明けておとといの朝、開いた新聞の広告に載っていた新刊がなんとなく面白そうで、ちょうど出かける(不要不急かどうか判断が難しかったが)必要があり、電車の中で時間をつぶそうかと買ってみた。あまり期待していなかったが、実に面白い本だった。
著者は船舶技術者で、その方面でのご業績は存じ上げないが、この本はあくまで 一技術者から見た歴史の解析、繰り返されていて 歴史のIF に挑戦した本ではない。日本史上のいくつかのトピックのうち、蒙古来襲、”麒麟”で記憶に新しいが本能寺の変の後を引き取る形になった秀吉のいわゆる 中国大返し、それと太平洋戦争の間に就役した戦艦大和の話である。ただ正直、最後の大和の話は著者が船舶設計のプロであることから関心を持たれたのは理解できるが、タイトルー戦艦大和は無用の長物だったのか?-から想像した内容ではなかった。
しかし後の二つについての話は実に面白い。コロナ鬱対策としてぜひ読まれることをお勧めしたいので、詳細には触れないが、蒙古軍が九州まではるばるやってきて一晩で撤収に追い込まれたのはなぜか(我々が教え込まれてきた神風、現実には台風が原因とする論拠に真っ向から反駁)、通説では戦場から京都まで220キロの行程を8日間で2万人の軍勢が踏破することは物理的に可能だったのか、エンジニアの立場に徹して、だれもが疑うことができない事実というか、物理的条件から説き起こす話は下手な小説よりも面白い。
例えば、歴史にいう蒙古軍の軍勢を運ぶ船を作るのに、どれだけの木材が必要だったか、といえば、著者の控えめな議論でも、東京ドーム150個分に相当する面積を占めるだけのマツがなければならなかったが、これが当時の高麗で手当てできたのか?とか、今まで言われてきた蒙古軍の武器が鎌倉武士のそれよりもすぐれていたというのは本当か?といった議論はしっかりした数字を挙げて論破されているし、中国大返しを言われている通り実行したとすれば、1日40万個のおにぎりが必要なはずだし、もっと面白かったのは、それだけの人間が毎日排泄する糞尿はいったいどうして処理できたのか? 光秀の対戦になった山崎で、実際に名前が残っている大名はすべて近畿近郊のものだけで、いったい秀吉直属の軍はどれだけいたのか? などなど、とにかく面白く、歴史学者の説が古文書のように疑えばその真偽まで問われるものと違い、物理的な法則や数字によっている強みがある。
“麒麟” の余韻がまだ残っている中でこの本に出合ったのはある意味では面白い偶然かもしれない。講談社ブルーブックス、1000円は高くない。一読をお勧めする次第。