三連休が終わったの
湯島天満宮の梅を歌った『婦系図』の歌(湯島の白梅)』(194
湯島通れば 思い出す
お蔦主税ちからの 心意気
知るや白梅 玉垣に
のこる二人の 影法師
湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)は、東京都文京区湯島三丁目に
道真は平安時代の人、当時の学問といえば漢学である。その漢学の
東風吹かば にほひをこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな
江戸時代には幕府の崇敬・庇護を受け、江戸・東京における天神信
梅の香やすずなり絵馬に目をみはる 絵馬結ぶ視線の先の紅梅よ
(プレパト 夏井いつき選)
(編集子)慶応高校2年B組の仲間たちの多くとはKWVを通じでも親友付き合いを続けている連中が多い。広田順一はその仲間ではないが、なんとなく人好きのする、”好漢” という形容詞がぴったりくる男だった。学生時代、麻雀をしなかった小生は仲通りの雀荘というものに上がったことはないが、このあたりに生息していたKWV仲間の代表である吉牟田正稔によれば、もっぱら敬遠したほどの凄腕だったそうだ。広田は湯島近くの大店の息子で、よく ”ゆーしまとおれええばあ” と歌っていたものだ。午後の授業をさぼって見に行った エデンの東 の真っ最中、暗がりで食べていた弁当箱を取り落として大きな音を立て、まわりからにらまれた一件を引き起こしたのもやつだった。香港の中国返還前夜、当時現地にいた彼の発案でB組時代の担任だった恩師片倉先生ご夫妻とともに香港旅行をしたりした。KWV組とは違って、会う機会も少なくなっていって、最後にあったのがいつだったか、思い出せない。
しかしそれもまた、”青春時代” の追憶のひとつのありかただろうか。なんだか、梅の花が広田に似合うように思えてきた。