もしくは西部劇的な「我々は十字軍(騎兵隊)であり、異教徒(インディアン)を征伐する」的な発想があるのではないかと思います。

ロシアのウクライナ侵攻は決して許されるものではありませんが、ロシア(ロシア人)もナポレオンやナチ・ドイツに侵略された苦い歴史(記憶)があり、かつ欧米に対する抜きがたいコンプレックスがありますので、NATOが自国に攻めてくるという恐怖が常に存在していることが今回の侵攻に背景にあるのだろうと思います。

言うまでもなく「歴史に学ぶ」「失敗から学ぶ」ことは大変重要ですが、米国もロシアも西欧もそして日本も、最近、この点が欠けているように思えてなりません。

(編集子)Can’t agree more  という反語的な言い回しがある。グローバリゼーションについては林君の定義についてはまさにそう感じる。小ぶりながら多国籍企業、のひとつだったヒューレット・パッカードでこの言葉が独り歩き始めたころ、これを金科玉条と振り回すパロアルト本社のいやな奴に、globalization なんて Americanization じゃねえか? それとも Californiazation か? と食って掛かったら、そうかも知れねえな、と一瞬黙ってしまった。そのあとどう言い訳したかは全く覚えていないが。

 

エーガ愛好会(140)  アンネの日記  (44 安田耕太郎)

あまりにも有名な日記の映画化。邦訳の日記を先に読んで、その後に映画を観たと記憶している。1960年代のことである。アムステルダムのアンネ・フランクの家にも2度足を運んだ。「アンネの日記」の英語訳は文字通「Anne‘sDiary」だが、原題オランダ語「Het Achterhuis」(ヘット・アハターハウス) は「後ろの家」という意味で、隠れ家を実際訪れてみると、オランダ語原題の方が言い得て妙だと思った。監督は、「陽のあたる場所」「シェーン」「ジャイアンツ」の名匠ジョージ・スティーヴンス。

 

アンネ・フランクはドイツ・フランクフルトの裕福なユダヤ人家庭に生まれた。ナチスが政権を取り、ユダヤ人に対する迫害から逃れるため、一家はオランダ・アムステルダムに移住する。平穏な生活はほんの数年間で終わり、オランダでもユダヤ人連行が頻繁に行われるようになると、一家は、アンネの父親オットーが経営する、街の中心に近い運河沿いにあるジャム工場の建物の奥3階・4階と屋根裏部屋を改築して、一家4人と友人等4人、計8人がそこに身を隠すようになる。

隠れ家への入り口は本棚でカモフラージュをされた。フランク家の4人以外にも4人のユダヤ人が住んでいたこの隠れ家は、何者かの密告により、194484日にドイツのゲシュタポ(秘密国家警察)に発見されアンネたちの隠れ家生活に終止符が打たれた。

隠れ家にいた8人全員は収容に送られる。収容所は栄養と衛生状態が極度に悪い。戦後まで生き延びたのは父親のオットーフランク1人だけ。残りの7人は全員収容所で死亡する。アンネと姉のマルゴットは、収容されて7〜8ヶ月後の‘45年の2月から3月にかけて同じ収容所で相次いで死亡。死因はチフスだった。

アンネの日記は1942年6月から約2年余りに及んだ。ゲシュタホに逮捕される3日前の8月1日が最後。アンネ13歳から15歳の間の隠れ家での出来事、思ったことを素直に書く綴ったもので、特別なストーリーがあるわけではない。過酷な隠れ家の環境下、勉強・読書漬けとラジオが中心の生活の中で、いつか戦争が終わったら、「作家になりたい」、「ジャーナリストになりたい」という夢を膨らませていく。その目標に向かって修養を積み続ける、知性豊かな女性へと成長していく。日記の文体と語彙の豊かさにはとても13〜15歳の少女のものとは思えない成熟度と非凡な才能が伺われる。

映画は、戦後の1945年に収容所から解放された、一家で唯一の生き残り父親のオットー・フランクが隠れ家に戻るところから始まる。かつての支援者がフランクに声をかけ、アンネが残した日記を手渡す。フランクは「1942年・・」から始まる日記を読み、はるか昔のようだと回想を始める。映画は2年間の隠れ家生活を描いている。主演の新人女優ミリー・パーキンスのデビュー作。英国女優ジーン・シモンズに大変似ていて驚いた。「若草物語」・「陽のあたる場所」出演のティーンエイジ時代のエリザベス・テイラーにも少し似ている。監督のジョージ・スティーヴンスはリズを「陽のあたる場所」と「ジャイアンツ」で起用しており、彼女に面影が似ているミリー・パーキンスを新人ながら抜擢したと勝手に思っている。さらに本物のアンネにも似ている点も理由の一つであろう。

実在のアンナ13〜15歳にしてはパーキンス21歳の時の出演。成熟度など年齢差にはやや無理があったかとは思う。恋仲になる隠れ家で同居した男性ペーター役は2年後の「ウエストサイド物語」1961年制作のトニー役で脚光を浴びたリチャード・ベイマーが演じた。ナタリー・ウッドとのきらびやかな共演の「ウエスト・・・」に対して、悲惨な状況下での白黒映像のパーキンスとのラブストーリーも悪くなかった。

隠れ家に同居した家族の夫人役はシェリー・ウインタース。以前観た一昔前は馴染みがなかったが、それ以後彼女の出演映画「ウインチェスター銃‘73」「陽のあたる場所」「狩人の夜」「動く標的」「ポセイドン・アドベンチャー」を観てすっかり顔馴染みになっていたので安心して彼女の「アカデミー助演女優賞」の演技を楽しんだ。彼女自身ユダヤ人である。

物語りの深さと行き詰まる緊張感は「日記」の迫力に敵わないが、映画は極限状態の中に置かれた8人の人間模様を淡々と描く。母親とアンネの確執、同居する2家族間の諍い、隠れ家の狭い部屋の中で物音を出せないストレス、ゲシュタホが建物を調べに来て壁一つ離れて身を潜める家族の恐怖と緊張感・・・・、当時の実情は想像を絶するに余りあったのことが容易に窺い知れる。

ひとつ印象的なシーンは、隠れ家に潜んでほぼ2年が経ち絶望感が支配する中、ラジオで連合国軍のノルマンディー上陸作戦「D Day」成功のニュースを聞き皆 歓喜雀躍と飛び上がる。それから僅か2ヶ月も経たずナチスに逮捕されるとは、運命の残酷さを知らされる。インターミッションも途中に入る2時間半の、歴史を改めて思い起こさせる映画だった。ウクライナのことも頭をよぎった。

(船津)見ましたがやや長い!途中でタンマしました。淡々と描き、最後は劇的でもなく終わる!ミリーパーキンスがかわいので許す。

(菅原)同意。ミリー・パーキンスは可愛いだけが取り柄で、他には何もない。Wikipediaによれば、作品に恵まれなかったそうです。こういう言い方もあるんですね。この映画見ましたが、さしたる感銘は受けませんでした。

(金藤)「アンネの日記」は、確か中学生の時?にクラスの女子の間で話題になり皆で読みました。 表紙か裏表紙にアンネの写真も載っていました。先に読んだ人の反応を見て、怖いのかもしれないと緊張して読み始めたのを思い出します。 乙女ではなかったと思いますが、お気遣いありがとうございました。最初の30分位観ましたが用事があったので中断しました。気持ちが元気な日に映画の続きを観ます。

(編集子)我が国の終戦が決まった日、小生は小学校2年生、家族とともに満州の首都長春(当時は新京と言った)から集団疎開の途上で、鴨緑江を越えた車簾館という町に到達していた。その後平壌でほぼ10ケ月、まさに難民生活を送った。古い味噌蔵に恐らく十数家族と、たぶん脱走兵だと今では思うのだが屈強の若者数名と一緒に過ごした。衛生状態なんかはおそらくロシアの収容所以下だったのではないかと今になって思い出す。南北朝鮮に分割されて国境が閉鎖されてしまい、貨物列車だとかトラックだとか、どうやって調達されたのか分からないがその国境までたどり着き、深夜に歩いて38度線を越えて開城へ脱出した。そんな経験をしたのが11歳の時だったから、アンネとは二つ違いか。改めて戦争の悲惨を考えてしまう。

 

八ヶ岳南麓 さつき晴れ  (グリンビラ総合管理 ホームページから転載)

昨日一昨日と冷え込み霜がおりましたが今朝も薄っすら霜が降りた様子…今年植えたブドウの新芽が出始めているのですが連日の霜で今後の展葉に影響がでるかもしれません。時間をみて灌水作業に出かけたいとおもいます。

昨日早朝に写真を撮りに行きました。標高が高いエリアですとまだ桜も咲いていてとっても綺麗でした。

平標・残雪     (53 林岳志)

5月2日(月)に、元橋→平元新道→平標山の家→平標山→松手尾根→元橋に、桑原(S52卒)、関根(S54卒)と林(S53卒)の3人で行ってきました。

前日(1日)夜まで浅貝は雨でしたが、山の上では雪だったようで、新雪の上を快調に歩くことができました。午前中は晴れていましたが、午後は急に曇って、元橋に下山してすぐに豪雨になりました。

三国山荘は、桑原山荘委員長と福島屋(佐藤高之氏)や現役の努力によって、順調に運営されています。皆様のご利用をお待ちしています。

山荘の庭にカタクリの花が咲いていました。

エーガ愛好会 (139) B級エーガ礼賛!    (大学クラスメート 飯田武昭)

好きな時に観たい映画を見ています。それが暇な人生での贅沢の一つかと思っているのかやっています。最近1~2カ月の間にも、BSシネマ放送以外で気儘に選んだ映画で「男と女」「悪魔のような女」「トロイのヘレン」トニー・ザイラーの「白銀に踊る」「空から星が降ってくる」ブリジッド・バルドーの「殿方ご免遊ばせ」「素直なお悪女」インド映画「ムトウ 踊るマハラジャ」プレスリーの「やさしく愛して」「ラスベガス万歳!などを観ました。他にも「ザ・ローリング・ストーンズ」「スーパーマン」も見ました。見たい映画で中にはやたら多いCM入りの民放での放映などは、スポンサーには申し訳ないが、CM部分をカットして映画部分を結合してから観るように心がけています。そのくらいの時間的余裕があるのが今の小市民たる私の贅沢です。アメリカでは確か映画、ドラマ等の放送時に途中でCMは入れず、前後にCMだけ纏めて入れている文化だったと記憶しますが、放送文化技術的には日本の方が進んでいると思う反面、日本のスポットCMの入れ方だけは気に入らないと以前から思っています。ドラマや映画の途中でスッポンエキスのCMを観さされては興趣も何も台無しになってしまいます。

「市民ケーン」の評価が分かれるのはやむを得ぬとは思いつつ、私はあまり評価しないパーティに属しますが、最近の船津兄の論評に絡むやり取りに改めてこの作品の奥深さを感じている次第です。その時の気分で選んで観ていた上記の無秩序の映画の中で、「男と女」「悪魔のような女」などは映画として評価するなら上位に属する作品と思いますが、他は特に評価が高いわけでも無く、ただ好むか好まないかという作品群だと思います。

ワンゲルの方達ですからトニー・ザイラーの2作品は当然、面白い、又見たいと思われるでしょうが、私は「白銀に踊る」も良いが、特に「空から星が降ってくる」で、イナ・バウワーが滑り踊るラスト20分位続く屋外スケート場アリーナでのアイスショーの部分を含めて好きです。ブリジッド・バルドーの2本「殿方ご免遊ばせ」、「素直な悪女」も昔に劇場で観た頃は、ひやひやドキドキしながら見た感じが、最近見るとバルドーがやけにキュートに見える軽めのタッチの喜劇性が面白いと思います。エルヴィス・プレスリーの2本もエルヴィスの顔が嫌いと言う人でなければ単純に楽しめる映画でした。映画デビュー作「やさしく愛して」も良いですが、「ラスベガス万歳!」はアン・マーグレトという20世紀アメリカを代表しているようなピチピチした美女がちょこちょこと動き回り、ちょっと踊るだけで、話は単純で良かったと思うほど娯楽に徹した作品と改めて思いました。「トロイのヘレン」もギリシャ系ロッサナ・ポデスタという美女が銀幕デビューした当時の衝撃が思い出されます。インド映画「ムトウ、踊るマハラジャ」も単純に楽しめました。

「スーパーマン」は兎も角、「ザ・ローリング・ストーンズ~Lets Spent the Night together~」(1982年制作)は深夜放送で数日前に放映されていましたが、こんな映画があったのも知らずに観ましたが、ちょっとがっかりしました。私はエルヴィスとビートルズで精いっぱいの青春時代で、ローリング・ストーンズがビートルズの人気の脇の方で人気が上がってきたのはチラ見程度で知ってましたが、1枚LPを買って聞いたらやはりビートルズとは比べ物にならないと思ってその後も略聞いてませんが、その後も延々と人気グループであるので気にはなっていてミック・ジャガーなるボーカルが何故人気なのかも含めて、この映画(ニュージャジー州のスポーツ・アリーナでの2時間公演のLIVE)を観ました。一番に思ったのはどの曲も似たような歌詞が着いていて、それが通俗的(というより低俗的)な物で、エルヴィスやビートルズ益してや当時ヒットしたジョーン・バエズやジョルジュ・ムスタキのような何かを訴えたり、人生を讃えたりする内容が感じられない点でした。エルヴィスやビートルズのファンで良かった!!このローリング・ストーンズの映画の制作された1982年当時、私はニューヨークに4年間駐在していてこの間は映画は2~3本しか観ていません。スポーツ観戦とブロードウエイ・ミュージカルとリンカーン・センターでのメトロポリタン歌劇場やエイヴリー・フィッシャー・ホール(現在は改称してデイヴィット・ゲフィン・ホール)での演奏会やバレエ公演に現を抜かしていました。

これからも見たい映画は1流でなくとも1流半か2流で結構、娯楽に徹した映画が当時の映画館には沢山あったと思います。例えばコーネル・ワイルドやボブ・ホープ主演物、女優ではバージニア・メイヨ、アン・ブライス、エスター・ウイリアムズ、イボンヌ・デ・カルロ、パイパー・ローリーなどという名前だけで格好いい2流俳優が主演する娯楽作品が沢山あった!! こんな映画は評価の対象外で見つかればぼちぼちと観たいと思います。

(編集子)懐かしい名前がうれしいですな。アン・ブライスで覚えているのはグレゴリ・ペックとの共演 世界を彼の腕に だしヴァージニア・メイヨならロバート・ライアンとの 誇り高き男 なんかかな。エスター・ウイリアムズ!となるとまだお互い小学生のころだぜ。トニー・ザイラーがでてきたのは驚くが、彼は 黒い稲妻 これ一本で十分。ひたすらスキー技術に魅了されて、今まで何回見たか覚えていない。彼が来ていた当時はまだ日本にはなかったキルティングのヤッケが映画の評判を受けて緊急発売され、モトキだったかどこだったか、仲間と買いに駆けつけたのが懐かしい。

土方歳三記念館へ行ってきました   (34 小泉幾多郎)

土方歳三墓所

4月30日天気も良く、家内に誘われ土方歳三記念館に出掛けました。小生の方は新選組や土方歳三にはあまり興味はありませんが、家内の方は、新選組特に土方歳三の生き方に共鳴している様子。まあイケメンという所が多いに影響していると思いますが。gisanからも土方歳三については、ご高説やら扮する俳優の優劣等を聞いてましたので出掛けた次第。新選組のふるさと日野市には、日野駅の近くに、日野市立新選組のふるさと歴史館 はじめ他にも数か所の資料館が点在しているのだが、目的の土方歳三記念館だけは生家だったそうで日野駅からは離れた多摩モノレール線万願寺駅の傍でした。通常は第1第3日曜日のみ開館とのことだが、4月は29日まで閉館、ゴールデンウイークは4月30日から5月5日まで毎日開館、しかも後で判ったのだが、10月以降一時閉鎖する予定とのこと。これだけが理由ではないのだろうが、驚いたことに、12時近くに着いたら、長蛇の列が繫がっている。それも若い男女が殆んど。なかなか動かない。1時間半は待ったのではないか。若い人は待つのには慣れっこなのだろうが、こちとらは慣れていない。早く見切りを付ければよかったのだが、もう少しもう少しと言っている間に時間が経ってしまった。若者の熱心さには呆れるほど、入館しても、じっくりと眺めているのだ。TV、,書籍、漫画  等から新選組、土方歳三ファンが増えている

石田寺入口

様子が実感された。近くに歳三のお墓のある石田寺があるというので、ついでに立ち寄った。骨は何処に埋められたのか不明とのことだが、地元だけに、あちこちに土方家のお墓があるが、歳三の墓は看板があったので、直ぐ判った。墓標には、歳進院殿誠山義豊大居士とあった。そのあと多摩モノレールに一駅乗り、甲州街道駅から歩き、日野駅近辺の資料館を何軒か寄ろうと思ったが、歳三記念館で時間をとられた影響から、佐藤彦五郎新選組資料館のみ。歳三は彦五郎の義弟(彦五郎は剣の達人で妻が歳三の姉)で、道場には新選組隊員が常に出入りしていたとのこと。子孫の佐藤福子さんが、歳三愛刀の説明していた。ここで閉館時間の16時となり切り上げて帰宅。疲れたー。

土方歳三資料館入口、右は歳三手植えの矢竹。

(保屋野)私とミッキーさんが住む日野にようこそ。万願寺の記念館に行かれたのですね。
ちなみに、私は、もう52年も住んでいますが、恥ずかしながら、記念館には行ったことがありません。ただ、写真に写っていた「石田寺」は浅川ウオーキングに行くとき、時々通ります。そのすぐ脇に「都立日野高校」がありますが、同級生だったという、忌野清志郎と三浦友和の出身校で有名です。

(小田)奥様と御一緒に日野で歳三巡りを楽しんで頂いたようで、嬉しく思います。恥ずかしながら、私も、全て歩いていける所に暮らしているというのに、きちんと見たのは、ふるさと歴史館くらい。佐藤彦五郎の資料館はお雛様の展示会場になっている時訪れ、他は閉まっていることが多く前を通るだけです。調べて行ってみたいと思います。おふたり共、御熱心で、健脚ぶりに驚いております。

(安田)土方歳三がもっとホットだったひと昔、石田寺のお墓に行ってビックリ仰天!何が!ラブレター、花束、千羽鶴、果物、菓子類で墓石の周りが埋め尽くされていました。同じ経験をしたのは、京都東山の坂本龍馬の墓です。モテ男#1と#2の歴史上の人物であるのは間違いありません。

(小泉) 保屋野さん小田さんが日野在住とは失念しており失礼いたしました。偶々日野駅に降りたのも多摩モノレールに乗車したのも初めてでした。新選組のふるさとと言われているだけに、風光明媚というか古き伝統が未だに保たれているような感じがいたしました。歳三資料館で思いもかけずに時間をとられてしまい、ゆっくりと歩く時間が無くなってしまいました。浅川も都立日野高校も眺める暇もなく、資料館も入館したのは2つだけ。しかし佐藤彦五郎資料館付近は町並みも美しく、ちょっと覗いただけですが、大昌寺の庭園や確か有山家と書いてあったと思いますが、昔の土蔵意匠ながら洋風建築の建屋とか、また道に沿っては日野用水が流れるという具合で、またゆっくりと来てみたいと思った次第です。安田さんの言われる通り、流石モテ男の一人土方歳三、若者が集まる理由も判りました。

(編集子)司馬遼太郎 燃えよ剣 を読まずして土方を語るなかれ。語る資格なし。フィルムならなんといっても 新撰組血風録 の栗塚旭。フィルム化に先立って司馬は栗塚に会い、自分が書きたかった土方そのものだと激賞した由。最近作の燃えよ剣の岡田も、新選組! の山本耕史も及ばない。

 

 

コロナの現在を注視しよう     (34 船曳孝彦)

世の中の関心がコロナからウクライナへと移り、報道も少なくなってきましたが、政府は事実上のオール解禁(それを大ぴらに口には出来ませんが)にして経済を盛り上げることしか考えていないように思えます。例によって黒木博士の最新情報も入って来ました。心配がなくなったわけではありません。

新規感染者数を見ていると、オミクロン株による第6波がピークアウトしているかに見えますが、第7波の兆しを思わせる “宝永山” が見られます。亜株BA.2によるとされていましたが、さらにBA.2.12.1という亜株が出来、BA.2を押しのけて増え始めているようです。BA.1とBA.2が混合したようなXE型が危ないという報道がありましたが、それに加えてインドで発生しニューヨークで増え始めた亜株(日・英での報告はない)も心配です。デルタ株と共通する変異を持っているため、オミクロンの強い感染力とデルタの病原性を兼ね備えると厄介なことになります。しかもこれらの変異株に、mRNAワクチンが有効ではないというデータが出てきました。矢張り罹らないように予防することしかありません。

第6波が始まって、感染してしまったという話を、身近に聞くことが多くなってきましたが、ニュースにもなりません。検査体制も不十分なままですので、不顕性感染(PCR陽性無症状者)も含めると、かなり高率に感染が広がったと考えられます。今、住民を対象として抗体をどの程度持っているかの大規模調査をすべき時ではないかと考えますが、そういう調査、計画は聞こえてきません。あるいは社会的免疫といわれる7割に近づいているかもしれません。

感染した状況を見ると、やはり会食が最も危険のようで、しかも二次会的に三密状態になることがヤバいようです。蔓延防止対策が解除されても十分気を付ける必要があります。差しつ差されつのない、アクリル板越しの会食なら、人数を増やしても可いのではないでしょうか。新型コロナウィルスは当初飛沫感染と言われましたが、現在では空気感染とされています。従って感染源が分かり難いのも事実です。換気です。

時は新緑の候、ゴールデンウィークの最中、新鮮な空気を求めて、ワンダーの堀川氏スタイルで、山行、トレッキング、あるいはゴルフなどのアウトドアスポーツは、本来殆ど問題ないと思います。皆さん賢く予防しながら行動しましょう。