エーガ愛好会 (166) ひまわり   (44 安田耕太郎)

第二次世界大戦終結後のイタリア。出征したきり行方不明の夫の消息を求め、関係省庁へ日参する女性の姿があった。

戦争によって引き裂かれた夫婦の悲劇を描いた、もはや古典ともなった悲恋メロドラマ+反戦映画の秀作。もの哀しくも美しいメロディーの主題曲は映画音楽を沢山手がけたヘンリー・マンシーニ作品の中でも最右翼に挙げられる名曲だと思う。現在ロシアに侵攻されている、ウクライナの首都キーウから500キロ南、クリミア半島のすぐ北のヘルソン地方の地平線まで埋め尽くされた“ひまわり畑”は壮観で美しい。その美しさと引き裂かれた夫婦の悲惨な好対照の光と影には理不尽な無情感が滲みでている。

イタリア・ナポリ女の真骨頂、情熱的なソフィア・ローレンと、
ソ連版「戦争と平和」で衝撃的なデビューを飾ったスラブ・ロシア人の可憐なリュドミラ・サバリーエワの好対照が映画のテーマを鮮明に際立たせ、見応えがあった。
結婚間もなくソ連の戦場に送られ、極寒の地で凍死寸前に地元の美しい女性に助けられたローレンの夫役はマルチェロ・マストロヤンニ。このイタリア人美男スターは二転三転する運命に翻弄される難しい役を見事に演じた。過酷な戦争体験で記憶を失った彼は異国の地で彼女と結婚、子供を授かり幸せな生活を送る。
一方、イタリアに残された妻ローレンは夫の生存を信じ、終戦から8年経てスターリンの死後(1953年)、少し解放されたソ連へと夫探しに出かける。苦労の末、夫が暮らす家を探し当てたが夫は留守。だがそこで結婚した妻と子供の姿を目にする残酷な体験をして、ソ連をあとにしてイタリアへ帰る汽車を待っていると、その汽車から夫が降りてきて二人は距離が離れたまま見つめ合う。
記憶も甦り引き留めようとする夫だったが、妻は振り向きもせず汽車に飛び乗りイタリアへ向かう。列車内では絶望に打ちひしがれ独り号泣する妻の姿があった。
駅で別れた後、夫は放心状態になりロシア人妻との生活も“心ここにあらず”となる。妻は夫に問う「もう愛していないのですか?」と。暫く経って、彼は妻にイタリアへ行って会って来ると伝へ、ローレンへのお土産の毛皮を持参して独り旅立つ。イタリアに着くと早速妻の居所を探し当て訪ねる。妻に、悲惨な戦争と瀕死状態のため記憶喪失に陥り助けてくれたロシア人女性と結婚した致し方なかった事情を説明する。ローレンは半信半疑で「言い訳でしょう」、と返す。彼は真剣な面持ちで彼女に訴えかける「二人で元の結婚生活に戻ろう」と。その時、家の奥から幼児の泣き声が聞こえて来て、彼は頭が真っ白になるが、全てを悟り、新しい結婚生活を始め子供もいる彼女の元を去り、ロシア人妻のもとへ戻る決意をしてミラノ駅に向かう。エンディングはミラノ駅の駅舎ドーム建物が大写しで映画は終わる。監督は「自転車泥棒」の名匠ヴィットリオ・デ・シーカ。彼は映画「終着駅」(1953年)ではジェニファー・ジョーンズとモンゴメリー・クリフトの悲恋メロドラマをローマの中央駅(テルミニ・終着駅)を舞台にして描いた。
(船津)「ひまわり」を皆様は観たのではのではと思います。泣けますね。戦争は色々な悲劇を生み、決してやっては成らぬモノのハズですが、ウクライナで連日同じ事を繰り返しています。平和のありがたみを熟々感じます。恋人とか妻を斯様な事にならずに済んで何よりでした。

駄作 ヒットラーの最後の12日間」も観ましたがつまんないなぁ。ヒディ奴だぁ。

(保屋野)監督、俳優、音楽、シナリオの4拍子揃った名作だと思います。特に、チビ太の写真にもあった、ロシア人女優(リュドミラ・サバリーエワ)が魅力的でした。

「ソフィア・ローレン」はイタリアを代表する女優ですが、「クラウディア・カルディナーレ」は「山猫」で観ましたが、未だ未放映なのが「ジーナ・ロロブリジータ」、彼女の映画も観たい。また、美人ではありませんが、「ジュリエッタ・マシーナ」の「道」~ジェルソミーナ役も良かった。

あの,ニノ・ロータのテーマ曲をトランペットを吹くシーンは忘れられません。(ひまわり、のテーマ曲は「ヘンリー・マンシーニ」でしたね。) 飯田さんから頂いた「刑事」もそうですが、イタリア映画は俳優、音楽等ハリウッドとは違った魅力があります。

(下村) 「ひまわり」はもう何年も前に見たことがありますが、あまりにも切な過ぎて今はもうとても見る勇気がでません。貴兄の解説の途中からもう胸を締め付けられるような感じになります。 年とともに涙もろくなり、ストレスに弱くなっているような気がしています。

(編集子)小生たちの年代がはじめてイタリア映画を意識したのは 自転車泥棒だったのではないかな。”イタリアンレアリズモ” なんていうエラソーな言辞をもっともらしく聞いていた時代だった。この “ひまわり” という映画のタイトルが、名前が思い出せないが、北方謙三のHB作品の中で主人公の背景を書く小道具として使われていたのを思い出す。