野草の名前も大変なもんだ 

きっかけとなった小泉文書

緊急事態宣言中、STAY HOME に反し、近所の散策ならご勘弁をと鶴見川堤を歩きました。いつもは新横浜方面に向かうところ、逆の綱島方面に歩きました。新羽橋で引き返したら、情けないことに5000歩弱。それでも川畔に咲く野草にお目にかかれました。残念ながら、花の名前には疎く、わからずじまい。太尾公園近くでは、花水木を上から眺められ、赤と白を撮りました。

往信1号

オスタ様

この花、わかる?

複信1号

可憐な野の花の写真、お送り頂き、ありがとうございます。高山植物も昔覚えた名前は、ちゃんと思い出せるのですが、残念ながら最近覚えた名前は、すぐに忘れます。ピンクと白のハナミズキの前の黄色い花は、菜の花が成長して、丈が大きくなったものではないでしょうか?最初の白い花は、よく見かけるような花ですが、名前を存じません。2つ目の花は、たぶん、アカバナだと思います。

往信2号

お願いの件あり。添付小泉先輩のメールですが、写真に写ってる花、名前わかりますか?オスタに聞いてみたけど高山植物ならわかりますけど、と言われてしまいました。いかが。

複信2号
植物名をカタカナで表記しますので、以下のネット図鑑などで確認
頂ければと思います。
春>ヘラオオバコ 最初の写真
春>アブラナ   3番目の黄色
2番目の赤紫の花は 花の特徴から クワガタソウ の仲間と仮定し
調査中です。春先に青い花を咲かせるオオイヌノフグリとも 花弁4枚、縦の色筋があり、めしべが突出していて兜の鍬形を連想させる等の共通点があります。しかし、種の付き方がこの赤紫の標本と高山植物の クワガタ達と微妙に違うのがひっかかるのです。
ヘラオオバコ と オオバコ科という分類では仲間となるのですが、植物分類学の専門家(高校の同級生 新潟大学名誉教授)も DNA分類でそうなるのだが、過去の形体からの手がかりからは...、どうしても納得できない…と漏らしていました。帰化植物や園芸品種の種が拡散して河川敷などで繁殖している例も多く、
何とかして オナマエ ? you はどこから 日本へ? と好奇心が
うずうずいたします。 最後の2件はご指摘の通りハナミズキ であろうと思います。(編集子注:紙面の都合で一部、いや大分、省略)
複信3号

最初の写真は、やはりヘラオオバコでしたか。野の花の名前は難しくて、イマイチ自信が持てないんですよね。2番目の写真、ズン六さんのような専門家に私が異を唱えるのは僭越ですが、クワガタソウの仲間とは葉の形状が違いませんか?

私も最初は、オオイヌノフグリの仲間とも思ったのですが、やはり葉の形状が違うように思います。種の付き方が、アカバナの仲間と思ったのですが、違いますかしら?

複信4号

貴重なご教示久々に拝受、本当にありがとうございます!!的確な特徴抽出、さすがは われらがオスタ師匠。確かに、種子の付き方はアカバナ的だなとは思っていたのですが、加齢化思い込みの轍に引き込まれ続けてしまいました。
顔を洗って初心に帰り、ご教示に沿って、アカバナ科雑草を鍵にブラウジングし
アカバナユウゲショウ (ヒルザキツキミソウ)アカバナ科マツヨイグサ属 にたどり着けました。
私自身、さる4月21日に仙川沿いで出会い、調べたいと思っていた矢先、図らずもジャイ先輩のブレイン集団の中核オスタさんのお導きで、目から鱗の感動を味わえました。(編集子注 ちと大げさすぎねえか?)(編集子注 その2 これも一部、いや大分、省略)
締めの小泉文書
小生の珍らしくもない散歩と珍しくもない草花のことで大変なご尽力をいただいてしまったようで有難うございます。それにしても、ただ単純に歩くだけで草花を見ても、その名前やらも関心を持たない者と何らかの関心を持ち、追及しないではいられない人との格差がよく分かりました。お手数をおかけいたしました
往信2号
いえいえ、誤解で、本人は できれば物事追及しないでいる タイプの代表です。ただ、ひまだっただけで。
本大会議参加者
小泉幾多郎(34】、石渡美知江(46)、吉田俊六(44)

下村情報への反響-記念館の思い出 (普通部友人  船津於菟彦 ほか)

前掲42年下村兄の投稿に高校時代の仲間から反応が届いた。それぞれに記念館には思い出があるようだ。
編集子とは普通部以来の友人、高校時代は新聞会の仲間だった船津於菟彦から送られてきた、記念館がらみの思いをつづった一文を紹介する。船津は大学時代は慶応義塾新聞・新聞研究所を経て大手商社で情報産業を担当していたことから、現在のIT産業などについて造詣の深い友人である。お互い、結局、高校時代に夢見た新聞記者にはならなかったが。
大学一年の時にこの講堂が建てられ昭和天皇を迎えて、100年祭を開催したのですね。小生、駆け出しのカメラマンとして外回りを撮影。日吉駅はホームには途中までしか尾根が無く、遠くに普通部が見えます。車が総て外車で時代でね。天皇をお迎えするのに地べたに座ってズラリです。
カメラマンとして脚立を何時も下げていました。当時はフィルムも高くて一枚しか有りません。今のデジタル時代と違い、連写などしていないのでボケたりしたらオシマイ。結構良く撮れています。
我々は慶應義塾大学創立100周年に、新聞を作りました。コチトラ駆け出しで隅の方で写真だけ撮りました。その前に未だ復興もままならない、三田山上で創立90年式典が行われたようです。歴史を見ると1947年五月と成って居ますね。昭和天皇が三田山上に来られたようです。
この時にあの素晴らしい歌「慶應讃歌」が平岡養一によって作られ「我らが若き力もて、希望の祖国を打ち建てん」 込められた意気は̶-。
100年祭にも昭和天皇が日吉の新記念館に来られました。この時は迎える方々が地べたに座ってお迎えに成って居ます。我がカメラがパチリ。
まぁ時は移りますね。日吉の駅もホームに屋根の無いむき出しの駅でした。
来賓の車は総て米国車。未だ米軍が残したカマボコ講師や時代でした。
そして、社会人になりましたが創立150年祭が日吉グラントで行われ、「平成
天皇」が来られ、来賓の中では一番感銘深い、心に通じる祝辞を述べられたことを記憶しています。
同じ時代を日吉で過ごした同期後藤三郎から…………
久しぶりに日吉の高校と大学の間にある広場と新しい建物の写真を見せてもらいました(以前この広場で連合三田会のワンゲルのテントもあった)。右側にある我々の通った慶応高校の建物は戦争中に爆撃を避けるためにコンクリートが黒く縞模様に塗られて美しくなくひどく汚い建物に感じました。石原慎太郎が弟の裕次郎の情報を題材にしたと思われる”灰色の教室”と言う短編書は私にはひどく懐かしく感じられます。中味が高校内部の有様をかなり鮮明に描写しており思い当たることが沢山ある内容だからです。例えば、生物の女性教師のこと(当時田村先生と言う美人の先生がおりました)などが登場しております。短編小説ですが若しお読みでない方には一度読んでいただくことをお薦めします。

北杜市から再度の要請

北杜市新型コロナウイルス感染症対策本部からお知らせします。

現在、全国に発令されている「緊急事態宣言」が5月31日まで、延長されました。 市民の皆様には、引き続き、「うつらない、うつさない」行動に、一人ひとりがしっかり取り組んでいただき、感染拡大防止に努めてください。

また、山梨県から「今はまだ、山梨に来ないで宣言」が発令されています。
 北杜市民は、一日も早く普段の生活を取り戻そうと、頑張っています。
 市外からお越しの皆様も、責任ある行動をお取りください。

多くの皆様の御協力をお願いいたします。

新型コロナウイルス感染症     (34  船曳孝彦)

5月に入った。未曽有のパンデミックが社会問題となってから少なくとも3か月が経つ。日本は感染・蔓延を収束の方向に向かっているだろうか。

昨日までのデータで、世界で感染者325万人、死者23万人(死亡率7.1%)アメリカ、スペイン、イタリー、イギリス、フランスに多い。一方日本では、感染者1万4千人、死亡者415人(死亡率2.9%)。最も多い東京では、感染者4,152人、死亡者120人(死亡率2.9%)となっている。

とにかく日本では少ない。死亡率も低い。新感染者数は頭打ちになりつつあるといってよいと思う。しかし今日の専門家会議でも、安倍首相も緊急事態宣言は今月いっぱい継続という結論を出したようだ。感染拡大が抑制されているか、医療体制が十分対応できているかの2点を判断基準としているようで、感染者数がイマイチと見たようだが、医療体制についての見通しまたは方針についての言及は乏しかった。緊急に財政支援するというお題目はあっても、具体性はなく、おそらく一律10万円と、休業補償に消えて、医療充実にはお涙金となるのではないかと心配している。

日本は感染者数も少なく、死亡率も低いことを喜んでよいのだろうか。海外諸国に比べてPCR検査施行率が低く、これでは比較にならない。海外からは疑問、批判の声が上がっているのは何とも口惜しく残念で仕方がない。

新型コロナ感染症に対して、政府の立てた方針は①法に基づいて対応②疫学的根拠で判断、の二本柱だったようだ。当初水際作戦として、感染者を中心にその人からっ感染がどのように広がってゆくか(再生産数)を追跡し、感染者一人から何人に移しているか、それが2人に移せば倍々ゲームに、1人を割れば収束する。即ち大勢に移す(クラスター)ことを避けて感染爆発を防ごう、という方針であった。無症状病原体保有者(ウィルスは菌ではないので誤用ではあるがここでは以後無症状保菌者と呼ぶ)が世にあふれている。「他人を見れば保菌者と思え』という状態である。それだからこそクラスター感染を避けるための3密回避は意味がある。

しかしPCR検査数という分母がこんなに小さくて緊急事態宣言解除の目安を立てて良いのか。最近の新陽性者が減っていることだけで、もう一歩といっていいのだろうか。私の予想ではある程度下がっても、だらだらと長引くと思う。

最近の東京都のデータでは、PCR陽性者の60%が症状のあるいわゆる患者で、8%が無症状保菌者で、自宅待機かホテル待機とされている。ホテル待機無症状者が2週間たったのでPCR検査なしに自宅へ返された例があったという。独り者の自宅待機者は食事のため食堂へ行くかスーパー又はコンビニに出歩いている。なおこの統計では陽性であった者のそれ以外32%については、症状の有無を調査中(数日たっても)という、情けないデータである。

そもそもすべての診断を帰国者センター、保健所という関門で管理しようとしたことに無理があった。少数例、あるいは当初はこれでよかったかもしれないが、このように多数の保菌者があふれてくれば、変えてゆかねばならない(もっと早期に)。昨日今日の段階でやっと民間の検査を充実させようというような談話が出されていることに憤りを感ずる。したがって公式のデータには民間のデータ(しかもこの多くが医療施設の実費持ち出しで行われている)は反映されていない 民間といっても大学病院なり、地区医師会のもので精度に問題があるとは思えないのだが、一度決めた方針を死守するお役所仕事とはこのようなものだ。

慶応病院で、非コロナ関係入院患者にPCR検査をしたところ6%が陽性だった。別の報告では、一般人に抗体検査をしたところやはり6%が陽性だった。この二つの報告は、非常に重大な警告と受け止めている。勿論学術的にはもっと多数例で対象を絞ったデータが必要だが、保菌者が多数街を闊歩していることは間違いない。東京1000万の人口から見ると60万もしくはもっと多数の保菌者ということだって考えられる。

指定感染症として『指定検査所で検査』と法的に定められたとはいえ、柔軟に応用せねばこのパンデミックに対処できない。

PCR検査も、唾液での検査や、経口法、迅速キットなどの新しい試みが出てきている。抗体もより精度の高いmonoclonalな新検査法も開発されてきているようだ。こういう新しい対処法を直ちに取り入れる(試みでよい)べきであり、治療薬についても、抗ウィルス薬、抗寄生虫薬などが奏功した報告が出ているので、任意に使うということは出来ないが、特例の治験として始めねばなるまい。

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ドテさんと言えども、皆さん同様自粛生活にウンザリしています。晴読雨読を続けており、

今年14冊読みました。トレーニングは庭でゴルフクラブを振ったり、階段昇降500~600段を

続けております。4月だけで28日、合計14,550段上ったので、ゆうに3,000mは登った計算になります。昨日は人通りのまだ多い目白通りを横切っておとめ山公園まで歩いてきました。

すれ違った人を除き2m以内に近づいた人はいません。でも、これで疲れてしまうのでやはり体力は落ちているのでしょう。残念。実はもう大分前になりますが、後ろめたさを感じつつ中津川CCに行ってきました。堀川兄同様レストランではソーシャルディスタンスを十分とった席で、風呂も閉鎖、行き帰りは自車、全く安全です。

  (編集子注)先生、このやり方なら三国山荘あたりまで行ってもOKでしょ  うか?

 

WANTED ! 古き友 楽譜   (36 後藤三郎)

ウイルス騒ぎで時間もたっぷりあるので以前から気になっていた慶応ワンダーフォーゲルが間違って歌っている ”古き友” についてブログに載せて各位にこの際正しい楽譜から皆さんにお知らせしようと思って楽譜をネットで探しましたが見つかりません。

実はこの件は7-8年前に山岳部の友人から指摘を受けて森田半兵衛さんと一緒に正しい歌い方を何回かの集まる機会で試みましたが長年歌ってきた癖を簡単に修正できずで爾来半ば諦めています。御存じでしょうがこの歌は慶応の山岳部の”創部XX年記念”にスイスからこの歌を頂いて来たとの歴史があり、山岳部の連中はワンダーでこの歌を歌うこと自体は問題ないがメロデーが間違って歌っているので出来れば楽譜を見て修正して欲しいと言われております。

今回は時間も皆さんがあると思うので譜面を見ながら間違っている個所を直せればと思う次第です。誰かこの歌の楽譜を保有している人がいたらブログにアップしてください。

 

(編集子注)確か、何年か前のスキー合宿だったか忘年会だったかで、山岳部にも縁のあった寺田捨巳が正調を披露して、練習した記憶がある。サブには悪いが、俺には確か美しの新人歓迎の時だったと思うが、初めて聞いたときの感動がまだ残っていて、不正調から離れられないきがするんだが。なんたってその方が俺にとっての古き友なんでね。スミマセン。

日吉記念館詳報    (42 下村祥介)

先ほど散歩から戻りました。今日は大学のキャンパスまで足を伸ばし、新装なった記念館の写真を撮ってきました。 どこの仲間も人恋しくなってきているようで、今晩は昔の会社仲間とラインを使ってオンライン飲み会です。

(堀川)
ありがとうございます。前の芝生が無くなっているのですね?
ちょっと、クールですね。

(中司)日吉も僕らのイメージとは様変わりですね。喜ばしい事でしょうが、一抹の寂しさもある、妙な気持ちです。

このあたり、僕らが高校時代はフリーの広場で、マムシ谷へ練習に降りていく連中、山食へ向かう仲間、高校生、大学生がそれとなく交流し時としては雑踏する場所でもありました。そして若干の無頼性?を感じる空間でもあったのです。創立以来の古色蒼然たる慶応高校の、旧制高校由来の空気と新制高校の息吹が重なっていたあの校舎、後何年あるかわかりませんが、その雰囲気がせめて僕らが生存している間はあってほしいもの、と思うのは老人の身勝手でしょうか。昨日の読売のコラムに、”雑踏ということばなじむのが “都会”だが、街路から人影が消えていき、鉱物化したのが ”都市” だ、という文章がありましたが。

も一つ、同じコラムから拾い読みを付け加えたくなりました。中国の詩聖,蘇東坡に
  年々 春を惜しまんと欲すれども 春去って 惜しむを容れず
と。

月一メンバー 家に籠る (24)   (36年組まとめて面倒見よう)

(深谷勝)

ご無沙汰です。小生の日課は、朝5時半起床、犬の散歩30分~1時間(犬のご機嫌により)、午前中は家の掃除、洗濯たまに庭の雑草取り、午後は、近くを流れる「古利根川」の土手を往復約1時間ウオーキング(歩数で7000~8000歩)という生活です。

犬の散歩を含めると毎日1万歩は歩いております。ゴールデンウイークに入り、土手も家族連れのサイクリングが増えてきました。明日、庭の芝刈りを予定しています。最近、PCのジグソーパズルを見つけ、いまハマっています。

(遠藤夫士男)

2月イタリア北部3泊、ミュンヘン2泊後3月 2日に帰国してから82歳の歳と合わせて周囲に特別の関心を持たれ続けた2か月でした。当初「海外旅行者は要注意人物」で肩身の狭い1~2週間でしたが、最近は「2週間以内の渡航歴」と捜査対象から外れました。帰国後2か月、体温36度5分、血中酸素98%前後で安定しています。ただ、毎日の生活態度はお恥かしい限りの体たらくです。「月一」社中各位のメールを拝見するにつけ、反省するばかりです。

昼間から深夜までTVやPCを友とし1万歩以上の散歩は週に1~2回程度、電車やバスは全くご無沙汰です。これから鎌倉へ墓参りに行ってきますが、怖い東京は湾岸道路で素通りし、県外者(車)お断りの鎌倉には朝日奈峠からこっそり入ります。ほんとに「もう収まってもいいコロナ」。

(翠川コメント)イタリア旅行、お疲れ様でした。今の私から見れば貴兄は宇宙人のような存在ですな。今日は紀子と家から武蔵関公園まで11,000歩、歩いて来ました。帰りに「いなげや」で一寸(夕食準備の)買い物。

(高橋良子)

私は12年ぶりにゆったりとした日々を送っております。24時間を自由気儘に自分ために使うことができるなんて、こんな幸せなことがありましょうか。健康と日々の糧も少々ありますしね。

ここ机の前に座ってばかりいましたので、腰痛がでてしまいましたから、近所の整骨院へいきました。これは運動不足もあるでしょうからと思い、2,3日前から近隣をあてどもなくぶらぶらりと探索を、それでも毎回6000歩ばかり歩きました。最近は少住宅が増え地域の様子も変わってしまいました。少住宅の連なりにはいつの間にか地主さんが御殿のような邸宅を建てていました。また他所では庭にプールがあるお屋敷を発見しました。ここはネリマですよ!もうなんだかゴチャゴチャになってきたものだ…と驚きつつ我が陋屋に帰ってきました。

(翠川コメント)長距離ウオーキングをご苦労様でした。殆ど平地でアップダウンが少ないでしょうし、一万歩は歩けますよキット。

私が保谷へ引っ越して来た20年前でも、大泉通が環八と交差する近くに潰れそうな茅葺屋根の農家(空き家だったと思う)がありましたから、矢張り練馬にはダイコンが自慢の農村地帯の名残が残っていました。直ぐ近くの練馬区春日町3丁目に姉達が2軒並んで住んでおります。

「我が陋屋」の「陋」と言う漢字は私のパソコンの変換では出て来ません。
IBMの漢字コード一覧表でやっと見付け入力出来ました(JIS07991でした)。

(鮫島浩吉郎)

3月には医者通い以外はすべて予定がキャンセル。散歩、庭いじり、散歩で過ごしていました。しかし、今は医者は電話で診断、処方箋が郵送され、買い物は娘が代行、散歩も合う人が多く控えめとさらに運動不足になっております。
我慢しかありません。早く終息を願っておりますが、日本は規制が緩やかで大丈夫かと思う毎日です。

(吉牟田正稔)

皆さんと同じく何とか体力が落ちないように 早朝に散歩を心がけてます。
でも本当に退屈ですね。
娘家族と二所帯生活しているがコロナ騒動により娘夫婦が二人とも自宅で
仕事する日が多くなり孫二人も家でブラブラしているので今まであまり気に
していなかったが色々大変です。

パチンコ屋を含め賑わっていた下北沢も1週間前位からさすがに人の流れが
がらりと変わりました。

(岡秀雄)

私の最近の田舎生活は下記の様にして過ごしております。ただし体力・気力・知力の衰えは激しく思うようにはすべて進みません。

元気にしておりますが、テニスクラブも一月前に閉鎖状態になり(時々は32年の荻原先輩夫妻とテニスやティータイムで楽しんでいた)、行く所が減りまして運動不足の状態です。またガラ携帯からiphoneに2月末より変えたので、pcとの関係もあり、てんてこ舞いの日々を過ごしております。

施設(サンシティ)では絶対に感染が無いよう厳しく外部との遮断をしておりますので、外部の人は親子でも避けさせ、内部の人は外出は出来るだけ避ける様にし、外出届を出し帰館時には体温測定と大変面倒になっております。勿論外部業者達の館内立ち入りは原則不可です。

秦野市は田舎なのでコロナ騒動も人口17万弱で感染者は12名のようでして、私は出来るだけ自然の中を散歩していますが、人とは会わない道を通りますし行き交う時も距離はありますので、マスクも不要で生活しております。

マスクは買物に行く時スーパーやコンビニの店内のみ使用します、平日は空いていますのでほとんど無くても大丈夫だとは思いますが、今後はサブの投稿してくれた「コロナ対策・必要な基礎知識」で現金払いは止めようと思います。時間に余裕がある毎日なので運動不足対策として、コロナ対策で新聞が部屋まで配達されないで施設の玄関脇の個人用ポスト迄取に行くようになっているので、毎朝新聞を取りながら館内ウオークを始めました、1号館は8階、2号館は7階、3号館は6階で階段を上り下りして端から端まで歩いて来ると階段上下共350段強で所要時間20~30分、歩数で約3千歩をはじめました。他には天気が良い日は自然の中良い空気吸いながら良い景色を眺め2時間前後歩く生活も続けるようにします。元気にして抵抗力を弱めぬようにはしたいと思い努力しております。

 

 

 

一反市民的行動の記録     (投稿者不明)

国を挙げて行動自粛が叫ばれている中ではあるが、浜の真砂と盗人は絶えず、おかみに逆らって県外行動をした男女(70歳代後半、そういうことはないと思うが万が一大学卒であれば昭和41年位の卒業生と推測され、居住地は埼玉県北部朝霞あたりと思われる)から本稿あて送られてきた投稿を転載する。

にっくきコロナで朝霞の川土手4Kmだけを歩き回っていた夫婦には、少々アキが来ておりました。京都上洛も出来ずに愛車を1カ月半近く車庫止めさせていたので、天気が良ければ誰にも会わない夫婦二人だけで慣らし運転兼ねてのドライブを敢行しようかと不埒な計画を考えておりました。

ルートは関越ぶっ飛ばして心のふるさと三国山荘へ、紅山桜を観に行こうと意見は一致したのです。トイレとコンビニ弁当買う時だけは人との接触場所になるので最善の注意と感染予防準備怠りなく、さていつ敢行しようかと思っていた矢先に、XX様(この3文字、解読不能)からの早朝メールが届きました。一報曰く「反逆行為の成果、かたずをのんでお待ち申し上げ候。」…こいつは即行かねばなるまい!

5月1日天気良好にて、おだやかな春霞の日でした。午前11時二人は奮って朝霞宅を愛車で反逆の旅へと出発致しました。運転席はカミさん、助手席は旦那が当家のドライブ定席なのです。街中は結構車で混雑していて、買い物客が通常の生活感を漂わせて普通にあふれておりました。関越道所沢ICから入線しばらくはトラック、自家用車と並走していましたが、だんだん車が減って来るのを感じてはおりましたが、東松山辺りからは前方に車が消えたように見えなくなりました。

GWなのにとても信じられません。この様がにっくきコロナがもたらす“自粛”という現況なのでしょうか?初体験にもうビックリの連続です。軽井沢方面への分岐藤岡JCTを過ぎ車は2~3台しか目に入らない関越道を高崎、前橋、渋川へと進み赤城高原SAでトイレタイム、駐車場はガラガラです。

越後湯沢の中野屋でヘギ蕎麦でも食べようかとTELするも臨時休で不通、やむなくSAの食堂で舞茸てんぷらそばをお互い2m離れて食す、人の作ったものはとても美味なのだ!でSAスタート。

ルートを月夜野ICから17号線三国トンネルコースに変更し、春のどかな利根の里を気持ち良く快走、猿ヶ京では雪をかぶった谷川前衛峰小出俣山が豪快に迫り、三国トンネルの手前街道からは名峰・稲包山が凛々しく仰ぎ見える。気分は最高いよいよふるさと浅貝が近いぞ!紅山桜ははたして咲いているのかな?と思案を巡らしながら暗いトンネルを出て、三国街道を一路三国山荘へと下る。

別荘地入口付近の紅山桜の小並木は残念無念、紅色の小花は一分咲きという具合でございました。気を取りなおして三国山荘へ。誰もいない山荘ではいろいろな春の色を生み出しておりました。

フキノトウの淡黄花、カタクリの紫花、サンシュユの鮮やかな若緑、白樺の緑小葉、青い空と白い雲、いいな、いいな!夫婦は勝手にあちこち庭を歩き回って春の上越の息吹を身体に染み込ませました。残念ながら征蔵桜の芽吹きはまだまだでしたが枝木を通して見える残雪の筍山が大きくそびえています。これこそが最高な反逆の成果です!我が心のふるさと浅貝の静かな春をおおいに堪能致しました。

山荘あたりのカタクリの花

今回は福島屋の母ちゃんにも会いませんのでお墓にお参り挨拶をして、後半ルートの開始です。帰路は越後湯沢に周って、湯沢パーク広場の紅山桜に少しの望みを託し静かな街道を一路下ります。下り三国街道では山々に咲く白い山桜、清流の若葉林などを見物しながら、相変わらず対抗車少ない曲道を快走して湯沢パーク広場に到着、山桜は盛りを終え散り桜に、紅山桜はこれから桜で5分咲きでしたが綺麗な紅色を見せてくれました。ちょっと満足を感じながらも次回こそ満開
時に観桜行をしたい!

そして、関越道・越後湯沢ICから自宅に向かいます。土樽付近からは上越のマッターホルン太源太山がカッコ良く迫ります、長い清水トンネルを抜け、行き交う車は相変わらず少なく、出ましたスピードが……旦那は助手席でコックリ居眠り中、「ちょっと、ちょっと!」とカミさんの声「後ろは覆面パトカー?」で飛び起き、確信しました。覆面パトカーの誘導で赤城ICで取り調べ、老警官から「40Kスピードオーバーと追い抜き車線走行2Km」の違反警告です。これは交通違反大罪だぞ!と思った時でした老警官のコロナ(心)良い一言は「コロナでパトカーへのメーター確認移動は困難ですので今回は通行帯違反だけにします!」
との判決です。何と6000円の罰金、原点1点でお許しを頂けたのでした。

結果、反逆のドライブ行は「にっくきコロナ」のお陰でお開きになりました。 功罪半々でメデタシメデタシ!

山麓の春はこんなだった

北杜市周辺の現状 (グリーンビラ総合管理 柴山貴一朗)

昨日の北杜市周辺の状況をお伝えします。まず以下3点はがらがらの玄関口、小淵沢駅周辺の状況です(写真の一部は当社ブログに掲載したものを借用しています)。

 

中央高速道路長坂付近のスナップを2点載せておきます。

清里周辺のありさまをご覧ください!

これが ”あの” 清里です!

いつも今頃なら立錐の余地も?というくらいの清泉寮あたり。

展望絶佳、おすすめの高原大橋もこんな具合です。遠望する山並みだけは変わらず、春の終わりという風情です。

この連休、つづく好天が恨めしいですね。

 

月いちメンバー家に籠る (23)   (39 堀川義夫)

4月30日(木)寺家ふるさと村の外れにあるゴルフのショートコースに行ってみました。

パー3×9ホール。最長でも115ヤードでショートゲームの練習には最適かもしれません。グリーンはいまいちですが、結構、綺麗に整備もされています。平日の場合料金は2200円2回目、3回目は1500円4回以上は何回でも回り放題で6000円税込みです。田園都市線の方々、行ってみませんか? 私の家からは徒歩20分弱で行けます。

 

 

 

この辺は梨と柿の産地ですが、写真は柿の新し葉が色鮮やかです。