音楽談義 (1) フィンランディア   (普通部OB 菅原勲)

(編集子)美術造詣芸術には全くめくらなので、パリは平井さんをはじめとして ”エーガ愛好会” 間を通り抜ける関連のメールは、以前にもお願いしたがどなたかエディターを志願していただけるまでは取り扱う自信がないので通過していく結果になる。音楽のほうはそれでも多少の興味と実績はあるので 音楽談義 欄を設けることにした(かたや同行の士の多からんことを願って解説した 冒険・ミステリ欄はざんねんながら   仮死状態である。嗚呼)。本欄に関心の集まることを希望する。

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ジャン・シベリウスの交響詩、「フィンランディア」(指揮:H.フォン・カラヤン、べルリン・フィルハーモニー)を聴く。

この曲は、ご承知のとおり、フィンランドがロシアの圧政下にあった1899年に作曲された。当初は、六幕物のフィンランドの歴史劇に、シベリウスが伴奏曲を作曲したものだったが、最終幕の、「フィンランドは目覚める」だけを取り出し、交響詩「フィンランディア」として独立させた。そう言う由来が由来であるだけに、極めて勇壮闊達、前へ前へと前進あるのみの音楽であり、その独特の旋律は一度聴いたら忘れることは出来ず、思わず鼻歌として飛び出して来る。これが名曲か傑作かは知らないが、ロシアの圧政に苦しめられていたフィンランド人たちに与えた影響は計り知れないものがあったのは間違いない。とは言え、ロシアはこの曲を演奏することを禁止した。

一方のロシアにも、1880年、P.チャイコフスキーが作曲した有名な序曲、「1812年」がある。これも、皆さんご存知のとおり、1812年、ナポレオンがロシアに侵入し、辛うじてモスクワを持ち堪えて反撃し、勝利を収める消長過程を、それぞれの国歌(フランスのラマルセイエーズ、ロシアの神よツァーリを護り給え。ただし、Wikipediaを見ると、いずれも、1812年当時は、まだ国歌にはなっていなかったらしい)で表現した、ロシア人の愛国心を擽る交響詩だ。実際の大砲を使ったりとかいかにも物々しいのだが、所詮、作曲したのがチャイコフスキーであるだけに、全編を流れるもの悲しさは否定できない。なお、真偽のほどは定かではないが、友人から聞いた話しでは、ロシアのウクライナへの侵攻に鑑み、最近、ヨーロッパでは「1812年」の演奏が禁止されたとのこと。しかし、チャイコフスキーに罪はない。

ここで思い出したが、ロシアにも、中国で言う「国恥地図」の概念、と言うより、独りよがりの妄想があり、その中にフィンランドも含まれていることだ(ただし、余談だが、フィンランドがNATO入りするのは間違いなく、そこにロシアが侵入すれば、第三次世界大戦となるのは避けられない)。加えて、1500kmにも亘る国境を接しているフィンランドとの国境近辺にロシアが軍隊を移動させたとの報道があったことも思い出した。しかし、どちらの音楽が傑作かどうかは別として、そうなったら「フィンランディア」が「1812年」を遥かに上回るのは否定できない。それにしても、フィンランドと言うより、シベリウスの音楽はドイツのそれとも違うしイタリアのそれとも違う、正に独特の音楽だ。単純に、北欧だからだと言うだけでは説明しきれない(例えば、若気の至りで、デンマークの作曲家、カール・ニールセンの交響曲第1番を聴いたことがあるが、極めてつまらない音楽だった)。こんな音楽がどうして生まれてきたのか、長年の謎だ。小生、勝手に辺境の音楽と呼んでいる。