今日の天気は晴れ。朝の気温はマイナス7℃でした。晴れていましたが寒さ厳しく時々八ヶ岳から雪が舞ってくる一日でした。
自律神経と健康維持 (普通部OB 篠原幸人)
皆さん、自律神経ってご存じですね。人間の身体には沢山の種類の神経がありますが、身体を動かす運動神経、痛いと感じる感覚神経はよくご存じですね。その他に、我々の身体には自律神経と呼ばれる神経が存在しています。
学校で習った「交感神経と副交感神経」です。これらの神経は皆さん自身の意思ではコントロールできず(だから自律神経と呼ばれます)、一生の間、昼も夜も勤勉に皆さんの意向とは関係なく、自動的に勤勉に働いている神経です。皆さんのお知らない間に、皆さんの心臓や腸を含めた内臓や血管など、生命に維持に必要な機能を調節してくれています。
大体、交感神経と副交感神経は同じ臓器や血管に対しては正反対に働くことが多く、上手くバランスを取りあっているのです。このアンバランスが「自律神経失調症」ですね。例えば、脈拍数・呼吸数・胃や腸の動き・発汗や睡眠・血圧の一部もこの自律神経がコントロールしているのです。
このように自分自身では上手くコントロールできない自律神経ですが、この働きで唯一、皆さんがご自分でコントロールできるのが、呼吸です。皆さんが寝ている間も食事中も呼吸は勝手にしていますが、あなた方が意識的に深呼吸をすれば、大きな呼吸になりますね。一時、呼吸を止めることも可能ですね。一方、同じことを心臓の拍動や腸の動きでやろうとしても無理ですよね。このギャップを我々が上手く使わない手はないのです。
そうです。毎朝、血圧を測り、「高い、高い」と大騒ぎしている貴方。血圧測定時には、気分をゆったりさせて、大きく息を吸い、一度、8-10秒ほど止めて、それから10秒ほどゆっくり吐く(秒数は適当で可)。こんな動作を2-3回繰り返し、ゆったりした気分でもう一度血圧を測りましょう。考え事をして、頭がさえて眠れない時も、このような自律神経のコントロールが有効なことがありますよ。
乱読報告ファイル (50) ウクライナ戦争と中国経済について
今全世界で議論が沸騰しているトピックについての論文を2冊、読んでみた。”ウクライナ戦争”の著者は小泉悠氏、最近のテレビでおなじみの顔である。
小泉氏はロシアの軍事・安全保障の専門家であるので、発生以来のロシア側の動きを追った著書で、発生以来の各ステージでのロシア側要人の動きや戦闘について、日本での報道だけでは理解できない角度からの解説が豊富であるが、この書物の狙いは、ソ連の解体と冷戦の終結によって、国家間の大規模の戦争はもはや起き得ず、戦争があるとすればそれは国家対非国家主体(例えばテロ組織)との間の ”非対称戦争”か、非軍事手段を駆使する”戦争に見えない戦争”になるし、原子力空母や高性能戦闘機などよりも対テロ戦争のための特殊部隊に重点が置かれるだろう、というのが軍事専門家や軍の指導層の認識であった、という認識から始まる。しかし22年に始まったロシアのウクライナ侵略はこうした予測からは大きく逸脱した、第二次大戦後にはあまり起きていない, ”従来型” の大規模戦争であって、プーチンが動員した第一次だけでも30万人という、第二次大戦以来の規模だというのだ。本書があげている専門機関の調査研究によると、22年2月から9月に世界で発生した戦闘は1万8千回余りだが、その約6分の1がウクライナで発生したのだという。正直言えば、日本から離れた地域での紛争でもあり、この戦争がそんな規模のものだという事は考えたことがなかった。
著者は専門の軍事知識を駆使して、開戦以来本書上梓までの間の戦闘について解説しているのだが、我々にとってもっとも興味があるのは、(なぜこのような戦争が起きたのか)ということだろう。この点について小泉はEU加盟国のいわば東進によってロシアの安全が脅かされているとか、ウクライナがネオ・ナチ思想に毒されているとか、あるいは核兵器を生産しているとかいったプーチンの主張には客観的な根拠もなく、最後には民族主義的な、”プーチンの野望” とでもいうものでないと説明できないという。この点について、筆者はもしロシアがEUの侵略を恐れるなら、ウクライナよりも長い国境線で接しているフィンランドや北欧諸国との関係のほうがウクライナよりも脅威になるはずなのに、なぜウクライナなのか、という点から、プーチンが21年に”ロシア人ウクライナ人の歴史的一体性について” という論文を発表したことについて述べ、歴史的事実としてとしてロシア、ウクライナ、ベラルーシが民族的・言語的に共通点をもつことをその背景として述べている。
これからこの戦争がどう展開するのかは我々には分からないが、その性質について、この戦争が先に述べた、いわば ”新しい戦争” ではなく、火力によって領土を奪いあう、従来型の戦争であって、ただ使用される武器が大きく変わったにすぎない、という筆者の見解に従えば、まだまだ両国間の消耗戦は続くのだろう、という暗い予想しか思い浮かばない。
かたや中国経済の現況について、ある意味ではマスコミの散発的な報道をまとめて解説してくれるのが石平(せき へい)氏の やっぱり中国経済大崩壊! という一冊である。先回本稿で同じような煽情的なタイトルに引っかかって読んだ ロシア敗れたり という駄作について書いたばかりで、今回も同じようなことになるか、という不安もあったが、本国で民主化運動にくわわり、かの天安門事件をきっかけに来日、日本に帰化したという背景を持つ人だけに、中国が現在陥っている経済の負のスパイラルについて軽妙に解説してくれている。大筋は日本のマスコミが報道している事柄を裏書きするものなので詳述はしないが、ここでも我々が持つ素朴な疑問、すなわち共産主義をとなえる国の実情はどんなものなのかと、スターリン―毛沢東路線を引き継いだ習近平の政治の結果についての評価は一読に値する、入門的な解説である。
ここでも、今日に至る中国経済の激動についての解説はわかりやすいが敢えて言えば目新しいものではない。それよりも同氏が喝破した(習近平は経済問題に不干渉である)という点は新しい視点だった。ウクライナと違って目と鼻の先で起きていることだが、この2冊を読んで改めて感じるのは独裁制国家のもたらす怖さである。この二つの大国の国民は、ロシアと中国という地政学的に異なる環境にありながら、情報をありのまま受け取ることが出来ないでいる。僕ら世代まではその現実の一部を知っているわけだが第二次大戦下の日本も同じだったのだ。
此処までは、いい。しかし、”だから民主主義が正しい” という結論に至ることにならないのが現実だろう。その最大のキーが情報・報道の問題だというのがまさに皮肉な事実だ。現在話題になっている政治の腐敗、なんてものはどっちになってもあり得ることだとあきらめることはできる。しかし統制なく拡大する情報の氾濫、とくに昨今、ますます精緻なものになりつつあるハッキングとか生成AIとかいう技術面での反社会行動が可能な、”報道の自由” がそもそもの発端である現在、我々は本当に正しい歴史を作り出していけるのだろうか。どうも小生の持論の、”高潔な指導者による独裁” のほうが好ましく思えるようになってきたのだが。
上野公園晩秋 (普通部OB 舩津於菟彦)
小春日和の上野公園へ黄葉・紅葉と去りゆく秋を愛でるために訪れ
江戸時代、三代将軍・徳川家光が江戸城の丑寅(北東)の方角、すを誇ったが、戊
先ずは国立西洋美術館の黄葉。ロダンも考えながら逝く秋を愛でて
館内隣にカフェが「上島珈琲店 黒田記念館店」があり、テラス席でハラハラと散る去りゆく秋を愛
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ビジネスクラスにしますか? (安田耕太郎君経由:赤阪清隆氏寄稿)
国連の安全保障理事会(「安保理」)のメンバーは、拒否権を持った常任理事国が5か国(米英仏ロ中)と非常任理事国10か国の合計15か国です。常任理事国は航空機でいえばファーストクラス、非常任理事国はビジネスクラスに例えられることがよくあります。常任理事国は、常にイスが用意されており、決議の採決に際し拒否権があるという大きな特権を持っていますが、それ以外は両者にそれほど大きな差があるわけではありません。むしろ、両者とも、安保理のメンバーでない大多数の加盟国(エコノミークラス)との間に、甚大なギャップを有しています。国際の平和と安全の維持のため、日々神経をとがらせて対策を審議しているのが、安保理の常任(ファースト)及び非常任理事国(ビジネス)です。
日本政府は、1994年に、河野洋平副総理兼外務大臣が国連総会で、日本が安保理常任理事国として責任を果たす用意があると表明して以来、一貫してこのファーストクラスたる常任理事国への仲間入りを目指す国連改革を提唱してきました。それからもう30年にもなりますが、国連改革は遅々として進展せず、その間、ファーストクラスを望む日本政府の立場は、全然変わっておりません。総理、外務大臣、外務次官、国連担当の外務省幹部の顔触れは次々と変わり、国連改革については、毎年同じことを繰り返して、ただお茶を濁すだけで済まされてきた感がします。この問題の停滞と閉塞感ゆえに、日本の世論の国連に対する好感度が、他の先進国に比べて極めて低いのではないかと思われます。2023年夏の米ピューセンターの国連への好感度調査では、欧州勢は軒並み6,7割以上、米国ですら58パーセントが肯定的なのに対し、日本は40パーセントでしかありませんでした。この日本の低い数字は、近年常態化しています。
30年前、日本は堂々たる世界の大国でした。1968年にドイツを抜いて世界第二位の経済大国となったあと、世界のGDPに占める日本の割合は、1980年に約10%に、1995年には17.6%にまで跳ね上がり、経済大国としての地歩を固めました。1990年代、日本の国連予算の分担率は上昇を続け、2000年には、米国の25パーセントに次ぐ第2位で、20%強にまで増大しました。政府開発援助(ODA)は、世界第一位。まだバブル経済の余熱が残っている時代でした。世界保健機関(WHO)のトップには中嶋宏氏、国連難民高等弁務官事務所 (UNHCR)のトップには緒方貞子さん、そして国連本部では明石康氏が活躍していました。1994年のカイロでの国連人口開発会議の際の光景が思い出されます。人口問題を議論するパネルの壇上には、WHO, 国連人口基金、国際保健議員連盟の幹部が並んだのですが、それぞれ中嶋宏、安藤博文、中山太郎とすべて日本人でした。そして、日本政府は、1997年に京都で地球温暖化防止会議を主催します。
あれから一時代が過ぎて、日本の世界におけるプレゼンスは、様変わりしました。2010年に中国に抜かれて世界第三位となった日本の経済力は、現在では世界のGDPの約5%しか占めるにすぎなくなり、2023年中にはドイツに抜かれて世界第四位の地位に落ちた模様です。一人当たりのGDPでは、2023年中に、韓国、台湾に追い抜かれたと推測されます。政府開発援助(ODA)の2023年度予算額は、1,1兆円を超えたピーク時(1997年度)に比べて半額以下の状況です。日本はもはや、世界の大国の地位から転落しつつあるといってもよく、これからは中堅どころの国々の仲間入りにはいりつつあると認識すべきでしょう。わたしのような高齢者には、経済大国としての日本のイメージが強くて、そのノスタルジアに浸りがちなのですが、今の若い人たちは、そのような幻想を持っていないように見受けられます。
安保理のファーストクラスの座を狙うために、日本は、同様のドイツ、インド、ブラジルといわゆるG4グループを組んで、グループとしての決議案作りや閣僚会議を開催してきました。このうち、ドイツは、言わずと知れた欧州連合(EU)の雄であり、確固とした欧州諸国の地盤があり、経済力でも日本を上回りつつあります。インドは、最近世界第一位の人口大国となり、経済力も近く日本に追いつかんとする、右肩上がりの昇り龍です。ブラジルは、豊富な資源大国であり、人口も日本の2倍近くの「将来の大国」です(いつもそういわれ続けて、ブラジル人は期待しているのですが、なかなかその「将来」がやってこないのが悩みのタネのようです)。こうしてみると、右肩下がりのわが国と、これら三国との間には、れっきとした差があるのが分かります。このG4グループは、少なくとも日本の観点からは、「持続可能」ではないのです。
日本としては、そろそろファーストクラスを目指すのをやめて、ビジネスクラスでいいではないかという声が、国連に関係した外務省OBからも次々と上がっています。2015年に、「ビジネスクラスに乗りますか?」と外務省関連の会誌に寄稿文をのせたのは、2021年に亡くなった大島賢三元国連大使です。ビジネスクラスという言葉を初めて使ったのがこの大島大使でした。彼は、「ビジネスクラスが数席できれば、貢献能力の高い国で多数の再選支持が確保できる実力国には、100パーセントの確証はなくても、”事実上の常任性”への道が大きく開かれることになる」と主張しました。吉川元偉元国連大使も、2022年4月19日付けの日経新聞に、「準常任理事国創設へ国連憲章改正を」との寄稿文を掲載しています。最近では、神余隆博元国連次席大使、元ドイツ大使も、日本がファーストクラスを得られる見込みはなく、政策を転換して、反対の少ないこのビジネスクラスたる「準常任理事国」の創設を目指すべきとの主張をしています。不肖わたし自身も、国連事務次長を退任した2012年の外務省の幹部会で、そのような声を挙げました。
「準常任理事国」案というのは、現行では、非常任理事国は連続再選ができず、任期も2年にとどまるのを、国連憲章を改正して、非常任理事国数を増やし、その任期を数年程度延長するとともに、連続再選を可能にするものです。これだと、選挙で選ばれさえすれば、かなりの長期間にわたって、非常任理事国として安保理のメンバーでいることができるようになります。すでに2005年の段階で、当時のコフィー・アナン事務総長は、「メンバー国にとっての選択は、10年、20年かかっても完璧な解決を追求するか、準常任理事国の線でいま妥協の道を探求するかである。後者であれば合意形成は可能であると確信する」と述べていました。当時のアナン事務総長案の、ビジネスクラスだけを増やすB案であれば、実現する可能性はあったのです。
安保理改革に熱意のあったコフィー・」アナン事務総長の案が出てから、もうすぐ20年がたとうとしています。コフィー・アナンを継いだバン・キムン事務総長は、韓国の外交政策を反映してか、安保理改革には極めて消極的でした。毎年年初には、国連職員の幹部会でその年の国連にとっての優先事項を決めるのですが、2008年ごろだったでしょうか、その草案に安保理改革が含まれていないのを見つけてわたしが加筆方修正を提案したのですが、バンキムン事務総長は、「メンバー国がむにゃ、むにゃ」と口を濁して、加筆に応じませんでした。
日本政府は、いつまで実現しそうにない夢を追い続けるのでしょうか?みんな、安保理改革については総論賛成ですが、各論になると動きがパタッと止まってしまいます。そろそろ目を覚まして、実現性の高い改革を目指すべき時が来ました。この問題については、政治家にも、外交官にも、国連幹部にも、強いリーダーシップが求められます。ことは、日本の国益、外交的な利益、国際的プレゼンスの向上、日本の声の国際的な発信力に大いにかかわることです。安保理のメンバーでいることと、安保理の蚊帳の外にいるのでは、月とスッポンほどの違いがあるのです。ニューヨークの日本の国連代表部に勤務していた折、このビジネスクラスとエコノミークラスの差をまざまざと見せつけられました。ビジネススクラス入りを果たした東南アジアの外交官は、エコノミーにいるわたしたちとのランチの席上「忙しい、イソガシィー」といいながらも、世界の大問題に毎日追われる仕事の充実感を顔色や素振りに見せておりました。安保理の中にいるのと外では、外交官の顔つきが変わるのです!
2023年と2024年の2年間は、日本はこの安保理の非常任理事国としてビジネスクラスに乗っています。報道によれば、この後は、アジアグループの多くの国が立候補を予定していますので、日本がふたたび非常任理事国に立候補するのは、2032年になるようです。それでは、少なくとも8年間は安保理の蚊帳の外の、エコノミークラスに甘んじなければなりません。これからの日本の将来を見通すとき、もはや猶予は許されません。一刻も早く、これまでの政策の転換を図り、早期の安保理改革を実現してもらいたいと思います。「ビジネスクラスでいいではないですか」というのが、今回の話のタネです。ご賛同いただけますでしょうか?
フルーツ王国から愛を込めて (グリンビラ総合管理 HPより転載)
編集子のささやかなセカンドハウスは、健康都市・首都圏の通勤も可能となって最近知られてきた北杜市、JRの駅名でいえば小淵沢にあるが、根が無精者なので管理を一切合切、地元のプロにお願いしている。そのスタッフのひとり武藤さんのブログ記事はいつもユニークで面白い。最近の記事をご紹介する。実は我が家も数日前、奈良県に住んでいる旧友から地元産の柚子を送っていただくことがあり、この記事と同じ手間暇をかけて(ワイフだけど、もちろん)ママレードを造り、毎朝賞味している。
先日のお休みの日に富士川町まで行ってきました。フルーツ王国山梨の柚子の産地です。自宅用なのでちょっと傷物ですが、無農薬栽培のものを2.5kg購入しました。
この柚子、エグさがないので適当に切ってお砂糖をかけるだけで美味しくいただけます。
今回は柚子胡椒、ジャム、柚子酢にするため皮を下ろし、果汁を絞り・・・さすがに2.5kg分は疲れました
直売所は12月の末まで、発送もしてくれるそうです。
無農薬ゆず農園 ゆずぽん酢など【ゆずの日の出農園】 (e-yuzu.com)
(エーガ愛好会 (244) 小津安二郎生誕120年をめぐって
(小田)小津安二郎蓼科高原映画祭には2007年頃から10年ほど毎年遊
(飯田)小津監督のサイレント時代の作品のこと興味が出てきました。いつかチャンスがあったら観たいとおもいます。蓼科高原映画祭の想い出、有難うございました。
(船津)昨日、録画して本日拝見致しました。
「小津調」エーガは何という事も無い人間の営みをささらりと描く
(菅井)それ以前からTVで放映された小津安二郎の映画は折々観ていまし
あまり深い関心を持っていなかった頃に小津映画を観た印象は、
今回のプログラムで初めて分かって驚いたことは岡田茉莉子が語っ
20年前に作られた「小津が愛した女優たち」
https://youtu.be/GG6pSfiHo9c?
(船津)流石エーガキジンだけ在りますね。こんなモノよく見つけてきまし
(飯田)先日も述べましたが日本映画の中で、小津作品は年齢と共に好きになって来ましたが、海外で高い評価と言うのは、評論家仲間でのことと自分は理解します。その理由の一つは、安田さんが引用している「映画監督が選ぶベスト映画」です。このラインアップを見ると、まあ1位の「東京物語」以外は、我等「エーガ愛好会」の諸氏が選ぶベストテンに、多分1本も入らない映画ばかりです。以前も既に語りつくされた「市民ケーン」を始め「8 ½」やその他作品もです。
私も全部観ていますが、日本映画をベストテンに入れると話は変わってきますが、「東京物語」以外はベストテンには入りません。選んでいる評論家・監督がタランティーノだとか、エキセントリックだったりストイックな人物に偏っていると思います。映画の人気度の評価は一般大衆が平均的に好む作品(集客力が高い作品)か、一般大衆の中でも、少し映画の価値又は芸術性を評価できる「エーガ愛好会」レベルが好ましいと思う作品であるべきと考えます。20世紀最後の日本人映画評論家の双葉十三郎や淀川長治クラスでもその評価基準が間違っていたとは言いませんが、一般大衆と離れた評価になってしまっていました。
昔は大学教授などが陥り易い例えとして「象牙の塔に入る」とか、現代ではテレビにしょっちゅう出てくる各種の専門家諸氏とかの論評に似て、大部分は正しくてもどこか一般人の理解と違う感覚が出て来てしまいがちです。小津作品の評価を下げる気持ちは全くありませんが、欧米で一般的に評価されてきたという点への私の私見です。
(安田)菅井さんがご指摘されている点、番組中、
エーガ愛好会(243) 決断の3時10分 (34 小泉幾多郎)
フランキー・レインが唄う主題歌と共に、山間を駅馬車が走ると牛の群が現れ、これぞ西部劇という雰囲気に冒頭から没入させて呉れた。その駅馬車を止めさせ、凶行に及ぶのが,グレン・フォード扮するベン・ウエイドを首領とする盗賊一味。それを偶々目撃したのが牛の持ち主ながら、貧乏生活に追われる「シェーン」で農民を演じたヴァン・へフリンが主役ダン・エバンス。監督がインディアンと白人の関係をインディアン側から描いた西部劇「折れた矢」で、その後インディアン描写に大きな影響をもたらしたデルマー・デイビスだけに、従来型の理想主義を掲げた西部劇とは一線を画した、生活に追われた農夫というキャラクターが主役を演じ、時間で区切られたリアリズム的手法による西部劇を切り開いたと言える。10年後に「3時10分決断のとき」として、ラッセル・クロウとクリスチャン・ベール主演でリメイクされている。
駅馬車を襲ったウエイドは何食わぬ顔で、駅馬車が襲われたと保安官以下を騙し、保安官たちが追跡隊を編成し町を出て行った間、ウエイドは一人、酒場の女エミー(フェリシア・ファー)を口説くため町に残ったが、逮捕されてしまう。この逮捕されたボスのウエイドを汽車でユマ迄護送する発車時間3時10分までの間に繰り広げる一味との峻烈な攻防と駆け引きを緊迫感のあるタッチで描いたのだった。結論的には、駅馬車に乗車していた町の有力者バターフィールド(ロバート・エムハート)がウエイドを3時10分の列車に乗せる者に200ドルを支払うということに乗ったのは、ウエイドの部下の奪回に来る恐ろしさに、エバンスだけになってしまったのだ。この二人の駆け引き、カネのために護送を買って出たエバンスの男は命を投げ出しても貫き通すものがあるという信念。ウエイドの悪党ながらも、借りを返すと言いながらも、エバンスの潔しさと夫婦の愛情を見せつけられての心の葛藤が、最後に二人共々列車に飛び乗るということで、この地を去る、という男の美学。また旱魃を潤す雨模様も乾いた心に染み入ってくる。・・・列車に乗ってこの地を去る。3時10分のユマ行きで・・・フランキー・レインの唄での終演も心地よし。
(編集子)グレン・フォードが珍しく悪者になるエーガ、ということでタイトルはよく覚えていたが、フランキー・レインの主題歌がのほうが印象的であった。この点は同じ西部劇では バート・ランカスタものの定番、”OK牧場の決闘” にも共通する。音楽がエーガよりも広く人々の間に残るという現象は有名なところで言えば 禁じられた遊び 第三の男 死刑台のエレベータ など数多く思い出されるが、それらに共通するメロディアスな曲ではなく、むしろビーとの聞いた曲、という感じなのだが。 ヴァン・ヘフリンは シェーン で準主役という役どころだったように、頑固な正直者、という役が多いようだが、脇役のひとりチャーリーという役を演じるリチャード・ジェッケルという男が実は前から気になっていた。特徴のある顔立ちで、もっと出てきていい訳者だと思っていて、とくに西部ものでは、チザム でビリー・ザ・キッドの仲間だったチンピラで一部だったが一風変わった凄味のある俳優だったのだが、出演作には恵まれずB級、C級のカツゲキものしかなかったのが惜しい。中には先回書いたように初演から恵まれたdebutをしながら事故死というロバート・フランシスみたいな例もあるし、やはり人間、運というか万事塞翁が馬、ということか。
@ベイシーの話 (44 安田耕太郎)
学生のビッグバンドを代表する早稲田大学「ハイソサイティー」
「永久に続くと思うな、命とベイシー・菅原正二」、と言われるく
野口久光から譲り受けた分を含めて、彼は2万枚ものLPレコード