ラオスへの旅 (41 斉藤孝)
ラオスの古都ルアンパバーンのホテルは、フランス植民地時代の古き良き時代を感じるコロニアル様式だった。朝食はメコン川を眺められる場所で優雅に楽しんだ。メコン川の流れは全くなく湖のようで茶色く濁っている。
メコン川はチベット高原青海省に源流を発し、中国雲南省を通り、ミャンマー・ラオス国境、タイ・ラオス国境、さらにカンボジア、ベトナムをおよそ4200 kmにわたって流れ、南シナ海に注ぎ込む。東南アジアで最長の河川である。メコン川は「一帯一路」でも中華の絆を示しているようだ。ヨーロッパのライン川やドナウ川のように国際的な開かれた河川を期待したいものである。
「援蒋ルート」は80年前に険しい山岳地帯をイロハ坂のように切り開いた陸路であった。昔の写真からもいかに難路であったか想像できる。インパールやビルマから救援物資を積んだ連合軍のトラックはじぐざぐの山岳道路を登って行った。深い谷底にはメコン川が流れていた。
米国が主導する連合軍は中国の蒋介石と毛沢東を強力に救援したのである。今日の米国には、このような輝かしい能力は微塵もない。実に情けない。80年後の「援蒋ルート」は中国の「一帯一路」になった。立派に舗装された昆明ルートを中国のコンテナ・トレーラーの長い列が続いている。
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援蔣ルートの経路は、日中戦争の開戦から太平洋戦争の終戦まで途中、日本軍によって遮断されたり独ソ戦の開戦によって援助が滞ったものも数えて、4つある。本稿で取り上げられているルートはビルマルートと呼ばれたもののようだ。
新旧2つの陸路と1つの空路があり、当時イギリスが植民地支配していたビルマ(現在のミャンマー)のラングーン(現在のヤンゴン)に陸揚げした物資をラシオ(シャン州北部の町)までイギリスが所有、運営していた鉄道で運び、そこからトラックで雲南省昆明まで運ぶ輸送路(ビルマ公路:Burma Road)が最初の陸路で、日本軍が全ビルマからイギリス軍を放逐し平定した1942年に遮断された後、イギリスとアメリカはインド東部からヒマラヤ山脈を越えての空路(ハンプ:The Hump)に切り替え支援を続けた。いわゆるハンプ越えと呼ばれるものを実施した。しかし、空輸には限りがある上に、空輸中の事故も多発したため、アメリカが中心となって新しいビルマルートの建設を急ぎ、イギリス領インド帝国のアッサム州レドから昆明まで至る新自動車道路(レド公路:Ledo Road)が北ビルマの日本軍の撤退後の1945年1月に開通した。
弥生余韻 (普通部OB 船津於菟彦)
トランプ大統領令に振りまわされた弥生でしたね。
我々が知らない日本ではわからなかったバイデン政権の失政の大き
ウクライナ戦争も直ぐに停止させられると豪語した華道やらプーチ
日本は米の不足と物価高の中で「あの人もやるのか」という10万
そんな中ハワイ・マウイ島の火災のほか、カリフォルニア州、カナ
そんなやや混乱の弥生も終わり、いよいよ卯月、新スタート。人口
日はながし 卯月の空も きのふけふ 加賀千代女
寝ころんで 酔のさめたる 卯月哉 正岡子規
ぬぎかへて 衣に風吹く 卯月哉 正岡子規
この頃は冬〜夏へと衣替えも変化かなぁ。春と秋がなくなってきて
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エーガ愛好会 (317) ”赤い河” をめぐって
(34 小泉)「赤い河1951」は、エーガ愛好会の記念すべき第1号(202
豪快な男の香りがハワード・ホークス監督のどんな作品にも浸み込
テキサスの牛群移動は、1877年ジェン・チゾルムが、チゾルムレッド・リヴァーの上流で、コマンチ族に襲
た幌馬車隊の一行を助け、気丈
その(ハリ・ーケリー)は一頭20ドルで全
10人ほどの新しい部下を従
しかしこのような親子の関係の時代が現在
(44 安田)今日(3月28日)の放映で3回目となる「赤い河」を観ました。いつ観ても広大なテキサスの荒野をミズーリまで1600km (鹿児島から陸路大阪・東京を通り仙台くらいまでの距離)もの長距離を一万頭もの牛(テキサスホーン種)を運ぶ 100日にも及ぶキャトルドライブ、牛の暴走スタンピードは迫力があります。
野宿しながらの厳しいキャトルドライブの旅路は人間を極限状態に置き、喜怒哀楽と本性を炙り出すと同時に、主役の若者のモンゴメリー・クリフトと男盛りのジョン・ウェインの親子の世代間の葛藤と諍い、その中にあって渋いいぶし銀のベテラン ウォルター・ブレナンを交え三者三様のそれぞれの持ち味が「赤い河」を単純なカウボーイのキャトルドライブ映画でない素晴らしいヒューマンドラマにしています。映画の主題歌も大変良かったと思います。
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(2018年9月付け本稿記事の一部を転載する)
数週間前、何の気なしにテレビをつけたら、ジョン・ウエインの代表作とされる ”赤い河” をやっていた。原題は Red River。ウエインの脂の乗り切った時代の非常にすっきりした、これぞ西部劇、というやつで、当時(1948年)、売り出し中のモンゴメリ・クリフトが初めて西部劇に出演したという意味でも知られる映画である。僕も映画館でももちろん見たし、その後何回もテレビで見る機会があったのだが、今回、終わり近くになって、バックに流れるテーマ曲が、僕のもう一つの愛唱歌である My Rifle my pony and me (これもウエインの代表作といわれる リオ・ブラボーの挿入曲)と同じことに気がついた。そこで終わった後、何もあるまいがダメモト、とおもいながらグーグルに ”Red River, My Rifle and Me” と入れてみたら、なんと!一発でアメリカ人の女性が同じ質問をしていて、その道の専門の人が明確に答えをだしているではないか。この広い世界で同じ経験をした人がいるということもうれしかったが、この解説によると、この2本は主演ジョン・ウエイン、監督ハワード・ホークス、音楽ディミトリ・ティオムキンという共通点があり、1959年に作った ”リオ・ブラボー”にティオムキンが原曲をそのまま使ったのだそうだ。ちくしょうめ。
1.北アメリカ大陸に Red River という河は2本存在する。うち1本はミネソタ、ノースダコタのあたりから始まり、北上してカナダを流れる。この流域には開拓初期、レッドリバー植民地という地域があった。2本目はテキサス、オクラホマにまたがるミシシッピーの支流である。
(注)映画の初めの部分で、幌馬車隊と別れたウエイン・ブレナンが河にぶつかったところでキャンプする。ウエインはここで Red River と言っているが、当然、この2本目のことであろう。
2.西部開拓時代、牛肉は主として中部諸州から提供され、テキサス牛(ロングホーンと呼ばれる種類)はまだ流通していなかった。一方、大陸横断鉄道が徐々に伸び、カンサスあたりまで敷設されるようになり、ジェシー・チザムによってテキサス南部からカンサスまでのトレイルが開かれた。この道をたどって、テキサスの牛をカンサスまで運ぶという冒険がはじまった。
3.映画 ”Red River” はこのチザムトレイル開拓史をベースにした物語であり、その脚本のベースになった記録もあるのでこのような話は史実として裏書される(これによって成功者となったチザムを主人公にした単純明快勧善懲悪なウエイン作品が”チザム”(1970年)である)。
うんぬん。
それでは俺の ”Red River Valley” はどうなる? まだ資料は見つからないが、単に作詞者の創造した地名でないとすれば、どうも雰囲気は1本目のほう、つまり初期の英国植民基地のほうが合うような気がする。ジョン・ウエインは僕のごひいき俳優NO.1ではあるけれど、どう見ても come and sit by my side if you love me などとめんどくさいことはしないで、それじゃあばよ、と格好つけて馬を駆っていってしまうだろうという気がするからである。何方か、博識の方のご意見を頂戴したい。
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The Chisholm Trail was a major 19th-century cattle trail that ran from southern Texas to Kansas, facilitating the movement of longhorn cattle to eastern markets after the Civil War, and is named after the Scot-Cherokee trader Jesse Chisholm.
この解説にあるチザム・トレイルが現在どうなっているかは知らない。もう一つよく聞く名前に有名なオレゴン・トレイルがあるが、アイダホへ行った機会にそのあとを訪ねたことがある。たしかにここだ、と明記されていたのは何年か何十年かわからない昔につけられたのだろう深い轍が乱脈にきざまれていただけだった。もしこの轍の何本かが、往時の開拓者の馬車がつけた、そのものだとしたら、と思うと、よくある史跡なんかとは違った、現実味のあるものとして胸を撃たれたものだった。同じ歴史の彼方の話とはいえ、western movies が、例えば忠臣蔵なんかと違う印象を持たせるのは、こうした―適切な単語かどうかわからないがー一種の親近感なのかもしれない。
ムクドリ騒動の記 (HPOB 金藤泰子)
エーガ愛好会 (316) Wicked (HPOB 小田篤子)

乱読報告ファイル (36) アメリカの未解決問題
竹田ダニエル,三牧聖子という米国研究の専門家の著書、ということで期待して読んだ。結果、新たな知見も多かったが、失望といえば言い過ぎかもしれないが期待外れの感じもする本であった。ただ、昨今のトランプ論議の前提というか日本で感じる対米国観について、なるほど、そうだったのか、と理解を改めることができたと言う意味で日米問題に興味のある人にはお勧めしたい。新書版で200ページ弱と読みやすいボリュームでもある。
いくつか、納得した点を挙げておこう。
1.日本ではわからなかった、というか報道が不十分だったのは、バイデンの失政の大きさであり、カマラが大統領選でなぜ、黒人や移民層の不満を買ってしまったのは結局このせいだ、ということ。
2.イスラエルへの過剰な支援、膨大な資金投入がトランプだけでなく、バイデン政権でも行われていることへの不満が民主党への失望となったこと。
3.Z世代といわれるアメリカの若者層の反抗と資本主義への批判が異常に高まりつつあること。また彼らの間には、過去米国で歴史の一部としか認識されてこなかった先住民族への仕打ちとか、海外での戦争行為とかいったことに対する贖罪意識が高まりつつあるとも書かれている。
4.日本でいう ”リベラル” 思考はアメリカではすでに機能しなくなっていること。
5.イスラエルへの過剰な傾斜はバイデン時代からあり、トランプになってさらに強まると予測され、それが若者や一般人の政治離れを引き起こしつつあること。
逆に著者二人への期待を裏切られたというか失望したのは、日本人、日本社会についての見方が結局、例によって日本社会の画一性批判、多様化の欠如が問題だとする、”出羽守ロジック” の域を出ていなかったことだ。これから人口減少によって移民や外国人労働への傾斜が深まっていくのは不可避なコースと考えられる我が国では、今日のアメリカ社会の問題点を呼び込んでしまわないような社会形成をしていくことが重要であろう。”多様性” という罠に落ち込まないで、包容力のある国になりたいものだ。
エ―ガ愛好会 (315) The Best 50 Western Movies Ever Made
調べたいことがあって、US版のグーグルを見ていたら、標記の記事が目に留まった。よくあるファン投票的なものではなさそうなので目を通した。50の作品 のリストは原題で作成されているので、日本公開時の題名は記憶に頼るしかないが、とにかくこの50作のうち、編集子が見た作品は31であり、明らかに日本で公開されていないと思われるものも数個あるので、ヒット率としてはまあまあだと思うが、ドクターコイズミはどうだろうか。
このリストを作成した人の好みもあるのだが、小生として異議があるのはまず第一に 大いなる西部 が入っていないことである。フォードの騎兵隊シリーズの中で 黄色いリボン は入っているがほかの二つ(アパッチ砦、リオグランデの砦)がないこと、また50年代の懐かしい、いわば典型的セーブゲキの代表ともいえる ジョエル・マクリーの 大平原 とか セーブゲキ、といえばこの人、ランドルフ・スコットの 西部魂 なんかもないことから勘ぐると、これらの作品に共通するのは先住民族を残忍な、悪いもの扱いであるからではないか、とも思える。記事自体がいつ書かれたのかは挙げている作品名などから判断するしかないが、わりと最近になって作られたタイトルが見当たらない。シルバラード もよく出来たエーガだと思うのだが。
このグーグルの記事には、Western Movies (これがわれわれがセーブゲキ、と言っているジャンルの総称らしいのだが)についての記述がある。ここで筆者はアメリカが生み出した文化的遺産は数少ないが、ジャズと漫画本と西部劇、がある。西部劇は幾度も衰退を思わせた時期があったが、必ず蘇る性格を持っていて、アメリカの歴史と現代双方を理解する二面性をもったものだ、という。納得できる気がする。事実、西部劇映画から得たこの国についての知見は少なくない。
少し長くなるが、50作品のリストを紹介しておく。小生が鑑賞したものをブロック体で表示してある。
1 | The Seachers | 1956 | ||||
2 | Unforgiven | 1992 | ||||
3 | Once upon a time in the west | 1968 | ||||
4 | Stagecoach | 1959 | ||||
5 | McCabe and Mrs.Miller | 1971 | ||||
6 | Red River | 1948 | ||||
7 | Wild Bunch | 1969 | ||||
8 | Rio Bravo | 1959 | ||||
9 | Naked Spur | 1953 | ||||
10 | Mlek’s Cutoff | 2010 | ||||
11 | The Man who shot Liberty Balance | 1962 | ||||
12 | The God , the Bad and the Agry | 1966 | ||||
13 | Butch Cassidy and the Sandance Kid | 1969 | ||||
14 | My darling Clemen:tine | 1946 | ||||
15 | Johnny Guiter | 1941 | ||||
16 | Forty Guns | |||||
17 | High Noon | 1952 | ||||
18 | 3:10 to Yuma | |||||
19 | Shane | 1953 | ||||
20 | She wore a yellow ribbon | |||||
21 | A Fist of dollar | 1964 | ||||
22 | 7 men from now | 1956 | ||||
23 | Dead Man | 1995 | ||||
24 | The Gunfightr | 1950 | ||||
25 | The Power of the Dog | 2021 | ||||
26 | True Grit | 2010 | ||||
27 | Winchester 73 | 1950 | ||||
28 | For a few Dollar More | 1965 | ||||
29 | The OX-Bow Incident | 1943 | ||||
30 | The Outlaw Jasey Wels | 1976 | ||||
31 | The Shooting | 1966 | ||||
32 | Ride the High Country | 1962 | ||||
33 | Vera Cruz | 1954 | ||||
34 | The Buffet for General | 1966 | ||||
35 | Bend of the river | 1952 | ||||
36 | Magnificent Seven | |||||
37 | Django | 1966 | ||||
38 | The Tale T | 1957 | ||||
39 | Blazing the suddle | 1974 | ||||
40 | The Shootist | 1976 | ||||
41 | The Assasination of Jessie James by the coward | 2007 | ||||
42 | The left handed gun | 1958 | ||||
43 | Little Big Man | 1970 | ||||
44 | One Eyed Jacks | 1961 | ||||
45 | Broken Arrow | 1950 | ||||
46 | Great Train Robbery | 1903 | ||||
47 | Day of Anger | 1967 | ||||
48 | Buck and the Preacher | 1972 | ||||
49 | The Sister Brothers | 2018 | ||||
50 | Dodge City | 1939 |
「一帯一路」と「援蒋ルート」を訪ねてきた (41 斎藤孝)
ヨレヨレ旅人夫婦は「昆明」を初めて訪れた。「昆明」(Kunming)は何処にあるのか。広大な中国の地図を広げて探した。中国西南部のミャンマー(ビルマ)とベトナム・ラオスに隣接する雲南省の省都である。
雲南昆明は中国奥地の辺境と思い込んでいたが人口一千万人の巨大な都市だった。高層ビルが立ち並び高速道路も整備されている。車社会の近代中国、人力車時代を知る中国からは想像もできなかった。ただ人々の洋装姿はぎこちなく田舎臭い着こなしである。雲南は、標高2000mの高原にあるが鉱物資源に恵まれて経済的にも大発展している裕福な辺境である。雲南省は雪を頂くロッキー山脈に囲まれたコロラド州にとても似ている。すると昆明はデンバーに相当するだろう。
「一帯一路」と「中老鉄道」ー「昆明」は、習近平主席の提唱する「一帯一路」の東南アジアの拠点なのである。「一帯一路」とは中国と中央アジア・中東・ヨーロッパ・アフリカにかけての広域経済圏の構想の名前である。昆明新幹線(中老鉄道)に乗車した。巨大な列車は揺れもなく静かである。鉄路は直線でトンネルは雲南の山々を貫く。
「昆明」から「シーサンパンナ」を経てラオス国境を越えてルアンパバーンとビエンチャンまで全長1,035km。将来はタイのバンコックを経てマレー半島を縦断してシンガポールまで繋げ東南アジアの大動脈とするのが目標とされる。総工費の多くを中国が負担、残りのラオス分も大半は中国からの融資で「債務のわな」に陥る懸念が指摘されている。
身なりや会話を聞いている限りでは、乗客はほとんどが中国人。ハードもソフトも「中国流」で荒っぽい新幹線だった。これが「一帯一路」の実体なのかと驚いた。スローガンはどうやら本物になりそうだ。中国の底力を実感できた。
「援蒋ルート」について、中国生まれの83歳の老人は80年前の歴史を回顧した。まず思い浮かべるのは映画『ビルマの竪琴』である。「インパール作戦」で亡くなった戦友を弔う水島上等兵の物語だった。ビルマ僧の姿になり竪琴を弾く。「埴生の宿」だったと思う。切ない琴の音色は日本人捕虜を癒していた。
「援蒋ルート」はインパールから昆明まで建設された。インパールはインドのアッサム州の隣にあるマニプル州の町だった。「援蒋ルート」は昆明を最後の拠点とした蒋介石国民党軍を援助するために設けた軍事道路であった。
1942年頃に中国本土の多くは日本軍に占拠されていた。蒋介石が指揮する中華民国は「昆明」と「重慶」だけを支配していた。一方の毛沢東が率いる中共は「延安」に立てこもっていた。国民党と共産党も内戦状態だった。「援蒋ルート」は蒋介石だけでなく毛沢東も救援する目的で連合国によって建設されたわけである。
「インンパール作戦」は数万人の戦死者を出し日本軍史上最悪の無謀な作戦だった。80年後になり「援蒋ルート」は「一帯一路」として存在しているようだ。感慨深く歴史を回顧した。
エラリー・クイン のこと – ミステリへのお誘いです
推理小説、というものがいつから始まったか、については専門家の間でもいろいろと議論があるようだ。ま、アマチュア読者であれば、通説どおり(先日菅原君が乱読報告の中で書いたように)、エドガー・アラン・ポオの モルグ街の殺人 だというあたりで十分だが、このジャンルの作品が広い範囲の読者層に浸透しはじめたのが1920年代、大戦前、西欧社会が新興国アメリカを迎え入れて穏やかに機能していた時代のことだ。この初期の作品は (誰が犯人か) の追求に徹していて、Who’s done it ? 派、日本ではそのままカタカナ読みをして フーダニット、作品と呼ばれるものだった。この流れは推理小説が無視できないものに成熟してくると、だれが、というよりもその殺人はどうやっておこなわれたのか、How’ s done it. ハウダニット 論理、つまり奇想天外な殺人方法を競いあう結果になってしまった。やがて、その反動として現実社会とのつながりを無視できない、犯罪の後ろにある現実とのせめぎあいを語るほうに移って行き、Why done it ホワイダニットと呼ばれる作品が増えていく。それが文体も初期の、ハイブラウな文体から直截的な、簡潔な文体で語られるようになり、現在のハードボイルド と呼ばれる作風に変わってきた。
1920年から30年代へかけて、いわば推理小説の黄金時代、と呼ばれる頃の作品は主流は当然ながらフーダニット思考のものであって、英国ではクリスティ、クロフツ、チェスタートン、メイソン、そのほか有名人や純文学者が手掛けたものなど、現在まで読み継がれる作家が並ぶ。かたや当時新興国であったアメリカでは、文化圏はニューヨークを中心とする東海岸であった。そこで開花したアメリカ版推理小説の代表格が,ハウダニット論理を中核に据えたヴァン・ダイン,ディクスン・カー、それからエラリー・クインなどだった。高校時代、菅原にそそのかされてこのあたりの名作は一応読んだし、エラリー・クインもその中に当然入っていた。
識者の推理小説作品に対する評価はいろいろあるが、ベストといわれる中にいつも顔を出すのがクイーンの Yの悲劇 だが、それと合わせて彼の代表作とされるのが、題名に国名を使った9冊で、国名シリーズ、とよばれる。”ローマ帽の秘密” でイタリアをタイトルにとりこみ、以後、”オランダ靴“ ”アメリカ銃” ”フランス白粉” “チャイナオレンジ” ”スペイン岬” ”シャム双子“ ”エジプト十字架” ”ギリシャ棺” といずれもタイトルが国名と MYSTERY という単語で統一されている。このシリーズに対抗したクイーンの好敵手、ヴァン・ダインはその12冊の作品のタイトルを 例えば The Bishop Murder Case” (邦題 僧正殺人事件)というようにすべて murder case とするなど、対抗心をあらわにしてクインと争った。この二人の作品に共通する要素は、あきらかにクリスティのように真っ向からなぞに挑むだけの作風に,how’s done it 的な要素が目立ち、さらにあたかもイギリスに対して新興国の知識階級の意地を張るかのように、衒学趣味が濃厚に加わっている。特にダインの作品は著者(匿名で書き始めたが実は高名な文学批評家だった)の主に美術の分野だが、博識・知見をくどくどと述べるので辟易する人が多い。
僕は創元社の文庫だったと思うのだが、国名シリーズはわりに早い段階で読み終えている。今回、改めて原文に挑戦してみたのだが、ほぼ1世紀まえに米国の知識階級の話すことばや生活態度が、現在のアメリカとどれほどかけはなれていたか、を感じながら読んだ。また、国名シリーズでいえば、日本とドイツとなにより英国がその中に含まれていない。シャムすなわちタイなどが入っているのに、である。この国名シリーズ9冊とはべつに、ニッポン樫鳥の秘密 という一冊もあるのだが、これだけは国名シリーズと数えていない。このあたりは当時の世界情勢を暗示しているようでもあり興味深く思った。
読み返してみて思うのだが、このシリーズで、国名すなわちその国との関わり合いが筋の展開に不可欠なのはシャムとエジプトとギリシャだけで、ほかは国名を入れ替えても成り立つストーリーだ。例えば中でも長編の フランス白粉の謎 の場合をとれば、白粉がフランス製でなくとも全く筋に関係しない。このあたり、ひょっとするとクイーン(または出版社か)の巧妙なマーケティング戦略であったかもしれない。話の展開上、上記のような(白粉の話)ことはミステリ物を紹介するときにあってはならないのだが、いずれにせよ、この時期に現れた作品は、現代風の書き方の作品とくらべるとゆったりした気分で読めるのが古典の良さなのだろう。クインの主な作品はほとんどすべて早くから邦訳があり、特に井上勇氏の訳は高く評価されている。ミステリ、というジャンルにまったく興味のない人がほとんどかもしれないが、クイーンの代表作、Yの悲劇 や クリスティなら 読みやすい オリエント急行の殺人 とか そして誰もいなくなった くらいはお読みになることをお勧めしたい。ストーリーはともかく、ハードボイルドといえばまず出てくるレイモンド・チャンドラーの 長いお別れ などは文章あるいはその書き方自体が英語の教材になるとすら言われていることも付け加えておこうか。