色盲、色弱、色神異常、
私が大学に入る頃、理学系の学部を志す人たちで、
2005年に日本眼科学会は、
この日本眼科学会のウェブページでは、目の病気「
一方、日本眼科医会のウェブページ(https://www.


20年ほど前に、
生物学的には、ヒトの眼球の網膜の奥には、2種類の視細胞(
・その錐体細胞は、
・3つの錐体細胞の、どれかの錐体が機能していない、あるいは、
すなわち、
それぞれが持つ錐体の特質によって、
「いろんな色覚型がいた事で、
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
色盲、色弱、色神異常、
私が大学に入る頃、理学系の学部を志す人たちで、
2005年に日本眼科学会は、
この日本眼科学会のウェブページでは、目の病気「
一方、日本眼科医会のウェブページ(https://www.
20年ほど前に、
生物学的には、ヒトの眼球の網膜の奥には、2種類の視細胞(
・その錐体細胞は、
・3つの錐体細胞の、どれかの錐体が機能していない、あるいは、
すなわち、
それぞれが持つ錐体の特質によって、
「いろんな色覚型がいた事で、
舞台はシチリア島、
監督はミラノの貴族階級の末裔ルキーノ・ヴィスコンティ。1936年にココ・シャネルの紹介で知り合った巨匠ジャン・ルノワール(画家ルノアールの次男、先日「大いなる幻影」を観た)の監督作を手伝うようになり、「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(‘42)で監督デビュー。第二次世界大戦中は共産党に入党、「赤い貴族」と呼ばれた。戦後はイタリア・ネオリアリズムの旗手として「夏の嵐」(’54)、「若者のすべて」(’60)などを手掛け、本映画「山猫」ではカンヌ国際映画祭パルムドール受賞。後期は先日放映された「ベニスに死す」(’71)、「ルードウィヒ 神々の黄昏」(’72)など独特の美学に基づく名作を残した。
シチリアの乾いた風景と色彩が潤いのある国土に住む日本人には新鮮で強烈な印象を与えてくれる。やはりシチリアを舞台にした映画「ゴッドファーザー」「ニューシネマ・パラダイス」「マレーナ」などと空気感が当たり前ながら大変似通っていた。原色の鮮やかな映像タッチは絵画を見ているかのようだ。額縁に入れて飾りたくなるような瞬間を捉えた場面はそれ自体ヴィスコンティの美意識が反映させているとさえ思った。自身、イタリア貴族の血統を引くヴィスコンティ監督が唯一自身を語った作品とも云われた。1860年代と云えば、日本でも幕末の動乱期。ドイツは鉄血宰相ビスマルクが首相となり(1862年)、軍国化を押し進めた激動の時代。フランスはナポレオンの甥ナポレオン3世の第二帝政の治世でパリ・コミューンの共和政へ向けて動乱の時代。世界各地で同時代を特徴付けた大きな政治・社会変革のうねりを伴う歴史を俯瞰する楽しみがある映画だった。
シチリア島の名門貴族の当主(バート・ランカスター)は、
革命が成功してガリバルディ軍も解散し、
この映画の大舞踏会ほどの豪華絢爛で長時間にわたる舞踏会を他の
(保屋野)ガリバルディーの活躍で、悲願のイタリア統一がなされた直後のシチリア貴族と甥っ子そして婚約者の物語なのですが、当初、中々筋立てがよく分らず期待外れ?、と思いながら観ていましたが、次第に人物像や時代背景が理解出来て、最後の舞踏会場面も素晴らしく、特に、ランカスターとカルディナーレがワルツを踊るシーンは圧巻でした。俳優陣では、ドロンとカルディナーレも魅力的でしたが、やはり何といっても、初老の(時代に抗う)公爵役を見事に演じきったランカスターの存在感に圧倒されました。ただ、歴史を背景とした大作としては、私には、昨年観た「ドクトル・ジバゴ」の方が面白かったですが・・・・
この本のことが話題になっていることはだいぶ以前から承知はしていたが、万事、流行には反発することにしている生来の天邪鬼気質が邪魔して、最近まで見向きもしなかった。ところが偶然にテレビで山本耕史出演の番組に出合ったのがきっかけで文春文庫版を本屋で手にしてみた。ただ全51冊、と言う分量に多少腰が引けていたら、スガチューから、51冊、なんて三日三晩で読めらあ、とけしかけられて(考えてみるとミステリーというものを吹き込まれたのもこの男なのだ)読み始めたのだが、本心、どこまで続くかと不安でもあった。しかし始めて見るとまさにはめられて、そのほか積んである本には見向きもせず、昨晩、51冊目 旅立ちの朝 を読了した。これで気になっていたポケットブックのほうに戻れそうだ。
これまで、いわゆるシリーズ物にはまった経験は、たとえばロバート・パーカーのスペンサーものとか、北方謙三のブラディドールとかはたまたスー・グラフトンのキンジー・ミルホーンシリーズとか結構あった。これらの場合はまず当初目に触れた1冊が気に入って次のを待つ、という時間的ずれがあったのだが、今回はすでに全巻が本屋に並んでから読む気を起こしたので、週に2回は立ち読みに出かけると常に存在が眼に入って、はい、つぎ! とせかされるような気分だった。そのことがほかの本には目もくれず、といったペースを生み出したのかもしれない。
このシリーズの魅力はなんだろうか。
第一に、全体を通じて感じられる、日本人らしさというか、表現は変だが清潔さ、みたいなものだ。主人公はやはりスーパーマンではあるのだが、いつも堅苦しさを持ち続けこの話の背景の時代にはすでに崩れかけていた武士の在り方を追いかける、昨今の小説ではおよそはやらないテーマだからだ。作品が扱う爛熟した江戸時代の社会が、ある意味では現在の表面は派手だが中には耐えきれない逼塞感があるような日本を思い出させて、人々が求めようとしている生き方を暗示するからではないだろうか。ミステリではいわゆる本格物は非現実的だからハードボイルドがあるのだ、などとうそぶいている人間にしては殊勝かつ自己矛盾的な言い方ではあるのだが。
第二はシリーズ物につきものの、主人公以外のいろいろな登場人物や背景に対する親近感が絶えず感じられるストーリーであるからだろう。”どてらの金兵衛さん” などはテレビ番組で好演の小松政夫のイメージがすっかり定着していくのがいい。ほかのシリーズ、たとえばスペンサーにしても北方にしてもストーリーは面白いがバイプレイヤーについての書き込みがあまりない(その点、グラフトンのABCシリーズはよくできている)。また江戸(この本が描く江戸が発展拡大して東京になった、などは決して思えない)というたぐいまれな文化や人間関係が、今となっては一種の羨望さえ抱かせるように書き込まれていることがあるだろう。
第三には、これは作家としては当たり前といえばそれまでだが、時代検証が行き届き、江戸の地理地名が詳細に書き込まれていて、現在と比べてみる楽しみがある。当時、水路がこれほど発達していたとは知らなかったので、日本橋さえ埋め立ててしまった東京の、ある種の貧困を感じさせる。また頻繁に当時の食べ物の描写も懐かしさを引き立てることが多い。この本に出てくる献立に郷愁を感じられるのも小生たちの時代までなのだろうが、(明治は遠くなりにけり)という言葉が浮かぶ。
ま、今晩は金曜日、とりあえず、読了した満足感と開放感みたいなもの、スガチューにどうだ、と言ってやりたい気持ち、そんなものを感じながら時代劇専門チャンネルで磐根くんとおこんちゃんにお目にかかろう。
七人の侍」のリメイク「荒野の七人」は今や西部劇の古典となり,その続編も4本制作された。この「マグニフィセント・セブン」は
冒頭、大資本家というバーソロミュー・ボーグ(ピーター・サース
山場は二つ。ローズクリークでの、バーソロミューの部下
(編集子)リメイクというのは賛否それぞれあるだろうが、シエーン のリメイクである ペイルライダー は別として小生が気に入ったものはあまりない。デンゼル・ワシントンは人種差別と闘う戦士としてよく登場するが、そういう意味ではハリウッドの優等生なのだろうか。ジーン・ハックマンと共演した クリムゾン・タイド でやはりそういう重圧に耐える役の抑えた演技の印象が残る。 この作品の現場がローズバーグという架空の街になっているが、これはかの 駅馬車 でも使われた地名だ。HB作品ではロス・マクドナルドとスー・グラフトンがカリフォルニアのある街、として、たぶん偶然なのだろうが サンタテレサ という街を創造した。マクドナルドのほうはわからないが、グラフトンの創造したサンタテレサは、たぶんサンタバーバラらしい、という事が熱心なファンの間の定説らしいのだが。こういうトリビアが結構面白い。
本のタイトルだけを見ると、小生得意のハードボイルド小説の話か、と思われた人も多いかもしれないが、これは極めて明快な文化・経済についての識者の解答である。小生、幸いなことに多くの友人に恵まれてきたが、佐伯、という苗字の友人はあまりいない。たまたま、今回、ふたりの佐伯氏 に続けて出会うことになった。一人は今や国民的作品とされている 居眠り磐根 の著者であり、もう一人が独特の理論で小生も共鳴するとこの多い京大名誉教授である本書の著者である。
経済学部を出たことになっているが、本筋の経済理論には興味がわかず、いわば傍流の社会思想史、という事を少しばかりかじった小生が散発的ではあるが多少読んできた佐伯教授にひかれるのは、同氏が経済理論を文化論の立場から論じられることが多いからである。本著は同氏が今まで発表されてきたエッセイをまとめたものだが、その冒頭に現在世界が注目しているウクライナ情勢にかかわる一文を持ってきたのは、さすが商売上手の幻冬舎、という感じがしなくはない。
その第一章で佐伯教授が ロシア的価値 という単語を選び、それを20世紀初頭に書かれたドイツの思想家シュペングラーの 西洋の没落 という本から始められたところが小生の興味を引いた。仕事を辞めた後、社会思想をかじった手前、今まで名前だけは知っていたこの本に挑戦したが、膨大なトピックと西欧思想全般にわたる大著で、何とか最後まで読むのがやっとだった。佐伯氏はこの本の持つ意味は、当時の西欧文明が生み出した新世界の典型がアメリカ合衆国とソ連(当時)であるとし、いずれも土着の文化を無視して合理性と技術による経済発展を目指したこの二つの文明によって、それまでのヨーロッパの文明は没落すると論じたことなのだ、と言っておられる。小生が納得したのは、同氏が 文化とはある特定の場所に根付き歴史的に生育する民族の営みであり、それはアメリカ文明とソ連が掲げた普遍的抽象的理想などという観念とは相いれない、というくだりである。同氏はさらにナチスによって破壊されつくしたヨーロッパ文化の後に現れたのが、ともに近代的な人工的文明であるアメリカとソ連の対立だった、と定義される。そして生き残ったアメリカ文明は、歴史は普遍的価値の実現に向けて動くものであり、その実現こそがアメリカの使命なのだ、と主張し続けている。そしてこれはまさにほぼ毎日、新聞に登場するいわゆる西欧側の理屈そのものであり、今を盛りのインド太平洋戦略なるものの骨格でもあるのは周知のとおりだ。
本著の主題、すなわちこの西欧側の主張の根幹をなす、民主主義、法の支配、個人の自由、といった価値観を実現する体制とされている資本主義、それはどうなるのか、あるいはなっていくのか、という疑問に対しての佐伯氏の考え方を一つにまとめてしまえば、人間の欲望とそれを満たす機構としての資本主義とその実現形態である市場経済を通じて人間の欲望とそれを満たすための仕掛け、硬い言葉でいえば資源の希少性をどうやって満たすか、と云う仕組みが成り立たなくなっている、という点に尽きるのだと思う。資本主義・市場経済の混乱はグローバリゼーションという、ただ単に利潤と効率の追求が文化すなわち ”歴史的に生育する民族の営み“ を無視して拡大した結果であり、それはゆく先々に効率のみを重視する姿勢を強要し、その結果として必然的に発生する経済格差と社会の分断を伝染させているからだ、とする。この主張に小生は全面的に同意する。
その資本主義・市場経済というメカニズムを支えるイデオロギーとしての民主主義の現実についての佐伯氏の考え方は、乱暴な言い方をすれば、そのよって立つ基盤であるはずの民意、とか、国民主権、といった観念そのものに対する疑問として表現される。昔日のアテネのように、”市民“ すなわち日常の生活は奴隷に任すことができ、政治に全うすることができた選良たちのみが行政を行った時代はともかく、現在ではその ”市民” 的存在であるとされているはずの ”国民“ は、ありとあらゆる欲望をそれぞれ勝手に主張する群衆にすぎない。その欲望に応える企業側はこの欲望の是非を判断することはなく(できないから)ただ規模の拡張のみを主張し続ける。今の政治家が決まり文句にしている ”民意“ などという正義は存在しないのだ、ということだ。このことは(一応社会思想史なるものをかじった経験で言わせてもらえば)現在の社会はすでに大衆社会、すなわち群衆がものごとの実像を理解することなく、かつてオルテガが唱え、フロムが名付けた ”匿名の権威“ 現在の用語でいえばフェイクニューズによって情緒的な反応に終始する段階に来てしまった、という事だと思う。そして同氏が(不本意だろうと勝手に想像するだけだが)、民主主義とか国民主権などと称する幻想をすてて、いわば ”手続きとしての民主主義“ に徹するしかないだろう、という結論を引き出されたことに、自分でも不本意ながら、この結論は正しいと思うのだが、各位の感想を伺いたいと思う。
また、戦後の日本、押し付け憲法だとか政治の貧困だとかあいも変わらぬ外国崇拝主義だとかいう現実のもとで、過去80年間、ただ一人の若者も戦争で失っては来ていない国の在り方を、結果論なのだろうが ”日本という国の政治” の成果と考えると、この史実は将来の歴史書によってがどう判断されるだろうか、そのあたりの佐伯氏のお考えを聞いてみたいものだ。
紫陽花の季節には神戸市森林植物園(六甲山)に出かけることが多かった私ですが、新型コロナ明け?の今年は以前からこの時期に一度観ておきたいと思っていた三室戸寺(京都府宇治市)に梅雨の合間の薄日のさす昨日出かけてきました。
きっかけは確か保屋野さん、船津さんか安田さんだったか?(多分、ベスト3の話絡みだから保屋野さん)が少し以前に、紫陽花の日本で最も綺麗な庭園の一つは三室戸寺だったと見事な写真付きで紹介されたためでした。六甲山の紫陽花は青系統が多い印象ですが、三室戸寺のそれは青、ピンク、白を初めメランジュ系統の色も多く種類が多いのも見事でした。
昼食に「三室戸寺(とじ)」の頃合わせで、宇治市の旧商店街(宇治橋通り商店街)で「たまご(とじ)」でも食べればとダジャレとも思えぬことを考えながら、お茶の本番の地で「天ぷら付き茶そば」を賞味しました。
(船津)朝起きたら素晴らしい紫陽花有難う御座いました。古刹とマッチし
梅雨の真っただ中、ここ数日、九州・西日本は大雨、その梅雨前線が北上、6月22日の実施日、東日本は、終日、「雨」との予報。中止すべきか否かを悩みに悩み、Webで「高尾山気象情報」と数時間おきににらめっこ。決断を迫られた、集合時間の24時間前、予報が「小雨」に変わり、「決行」を決意。最近の天気は局地的に大きく異なる傾向にあり、参加予定者が住んでいる地域での状況から、「行くか・止めるか」の判断を、各々にお任せしたところ、20名が京王線「高尾山口」駅に集合しました。心配した天候、山行中は、小康状態を保ち、下山した14時頃からパラパラと降り始め、雨具も付けず、傘をさすこともなく、2022年3回目の「月いち高尾」を、無事、終えました。
<ケーブルカー利用で山頂~いろはの森コース~日影バス停~高尾駅> 34小泉、36遠藤、鮫島、高橋、中司、深谷、鮫島、39蔦谷 (平均年齢: 84.3)
「月いち高尾では、お世話になりました。ケーブルから山頂までは殆んど平という認識でいましたが、傾斜があるものだと感じる歳になりました。帰りは、ケーブルで戻る積りでいましたが、全員いろはの森コースということで、お蔭様で4年前の2018年12月忘年会の懐かしの日影沢キャンプ場を眺められました。 」 (小泉)
<金毘羅台コース~1号路~山頂~稲荷山コース> 39岡沢、堀川、西澤、三嶋、40武鑓、41久米コブキ、42保屋野、47伊川、平井、関谷、51羽田野、中里 (平均年齢: 76.5)
金毘羅台コースは、古の参拝者が登った古道、汗をかきかきコースタイムを大幅に下回るペースで1号路に合流。ひんしゅくを買うトップ、稲荷山の下山では途中交代!それにしても健脚、元気なシニア―集団!
下山後、近くにご用のあった当会メンバーの34船曳(ドテ)さんご夫妻が、「高尾山口」駅でお待ちになっており、久々に、再会を喜び合いました。
下山後、近くにご用のあった当会メンバーの34船曳(ドテ)さんご夫妻が、「高尾山口」駅でお待ちになっており、久々に、再会を喜び合いました。有志は、「テング飯店」で反省・懇親会。
参加された皆さんお疲れ様でした。コロナ禍の先はまだまだ見えませんが、マスクを外し、自然と触れ合いながら、新鮮な空気を思い切り吸い込むのは素晴らしいですね!次回の「月いち高尾」でお会いしましょう。
「今日も「月いち高尾」とても楽しかったです!!大変ありがとうございます。お天気については、関谷様の的確なご判断がすばらしく、そして「月いち高尾」の皆様の日頃の行いの良さが証明されました。金毘羅台コースは私にとって、初めてでした。樹林の中の古い一本道で趣があり、歩いていて、とても楽しかったです。大好きなコースになりました。素敵なコースをお教えいただきありがとうございます。 」 (羽田野)
(小泉) 月いち高尾では、お世話になりました。
ケーブルから山頂までは殆
(鮫島)「いろはコース」楽に下れるかと思っておりましたが、きつく疲れ
(久米)昨日の山行では大変お世話になりました。それに致しましても関谷君の天気予報大当たりでした。それを信じて久しぶりの「月一高尾」に参加いたしました。登りは快調に飛ばして余裕のある山行でした。遠足の児童も少なく珍しく静かな山頂でした。
稲荷山の下りの道が木道になっていたのには驚きました。稲荷山を下っている時に一緒に登ったミドリさんのことが思い出されました。面白い話題を提供してくださったことなど思い出されて寂しい気持ちになりました。
高尾山口ではドテ先生ご夫妻が待っていてくださって愛子さまとは本当に2年半ぶりの再会でした。調子のお悪い所もあると仰っていましたが拝見した限りお元気そうで嬉しくなりました。天狗には参加いたしませんでしたが平均年齢84.3歳の先輩方とご一緒して乾杯しなかったことが悔やまれます。9月の「高尾」を楽しみにしております。
(中里)初参加でしたが、どうもお世話様でした。今後ともよろしくお願いいたします。
(三嶋)関谷兄、いや~お世話様でした。貴兄の的確な判断と ジャイさんのメールで 行く気になりました。梅雨の合間の ひと時 これ以上ない絶妙のタイミングでしたね。平均年齢76.5ですか。元気で歩けることは 素晴らしいというべきでしょうね。脚力が低下する中で 「月いち高尾」の有難味を感じています。
(編集子)小田篤子さんが映画のコメントのなかでマティーニに興味を持ったようで面白いエピソードを拾ってくれた。会社時代、やっここと金藤くんが結構いける口なのは知っていたが、小田さんとアルコールとはイメージがつながらない。
(小田)「花嫁のパパ」はコメディ色が強く、「父」
(船津)マンハッタンがよく見えるGEビルの最上階のレインボーでキザに
マンハッタンはウイスキーベースのカクテルですが、
1.氷屋さんの氷を一度少し溶かしてから、浄水器の水で洗い 目には見えない空気の気泡をうめたものを、ミキシンググラスに、ンジン40mℓ、ドランジャンペリー ドライ5mℓを入れる(アンノーンでは、通常のカクテルの量より多く作っています。
4.静かにグラスに注ぎ、
5.種が入っているオリープを添える。(
血液だけでわかる新しい「がん検診」を知っていますか?
日本では肺がん・胃がん・大腸がん・乳がん・子宮がんなどの検診は、一定以上の年齢になると義務付けられています。但し、お役所仕事ですから多くに場合、肺がんは痰の検査、大腸がんは便に血が混じっているかを簡単にスクリーニングするだけで、本人が積極的に希望しなければ、詳しい肺のCTとか大腸の内視鏡検査まではやってもらえませんよね。
例えば、胃がんや食道がんの検査。私は影絵を見ているだけの胃レントゲン健診はあまり信用していないので、今から35年以上前から、胃の検査は内視鏡と決めています。年に1回か2回、内視鏡の専門医である友人にやってもらっていますが、今から20年ほど前、胃の表面に1㎜程度の怪しい病変が発見され、お腹を開けることなく、内視鏡的に表面を切除。顕微鏡検査では完全な癌でしたが、それ以降20年以上、全く胃の症状はなくても、毎年胃カメラだけは行っています。
肺がんに関してはCT検査がベストで、通常のレントゲン検査や痰の検査だけでは見逃されることも多いのです。大腸がんの検査にも内視鏡検査がやはり有用ですが、前の晩から2リットルもの水攻めには恐怖感を持たれる方もおられるでしょうね。私も大腸内視鏡は2年に一回、いやいやながらおこなっています。 肝臓や腎臓がんは人間ドックでやる超音波検査が、前立腺がんは採血によるPSA検査が有用なことは御存じの通りで、乳がんや子宮がんも検査で早期に見つかることが多いのですが、女性は検査を嫌がられる方もおられますね。
一方で、見つけにくいすい臓がんやその他の部位のがんは例えがん検診を毎年キチンと受けている方でも、見つかった時は手遅れという事も少なくないようです。中高年期の死亡原因は、がん・心疾患・脳卒中・肺炎などです。脳卒中や心疾患は糖尿病・高血圧・脂質異常症などの一次性生活習慣病(これがどんなものかは以前に説明しました。覚えてますか?)や遺伝が原因ですが、これはある程度、知性のある人なら(知性、あるよね?)予防も可能だし、事前に原因を見つけておけば、ある程度は避けることもできます。しかし、急に発症する心筋梗塞や脳梗塞はしょうがないとしても、今や、がんは早期発見すれば完全に治癒する病気であることは知っておいてください。筆者も昔、白血病・胃がん・前立腺がんなどを患いましたが、すべて回復しました。従って、がんはなっても早く発見すれば回復する疾患であることを忘れないでください。但し、頑固な持病や発見が遅れた場合は致命的になることもお忘れなく。
最近、血液や尿から、症状が出る前に「がん」を発見する新しい方法が見つかりました。小生も先日、ある施設でその方法でチェックを受けました。小生が受けたのは、血液からがん細胞が分泌する特異的な抗原を見つけ出す方法で、マイクロRNA検出法とよばれます。この感度は非常に高く、まだレントゲンなどにはっきり映らないうちの発見も可能とされています。しかし、まだこの全く新しい検査法は、できる施設が日本でも数か所だけです。この血液による検査はどこの臓器にガンがあるらしいことまで判別できる優れものです。
別に、比較的安価な患者さんの尿と線虫という虫を使った検査もありますが、この方法ではまだがんがご自身の身体のどこかにあることは推定できても、その部位までは区別できません。問題は現段階では、この血液検査は20万円ぐらいと高価な点です。保険はききません。また施設によっては人の弱みに付け込んで、更に怪しげな未だ効果もはっきりしない治療法まで押し付けてくるところもあるようです。しかし、がん家系の方で、お金に糸目をかけない、特にがんでは絶対に死にたくにない人はやってみるのも一つの方法です。 採血の時のチクッとした痛み以外は怖い検査ではありません。
(編集子) このシリーズでこれほど酷評を浴びた作品もめずらしい。”波止場” で初めて出会い、ゴッドファーザー で醸し出された雰囲気に酔い、西部劇で言えば 片目のジャック では不気味な雰囲気を味わった、エーガ世代を代表した名優にしてこのような結末?を見るのは何とも言い難い気持ちである。
(安田)
マーロン・ブランドは大人になりきれない子供っぽい性格が演技に
それほどの名優マーロン・ブランドが主演する西部劇映画が「西部
(飯田)
「シェラマドレの決斗」のような、訳の分からない作品を貴重な(
(保屋野) ネットに「西部劇の面汚し」とありましたが、全く同感。私も(ビ
マーロン・ブランドが出ていたのは、最後の出演者紹介で知ったが、彼もこの出演を後悔したのでは・・・
(小泉) 昨日の夜書いた原稿を発信しようとしたら、何通もの「
原題The Appaloosaは白と黒のまだら馬のこと。主演マーロン・
冒頭から、ラッセル・
登場人物は、ブランド以外はメキシコ人ばかり{