エーガ愛好会 (12) またまた西部劇であります   (34 小泉幾多郎)

7月17日BSP放映「荒野のストレンジャーHighPlainsDrifter1973」感想。

クリント・イーストウッドが「恐怖のメロディ1971」の次に監督した2作目。西部劇では最初の監督作品。出演した「荒野の用心棒」「夕日のガンマン正・続」の監督セルジオ・レオーネと真昼の死闘」「ダーティ・ハリー」のドン・シーゲルの影響を受けた作品と言われている。

 いずこより風の如く現れ、悪を倒して、いずこかへ消え去る。西部劇の典型、「シェーン」がその代表か。この映画も、大地に立ち込める陽炎に中、ストレンジャーが馬に乗ってゆっくりと湖畔の街ラーゴという所へやって来る。この男がシェーンのような善良な男でないところが、マカロニウエスタンの影響か。酒場で3人から絡まれ殺したことから、この街に雇われることになる。二人の監督の影響も勿論あるが、黒沢明の影響が強く影響しているようだ。と言うのは、この街の住民が、宗教心のある善人ずらをしているが、過去に街の金鉱の権利が国にあることが分かり、それを公にした保安官ダンカンを3人に依頼し殺害させ町人は見て見ぬふりをしたのだ。「七人の侍」での百姓もまた善人ぶって悪賢いところを見せていた。その悪人3人が牢から出所することが決まり、ストレンジャーに,その殺しの白羽の矢が立たのだ。「真昼の決闘」のことも念頭にあったらしい。クーパーを応援しなかった街の人たち、仮にクーパーが殺されていたらダンカン保安官と同じことだった。ストレンジャーにフラッシュバックしてダンカン保安官が殺される場面が2回も出てくる。これはストレンジャーがダンカン保安官の生まれ代りと言いたいのか?最後に、ストレンジャーが、3人の悪人を殺し、旅立つに際し、名前を聞かれたとき、ストレンジャーが「わかっているはずだ」と墓標を指す。ストレンジャー=ダンカンの亡霊なのか?。

(編集子)正直言って、つかみどころがないというか筋のわかりにくいフィルムだった。しかし玄人筋の評判はよかったようだ。ウイキペディアからの転載。

・・・アメリカでは1973年8月に公開され、当時800万ドルの興行収入を得た。これは1970年代に制作された西部劇で11番目に多くの興行収入を得た作品で,当初、出演のオファーを受け、脚本も受け取っていたジョン・ウェインは映画公開後、イーストウッドに本作を評価した手紙を送っている。ただし、その内容は「映画の町民たちは、実際のアメリカ先駆者達の精神を持っていない。アメリカの偉大なる精神をだ」というもので、本作に難色を示している。評論家からは賛否両論の評価を受け、『サタデー・レヴュー』のアーサー・ナイトはイーストウッドについて「シーゲルとレオーネの作り方を吸収し、レオーネと彼の独特の社会観が融合している」と述べた。現在、Rotten Tomatoesでは96%の高評価を受けている。うんぬん。

エーガそのものとは関係ないが、トップシーンで陽炎の揺らめく画面が真っ青な湖に変わった瞬間、あれ? という既視感があった。調べてみて直感が当たったことが判明。カリフォルニア中部、セントラルバレーからグレートベースンへかけての荒涼とした風景の中にあるモノレークだ。シェラネヴァダ山系の一端にあり、付近の水系から水の流入はあるが流出はない.そのせいかどうか、水の蒼さがすごい(青、か 藍、か。フィルムに写ってる色は小生の記憶に近い)。このあたり、北米(アラスカは別)の最高峰マウント・ホイットニー 4418Mと世界で2番目に低いマイナス86Mのデスバレーが至近のあいだに位置している、天地創造の時、北米造山活動の見本みたいな地域である。滞米中、よせばいいのに人のいかない6月、しかもエアコンのないバリアント(もう存在しない、クライスラーの最安値車)で(よく無事で帰れたもんだと今でも思うが)このあたりを走行したことがあり、その時、モノレイクに立ち寄ったのだと思う。妙なセンチメントを覚えた映画だった。