(HPOB 菅井)最近、生成AIとの対話を楽しんでいます(
菅井:
一般的に米国人は「自由・権利」
ChatGPT:
結論から言えば 「はい、その通り」 です。
アメリカでは 「自由・権利」>「国家・治安」 という価値観が強く、
(42 安田)AI恐るべしの「目から鱗」の好例ですね。
AIは、 将来人間社会にとって益々便利さと効率化をもたらす有益な武器で もあるし、 一方では人間を無力化して失業を助長する殺傷力のある武器にもな り得そうです。1980年代のデジタル到来から僅か半世紀で昔であれば数世紀か かったであろう変化と進歩(と呼ぶべきか?だが) を可能にする恐ろしい(?)世の中になりつつある感じがします。 IT・AIの普及は「考える葦」 の人間から考える力を奪う恐ろしさを持っていて、 しかも人間はそれを制御出来ないのでは。 AIにコントロールされず、人間がAIをコントロールする、 両者の確執が益々激化しそうです。 AI時代に求められる人間の能力・ 属性は明らかに我々の時代とは異なって来ています。老兵は、 不便ではあったかも知れないがアナログの時代が懐かしい!
(42 下村) AIの回答はすばらしいと思います。
教授の立場にある先生方が、提出された学生の論文にコピペの疑い を抱く理由がわかりますね。 最近は手書き論文を提出させようとする動きもあるようです。
私がチャットGPTを試してみて驚いたのは、 そのリスポンスの早さです。 ほんの十数秒で答えが返ってきたことには本当に驚きました。
(編集子)下村菅井両兄のご卓見、拝受。
ただ、小生には、 AIのもたらすことによって物事が解決されていく( とまではいかなくとも思考の中心をなす)、 ということにはなじめないものがあります。したがって、 AIは素晴らしい、という感覚には到底到達できません。
菅井君の例でいうと、核融合の話については、 これは真理は一つしかないはずの自然科学の領域の話なのでいいと して(僕の感覚では、ここでいう結論はインテリジェンスではなく、 大規模超高速のデータ集積の域を出ないと思いますので)、 アメリカの政治の根本原理、 という論議については大いに異論があります。 アメリカ人の多くは、という制限句がありますが、 ここでサマリーされ、論議の前提になっている 国家は市民の敵になり得る という観察は正しいのでしょうか。
アメリカ論の古典はトクヴィルからはじまり、多くの本が書かれてきたし、現代アメリカについての論議はあらゆる領域で、 百花繚乱と言っていいものがあります。それらが絡み合って、 混乱しながら歴史を進めていくのがこの国であり、 国家は市民の敵、うんぬんの前提はあまりに独断的だと思います。 こういう場合こそ、多くの文献意見を自ら探す、 という行動が求められるはずです。
このような問題に取り組むにあたって、 AIが有効なツールであることはもちろん賛成しますが、 その解答をもって真理と考えることは間違っていると思います。 AIの結果をうんぬんするのではなく、 そのツールがあるゆえに個人が努力し解釈し敷衍していくプロセス がないがしろにされていくのではないか、 といういわば恐怖があります。
豪州や北欧では、AIを包含するIT思想に対して、 国家的な規模での反省があるように聞きます。 日本でも文部省の出羽守連中が相も変わらずの愚策を弄しています が、このあたり、教育から始まって、 国家レベルでの論議が始まってほしいものです。
(普通部OB 菅原)ジャイ 大兄、貴兄の生成AIに対する意見に全面的に大賛成。小生、毎月「月刊陸上競技」に原稿を寄稿している、所謂、ライターですが、多分、英語で生成AIを使えば、楽に一丁上がりとなるでしょう。しかし、ボンクラなりに考えることがなくなったら、それこそ痴呆症になりはしないかと愚考します。また、調べて、考えると言う楽しみも無くなってしまいます。楽しみのなくなった人生なんて、生きている意味がない。生産性なんて無視して愚鈍にも今までのやり方を踏襲して行きます。
(編集子)AI という怪物がいまや地球上いたるところで論議を巻き起こしているようだ。本稿ご覧の各位の忌憚ないご意見をぜひ投稿いただきたい。
