コロナごもり対策 - ミステリや冒険小説でも読んでみないか

コロナごもりがあとどれだけ続くのか、見当もつかないし、バタバタしても仕方のないことだから、それなりの用心をしたうえで社会生活に復帰するしかないと思うのだが, 巣ごもりをしていると、なにか趣味があることがとても貴重なようだ。同じ趣味でもスポーツだと場所やパートナーや天候などに左右されてしまうが、自分ひとり、自宅完結のものにはそういう心配がない。

小生の目下の巣ごもり日常ルーチンだが、朝食を7時半くらいにはすませてしまい、その後のほぼ1時間を初級ドイツ語の勉強に充てるようにしている(一昨日、”ドイツ語練習3000題” というのをすませて、目下意気軒昂)。昼までは何やかやと過ぎてしまうが、グラス一杯のシャルドネで気持ちよく昼寝。午後は昔の用語でいえばラジオ作り(スクラップアンドビルド、というほうが当たっている)で過ごし、夕刻から寝るまではほぼ、ミステリで過ごす。コロナ籠りの日々、有り余る時間を楽しむためにこの ”ミステリで過ごす” ことをお勧めしたい、というのが本日の趣旨である。

前振り的に言えば、シャーロック・ホームズから始まり1920年代に花開いたいわゆる”推理小説”は文字通り、”推理”という頭脳ゲームを当時の知識層を対象に書いたものであって、だれでも知っているアガサ・クリスティー、ヴァン・ダイン、エラリー・クイーン、ディクソン・カー、ほかにもクロフツだチェスタトンだと枚挙にいとまなく、日本で言えば江戸川乱歩や高木彬光なんかが代表としてあげられる。これら ”推理”ということのために書かれた小説はその目的のために複雑な筋を用意し、読者を欺くための仕掛けをこれでもかというほど組み込むことになる。特にクイーンやカーの作品はその傾向が強い。そこへいくとクリスティの作品には時として詩的な展開があったり、人間味のあるプロットが用意されているものが多い。これがミステリの女王、と呼ばれ、英国人の多くが毎年のクリスマスプレゼントにクリスティの新作を待ち続けたということなのだろう。

僕はこの種のいわゆる”本格推理”と呼ばれるものを高校時代、畏友菅原勲の勧めで読み始め、創元社や早川書房の文庫で、代表的なものは一応ほとんど読んできた。しかし正直言えば、細かいヒントを拾って推理をする、というよりも最後になって、ははあ、そうだったのかい、という程度の読者である。そういう範囲の、簡単に手の入る文庫本のなかから、おすすめとして次のようなタイトルをあげてみたので、この機会に試されてはいかが。文庫本ならまあ数百円の投資、安いものではないか。

アガサ・クリスティーなら、アクロイド殺人事件、オリエント急行殺人事件、白昼の悪魔ナイル殺人事件あたりから始めていただこうか。アクロイド以外は映画化されているのでご覧になった向きも多いかもしれない。最後のどんでん返しが痛快で気に入っているのがウイリアム・アイリッシュ 幻の女、オーソドックスな構成でこの著者独特の怪奇趣味も出てないので読みやすい、ディクソン・カー 皇帝の嗅煙草入れ なんかもとっつきやすいのではないかと思う。クイーン、ヴァン・ダインはなじむのが結構大変なので次の段階になるだろうが、もちろん、一級品揃いであることは当然だ。専門?家筋では、最高のミステリはなにかという議論が当然あるわけで、僕がはまっていた時期には、たとえばクイーンの Yの悲劇 がそうだとか、クリスティの そして誰もいなくなった がいいとか、ヴァン・ダイン(いかにも30年代の欧米知識階級に受けそうな著者の衒学趣味が強すぎて僕は辟易した)のどれがいいとか、いうものだったが今はどうだろうか。

しかしいろんな ”本格物” を拾い読みしてきて、推理のために作られた環境ではなく現実にある環境で起きえる犯罪を、現実にあり得る方法で解決していく、そして推理だけでなく、文学としてのロマンや文章を味わえるものとして、日本で言えば社会派推理小説と呼ばれたジャンル、欧米でいえばいわゆるハードボイルド、それとむしろ冒険小説、と呼ぶほうが正解なような、広義のミステリにひかれるようになって現在はその冒険小説系も併せて乱読を続けている、というのが僕の現状だ。その中から、いくつかをおすすめしたい。

ジャック・ヒギンズ からは ご存じの は舞い降りた とその続編 鷲は 飛び立った、狐たちの夜 が第二次大戦に取材したもので、サンダーポイントの雷鳴 はナチの終焉の話(”映画愛好会”シリーズで取り上げた オデッサファイルにからむもの)で史実と照らし合わせると面白いが、読み終わった後の一種の虚脱感を楽しめる 廃墟の東 もおすすめ。ハードボイルド、といえばまず出てくるレイモンド・チャンドラー(注)では、さらば愛しき女よ がわかりやすく、代表作 長いお別れ は筋が複雑でよくわからない部分さえあるので、ミステリとしてよりもむしろ上質の小説としての雰囲気を楽しんでほしい。そういう意味では 大いなる眠り、がむしろチャンドラー入門にはいいかもしれない。彼の直弟子というべきロス・マクドナルドでは 動く標的、さむけ、ウイチャリ家の女 あたり。 クリスティと争う女流作家では、スウ・グラフトンのアルファベットシリーズ (アリバイのA から始まって本人は Z での完結を目指していたが痛恨のきわみだが Y (原題は Y for Yesterday)まで来て著者は逝去)が読みやすいし読んでいて楽しいが、翻訳は残念ながら R までしか出ていない。

日本の作家では、チャンドラーに心酔してミステリを書きはじめたというジャズマン原寮の さらば長き別れ と それまでの明日 は、日本を代表するハードボイルド作品だと僕は思っている。それともうひとつ、少しジャンルが違うし、この本のことを言うと大抵笑われたりすることが多いのだが、高木彬光 成吉思汗(ジンギスカン)の秘密。英国の大家ジョセフィン・ティの 時の娘 の向こうを張った、義経=ジンギスカン説。僕はこの本を読んでこの説を信奉するに至った。ぜひご一読をおすすめする。ミステリ・冒険小説ファンが増えて,紙上討論会、でもやって、コロナごもりが少しでも楽しくなることを願っている。

(注)この人の作品は翻訳がかなり多い。ここにあげたのは清水俊二訳のタイトルで、最近では村上春樹が長編をすべて新訳で出している。僕の好みでは、長いお別れ、だけは清水訳でお読みいただきたいのだが(村上訳は ロンググッドバイ、となっている)。