懐かしさ溢れる西部劇。20世紀フォックスの派手なマークとテー
この状況下、バレットの酒場で
この頑固一徹の保安官に、向こう気の強い若者、権謀術策を凝らす
なお、「誇り高き男」に関し、小生の評価をお尋ねとあらば、ライオネル
(関谷)丸腰の相手は撃たないとの「誇り高き」正義感溢れる保安官の信念・姿を若き仇討に示したかった映画だったのでしょうね。私が愛読する池波正太郎他の「時代小説」に通じるものがありまし
これからもWESTERN映画を楽しみに観ることとします。映画音痴の私として、今日は小雨も降っており、黙って・じっくり
(船津)アラートで地下鉄の防空壕に避難してソンしちゃったぁ。そうかG
(菅原)セイブゲキアラートに釣られて、久し振りに西部劇を見た。前日のJ―アラートに引き続き、今回も的外れ。アラートも頼りにならなくなって来た、狼少年になっちゃうな。同じ西部劇でも、「荒野の決闘」と較べると、映画全体に締まりがなく、ユルフン。ロバート・ライアンが、なんとなく頼りないせいなのか。監督をやったロバート・D.ウェッブとジョン・フォードじゃー、月とスッポン。そして、どこが「誇り高い」のか、さっぱり分からない。唯一の救いは、ヴァージニア・メイヨ。1956年当時、聖林には綺羅星の如く、それこそスター女優がいたわけだ。と言うのが小生の独断と偏見。
(飯田)小泉さんの映画「誇り高き男」への解説と評価を拝読すると、なるほどな~と思いました。私はロバート・ライアン主演の映画と聞いただけで、
まあ、略、B級娯楽作品と思って観ますが、この作品はロバート・ライアン主演作品の中では含蓄のある面白い作品と思います。
カンザス・シティの小さな街の中及び室内の撮影だけで略ストーリ
彼の主演のジョン・フォード監督の「捜索者」でも似たような印象
この映画では街中や居酒屋、賭博場、室内の装置がいかにも当時の
(下村) 素人でセーブ劇の評価基準はまったく分かりませんが、
(小田)街の中だけの出来事で、少し物足りない気もしましたが、
(保屋野)殺人と正当防衛、当時は難しい判断だったのでしょうね。ただ、ネットに、先に抜いて、相手を殺して罪にならないのは ① 相手が犯罪者やお尋ね者 ② 正式なルール(立会人あり等)にもとづいた決闘
と書いてありました。「誇り高き男」で保安官がかって丸腰の男を撃った、という疑いがありましたが相手が「殺し屋」でなので、例え丸腰でも罪に問われないのでしょうね。
(小泉)先に抜いて罪にならないのは戦場だけか。相手が犯罪者や
「誇り高き男」での丸腰を撃ったという保安官の疑いは、相
の最期に若者が悪者の背中を撃つことになるが、悪者が内ポケット
(編集子)小泉さんの ”懐かしさ” という一語に同感。先回も触れたが、ここのところ放映される西部劇映画は、ファンからすれば妙にひねくり回したものが多かった。ハイブラウ(またスガチューには叱られるかも)なファンは名画と言われる数々の作品などに引き比べて ”セーブゲキ” はいつもながら同じようで、という感覚にとらわれるのではないか。米国西部の荒々しい環境の中、法の支配が生き届かず、自分の力だけを信じて開拓に挑んだかれこれ30年くらいの間にだけ存在した世界、それでもなおフェアプレイを貴んだ気風がアメリカという特殊な国の歴史を刻んだ。その一齣の描写が西部劇であり、この映画もその一つである。これをマンネリととらえるならば、我が国の伝統文化たる歌舞伎はどうか。話の筋から所作まで、”伝統” を外れることは許されない。それでもなお、多くの人がくり返し鑑賞するのは、個々の演技者の技にひかれるからであろう。そういう意味で小泉さんが 懐かしき と形容されたのは我が意を得たり、であった。先回も書いたが、オーディ・マーフィやロバート・フランシスなど同じ感慨になってしまうが、ジェフリー・ハンターもその早逝を惜しまれる俳優だった。
なお、主題歌 ”誇り高き男のテーマ” はライオネル・ニューマン作曲、ネルソン・リドル録音、日本ではスリーサンズの演奏による主題曲が日本ビクターから発売され、レコ―ド売り上げは50万枚を超えるヒットになり、文化放送の ユアヒットパレード (当時はヒッパレ、と言われた人気番組)では1956年度年間第9位であった。YOUTUBEなどで一度、聞かれることをお勧めする。
スガチューの ”誇り高き”とは何であるか、という設問があったが、同じように保安官の苦境を描いたクーパー主演、グレイス・ケリーの西部劇初登場、真昼の決闘 (High Noon) の英文の宣伝文句が the man too proud to run であったこを回答とさせてもらう。