湯島天神   (普通部OB 船津於菟彦)

三連休が終わったので空いて居るかと都バスを飛ばして「湯島天神梅まつり」へ行って観ました。なんと光輝後継者が沢山。結構混雑。梅も殆ど咲いてきていました。

湯島天満宮の梅を歌った『婦系図』の歌(湯島の白梅)』(1942年 歌唱:藤原亮子・小畑実)は戦中時の歌として大ヒットしました。

湯島通れば 思い出す
お蔦主税ちからの 心意気
知るや白梅 玉垣に
のこる二人の 影法師

湯島天満宮(ゆしまてんまんぐう)は、東京都文京区湯島三丁目にある天満宮で、菅原道真を含む二柱の祭神を祀る神社。通称は湯島天神(ゆしまてんじん)、旧称は湯島神社(ゆしまじんじゃ)。
道真は平安時代の人、当時の学問といえば漢学である。その漢学の学者の家系に生まれた道真は優れた才能を発揮した。詩歌にも長けていて、漢学者なので最も得意なのは漢詩であろうと思われるが、和歌も言うまでもなく素晴らしい。そのため碑文にもあるように、詩歌の神様とも呼ばれるのでしょう。


梅を詠んだ道真の有名な和歌は何と言ってもこれ。

東風吹かば にほひをこせよ 梅の花
主なしとて 春を忘るな

江戸時代には幕府の崇敬・庇護を受け、江戸・東京における天神信仰の中心となり、学問の神様として知られる菅原道真を祀っているため受験シーズンには多数の受験生が合格祈願に訪れます。

梅の香やすずなり絵馬に目をみはる                    絵馬結ぶ視線の先の紅梅よ

(プレパト 夏井いつき選)

(編集子)慶応高校2年B組の仲間たちの多くとはKWVを通じでも親友付き合いを続けている連中が多い。広田順一はその仲間ではないが、なんとなく人好きのする、”好漢” という形容詞がぴったりくる男だった。学生時代、麻雀をしなかった小生は仲通りの雀荘というものに上がったことはないが、このあたりに生息していたKWV仲間の代表である吉牟田正稔によれば、もっぱら敬遠したほどの凄腕だったそうだ。広田は湯島近くの大店の息子で、よく ”ゆーしまとおれええばあ” と歌っていたものだ。午後の授業をさぼって見に行った エデンの東 の真っ最中、暗がりで食べていた弁当箱を取り落として大きな音を立て、まわりからにらまれた一件を引き起こしたのもやつだった。香港の中国返還前夜、当時現地にいた彼の発案でB組時代の担任だった恩師片倉先生ご夫妻とともに香港旅行をしたりした。KWV組とは違って、会う機会も少なくなっていって、最後にあったのがいつだったか、思い出せない。

しかしそれもまた、”青春時代” の追憶のひとつのありかただろうか。なんだか、梅の花が広田に似合うように思えてきた。