23年9月 月いち高尾 (47 関谷誠)

来年、創部90周年を迎えるKWVで育った我々ワンダラーの山登り、山歩きに対する情熱は老若男女失せることありませんが、現実は厳しく、体力・足腰の衰えを如何とも隠せない老齢世代、一方で、それなりの体力を維持しながら、何とかごまかし得る若年老齢世代等々、幅広い層が参加・楽しめるイベントの企画は、KWV三田会としても大きな課題のようです。 この「月いち高尾」の会は、発起人の36年「ナンヤカンヤ」会の皆さんの参加がおぼつか無くなった時点で、自然消滅させても良いのかも知れません。しかし、バリバリの若年老齢世代の参加が増え始めている昨今、又、「テング飯店」での後の祭り懇親会も店が貸し切り状態となる盛り上がりを呈しており、何とかこの会を継続できないかと悩み、思案する三代目世話人です。そこで、今回、新たな試みとして、「高尾山」山域をゆっくりと自然に触れながら、仲間とワイワイガヤガヤ、体力的負担の軽い山歩きの「シニア―」向けプランと、それなりにハードな登山を楽しめるプランの2本立てとし、下山後は、「テング飯店」に集結とのプランを企画しました。

 

<以下、敬称略>

(シニア―・コース) 34/船曳夫妻、36/遠藤、中司、高橋、吉牟田、鮫島、39/蔦谷、三嶋、40/藍原、41/久米(コブキ)、43/保屋野、44/吉田、47/平井、関谷  <14名>

(南高尾7サミット・コース) 39/堀川、42/下村、44/安田、46/村上、49/長山、50/実方、丸満、51/斎藤、五十嵐、羽田野、59/後藤、BWV/大場  <12名>

 

  • シニア―・コース

10:00 京王線「高尾山口」集合 (1) 10:15清滝発ケーブルカー (2) 保屋野/久米/吉田 6号路琵琶滝コース 11;30 高尾山山頂 昼食

秋の遠足シーズンで、山頂はビニシーを所狭しと広げ、美味しそうな手作り弁当をほおばる小学生、幼稚園児で賑わっており、我々年寄りはそれを楽しく眺めながら、多少のエネルギーを充填出来たかな!この子らに見惚れたのか、何と二人の御仁が昼食をとった石の腰掛にスマホを忘れ、下山途中の薬王院近くで気付き、慌てて山頂に引き返すハプニングがあった。園児を引率していた保母さんだったのではないと推定されたが、何と、バラバラに座っていた場所に置き忘れた2台が揃って、目の付くところに、並べて置いといてくれており、事なきを得、スマホが命と豪語する御仁の喜び様と云ったら! ちゃんと置いといてくれた日本人の美徳を一同称賛。

下り:

・本隊: ケーブルカーで清滝に下山

・遠藤/保屋野/関谷: 1号路から、途中、金毘羅尾根を下り高尾駅へ

平均年齢82歳とは思えない元気なシニア―、足腰が多少覚束ない方も見受けられたが、口の方は相変わらずお元気そのもの、体調不良、事故等のない、9月末とは思えない 暑い中での汗をかいての楽しい秋のワンデルングでした。

  •  南高尾セブンサミッツ・コース

JR相模湖駅(八王子駅北口行き)8:39⇒(バス16分)⇒8:55大垂水峠9:00⇒(30分)⇒9:30①大洞山536mオオボラヤマ9:40⇒(50分②コンピラ山③中沢山494m)⇒10:30見晴台10:40⇒(50分④入沢山⑤泰光寺山)⇒三沢峠11:30⇒(30分⑥榎窪山420m)⇒12:00⑦草戸山364m(昼食)12:35⇒(1時間10分)⇒13:45四辻13:50⇒(20分)⇒14:10高尾山口駅

・朝は全員が予定通り相模湖駅のバス停に集合、バスで大垂水峠へ向かい下車後、大垂水歩道橋から出発しました。軽快な足取りで登りをこなすとひと汗かいたころにこの日の最高地点大洞山(オオボラヤマ536m)に到着し、さらに引き続きコンピラ山、中沢山を通過しこのコース最高のビュースポットである見晴台からの丹沢方面の眺望を楽しみました。

・セカンドを歩く堀川さんの歩きがとても早くトップを歩く五十嵐さんが煽られっぱなしで予定より20分も早く最終の第7のピーク草戸山に到着、ゆっくりと昼食を摂りました。・草戸山から高尾山口までは小さなアップダウンを繰り返しながら緩やかに下っていく長いコースでしたが、いつの間にか堀川さんがトップになってパーティをリードし快調に高尾山口まで下りました。

(編集子)今回は別報した通り、メンバー(当会第二代世話役)堀川義夫君の100名山登頂を祝して、二次会において記念のプレートを贈呈した。次はだれになるか、興味深々である。ホリ、おめでとう!

関谷君報告原文にある ナンヤカンヤ会 というのは ナンカナイ会という光輝と栄誉ある(実社会ではときどき不都合に遭遇することもあることを体験ずみではあるが)名称の誤記であることを付記。本件は同氏あて配達証明つきにて訂正を申し入れ済み。

尚、写真は多数寄せられていて掲載が困難であるので、参加者には撮影者から送られているグーグルファイルをご参照されたく、本稿には代表例のみを転載させていただく。

(久米)斉藤氏の素晴らしい写真集も楽しく拝見いたしました。やはり「南高尾7サミットコース」楽しそうですね。参加したかったです。でも体力に自信が無くて琵琶滝コースを歩きました。

永遠の少年、保谷野氏と、ずん六植物学者と教養深い山行を楽しみました。まだまだ夏の花も残っていてシュウカイドウなど見事な花を見ながら、ずん六先生の解説付き和歌まで飛び出して「自然教室」に参加しているような気分の中々教養深い山行でした。行き交った保育園の生徒達小学5年生、皆驚くほど元気で励まされました。

天狗の飲み会も無事スマホが見つかったこと、堀川さんの100名山達成のお祝いと楽しい会でした。色々お世話になりました。

 

 

仲秋の名月     (34 小泉幾多郎)

18時18分撮影

9月29日(金)は中秋の名月。マンションのベランダからスナップしました。

今日金曜日のNHKBSP13時からの映画、西部劇にあらず、日本映画「白い巨塔」で、NHKも遂に西部劇にお見限りかと懸念したが、金森さんの映画放映予定で、再放映が多いものの金曜日は西部劇が続くようで、取敢えずひと安心 でした。

20時15分撮影

(安田)見事な中秋の名月・満月の写真、ありがとうございます。僕も自宅から堪能しました。次の中秋の名月が満月になるのは7年後の2030年とのこと。

国立天文台の情報によれば:

そもそも「中秋の名月」って何?
「中秋の名月」は、旧暦(太陰太陽暦)8月15日の夜に見える月のことを指します。旧暦は新月が必ず月初めになり、約15日かけて満月を迎えたのち、また約15日かけて新月になるまでを1カ月と数えます。
しかし正確には、15日目に満月になるとは限らないのだそうです。月の公転軌道が楕円形をしているため、新月から満月までの経過日数は13.9日~15.6日と大きく変化します。そのため、必ずしも十五夜に満月が見られるとは限らないんだとか。

(編集子)名月が名手のレンズに収まった2023年10月29日18時18分、小生はお湯割り焼酎がすぎて正体のなくなった吉牟田をタクシーごと夫人に引渡していました。世田谷区新代田駅上空にも名月はさえわたっていたんでしょうな。   嗚呼、人間のなんと矮小なる、なんて顔つきで。

(保屋野)一昨日は、ほとんどダメでしたが、昨日は(少しゆがんではいましたが)雲間に奇麗に見えました。

月は地球と比べて、直径が1/4、体積が1/100で、もし月が無かったら地球の自転速度は8時間/1日で、強風が吹き荒れる、かなり厳しい環境になっていたそうです。当然、潮の満ち引きもなく、生命の進化に大きな影響があったでしょう。

なお、月をテーマとした楽曲も多いですが、愛好会で話題になった、ドボルザーのオペラ、ルサルカ「月に寄せて」やミーナの「月影のナポリ」を思い出します。ピアノ曲では、ベートーベンの「月光の曲」、ドビッシーの「月の光」でしょうか。日本では、「炭坑節」や菅原都都子の「月がとっても青から」「月の砂漠」「月」、「花かげ」・・まだまだありそうです。

(豆知識)下弦の月

 半月には上弦、下弦の月がありますが、(左が弦の)上弦の月しか見たことがないので不思議でした。ネットで調べたら、下弦の月は、真夜中に上って明け方に南中し昼間沈む、とありました。寝てる時間なのであまり見ないのですね。

(河瀬)小泉さんを見習って昨夜私も自宅の庭から写真を撮ってみました。月は薄雲が出ている方が情緒がありますね。月がなぜか(満月を過ぎたためか、カメラの歪みか?)まんまるになっていないのです。カメラが良くないので解像度がイマイチなのですが、ご笑覧ください。

乱読報告ファイル (44) 逢坂剛 イベリア・シリーズ

先日、エーガ愛好会のテーマで ”戦争もの” について触れたときに書いたが、小生は第二次大戦の欧州戦線のことについて興味を持っている。そして映画化された原作を史実をできるだけ忠実に描いたもの、史実を認めたうえでのフィクション、史実とは関係なく時代的背景だけを借用したフィクション、という風に勝手に分類したのだが、この2番目にあたる作品群は物語そのものの面白さを通じて知らず知らずのうちに歴史的事実を明らかにしてくれるという意味で、手軽な歴史教科書でもある、という事を改めて感じたことを報告したい。

欧州戦線を描いた映画は数多くあるが、そのほとんどが戦場や戦闘に参加している国々での話であって、結果として地理的には欧州本土での筋書きになる。そう考えてみると、永世中立国を宣言したスイスは別としても、欧州の主要なメンバー  であるはずのスペイン、あるいはポルトガルはなにをしていたのか、どういう立ち位置にあったのだろうか、という事はほとんど出てこない。特にスペインは熾烈な市民闘争をへてフランコの独裁政治を実現したのだが、その過程でドイツの武力を借りた(有名なゲルニカ空襲の話がいい例)わけで、ドイツにもっと肩入れしてもおかしくはないし、することにも独裁制であるからフランコ一人の決断でできたはずだ。ルーズヴエルトが真珠湾攻撃を事前に知っていながらあえて放置し、あたかも日本の卑怯な奇襲であると思わせて国民の憤激をあおり、大戦への参加を米国民に納得させたというような必要はなかったのだ。

逢坂剛という作家はデビュー作 暗殺者グラナダに死す 或いはその次のヒット作 カディスの赤い星 という二つの作品でスペインでの生活体験を生かしたすぐれた冒険小説を書き、現在は矛を転じて日本の警察組織を背景にしたシリーズ物を書き続けている。僕が大好きだった(不幸、最近病没した)原尞が出版社泣かせの寡作家であったのといい対称の多作家である。僕は上記2冊を読んだ以外、この量産ものには多少辟易していて一切読んでいないのだが、その間を埋めるのがイベリアシリーズ、と言われる連続性のある作品群で、現在までに イベリアの雷鳴 遠ざかる祖国 燃える蜃気楼 暗い国境線 鎖された海峡 という5冊 が出ていて、その延長線に 暗殺者の森 という作品がある。

このイベリアシリーズは、日本軍参謀本部の密命を帯びてスペインに宝石商を装って滞在する主人公が途中からは敵国になってしまう英国・米国の情報部、スペインが中立であったために同じ場所に居合わせるドイツの情報機関、反フランコ地下組織、などととの間で交わす情報戦の形をとっている。実在の人物としてはスペインの独裁者フランコをはじめ、ドイツ情報部(UPWEHR) の司令官カナリス提督(のちヒトラー暗殺にかかわったとして残虐に処刑された)、冷戦下で英国を裏切ったダブルスパイとして我々も名前だけは聞いたことがある英国のスパイ キム・フィルビー、日本の須磨弥吉郎駐スペイン大使やドイツびいきで結局日本を窮地に追い込むことになった大島浩駐ドイツ大使、ジャック・ヒギンズ大戦秘話ものに度々登場するドイツ軍の切れ者ワルター・シュルンベルク(反ヒトラーであったらしく大戦中のいくつかの人道的な行為が認められて戦犯に問われなかったという)などが出てくる。断片的に知っているひとりひとりにかかわるエピソードなどが出てくると嬉しくなるのもこういうカテゴリの魅力だ。

各編の内容の紹介はしないが、”イベリアの雷鳴” は反フランコ市民によるフランコ暗殺計画、”遠ざかる祖国” は三国同盟という歴史的なミスに引きずられて大戦に参加することになる日本への視点、”燃える蜃気楼” は真珠湾からミッドウエイに至る経緯、”暗い国境線” は大陸への侵攻作戦の準備建てとして実行され、最近映画にもなった英国のミンスミート作戦、”鎖された海峡” ではノルマンディ侵攻の前後、”暗殺者の森” はヒトラー暗殺計画、などが背景になっていて、今までの教科書的な知識の限界を越えて欧州社会での反応を異なった視点から考えることになる。

身近なことでは日独伊三国同盟の裏側とか、米国を大戦に引き込むために英国が裏では実は日本の参戦を期待していたとか(それだけに英国最新鋭の戦艦プリンスオブウエールズが日本海軍によって撃沈された時、チャーチルの狼狽は大変なものだったらしい)、日本の公式暗号が解読されていたという事実(ドイツの暗号エニグマを解読した話―先にイミテーションゲームというタイトルで放映された英国情報部の成功が特に有名だが)、日本側戦線の帰趨をきめたミッドウエイでの敗北もまた暗号が解読されていたからだという話をあらためて知ることができる。

情報戦、という単語は最近よく聞くが、当時はコンピュータも偵察衛星もなく、もっぱら人的リソースによる、いまでいう HUMINT 合戦であることが魅力でもある。背後には上記したフィルビーが実例だが、ダブルスパイ、という存在がある。欧州では人種国籍の異なる人間との接触は日常のものであり、日本の様な単一文化の下では想像しにくいのだが、一国のスパイを捕縛してその安全を保障する代わりに逆スパイに仕立てる、という行為が現実性があるようだし、事実、国を挙げてそれを実現したのが英国であった。このことは大分以前、本稿でも紹介したがその実情を細かに記述した Double Cross という本もある。

太平洋戦線で言えば、破竹の勢いだった日本海軍のエース、山本五十六が基地視察に出たところを待ち構えていた米軍機に撃墜され、これから前線の士気は落ちていくのだが、これはスパイとは関係なく、現地部隊間の連絡通信が傍受されたからだと判明している。この悲劇もまた、情報戦の結果だと言える。

本シリーズのような形式の本にはほかにも同じようなスタイルで僕の興味を引いたのがいくつあるが、中でも日英条約のことを扱った伴野朗の 霧の密約 などは重厚な記述が魅力の一冊であった。三国同盟が日本を壊滅に追い込んだのだが、もし、日英同盟が当初の目的通り機能したら、我が国の運命はずいぶんと違っていただろう、と今更ながらに感じる一冊だった。

此処で紹介した本はいずれも現在の書店店頭で探すのは困難だが、例によってアマゾンを辿れば中古、でたやすく入手でき、しかも同社のレーティングで良い、非常に良い、などとされているもの(写真の5冊のうち3冊がそれ)はほぼ新品同様で価格は150円であった(新刊時の価格は例えば2300円)。

いま天下はロシアとウクライナの騒動で持ち切りだが、エレクトロニクスの粋を極めた情報戦の陰で、HUMINT は生き続け、SNS だ AI だというような新兵器を通じて、なお活動し続けるのだろうか。

(ウイキペディア記述)

ヒューミントとは、人間を媒介とした諜報のこと。合法活動や捕虜の尋問等も含み、スパイ活動のみを指すわけではない。外交官や駐在武官による活動をリーガル、身分を偽るなど違法な手段で不法に入国しての活動をイリーガルと呼ぶ。

 

 

合掌・ダークダックスーされどわれらが日々

(飯田〉ダークダックスの愛称ゾウさんの遠山一さんが9月22日に93歳で亡くなりました。これでダークダックス4人が全員、鬼籍に入ったことになります。

パクさんの高見澤宏さんが2011年(77歳)に、ゲタさんの喜早哲さんは2016年(85歳)に、同じ年にマンガさんの佐々木行さん(89歳)が亡くなりました。

いつも穏やかな唄い口で、茶の間に灯を送り続けた65年間の活動歴で、同一メンバーによる最長寿ボーカルグループとして、ギネス世界記録に登録されたりグループとして紫綬褒章を授与されました。全員が慶應義塾大(経済学部)出身のダークのヒット曲は≪ともしび、カチューシャ、トロイカ、雪山讃歌、北上夜曲、森の熊さんなどですが、何んといっても銀色の道≫が良かった!!

https://www.youtube.com/watch?v=y-8ENWr8GTI

(船津)グループ誕生間もない頃銀座ヤマハホールとか慶早戦前夜祭などで熱心に拝聴致しました.未だ若いと想ったら全員鬼籍に入られたんですね。

(保屋野)ダークダックスの「銀色の道」、久しぶりに聴きました。やはり素晴らしいですね。ただ、私は、ダークダックスの最大の功績は、ロシア民謡を日本人の愛唱歌にしてくれたことではないでしょうか。

3大ロシア民謡の「ともしび」「カチューシャ」「トロイカ」の中では「リンゴの花ほころび川面にかすみたち・・・」のカチューシャが好きですがあまり知られてませんが「すすらん」も良い曲ですね。最近は「純烈」何かが人気があるようですが、ダークダックスのハーモニーは不滅だと思います。

(河瀬)懐かしのダークダックス、私たちの時代の4人の哀愁を込めた歌声を、飯田さんの誘導でつい2時間も聞いてしまいました。

「銀色の道」をカラオケで歌うと、決まって仲間がゾウさんの「ぼ、ぼ、ボン」を入れるのを思い出します。そのゾウさんも他界されてしまいましたか。
日本の歌の名曲とロシア民謡はともに哀愁を帯びていて、私の時代にはとても心を惹かれたものです。「雪山賛歌」は我々山男がよく歌ったものです。今日は見事なお月見ですね。「テントの中でも月見はできる、雨が降ったら濡れればいいさ」を思い出しました。そのほか「大牧場はみどり」や「遠くへゆきたい」「エーデルワイス」など、山で歌ったものです。「リンゴの花ほころび」で始まるロシア民謡のカチューシャは日本の歌と間違えるほど日本民謡化しています。保屋野さんが言うようにこれもダークダックスの功績なのでしょう。ダークは直立不動ながら、ちょっとしたしぐさや表情を見せてそれがいいところでした。当時はデユークエイセスも加わって「月の沙漠」などがヒットしましたが、やはりダークの「ともしび」「北上夜曲」など、4人のテノール バリトンバスの揃った歌心に答えるコーラスが最高でしたね。これほど声が揃った正統なグループサウンズは二度と現れないでしょう。

(金藤)小学生の時から、ダークダックスの歌をよく耳にしてきました。私は優しそうな低い声のゾウさんが好きでした最後のお一人ゾウさんも他界されてしまい残念です。スリー・グレイセス、覚えています。子供心に、日本では珍しい歌の上手な女性グループだと勝手に思っていました

(編集子)船津兄の話と相前後しているのだと思うのだが、我々が高校を卒業する機会に、卒業生が集まる機会があったが、一貫教育校のために、大学の卒業式典以外のいわば中継点では、学校では形式的な行事以外、お祝いイベントはあまり積極的ではない。そうはいうけど、おめえよお、なんかやろうじゃんか、というはねっ返りがいたんだとおもうのだが、とにかく、場所も覚えていないが数百人が集まる会があった。その席での司会というか、進行役を小生がつとめることにあいなった。高校生といえどもエンタテインメント界には強い連中(当時のおおまかなくくりでいえばその多くはいわゆる軟派)にそそのかされて男気を出して出たはいいが、(次はダークダックスの番)とプロンプトされてもそんな名前に聞き覚えはなく、ましてメンバー紹介で躓いた。コーラスが終わった後、マンガさん(誰だったかなんてその時は知る由もなし)に呼びつけられて、おめえ、先輩が来てるんだ、名前くらいおぼえとけ、と脅かされたことがある。亡兄も彼らと同期だったはずだが、うん、あんなのたしかにいたよなあ、という程度だった。その後もダークのコーラスはいやというほど聞いたがおれの佐々木先輩の印象は改善しなかった。

ついでに思い出したのだが、このほぼ1年後, 高校卒業生のあいだで実施された行事があり、高校時代にホーケンと呼んでいた放送研究会のワルから、おめえ、頼むから即興劇場ってえのに出てくれ、と頼まれた。売り出し中の女優が来て、ジュリエットの有名な場をやるんだがロメオをやるやつがいねえんだ、頼む、と言われて出てみた。此処でもへえ、こんなお姉さんがユーメイなんかあ、という程度で一応セリフは無事にこなして、ホーケンからは感謝された。その人の名前は黒柳徹子、というのだが。

ウイキペディア解説 ”銀色の道”   NHKの『夢をあなたに』(『夢であいましょう』の後継番組)から誕生し、2グループの歌手の競作となった。最初にダークダックスがテレビ番組で発表したが、レコードキングレコードからザ・ピーナッツが先行して発売(シングル「ローマの雨」のB面曲)し、やや遅れてダークダックスも同じキングレコードから発売(シングルA面曲)した。『NHK紅白歌合戦』では、ダークダックスが1966年の第17回に歌唱した。現在でも両グループのCD全曲集に収録されることの多い楽曲である。

 

秋のたより、かなあ (HPOB 金藤泰子)

酷暑の日々からようやく朝夕は涼しさを感じるようになりました。
今年の都心の真夏日は9月20日(水)現在で、88回目の最高気温30℃以上の真夏日続出、その後も年間真夏日の日数が過去最多記録を更新中だそうです。
小泉さんの撮られた百日紅(サルスベリ)の花、綺麗な色でしたね。
隣家の百日紅は花がだいぶ減ってきてはいますが今も咲き続けています。 百日紅は家の近くでは真夏に花をつける数少ない花木です。 100日間は花をつけませんが毎年楽しませてもらっています。
そういえば、毎年夏の夕方、外の植木鉢の草花に水遣りをする間に蚊に何か所も刺されていたのですが、この夏の暑さには蚊も まいっているようで、3回位しか刺されていません。 夏の始めに1・2匹 その後は先日1匹やっつけました💪🏻
草の陰に顔を見せていたカナヘビも今年は見かけませんが、新顔が現れました。 尻尾が長いメタリックのような青のヒガシニホントカゲでした。 このトカゲは動きが素早く一度見たきりです。
撮った写真を載せようと思いましたが、爬虫類は嫌いな方もいらっしゃるかもしれませんから、やめておきます。
天気予報では木曜に、また33℃になりそうな事を言っています (・・;)
その後は秋めいてくるようですから、もうひと頑張りですね。
9月29日(金)は中秋の名月だそうです。

コロナとインフルエンザ同時流行について    (34 船曳孝彦)

新型コロナウィルスCOVID19患者が増加しています。

1日1万6千を超えており、第8波のピークに近い数値です。しかも定点観測からの推計であり、世の中の意識はコロナをすっかり卒業してしまっており、制約もかなり弱いことから自分で有料の検査を受ける気の全くない人ばかりです。従って本当はもっと多いものと考えざるを得ません。しかし政府は体面からでしょうか第9波と認めません。

実際私の周囲でも、感染者は頻発しており、皆さんの周囲でも同様でしょう。私の参加した会合でも2回陽性者が出て、私は濃厚接触者でしたが2回とも陰性で事なきを得ました。今回のコロナは、EG5通称エリス株というオミクロンXBB.1.5からの新変異種が4割を占めるようです。感染力は一層強いようですが、どうやら重症化度は低いようです。

しかし大変なことにインフルエンザとの同時流行が起こっていることです。前期の会合でもコロナとインフルが同時に発病しました。インフルエンザがこの時期としては未曽有の高陽性率で、この3年間流行が下火だったことで国民の免疫が低下しているのではないか、海外から新たなVirusが入ったからではないか、など議論されていますが、感染防止法はコロナと同じですので、罹らないようご注意ください。

コロナにもインフルにも、それぞれワクチンが大切です。新変異株に対する防止力は未知ですが、今回ワクチンはBB.1.5.に対応する新しいワクチンですから有効性期待大ですし、重症化防止に有効です。私も既に7回目を受けました。

10月からはコロナ医療支援が縮小されます。高額治療薬が全額公費だったものが一部負担に、入院費補助の限度が2万円から1万円に、医療側には病床確保料が8割に減額、診療報酬も来年減額します。

やがてコロナはインフルと全く同様の扱いになるものと思われます。 コロナ以前に在った社会生活は復活させねばなりません。家に閉じ籠らず、十分な対策をしつつ自由に他人と逢い、活発な健全な生活に向かいましょう。

エーガ愛好会 (232) ロスト・キング  (HPOB 小田篤子)

昨日お墓参りを済ませ、午後の回の1時間前に行ったのですが、月曜だというのに”満席” でした!仕方なく本日午前中の席を予約して行ってきました。
8割位はうまっていたように思います。
私も飯田さんほどではありませんが、「あっ!」と思った記事?を時々切り抜いています。この映画は添付の記事を題材にした実話でした。(新聞の死亡記事を題材にしたと言うElvisのHeartbreak Hotelを思い出します?)
2人の男の子の母親のフィリッパ(Sally Hawkins)は持病や年齢で昇進できず落ち込んでいました。ある日シェークスピアの「リチャード3世」を観、本当にそれほどの悪人だったのか?と疑問を持ち、歴史書を読みあさります。そして、買った本にはさまれていた、”リチャード3世協会”に入会。遺骨が未だ発見されていない事を知ります。
色々調べ協力を得て、ついに、今は駐車場になっている場所で《R》=reservedの文字を偶然見つけ、この下では…とひきつけられていきます。
歴史家でもなかった主婦が 信念を持ち、突き進む姿に感心しました。
私が英国の歴史を少し知ったのは、前にも述べましたが、(河瀬さんが奥様と写っていらした)コッツウォルズの《シュードリー城》にたまたま寄り、ちょっと怖い”ヘンリー8世と6人の王妃”のマトリョーシカ人形を買ってからのことです。
(編集子)このリチャード三世が世に伝わる悪人ではなく、実は優れた王であった、ということをたまたま病気で入院した名探偵が友人の力を得て立証する、という英国ミステリの傑作が ジョセフィン・ティの 時の娘 である。この作品をきっかけとして、ベッドサイド・デテクイブというコトバが生まれた。日本では高木彬光が探偵神津恭介を入院させて、この時の娘、に挑戦する、という小生お気に入りの一作が 成吉思汗の秘密 である。神津の結論は、成吉思汗は実は生きながらえた源義経だった、という事になった。小生はこれを信じているのだ。

(ウイキペディア解説)

時の娘』(ときのむすめ、The Daughter of Time)は、ジョセフィン・テイ作の長編推理小説。グラント警部シリーズの一作で、1951年に発表された。悪名高い15世紀のイングランドリチャード3世の「犯罪」を、現代の警察官が探究する。テイは本書出版後間もなく没しており、本作が作者存命中に出版された遺作となった。テイの代表作と呼ばれる本作は、探偵役が歴史上の謎を解き明かす歴史ミステリの名作として、またベッド・ディテクティヴの嚆矢的作品として知られる。

日本語版の翻訳権は早川書房が独占所有する。1954年に村崎敏郎訳でハヤカワ・ミステリから刊行、1975年に小泉喜美子訳でハヤカワ・ミステリから刊行、1977年に小泉訳でハヤカワ・ミステリ文庫から刊行された。

(小田)ありがとうございます。「時の娘」是非読んでみたいと思います。

追加情報ですが、協会仲間達のクラウドファンディングによる協力、その他で遺骨を発掘したフィリッパ·ラングレー(1962生まれ)は、2015年にエリザベス女王から勲章を授与されています。リチャード3世も名誉を回復され、英国王として認められました。

百名山登頂完遂!   (39 堀川義夫)

2023年9月24日(日)100名山100座目の高妻山に登頂し、15歳で丹沢(塔ケ岳)登頂以来、途中26歳から46歳までの20年間のブランクがありますが、82歳の今日まで足掛け67年かけて100名山を制覇することが出来ました。67年も掛って制覇したのは、最長期間記録では無いかな(笑)・・・?? そもそも深田久弥の「日本100名山」は1964年(私の大学卒業の年。東京オリンピックの年)の発刊です。従って、学生時代には縁がありませんでした。

46歳で登山やスキーを再開したころは、深田久弥の100名山をバイブルにして、中高年の登山ブームが始まっていました。私も一時期、100名山を意識して数座を登りましたが、直ぐにこれは違うのではないか? 好むと好まざるともやみくもに山に行くのは良しとはせず、同じ山でも自分の好きな山に四季折々行く方が私は好きなんだ。という意味で100名山を意識しなくなりました。

2020年の夏のことでした。ある山友に100名山完登まであと幾つですかと聞かれ、改めて登った山の数をカウントするとなんと85座もありました。79歳の時でした。それからは100名山制覇を意識し、積極的に行くようにしました。86座目以降に行った山は次の通りです。15座登頂に3年を費やしました。

2020年7月 火打山(86座目)妙高山(87座目)

2021年5月 久住山(88座目)祖母山(89座目)7月 幌尻岳(90座目)11月 剣山(91座目)

2022年4月 伊吹山(92座目)5月 恵那山(93座目)荒島岳(94座目) 6月斜里岳(95座目)

7月 雌阿寒岳(96座目)

2023年6月 岩手山)(97座目) 7月 早池峰(98座目)雨飾山(99座目)高妻山(100座目)

 

100座目登頂記

2023年9月24日(日)前日から長野入りし善光寺に登頂祈願し、当日は最高の天候に恵まれ、婿(二女の夫)と孫(長女の長男)そしてKWVの10年後輩の丸満さんを従え、いいえ、付き添われて出発しました。登頂までは何とかコースタイムに近いペース(5時間少々)。で登ることが出来ました。頂上で記念撮影をしていると周辺の方々から温かい拍手や「おめでとう」の言葉にもう少しで涙がこぼれそうになりました。   下山は最悪でした。最近は下山に想像を超える時間を要するようになってしまいました。情けないほうほうのていでバテバテになり、途中意識朦朧になりそうになりながら、12時間を超える山旅をやっとの思いで何とか無事に終えることが出来ました。

婿の譲さん、孫の裕也、後輩の丸満さん。本当にありがとうございました。心からお礼申し上げます。100名山完登で一区切りがつきました。これからも、自分の体力に見合った山旅を楽しんでいきたいと思っています。お世話になった多くの方方に感謝、感謝です。ありがとうございました♪

高妻への登り

懐かしい顔です  (34 小泉幾多郎)

安田さんから尾白川渓谷遡行の記事に、船津さんの清涼感満点と保屋野さんお西沢渓谷とのメールを拝見。大分昔のことですが、歩いたことを思い出し、メールを書かないではいられなくなりました。

あれは今から12年前の2011年7月28日、安田君同様、二人で、ご存知?KWV同期の矢郷君と自家用車経由で行ったことを昨日のように想い出しました。当時は、KWV34年卒は、年間行事として、新年会、お花見、納涼会、忘年登山を持ち回りでやる決まりがあり、その年も忘年登山として、2011年11月23-24日西沢渓谷を歩いたのでした。三人の文章を読むと当時のことが思い起こされます。まあ当時と似たような年齢?小生今歩こうにもチョットムリのようです。

歩くのは今のうちです。大いに歩き回って下さい。 素晴らしい滝の写真思い出されます。西沢渓谷の集合写真がありましたので巻頭に紹介させてもらいます。。合計参加人員16名、うち奥方2名、先に逝ってしまった仲間5人もいるのには、今更ながら残念。

(編集子)小生などから見れば、一番怖かった 鬼の三年生 先輩各位、いろんなことが次々と思い出されます。まさに ブリック なんかで歌った歌の文句どおりですね。

 

彼岸に思い出すことなど

KWV同期の仲間で、月に一度、高尾山くらい歩こうぜ、と気楽にはじめた “月いち高尾” という行事が、1年も続けば上出来、と思っていたのに後輩の年代からうわさを聞いて参加してくれる人が増え、いまでは言い出しっぺの我々(昭和36年度卒)とは現役時代会うこともなかった ”若い“ 諸君が主力となり、毎回参加が増え、リーダーも僕らの用語でいう ”50年代“ に移ってOB仲間の交流の場として定着した。僕らKWV卒業生にはOB会の存在が何よりのものだと改めて感じる。

この種プランでもちろん欠かせない二次会、その定番となったJR高尾駅南口にある 天狗飯店、通称テング、は中華料理店、といいながら日本蕎麦からデザートまで豊富なのだが、そこで壁に貼られたメニューを冷かしているうちに “汁粉と と ”ぜんざい” はどう違うか、という議論になったことがあった。居合わせた40年卒、通称 “あいちゃん” こと藍原瑞明君が律儀にこの事情を調べてこのブログに投稿してくれたことがあった(2018年1月21日付本稿)。大体がのん兵衛仲間で出来ているプランでこの種の話題自体、珍しいのだが、日ごろからのほほんとしている(ように見える)”アイちゃん” の意外な几帳面さを発見して一同感心したものだった。

さて浮世はお彼岸とあって、9月20日付け読売新聞のコラムに彼岸のお供え物に関する記事が掲載された。その書き始めに、・・・・ぼた餅かおはぎか、和菓子として同じものだが・・・・とあったので、この汁粉ぜんざい論争?を思い出したというわけだ。新聞記事の中でもこの種のコラムを書く人は論説(社説)を担当する人が其の新聞の表の顔とすれば、裏の顔と言われるくらいのベテランであるのが通例である。読売でここを担当しておられる方を存じ上げているわけはないのだが、たびたび心に響く記事を多く拝見したり、なるほど、そういうことかと納得することもたびたびある。

今回の記事は彼岸にちなんだ話で、それによると、この時期に登場することが多いぼた餅は春に咲く牡丹、おはぎは秋に咲く萩の花にちなんだもので、江戸時代には同じものを夏には 夜舟、冬に 北窓 と言ったそうだ。餅米を突かず、つぶして作ることから “着き知らず” の夜舟、寒いときにはこれを ”月知らず“ の北の窓、としたという。コトバ遊びかも知れないが、なんとも優雅ではないか。正岡子規は “梨腹も牡丹餅腹も彼岸かな” と詠んだそうだ。

小生この肝心の彼岸、という行事にいままであまり関心をもったこともないし、父母の墓参りもろくにしていないのだが、(そういえば彼岸だなあ)と気がつけば、ここ数年の間に申し合せたように彼の岸にわたってしまった幾人かの友人のことがなんとなく心に浮かぶ。季節もうつり替わるこのころ、日本という国のもつ優しさみたいなものを感じている。

あすあたり、夜舟、でも買いに行こうか。