”とりこにい” 抄 (5) 2年 夏の妙高あたり

大学1年の冬、同期の仲間 翠川幹夫の父上が出資された妙高高原のホテル、”燕ハイランドロッジ” の開業にあたって手伝いという名目で長期にわたって滞在させてもらった。飯田昌保なんかもこのうまい話にのっかった同志である。

燕温泉に入るのさえ大変だったころで、積雪は現在から想像できないほど多かった。スキー客は赤倉からリフトを乗り継いでやってくる。その出迎えとか、荷物を運ぶとか、初心者にスキーの履き方を教えるとか、いったことをしていた。豪雪に遭遇し、赤倉へ行く道で表層雪崩に巻き込まれたこともあった。

(創業直後のハイランドロッジ。お嬢さん方の出迎えなんかをやっていた。当時最新流行のスキーモードにご注目)

ミドリとの付き合いが始まったのはこれがきっかけで、夏場にはそれまで無縁だった妙高周辺を歩くことができた。 そのころの雑観を書いたものが出てきた。いつだったか、場所がどのあたりだったか、薄暗い捲き道を通り過ぎてたどり着いた草間地だったような記憶がある。精神的に安定していなかった時期の鬱屈がにじんでいるような気がする。

 

湿原にて

 

夏の午後  モウセンゴケとの戯れに飽いて

俺は 湿原の中に立ち尽くした

ダケカンバの林を抜けてたどり着いた

亜高山帯樹林の一角に立てば

時間よ - 貴様はまた

このかぐわしい晩夏の 午後の風に隠れて

針葉樹林のかなたへ逃げようとするか

それともまた

明日を約束するあの積乱雲のかげへか?

忘却と追憶の間にビブラムをおけば

夏の午後

西の空はすでに紅

 

今日は大晦日、令和元年のおわりである。スキーの無い冬も2回目になる。改めて燕に通っていたころのひたむきな気持ちが思い出される。あと45分後に始まる新しい年はどんなものになるのだろうか。