コロナは俺にもやってきた   (34 船曳孝彦)

これまで繰り返しコロナに罹らぬよう注意を喚起してまいりましたのに、なんと私自身がコロナになってしまいました。 なんとも面目なく、居心地の悪い日々を送っています。以下ことの詳細を告白いたします。

 8月下旬まで快調で、たまたま名古屋での予定が重なり、ハードなスケジュールが予定されておりました。8月29日風邪気味で、咽頭痛あるも1日のみで、痰は少々増えましたが、咳や発熱なし。その後なんとなく不調で、9月に入り傾眠傾向強く、頭がスッキリしない日が続きました。味覚が失われることはありませんでした。コロナらしい症状がなくともコロナ後遺症のような状態(Brain Fog)がありうるだろうかと、大阪の外科医の友人(コロナに2回感染し、後遺症があった)に相談したところ、「あるかもね」ということだったので、9月6日友人と逢う前に、藤田医大の名古屋分院で検査をしてもらったところ、夫婦ともどもPCR陽性と出てしまいました。

 6日、7日は、名古屋で慶應同期生夫婦2組との食事会、研究会(私が現役時代に深く関わった)の世話人会と懇親会、研究発表会、藤田医大消化器外科同門会、さらに個人的な相談受け、などと目一杯の予定がありましたがすべてキャンセルとなり、そのまま帰宅となりました。後期高齢の友人たちにうつさずに済んだことで満足すべきでしょうか。

 私自身≪コロナ情報≫を出し始めた2020年、間質性肺炎を発症した2021年の時から『間質性肺炎と新型コロナ肺炎が合併すると、肺胞の表裏両面からのダメージとなるので、極めて危険である』ということを書いてきました。藤田医大教授からも『先生はハイリスクですから抗ウィルス剤を飲み始めましょう』とその夕刻より服薬し始めました。かなり強烈な副作用があり、下痢、食欲不振に悩まされましたが、5日間の服薬終了後には落ち着き、傾眠傾向もそのころから改善してきました。

 9月19日は慶応大学呼吸器内科の定期受診日でしたので、レントゲンや検査データがものすごく心配でした。教授からも『ラッキーでしたね』と言われましたが、レントゲンはまずまずで、間質性肺炎のマーカー(KL-6)も、炎症のマーカー(CRP)も8月受診時より悪化はしているものの、間質性肺炎に特有のいわゆる急性増悪とまで行かずに留まっていました。経過を通じ、発熱や上気道炎などのコロナらしい症状は一切なかったものの、KL-6、CRPはもう少し悪化したものが、今は改善されてこの値となっているものとも解釈されます。

 畏友黒木登志夫氏の近著【死ぬということ 医学的に、実務的に、文学的に】=中公新書=に触発されて、私の幼少期から米寿までの度重なる死への接近から、【私の健康史:死線をすり抜けて】という駄文を書きましたが、今回またもすり抜けたことになります。

 10月には再び名古屋に参りますし、11月には神戸、宇都宮へとも予定されています。現在、体力は一段と落ち、歩行も疲れが目立ちますので、これまでの社会復帰のペースは落とさざるを得ませんが、それでも前を向いて進もうと思います。やっとこのご報告も書き残す気になりました。

 たかがコロナ、されどコロナ。皆さんくれぐれもご注意を