「コナン・ドイル伝」(副題:ホームズよりも事件を呼ぶ男。著者:篠田航一。発行:講談社現代新書/2025年)を読む。
著者は毎日新聞の甲府支局、東京社会部、ベルリン特派員、青森支局次長、カイロ特派員、ベルリン特派員、ロンドン特派員などを経て、現在は、2025年4月より外信部長。この様に、新聞記者を長年経験して来ただけに、その文章は極めて明解で分かり易い。新書であるならば、一般の読者を対象としているが故に、学者が書いた学術論文紛いの独りよがりの分かりにくい文章ではなく、当たり前のことなのだが、こうであらねばならない(学者でも、唯一の例外は、「知的生産の技術」などの著作がある生態学者の梅棹忠夫だが、ここでは名前を挙げるだけに止めておく)。
コナン・ドイル(以下、ドイル)と言えば、忽ち思い出されるのはシャーロック・ホームズだが、小生が初めて読んだのは、1951/52年、月曜書房から、延原謙が訳した「ホームズ全集」全13巻だ(これは、後に、新潮文庫に収められた)。その後、70年以上も、所謂、ホームズものは読んでいないが、今に至るも記憶に鮮明に残っているのは、短編では「赤毛組合」、長編では「バスカーヴィル家の犬」だ。「赤毛・・・」は、そのトリックが単純であるが故の見事さ(小生の記憶に間違いがなければ、アガサ・クリスティーは「バートラム・ホテルにて」(1965年)で、そのトリックを巧みに応用している)、「バスカー・・・」は、家族の皆が寝静まったところで読んだのだが、その犬の恐ろしさに今にもその犬が出て来るのではないかと、暫し、眠れなくなった。とにかく、全13巻の一冊一冊が出るたびに、それこそ、寝食を忘れ、ホームズの推理に胸躍らせて読み耽ったものだ。でも、今やホームズと言っても、英国BBCのテレビ・ドラマ「シャーロック」のベネディクト・カンバーバッチ演ずるホームズしか思い浮かべない人もいるだろう。
ここで余談。先日、山田風太郎の「明治十手架」(1988年)上下巻を読んだのだが、その下巻に「黄色い下宿人」(1953年)と言う短編が掲載されている。話し手はワトソン、主人公はホームズ、所謂、ホームズもののパスティーシュ(既存の物語をもとに、新しいストーリーを生みだすこと)だ。これが滅茶苦茶面白い。夏目漱石に「クレイグ先生」と言う短編があるが、そのクレイグ先生(ここでは博士)の隣家の大富豪が行方不明となり、その解決のためホームズがクレイグ宅を訪れる。そこに、黄色い下宿人が訪れ、ワトソンがホームズの解決案を「神の如き明察」と呼んで賞賛するのだが、直ちに黄色い下宿人がその間違いを指摘し、ホームズの鼻をまんまと明かす。そのホームズをも凌ぐ名探偵、黄色い下宿人が夏目漱石と言う痛快無比な物語だ。後書きで山田は、夏目の「文学論」序の中の、「倫敦に住み暮らしたる二年は尤も不愉快の二年なり」を引用している。
閑話休題。知る人ぞ知る、ドイルには全く別の面があった。それは、心霊現象を信じていたことだ。その切っ掛けは、第一次世界大戦後に、母と弟を亡くし、超常現象を信じることで、寂しい気持ちを紛らわせるためだった。
そこで、ここでは二つの典型的な挿話を挙げてみよう。一つは、1917年7月のイングランド中部、コティングリーの妖精事件だ。二人の少女がカメラを持ち、小川で数枚の写真を撮った。現像すると、そこには羽が生えた小さな妖精が写っていた。これは、66年後の1983年、二人は捏造(妖精の絵を模写して切り抜き、ピンで木の葉に固定して撮っただけの単純な代物だった)だったと告白している。ところが、当時、ドイルは本物の妖精だと主張した。もし妖精の写真が世間に受け入れられたら、霊の存在も信じて貰えると言う魂胆だったらしい(インチキと言えば、日本にも、2014年、小保内晴子のSTAP細胞事件があった)。
もう一つは、1926年12月のA.クリスティー失踪事件だ。失踪の原因は、クリスティー自身も何も語っていないし、今に至るも不明のままだ。ここでは、ドイルは心霊捜査の手法を用いた。クリスティーの手袋をその夫から借り、知人のサイコメトリー(ものに触れたり近付いたりすることで、その所有者に関する事実を読み取る行為)を得意とする霊媒師に渡すと、その霊媒師は立ちどころに「アガサ」と言う。そこで、ドイルはその霊媒師の能力を一層信じるようになる。加えて、「この人は死んでいない、次の水曜日に分かる」と言う。実際にクリスティーが見つかったのは12月14日の火曜日だが、それが水曜日の新聞に載ったことから、ドイルは予言が当たったと強弁した。その上、新聞に寄稿し「英国の警察は心霊捜査を導入すべきだ」とまで主張した。
でも、幸いなことに、著者も言っているように、「最後までホームズを心霊の世界に連れて行くことだけは踏みとどまった。おかげでホームズは、今も“理性の人”でいてくれている」。
