今回は最近有名になってきた 谷根千 の一部を歩いた。台東区の広報はそのパンフレットで次のように述べている。
谷根千とは台東区 ”谷中”、文京区”根津” ”千駄木” の頭の文字を取った造語です。3つの地域とその界隈に広がる、下町情緒あふれる街並みが残る地域で、特に ”谷中” は ”美しい日本の歴史的風土100選” にも選ばれています。由緒溢れる寺社や名所旧跡、ひとつひとつに名前のついて親しみやすい坂が多いのがこの地域の特徴の一つであると言えるでしょう。
翠川幹夫曰:
滝野川区(現北区)西ヶ原で生まれ(
昼食で蕎麦を食べたお店の前の通り(
今回訪れた森鴎外記念館、
堀野達男曰:
上野桜木町で生まれ、寛永寺幼稚園、根岸小・中学から都立白鷗高校に進み勉学に励んだ??私にとって根岸、上野、谷中は守備範囲。 あれから70数年!変わり行く都心の中でも昔の風情を残す谷・根・千はこれから行く機会も減ることで是非参加したかった。根津駅から東大に向かって4~5分の所に住んでいる高齢の姉達が土地・建物を売却して介護付き老人ホームに入居することになった。
不動産業者との売却活動、48年前の相続時に登記漏れした私道の登記で九段下の法務局に日参、来週から売買契約の実行、引っ越しをサポート中。男一人となった今、昔のものは引き取りを「No」と言えず段ボール箱が幾つ来るか戦々恐々!収納場所は無いぞ!岡さんが言っていた年取ってからの引っ越しは大変だぞを只今体験中!それにしても女性は物が多すぎる。そんなに持って行ってホームに収納出来るの?
堀野からはほかにもいろいろアドバイスをもらったが本人は都合つかず不参。当日、千代田線根津駅集合者は 翠川夫妻、岡、吉牟田、山室、栗田、高橋、深谷、高島、中司夫妻。参加予定だった遠藤は親戚にご不幸があり残念ながら欠席、合計11人で根津神社から森鴎外記念館へ出て、三崎(さんさき、と詠むのだそうだ)通りで堀野ご推薦の “菊見せんべい” で懐かしいホンモノのせんべいを購入。結構でした。
このような情緒に関心のない高島がその間に ”11人分席がある!” と、例によって独断専行強硬作戦で確保したそばやで昼飯。これまた、結構。高島も時にはいいことをするんだと一同納得。出てきたところで突然妙齢の美人から声を掛けられ、”外人の方をご案内しているんですが、この方がどうしても皆さんのお写真をとりたいというので、お願いできますか、と。一同仰天するも、ま、国際親善の一助にとカメラに収まる。聞けばオーストラリアの人とか、かの地の週刊誌に ”老人大国日本” なんて記事になるのかもしれない。不思議な体験だった。
それから予定通り谷中銀座(ここで1個30円というメンチカツを栗田が発見、夕食用にとならんだがとても順番がこないとあきらめる一幕あり)、”夕焼けだんだん”を登ってから、”ルノワール” で小憩、ここで山室、栗田、高島は帰宅。その後オヤエ切望の朝倉彫塑館、翠川ご執心の大名時計博物館などを歴訪。このあたりでだれてしまい、予定していた和菓子屋 ”喜久月”は割愛して不忍通りへ下り、千駄木で解散。送歩行距離5.2キロ ほぼ1万歩。この間、不忍通りをのぞくと今様のコンビニスーパーの類の影なし、すべて昭和のころの小規模の店や家ばかり。よかったねえ。
今回の経験から、夏の日にアスファルトの上を歩くのはまっぴらとわかったので、第四回は9月末に予定する。
高橋良子 追曰