前回は、ケシの果実から、アヘンが作られ、精製されてモルヒネ、
砂糖の起源は、
紀元前334年から始まったギリシャのアレクサンドロス(
イスラム世界では、イブン・スィーナーという哲学者が、
11世紀のキリスト教世界でも、トマス・
こうして、砂糖の需要が高まってゆくなかで、新大陸が発見され、
やがて砂糖・紅茶大好きなイギリスでは、
砂糖を飽食した者たちは、
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
前回は、ケシの果実から、アヘンが作られ、精製されてモルヒネ、
砂糖の起源は、
紀元前334年から始まったギリシャのアレクサンドロス(
イスラム世界では、イブン・スィーナーという哲学者が、
11世紀のキリスト教世界でも、トマス・
こうして、砂糖の需要が高まってゆくなかで、新大陸が発見され、
やがて砂糖・紅茶大好きなイギリスでは、
砂糖を飽食した者たちは、
わがマンションから眺めた中秋の名月。シャープには撮れてません
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(編集子)8月末にPCに異常が起きた。ACアダプタを使用しているのに、バッテリの充電不足なのでACアダプタを使え、というメッセージが出てきてしまう。何かいやな予感がして例によってPCデポに持ち込んで相談したら、何のことはなくアダプタのプラグを受けるジャックが壊れているけだが、これはメーカーでないと治せませんとのこと、やむを得ずメーカーに依頼してもらったのだが、なんと修理代の見積もりができるまで10日かかり、OKしてからさらに2週間かかってしまった。その間、メールだけはアイフォンで応答してきたがなんとも不便を感じていた矢先、ブログをご覧いただいていた一部の方から、何かあったのかとお問い合わせをいただいたりしてしまった。ここのところ、同期生の何人かが相次いで不帰の客となっていて、(?)と思われたのかもしれない。
このままだと弔電が来るかもの知れないと焦っていたら、今朝、連絡があって早速取り返してきた。ご迷惑をおかけした段、お詫び申し上げる。このひと月の間、数々のご投稿をいただいたので、その中から取り急ぎ、ご紹介をさせていただくことにしたい。とりあえず、遅ればせながら秋の季節感を。
なお、ご心配をおかけしたが編集子本人は心身(身のほうは多少怪しくなってきたが)ともに元気で、依然減らない体重だけが悩みであります。
新型コロナ肺炎(最近の病態は上気道炎と言った方がよいかもしれない)第7波は、夏休み・お盆の影響もあり、衰えを知らない高止まりの状況が続いています。おそらく皆さんの周りでもそうだと思いますが、いまや身近に感染者が発生しているのではないでしょうか。前報時には60~70%が感染しているのではと書きましたが、今や50人に1人以上ではないかと思われます。後述しますが、これから先はこの見当もあやふやとなってしまいます。
世界的に大きな波だった第5波の倍以上に大きな第7波ですが、欧米ではそれほどの大波ではありません。第7波の大部分はオミクロンBA-5亜株ですが、BA-2.75亜株が出てきました。感染し易さはBA-2と比べBA-2.75は1.36倍(BA-5は1.19倍)です。いずれBA-2.75が大部分を占めるようになるでしょうが、現在のシェアは明らかではありません。幸い致死率が高いとは言えないようですが、総数が増えれば医療逼迫に直結しますし、死亡総数も増えます。現在のコロナ問題は多岐にわたり、重大な危機にあります。一言でいえば戦後日本の目標だった【科学立国】の崩壊元年となりそうだということです。
医療逼迫が現実問題として危なくなってきました。医療関係者への4回目のワクチン接種が遅れたことと、爆発的患者数増加で、医師、看護師、その他医療従事者の感染などにより、千葉大では2800名中109名( 4 %)の職員が欠勤したといいます。
医療逼迫のもう一つの原因が➊病床確保と運用です。これは政治家の発言では必ず出てきてはおりますが、実体を伴っていません。日本の病院数、病床数は世界で最も多いのですが、1病院当たりの医師数は先進7か国中最も少なく、看護師数も最も少ないのです。小さい病院が多いことも影響しています。では大病院が総動員体制で入院させているかと言えば、そうでもありません。❷国立大学病院で積極的に入院治療しているのはごく僅かで、公立・公的病院の4割が入院させていません。中小の私的病院が軽快者、無症状者をどんどん受け入れてくれればいいのですが、現実問題として感染/非感染のゾーニング(接触しないよう分離)やスタッフの問題、さらに重症化した時の大病院への転送困難などで、ごく限られた病院しかできません。➌患者の流れが未だに確立していません。国の方針として自宅療養を積極的に進めていますが、第5波の時にも問題化していたのに、患者数が倍増しても対策は取っておらず、重症化しても救急車にて運び込む病院がなく死亡した人が出ました。患者コントロールは国、自治体の責任です。
次に検査体制の問題です。❹発熱外来の大混雑で屋外の検査となり炎天下で検査待ちして熱中症患者が発生しました。政府はいたずらに患者数を増やすだけという理屈の通らない理由で、❺一貫してPCR検査を嫌っております。
患者数激増に対応するため、疑わしい時には抗原検査キットを薬局で購入し、❻自己検査で診断するような方針を打ち出しました。問題噴出です。先ずキットの品不足です。十分量用意してあるといいながら現場では足りていません。次に陽性となった場合の受け皿が用意されていません。重症化する可能性を持ちながら、入院先の補償なく自宅療養する不安を強いています。第3に、症状が無かったり軽かったりすれば、出来れば入院したくないのが人情です。コロナ患者は社会的にも阻害されるため、陽性だったことは伏せておこうという人が続出する可能性があり、このような疫病(伝染病)においては、あってはならないことです。総数把握の上からもザルの目となって抜け落ちてしまいます。なお、唾液による抗原検査は、経験から使い物にならないものと思います。薬局では市販しておりません。7月時点ではぬぐい液検査キットは入手出来ませんでした。
最大の問題は疾病対策の基本である❼『感染者総数把握』を放棄することです。首相がこの放棄を断念するよう、また最終判断を自治体に丸投げするなど、全く信じられません。パンデミックな大疫病の最中に、患者数が掴めないなどという事態は三流国、四流国と見做されます。日本政府は戦後に目標とした科学立国を否定してしまうのでしょうか。なぜこうも非科学的、否反科学的政策を進めるのでしょうか。私は断固反対を叫びます。医療逼迫が原因だから、医師の負担軽減のためという理由も筋が通りません。医師の一部には全数把握放棄を主張する医師もいますが、彼らは公衆衛生学、疫学を再勉強すべきです。
何時もながら畏友黒木博士に教わった[COVID-19 TK-File(42)]現在の➑「新型コロナウィルス感染症発生届」を見てみると、届け出時に不要な項目、詳し過ぎて手間と時間の無駄の項目、感染原因、感染経路など分からない項目、1回目からのワクチン接種年月日など、患者、医師ともに大きな負担になっていることが分かります。黒木氏が提案しているような、簡略化、デジタル化で、届出書記載の手間は数分の一になると思われます。
東京都のコロナ患者さん数は多少ですが、減少傾向に向かって来たでしょうか?さて、世間は統一教会問題とともに、日本のコロナ患者の数を従来通り「全数把握」で続けるか、「定点把握」という新しい方法に切り替えるかの問題と、コロナをインフルエンザなどと同じ5類感染症とするか, 2類にとどめおくかでもめています.
私はまだ2類にとどめ置き、かつ少々形は変えても、「全数把握」を続けるべきだと思っています。政府は「定点把握」といって、いくつかの大きな病院でのみ新コロナ患者数を算定し、全体の数はそれから類推する方法を取りたいようです。たしかにこの方法は、新しいコロナ患者の詳細に関する面倒な記入の為に、診察時間終了後、莫大な労力を強要されている小さな病院・医院にとっては朗報です。一人の患者さんのデータを入力するために今のままでは30分以上かかるからです。しかし、新規発症コロナ患者さんの数をある程度、正確に知ることは、今後のコロナ対策にはまだ必要でしょう。それよりも、余りに詳しい現在の書類形式を廃止して、新規患者さんの数、各年齢、性別、診察時の状況、合併症の有無だけの記載にすれば、記入に要する時間は多分、10分の1になるのではないでしょうか? 政府や厚生省・保健所の言い分は、書式を変えるのに抵抗のある何時ものお役所仕事の一環であると思います。
5類・2類の問題も、2類の今のままなら患者さんは無料で検査を受け、治療が必要ならまた無料で受けられます。しかし5類に分類されるようになると、高価な薬も入院費も全て保険でまかなわなくてはなりません。お金のない人は死んでもらおうという考えになることを心配しています。
多分、現在発表になっているコロナ患者総数は、本当は氷山の一角で、実際の患者数はもう3-5割ぐらいは高いと、私は考えています。多分無症状ないし軽症の患者さんたちは、面倒だからと正しい診断を受けに行っていないのではないでしょうか?皆さんの中にも、ここ1-2年の間に、微熱が出た、一寸咳や鼻水が続いた、喉に何となく違和感があったなどという方は何人もおられると思います。その中には、いわゆる無症候性コロナ患者さんが混じっていたかもしれません。そんな人はラッキーだったとお考えかもしれませんが、実はコロナ後遺症はこのような無症状のコロナ患者さんからもたくさん見られるという報告があります。
コロナの後遺症は200種類以上の症状が報告されています。
全身倦怠感・何となくだるい
頭痛
息苦しさ・息切れ・咳
眠れない
脱毛
かゆみ
味覚・嗅覚・聴覚の低下 などです。
これらの後遺症にために、休職を余儀なくされ、解雇までされた方もあり、急性期に正しくコロナ感染と診断されていないと、年のせい・ずる休み・ノイローゼなどと誤診されたり。キチンと病院で診てもらえなかったりするケースがこれから増えるもしれません。東京ではすでに7人に一人はコロナ感染と考えられていますが、実際には5人に一人ぐらいは居られるでしょうか。
これから冬にかけて、第八波も考えられます。やはり、ワクチン接種は発症予防・後遺症予防には多少なりとも有効と考えることには科学的な妥当性があります。10月にはオミクロン株対応の新しいワクチンが出てくる予定です。しかしその功罪に関しては、まだ何のデーターも発表されていません。また情報が入りましたら、お伝えします。
久し振りに探偵小説を読んだ 。英国の探偵小説作家、レオ・ブルース(Leo Bruce)の「死者の靴」(Dead Man’s Shoes。1958年発行。翻訳者:小林晋。なお、この英語は慣用句で、死亡した人の財産、を意味するとのこと)。また、これは私家版であって市販はされていない。従って、探偵小説ではネタバレは厳禁だが、私家版で部数が極めて限られていること、これから読む人も先ずいないと思われることなどからも、異例だが、ネタバレして話しを進めることにする。
話しは、モロッコのタンジールから英国のロンドンに向かう、5人の乗客を乗せた貨物船から始まる。船長を含む船員、乗客の専らの噂は、この船には殺人者がいるのではないか。確かに、乗客の一人は粗野で、誰にでも喧嘩を吹っ掛ける嫌われ者だった(ウィルバリー・ラーキン)。ところが、ロンドン到着を前にして、「誰かが落ちたぞー」の掛け声と共に、何かが船から海上に落下する。船員が全客室を探したところ、その男だけが船にいない。しかも、残された客室のタイプライターに「これから自殺する」旨の紙片が残されている。殺人者は、本当に海の藻屑と消えたのか。
種明かしをすれば、それは二つある。一つは、ラーキンは死んでおらず、自分から掛け声をかけ、変装道具を錘と共に海に投げ捨て、寝台の上げ蓋の下に隠れた。もう一つは、ラーキンなどと言う男は全く存在せず、その実態は、殺された大富豪、グレゴリー・ウィリックの甥であるランス・ウィリックそのものなのだ。つまり、ランスは変装して別人のラーキンに成りすまし(眼鏡をかける、洋服に詰め物をして大きく見せる、踵の高い靴を履いて高く見せる、声を変えるなどなど)、叔父を殺した犯人なのだが、この一人二役で逃げ切れると踏んで長年に亘り、計画し、それを実行して来た。
訳者あとがきで、「実に大胆なトリックだが、それゆえにかなり見え見えの真相である」と述べているが、これは、大胆なトリックなどと言うより、先ず実現不可能なトリックと言った方が正確だろう。加えて、場合によって、本人と別人が行ったり来たりすることになるのだが、歌舞伎の早変わりではあるまいし、そんなに簡単に出来る代物ではない。その意味では、残念ながら、関係者全員を集めて、素人探偵である歴史教師キャロラス・ディーンによって犯人が明かされる最後の30頁前後で大変失望したと言わざるを得ないのが正直なところだ。具体的には、人は完璧な変装をすれば全くの別人になりすますことが出来るのかと言うことが焦点となる(シャーロック・ホームズは変装の名人だったそうだが)。これが、訳者が言っている大胆なトリックなのだが、これが実現できないとなると、それこそ九仞の功を一簣に虧くことになり、なーんだと言うことになる。小生の反応が正にそれだった。
これが本格探偵小説だと言っても、物好きなひと以外、そんなものを読む人はいなくなって、益々、本格探偵小説から遠ざかって行くのは間違いない。小生、こう言った変装で人を騙くらかす話を、勝手に変装奇譚と名付けており、全く馴染めない。
ブルースには、ビーフ巡査部長を主人公とした別のシリーズがあるが、その第一作に「三人の名探偵のための事件」(1936年)と言う傑作、と言うより怪作がある。A.クリスティーのE.ポワロ、D.セイヤーズのウィムジー卿、G.K.チェスタートンのブラウン神父と言った名探偵でさえ解決できなかった難事件を、ビーフ巡査部長が易々と解いてしまうと言う、正に人を食った話しだ。
「折れた槍1954」はエドワード・ドミトリク監督の西部劇。他
インディア
シェイクスピアのリア王に設定が似ている
その後、3年の刑を終わり出所したジョーは、父の旧家で、インディア
味のある俳優揃いで、重苦しいホームドラマ的西部劇だが楽しく観
(編集子)先回の 燃える平原児 につづいて白人と先住民族間の確執が背景にある、重苦しい作品だった。
ロバート・ワグナーはどうもこういうシチュエーションにはあまり向いていないように思えたが、ケティ・フラードにひかれて見た。”真昼の決闘”で、乾いた感じの画面で描かれる人間のありようをどこかほかのところから見ているような演技が印象に残っている。彼女の出演作はこのほかには数えてみても2本しか見ていないのだが、どこか突き放したような雰囲気のある女優だった。
(題名の槍(lance)を矢(arrow)にすると “折れた矢” でこれも一ひねりされた作品だったが、タイトルが英語の文字通り ”ブロークンアロー” だった映画はジョン・トラボルタが悪役で主演、という核爆弾を扱ったスリラーである。このタイトルの BROKEN ARROW という語は米国では核施設の破壊あるいは事故を意味する暗号であることはこの映画にまつわる話として書いた。いままさにその現実が起きようかとしているのがウクライナの原発周辺での戦闘である。暗号が現実とならないように祈るだけだが)。
たかがテレビの音楽番組にこんなに心が揺れたのははじめてだ。これが年を重ねるという事なのか、斎藤なにがしの忠告を振り切ったうえ、少しばかり定量を過ごしたジンの所為なのか、定番番組を見終えて変えたチャンネルに釘付けになった。
八代亜紀の 居酒屋昭和なる一曲。歌詞を拾い読みする。
男の背中にゃ色気があり
女の背中にゃ艶がある
そんな時代がここにある
令和にはぐれた路地裏に
昭和の灯が灯ります
情け見つけに来ませんか
居酒屋昭和の
居酒屋昭和の癒し酒
めったに見ないテレビ番組でまったく偶然に出会っただけなのに、なにか心にドーンと来た感じ。10年以上前になるが、中央高速を走っていて時間調整のために横道へ入り、出くわした武田一族最後の地、という薄暗い林。苔むした遺跡で全く予想もしなかった涙が出た。その時以来の心の共鳴、だった。不思議なもんだ。やはり年齢、であろうか。
俺達月一度の天狗飯店の酒も結局は居酒屋昭和のこころなのかも知れない。
スコットランド、ベリックシャーの小村エドロム生まれ。エディンバラ植物園の庭師となり、次いでロンドン園芸協会付属植物園の温室係となった。アヘン戦争の講和条約である1842年の南京条約により香港がイギリスに割譲され、また5港が開港されると中国産植物に関心を持っていた園芸協会によってフォーチュンがプラントハンターとして派遣されることとなった。フォーチュンは1843年7月6日に香港に到着[3]。緑茶と紅茶は製法が違うだけで同じチャノキから作られることを発見し、それぞれが別種とされていた定説を覆した。外国人は開港地周辺以外への立ち入りは制限されていたため植木屋や中国人が花木を植えていた墓地で植物を収集したが[5]、中国人に扮して蘇州まで行ってもいる。また、マニラも訪れ、蘭の一種Phalaenopsis amabilisを入手した。1846年5月、フォーチュンはレンギョウ属、タニウツギ属、スイカズラ属、シモツケ属、カリガネソウ属、ガマズミ属など、250種の植物とともにイギリスに戻った[8]。フォーチュンはウォードの箱を最初に本格的に用いた人物であり、この時の輸送にウォードの箱が用いられている。
(齊藤)ロバート・フォーチュンと言う人がいたんですね。全く知らなかっ
イギリス人の紅茶好きは、イギリスの歴史上で、いろいろなエピソ
いるようですね。この辺を掘り下げると、面白い話がたくさん出て来るのかもしれな
(保屋野)炭素のお話興味深く拝見いたしました。地球温暖化の元凶とされている炭素の有益性は、先日NHKの科学番組で放映されていました。
炭素原子(原子番号6)は、陽子6個、中性子6個の原子核と6個の電子で構成されていますが、その起源はネットによるとビッグバンで生まれた水素(原子番号1)とヘリウム(原子番号2)のうちヘリウム3個が結合して生まれた、とありました。何時生まれたはよくわかってないようですが、125億年前の宇宙観測ではその存在が確かめられているようです。
しかし、自然界にはわずか94の元素しかなく、それぞれの原子が陽子・中性子・電子の数で性質が異なってしまう、というのは不思議です。脱炭素社会なんてとんでもない、炭素なしには我々の存在すらないのですから。
(編集子)エーガ愛好会目線で思い出したのは ”遠すぎた橋” で、決死的な白昼渡河作戦を命じられた米軍将校ロバート・レッドフォードが、その近くで悠々と紅茶を飲んでいる英国兵士を見て激怒する場面があった。この映画は同じ時期を扱ったスペクタクルものでも 地上最大の作戦 が連合軍のサクセスストーリーで仲間内のあつれきなんかは一切―扱わなかったのに、アイゼンハワーに敵愾心を燃やした英国モンゴメリ指揮の作戦の失敗を描いたものだけに、このような背後での話がいろいろとあって面白かった。
映画「スティング」にマフィアのボス役で出演したロバート・ショウを久し振りに観て、彼が16世紀のイギリス国王ヘンリー8世役を演じたイギリス映画「わが命つきるまで」(1966年制作 原題:A man for all seasons)を続けて一挙に観てしまった。ヘンリー8世にまつわる史実をテーマとして描く歴史映画で、特に目新しい話の展開はないが、重厚な歴史物語を楽しんだ。この国王は、イギリスでは歴史上もっとも有名な人物の一人だ。
1528年、イングランド国王ヘンリー8世は宮廷の女官アン・ブーリンに恋をし、一向に世継ぎを生まない王妃キャサリンとの離婚を望み、ブーリンと結婚することを切望していた。王妃キャサリンはスペイン初代女王イザベラ1世とアラゴン国王フェルナンド2世の娘で、ヘンリー8世の実兄で次の国王を約束されたアーサー王太子と政略結婚した。だが結婚の翌年、兄は病で急逝する。弟の世継ぎとなったヘンリーは義姉であった未亡人と結婚する(ヘンリー18歳、キャサリン24歳)。ヘンリーはチューダー王朝の存続を切望するが、結婚後9年経っても世継ぎの息子を産まない王妃に業を煮やした。当時はカトリックが国教であり、離婚は許されずローマ法王の許しが必要であった。
映画の主人公はヘンリー8世ではなく、反逆罪でヘンリー8世から斬首の刑に処せられたトーマス・モア(Thomas More)。政治・社会を風刺した「ユートピア」の著述で今日にまで知られる、イングランドの法律家・思想家・人文学者。彼の深い教養と厚い信仰心によってイギリスはもとよりヨーロッパの人々から尊敬と信頼をかち得ていた。王の再婚を法王に弁護できるのは寵臣の中でただ一人、信仰心篤く人望のあるトーマス・モアだけだった。何とか法王に離婚の承諾をもらえるようにモアに頼み込むが、モアは、国王が離婚する理由が見出せないとしてそれを拒否。モアの度重なる法王説得依頼拒絶は、国王の取り巻き達の怒りを買ってしまう。高潔・孤高なモアは意に介さなかったが、彼の家族や友人は彼の一徹さ故に彼の政治的な立場を危惧した。宗教界の実力者ウルジー枢機卿・大法官(オーソン・ウエルズ演じる)は秘書官クロムウエルを介してモアの説得に当たるが徒労に帰す。
いかにも中世イギリスの歴史物語とあって、舞台・衣装・セリフは重厚荘重で映画というより古典舞台劇を観るかのようであった。主役モア役を演じたポール・スコフィールドは1966 年度のアカデミー主演男優賞を、映画は作品賞を、演出のフレッド・ジンネマンが監督賞をそれぞれ受賞した。それぞれが賞に相応しい出来栄えであった。出演者は他にもヘンリー8世の腹心ウルジー枢機卿を演じたオーソ
ウルジー枢機卿が病で死去した後、モアは官僚の最高位である大法官(Lord Chancellor)に任命される。そんな中、ヘンリー8世自らがモアの屋敷を訪れ、直接ローマ法王に離婚を許可するよう働きかけることを依頼する。最後通牒にも等しい国王の直談判であった。モアはこれも拒絶したため、国王は激怒して帰ってしまう。離婚を認めないローマ法王に業を煮やしたヘンリー8世は、ついに新たにイングランド国教会を設立して自ら首長に就任し、強引にキャサリンとの離婚及びアン・ブーリンとの結婚を執り行う。
原題「A Man for All seasons」、トーマス・
(小田)この映画、観たことがあります。やはり、アン·ブーリンが登場する「ブーリン家の姉妹」
ヘンリー8世の1番目の王妃キャサリン オブ アラゴンはヘンリー8世の兄(アーサー)
この本(炭素文明論―「元素の王者」が歴史を動かす)は、9年も前に発売された本ですが、
1回目は、炭素がもとで、国が滅ぼされたこと
2回目は、糖の起源から、糖の利益が産業革命の原資となったこと
参考までに蛇足ですが、
著者、佐藤健太郎氏は、この炭素をめぐり、
例としてモルヒネの歴史を簡単にまとめてみますと、5000年以上も前に、
・未熟な
・16世紀には、
・1803年、ドイツで有効成分モルヒネが単離され、
・1896年、モルヒネに体内への吸収を早める工夫をし、
・これを、静脈注射で体内に入れると、
イギリスは、
私達は食として小麦や米を食べます。
ご参考までに、この本の目次です。
◉人類の生命を支えた物質たち
第1章 文明社会を作った物質――デンプン
第2章 人類が落ちた「甘い罠」――砂糖
第3章 大航海時代を生んだ香り――芳香族化合物
第4章 世界を二分した「うま味」論争――グルタミン酸
◉人類の心を動かした物質たち
第5章 世界を制した合法ドラッグ――ニコチン
第6章 歴史を興奮させた物質――カフェイン
第7章 「天才物質」は存在するか――尿酸
第8章 人類最大の友となった物質――エタノール
◉世界を動かしたエネルギー
第9章 王朝を吹き飛ばした物質――ニトロ
第10章 空気から生まれたパンと爆薬――アンモニア