エーガ愛好会(95)  フォートブロックの決闘  (34 小泉幾多郎)

自分の牧場を持つことを夢見る青年ラット(ドン・マレー)が、徐々に野心を燃やすようになり、酒場女で娼婦のキャリー(リー・レミック)と知り合い、彼女が大切に貯めてきた資金を元手に土地を買い、トム(スチュアート・ホイットマン)を相棒に、牧場経営に成功して行く。キャリーと親しさを増すことで、彼女と懇ろだった町の有力者イエフ(リチャード・イーガン)との関係が怪しくなってくる。ラットの牧場は、銀行頭取のコンラッド(アルバート・デッカー)の引き立てもあり、順調に推移し、その姪(パトリシア・オーエンス)と結婚することになった。しかし、別の娼婦と結婚することになった相棒のトムを誹謗したことから仲違いし喧嘩別れしてしまう。

トムは馬泥棒に身を落とすことになり、イエフ達からリンチを受け死んでしまう
やら、イエフに殴られたキャリーが大怪我する等支えとなってくれた人々の不幸な出来事が続く。イエフの悪どさに怒ったラットは、人々から出世に逆らうことから、やめろとの説得を振り切り、酒場でイエフと殴り合うことになった。劣勢になったイエフが、ラットに向け銃を向けたと同時に、イエフは銃声に倒れた。キャリーがピストルを構え立っていた。当然皆が見ていることからキャリーの正当性は疑えないにしても、内心ラットはキャリーを弁護することを誓うのだった。

以上があらすじ。野心ある若者は、ナイーブで腕に自信もなさそうだし、早撃ちでもなく、銃は殆んど撃たない、最後に酒場で殴り合いをする程度。西部劇の爽快さは求めようがない。それでも開巻から、また途中でも、原題名の主題歌がハリー・ウオーレンの歌で唄われると、これぞ西部劇とも思える。主人公は、かって世話になった娼婦と出世した現在の地位との狭間で悩むのだった。西部劇ではあるが、それまでの単純な強い男のアクションから現代的なドラマを扱った西部劇に転換を試みた作品と言えるだろう。

 監督は、SF特撮で名を残したリチャード・フライシャーで、恋愛、ギャング、戦争、歴史スペクタクル等あらゆるジャンルを手懸けた。主演のドン・マレーは「バス停留所」でのモンローとの共演が有名。リー・レミックは「酒とバラの日々」でアルコール依存症を演じた。パトリシア・オーエンズは「サヨナラ」でマーロン・ブランドの婚約者を演じていた。

 

 

(編集子)見るつもりだったのが用にかまぇて見損なった。リチャード・イーガンに テーブルロックの決闘 以来会える機会を逸したのが残念(この映画にはあのドロシー・マローンがいたこともあって彼の陰影のある演技がよかった。

 

”山小屋” の問題について     (大学OB  小関健)

友人から送られてきた紹介文ですが、ご興味があろうかと思い転送します。

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『山小屋クライシス 国立公園の未来に向けて』
吉田 智彦 著 山と溪谷社(ヤマケイ新書)
2021/09 192p 990円(税込)
まえがき コロナ禍が浮き彫りにした小屋の問題
1.山小屋が抱える諸問題
2.国立公園の歴史と構造
3.対談「これからの国立公園」【イントロダクション】
登山を趣味にする人以外には意識されないだろうが、さまざまな社会的要因から危機に瀕している重要インフラに「山小屋」がある。山小屋は単なる休憩・宿泊場所ではない。登山者の安全管理や非常時の対応のほか、登山道の管理など環境保全といった公共的機能を果たしており「なくなっては困る」ものなのだ。本書では、日本の山小屋、そしてその役割が重要になる国立公園について、差し迫った数々の問題を紹介しながら、それらの背景にある行政の意識や構造的課題、法制度のほころびなどについて、山小屋のオーナーをはじめとする当事者・関係者への取材をもとに論じている。

危機」を浮き彫りにしたのは、2019年6月に、山小屋へ物資を運ぶヘリコプターが機体故障により運航停止になり、多くの山小屋の運営に影響を及ぼした出来事だ。山小屋の脆弱な状況とその原因は、日本の社会構造そのものの欠点にもつながっているようだ。著者は1969年、東京都出身。20代半ばに勤めていた会社を辞めて、ニュージーランド、カナダ、アラスカなど諸国をまわる。カヤックやトレッキングを通じて自然と人間のあり方を考えるようになり、エッセイ、ノンフィクションや写真、絵を発表しはじめ、現在も活動を続けている。

●山小屋は単なる宿所ではなく、さまざまな公共的な役割を担う

2021年7月現在、山と溪谷社が運営するヤマケイオンラインに登録されている山小屋は、全国に1,169軒。その業態は、大きく分けて営業小屋と避難小屋からなっている。営業小屋では有料で食事や寝具が提供されるのに対し、避難小屋は原則、無人で無料もしくは維持協力金などを支払うことで使用できるものと、緊急時の使用に限られるものがある。

営業小屋は、旅館業法では簡易宿所に該当するが、その機能は単なる宿所にとどまらない。環境省による「『国立公園』とは?」という資料では、「山小屋の機能」として次のものが挙げられている。「宿泊の提供」「物資の供給(売店・食堂)」「休憩所」「登山者に対する情報提供・安全指導」「給水」「公衆トイレの提供」「医療(診療所)」「救難対策(緊急避難所・救助)」「登山道等の管理・清掃」

しかし今、多くの営業小屋がさまざまな理由で危機的な状況に陥っている。もし、彼らが営業を続けられず、山小屋を閉鎖した場合、その山域は宿所を失うだけでなく、環境保全の面でも人命救助の面でも、空洞化してしまうことになる。

●山小屋の危機を浮き彫りにした「ヘリコプター問題」

2019年6月下旬、山小屋物資輸送業界最大手のヘリコプター会社、東邦航空の機体が故障し、北アルプスを中心に荷上げ作業(*平地から山小屋へ物資を供給する作業)ができなくなり、正常な状態に戻るまで約1カ月間を要する事態に陥った。ちょうど夏山シーズンに向けた小屋開けの準備期間と重なり、約40軒の山小屋が開業を延期したり、食事を出せない、改修工事ができないなどの影響を受けた。

東邦航空による山小屋物資輸送業界の占有率は約8割に及ぶ。そして、北アルプスや南アルプス、八ヶ岳などの山域を営業区域とする同社松本事業所では、故障によって輸送が滞った2019年6月当時の物資輸送用の機体数は3機だった上に契約数は約120件あった。その3機のうち2機が、一時的に飛行できなくなった。

これを偶発的なトラブルとしてやりすごすのではなく、山小屋、さらには国立公園の存続に関わる大きな問題として世間へ発信したのが、北アルプスにある雲ノ平山荘主人、伊藤二朗さんだった。山荘の公式ホームページで「登山文化の危機! 山小屋ヘリコプター問題」というタイトルのレポートを発表した。その要所を抜粋する。

「今まで行政が山小屋の公共性を正式に評価し、制度に落とし込むことをしてこなかったため、いざ山小屋が存続に関わる重大な問題に直面したとしても、山小屋の運営を公的に支える仕組みや法律が存在しない。例えば何らかの理由でヘリコプター会社が山小屋の物資輸送から全面的に撤退、それによって山小屋が経営困難になり、結果的に国立公園の運営に重大な支障をきたすとしても、民間事業者の個人的なトラブルという位置付けに過ぎず、他のヘリコプターを行政が手配するなどの代替え措置も存在しない」

伊藤さんは2020年2月、個人名義で「『山小屋ヘリコプター問題』協議会設置の要望書」を作成し、環境省自然環境局長宛に提出。この要望書の中で、ヘリコプター会社の山小屋物資輸送事業が、なぜ現在のような状況になったのか、産業構造の面から分析している。その内容に当たる主なものをふたつにまとめてみた。

1 90年代のバブル崩壊後、スキー場建設や農薬散布、林業などのヘリコプター需要が急激に落ち込み、ヘリコプター会社同士の統廃合が進んだ。その一方で、当時比較的安定していた山小屋物資輸送の需要に各社が力を注ぎ、山小屋との契約を結ぼうと争奪戦が繰り広げられ、価格競争により料金が安価に抑えられていた。

2 2011年に起きた東日本大震災後、電力会社の事業再編でヘリコプター需要が拡大。全国的な防災・減災を目指す国土強靭化計画関連の公共事業、リニアモーターカー関連事業などの巨大事業が増えると同時に国策によるドクターヘリの需要増加から、ヘリコプターの供給力が不足状態になる。そんな中、それまで、3、4社で共存していたヘリコプター会社が「ハイリスク、ローリターン」の山小屋物資輸送事業から撤退を始める。残った東邦航空が8割の輸送を担うことになっていった。

伊藤さんは、航空業界で行われている事業の中で、行政の補助金で運用されるドクターヘリや消防・防災ヘリ、リニアモーターカーのような公共事業が大半を占めるようになったことも大きいという。それに対し、高高度の山岳地帯で物資を機体外に吊るして操縦するという、高度な技術を要するパイロットを養成するために必要な時間と経験の場となっていた農薬散布や治山関連の作業が、時代の変容とともになくなったことにより、山小屋物資輸送の人材も育たなくなってしまっているのだ。その結果、この事業は縮小の一途をたどっている。

インフラが整備された場所の規制を山小屋に適用することで生まれた「ほころび」

建物は老朽化する。特に高山帯にある山小屋は、1年の約半分を雪に閉ざされ、休業せざるをえない。休館中に、ひどいところでは建物が丸ごと雪の中に埋もれてしまうこともある。そのため建物の傷みが早く、最悪の場合、春に行ってみたら崩壊している可能性すらある。
壊れれば直さなければならない。また、利用客の数やニーズによって改築や増築をしなければならない場合もある。増改築に伴う建物の構造や建材の種類などは、現行の建築基準法や旅館業法などの規制が適用されることになる。

建築に関する規制のひとつである「エネルギーの使用の合理化等に関する法律」(省エネ法)は、断熱効果の向上やエアコンを省エネ設計のものにするように促す法律だ。これは、山小屋も建物の延べ面積が該当すれば、例外なく適用される。しかし、「エアコンを完備した山小屋など日本にはありません。約半年を雪に閉ざされ、無人となる山小屋に、それほどシビアな省エネ基準が必要か、疑問が残ります」と、全国で3番目に古い営業小屋である常念小屋のオーナーである山田健一郎さん。

建築基準法も消防法も、規制の対象となる建物が、道路・水・電気といったインフラが整備されている場所にあることを大前提に作られている。そのため、山小屋でこれらの規制を守ろうとすればオーバースペックになることがあったり、そのためだけに余計なエネルギーが必要になったりすることが多々あり、時には逆効果となって建物を傷める原因になってしまう。結果、さらなる費用がかかってしまうことにもなりかねない。
こうした現行法の規制を受けずに、建物を維持管理する方法がある。それは、「修繕」を小まめに行うことだ。小規模な修繕であれば、建築基準法の届け出は不要なのだ。とはいえ、資材が必要となれば物資輸送が必要になり、自ずとヘリコプター問題につながっていく。

そんな事情を抱えた中、これまで登山人気を牽引してきた中高年の人口が減りはじめている。そして近年、登山者たちの質や動向も変わってきているという。「コロナになって、宿泊者が大きく減ってテント泊や日帰りの登山者が増えました。山小屋宿泊の『密』を避けたこの流れは、コロナ禍が収束しても変わらないでしょう。宿泊売上を主として維持してきた山小屋の営業努力だけではどうにもなりません」

2021年、こうした状況が続けば山小屋の存続そのものが危ぶまれると、北アルプスにある5つの山小屋団体からなる北アルプス山小屋協会が2割程度の値上げを発表した。ここで興味深いのが、この値上げに対して利用者へ理解を求める文書に、北アルプス山小屋協会と並んで、北アルプス山域を管轄する環境省の中部山岳国立公園管理事務所が名を連ねたことだ。経営面、しかも宿泊料の値上げという基本的には個々の経営者が判断するテーマに、民間とは一線を画すことが多い行政が名を連ねるのはとても珍しいことだったからだ。このことからも、山小屋の公的機能が重く見られていることと、現在の状況がいかに深刻かが見て取れる。

※「*」がついた注および補足はダイジェスト作成者によるもの

コメント: 健康増進だけでなく、自然に親しみ、環境意識を高める効果に鑑みると、登山文化は廃れさせてはいけないものだと思う。だが、その登山文化を守る上できわめて重要な役割を担う山小屋が危機に瀕し、その解決の大部分が民間のみに任せられている、そしてそのことが一般に認識されていないのは大きな問題といえる。山小屋が危機を脱するには、修繕や物資輸送インフラの確保など「機能を維持する」のと同時に、デジタル技術など新しいものを取り入れて「魅力を高める」という、いわば「両利き」の方策が求められる。後者は民間の努力によるところが大きいが、前者には行政の支援が不可欠といえよう。山小屋と行政、そして登山者をはじめとする我々一般市民が協力する場が、ネット上などに用意されるのが理想ではないだろうか。

(編集子)三国峠麓に我々の三国山荘が建設されたころの熱気に満ちたことが思い出される。観光立国、といいながら現実には行政の怠慢と杓子定規の現実を改めて考えさせられる一文である。

”とりこにい” 抄 (13) 中山峠

夫婦ふたりで気ままに歩ける時期が終わり、同期の仲間たちとの都合の調整も難しくなってくると、アラインゲーエン、などというのはおこがましいが、一人で出かけることが増えた。地理的なこともあったが、たしか加藤泰三の ”霧の山稜” の一節に(ケベック地方を思わせる)と書いてあったのが心に触れて、それ以来、行くことが何回かあった、北八ツの周辺がほとんどだった。一度は知ったつもりで樹林帯に入り込んで道を失ってあわてたこともあったが、1年下の村井純一郎にすすめられて、高見石小屋にも数回投宿した。創業者が宿泊客と素直に語り合いながらストーブを燃やしてくれる、そういういい小屋だった。今は完全にコマーシャリズムに徹した、並の小屋になりさがってしまったようだ。

あの  “ 高見石”  はもう、ない。 

そのころ、サラリーマン生活にも倦怠感を覚え始めたころの晩秋の1日。

 

                            中山峠

無為 -

こそは尊きもの ー と信じていたあの頃

シラビソはおれのために初夏の歌を歌ったものだったが

無為とはなにか?

と 愚かにも問いを発してこのかた

彼女たちは秋にしか歌わなくなった

OCTOBER も暮れ方になれば

高い蒼さのなかで

彼女たちも からだ寄せあい

凍りつく冬の日を語り合うだろうが

いまはささやきかわす言葉も聞こえない

旅人は黙って西の峠を目指す

ふたたび

無為、とはなにかー

とつぶやきながら

 

乱読報告ファイル (12) マクリーン  女王陛下のユリシーズ号

高校2年の時、現在 ”エーガ愛好会” グループで鋭い視点のコメントを書いてくれているスガチューこと菅原勲にミステリの面白さを教わった。普通部時代にホームズ物・ルパン物は卒業していたし、、彼の言う通り、推理小説大国イギリスのものから始めようと、きっかけは覚えていないが初めて買ったのがメイスンの “矢の家” だった。この本の(というか翻訳の)持っていた独特のトーンですっかりファンになり,それからいわゆる ”本格物“ にはまってしまったのだが、そのほとんどすべてが早川ポケットミステリ、通称ポケミスだった。その後、読む範囲が広がって、冒険小説、というジャンルになると、今度は同じハヤカワだがサイズの小さい、ハヤカワ文庫を買うことが多くなった。結果、小生の書棚に並ぶ、ハヤカワ文庫本は数えたことはないが60冊はくだらないはずだ。しかしそのほとんどはすでに忘れ去られたというと寂しいが新刊でいまの本屋ではまず並ぶことのないものばかりである。ところが昨晩、なんということなく例の本屋へ立ち読みによったら、なんと、この本が復活しているではないか。嬉しくなってまた、買ってしまった。

グレゴリー・ペック、アンソニー・クイン、デビッド・二-ヴンの ”ナヴァロンの要塞” という映画を見た人は多いはずだ。しかし映画ファンの第一の関心は俳優であり、監督であり、時として音楽も論じられるが、作品の原作者に注意をはらうことはほとんどあるまい。この映画の原作者、アリステア・マクリーンの処女作が この ”女王陛下のユリシーズ号“ なのである。その後、マクリーンは数多くの傑作を残し、英国冒険小説を語るときにまず第一に語られる存在になっている。

第二次大戦で欧州本土を手中に収めたヒトラーは独ソ不可侵条約を踏みにじって、ソ連へ侵攻する。対ヒトラーで連合した英米両国は、共産主義国ソ連を敵視してきていたが、背に腹は代えられずソ連支援を行わざるを得なくなった。アメリカはそのため、大量の物的支援を行い、大船団をソ連の不凍港ムルマンスクへ送り続けるのだが、その援護のために英国はなけなしの艦艇を同行させる。そのうちの一隻、巡洋艦ユリシーズ(同名の駆逐艦がこの小説に描かれた戦闘の12か月後のに就役した)の1週間の苦闘を描いたのが本書である。当時世界最強と恐れられたドイツの新造戦艦ティルピッツと遭遇するかもしれない不安の中、ノルウエイの基地から発進してくるドイツ空軍機の猛攻にさらされ、船団を護衛するユリシーズ号の艦内ではどんなことが起きていたのか。

小生が愛読してやまないジャック・ヒギンズもその最初のヒット作 ”鷲は舞い降りた“ は同じ対ヒトラー戦のエピソードであるが、その成功のカギはなんといってもストーリーの意外性であり、同時に英国の敵国であったドイツ軍にもヒューマンな行動を貫いた軍人がいた、というテーマが成功のカギだった。これに対して本書はストーリーは単純であり、意外性もなく、ただひたすら、上部の無謀な要求に応えようとする乗組員の絶望的な行動を描いたものである。翻訳者村上博基はあとがきで、吉村昭の ”戦艦武蔵“ が同じようなシチュエーションを描いた傑作ではあるが、読後に記憶に残るものが7万トンの鉄塊であるのに対し、本書のそれは “英国軍艦ユリシーズとその男たち” という響きを持つ、と書いている。そして、

“すさまじい,荷酷、凄絶, 呆然, 轟然 ……. 訳者の語彙貧困は苦笑を買うだろうが…くりかえし使われる形容語句がなんの煩瑣も感じられず…マクリーンの筆はたかだかとうねる大波のように、ページを塗りつぶす“

と書いている。僕も同じように、ただただ、圧倒された、という印象を持つ。本書のエピローグでは, 生き残った語り手二コルスが松葉杖をひきながら海軍本部へ報告に訪れる。報告を終わって帰ろうとする二コルスに、上司はこれからどこへ行くか、という尋ね、彼が女性(実は死んだ親友の婚約者)を訪ねると知って、”美人だろうね“とありきたりの社交辞令をつけくわえる。これに対しての二コルスの返事がこの作品をしめくくる。 

……”知りません“ 彼はものしずかにこたえた。 ”知らないのです。会ったことがないのです“

彼は大理石のゆかをこつこつと鳴らし、いかめしいドアを抜けると、不自由な足で陽光の中へ歩み出た。

1週間の冬の北極圏での死闘で、この”陽光“を待ち続けて、それがこういう形でしか戻ってこなかった、戦争という無意味さのなかでの現実が僕の心に突き刺さった作品だった。

”海洋冒険小説” というジャンルを毛嫌いしておられる方も多いようだが、せめてこの一冊、試していただいてもいいのではないか。早川書房にはなんの義理もないが、定価940円、気楽に投資されることをお勧めしたい。

 

 

新政権に期待するコロナ対策    (34 船曳孝彦)

第5波は理由が説明つかぬまま、収束に向かっています。このまま終息して欲しいところですが、まだまだ安心はできません。やがて第6波がやってきます。私は日本で大流行したデルタ株自体の波はほぼ終わったと見ていますが、デルタ株からの変異株がすでに数種類見つかっております。デルタ株以外からの変異株も発見されています。日本では急速に収まって来ていても、世界ではまだまだ拡大していますから、これらからの新たなパンデミックが起きる可能性は大いにあるといってよいでしょう。

最も重要な第6波対策は、海外からの新変異株の流入を何とか阻止することです。業界は観光客激減を回復すべく躍起になっていますが、観光客、日本人帰国者全員のPCR検査をし、検疫の徹底と分析、そしてその追跡が必要です。

対策の第2は新しい株に有効なワクチンを早く作成することです。RNAワクチンですから可能と思います。実績のない研究に冷たい日本の科学研究費体制を変えて、研究費を注ぎ込んで欲しいと思います。さらに文科省が出した「ワクチン接種を強制しない」という通達はネガティブキャンペーンです。接種率を100%に近づけるようにするのが国の努力義務だと思います。

対策として、病床確保があります。選挙公約に使いやすいので、いろいろと言われておりますが、要はベッド数ではありません。中身と運営上の改善です。ここまでコロナ患者が減ってくると、病院側としても空床としておく訳にもゆかず、そうかといって入院できずに自宅で亡くなる人を出すことは二度と許されません。患者の流れを調整することがキーとなります。

これだけの世界的大災害ともいうべき新型コロナウィルスのパンデミックですから、何の対策も心配していなかった2年前の社会にそっくり戻ることはないでしょう。ワクチンも必要でしょうし、マスク頻用や大声での会話、三密回避など感染防御も必要でしょうが、インフルエンザ並みとなって、誰しもこの束縛から脱したいと思っていることでしょう。やがて新しく発足する政権が、科学者の意見を尊重する政治をしていただくことに望みをかけています。

遠隔医療への挑戦     

医療の高度化を放送技術によって支えよう、という試みがなされてきているが、KWV40年卒、林勝彦君の企画で行われるプログラムについて、42年河瀬君から情報を頂戴したのでプログラムの概要を紹介する。林君は今回の企画について、今回の講演の狙いは、8Kを使い『遠隔医療応用』で社会貢献を目指すもので、基礎研究から、臨床応用映像への現状と未来を語って頂く、と述べ、企画を主宰する新山賢治 企画舎GRIT(株) 代表取締役・プロデューサー 元NHK理事新山賢治氏について次の通り紹介している。

新山賢治理事は、Nスペ『驚異の小宇宙 人体』制作時に、80万倍電子顕微鏡を使い新映像を開発したパイオニアです。宇宙映像の名作『Powers of Ten』 の様に、ミクロの世界に『ドンドンズーム』する映像開発を依頼しました。失敗に次ぐ失敗でしたが、悪戦苦闘の末、6ヶ月後 世界で初めて80万倍の『シームレス映像』の開発に成功しています。この映像は、本格的なCG映像と共に、『人体プロジェクト』に多いに貢献してくれました。上映費用では負担をお掛けしましたが、話題作品となり、第60回科学技術映像祭『内閣総理大臣賞』を受賞しています。

なお、本プログラムでは河瀬君本人(現職塾医学部名誉教授、SVS副会長)もメインスピーカとして参加する。 

サイエンス映像学会 オンライン月例研究会  のお知らせ 

8K遠隔共存医療への挑戦 〜放送技術の結実で生命を救う~」

日時 2021年10月30日(土) 19:00〜20:30(予定)

場所 サイエンス映像学会 ZOOM会議室

お申し込み先

https://us02web.zoom.us/meeting/register/tZIkcumhrjotE9RjBHxiBGGacMO2DFaQXbQR

 

参加費用は無料ですが、Youtube「サイエンス映像学会・林勝彦ジャーナリスト映像塾」のチャンネル登録をお願いいたします。

 

YouTube「サイエンス映像学会・林勝彦ジャーナリスト映像塾」のチャンネル登録ボタンを押してください。

https://www.youtube.com/channel/UC241cbzOSUq-HVyafI-jEyA/videos

 

チャンネル登録のボタンを押していただきますと、配信時や新規動画のお知らせが届きます。

(河瀬君注)ピョコさんは元NHKエンタープライズのdirectorをしており、定年後ボランテイアとしてサイエンス映像学会(SVS)という名の学会を立ち上げ,サイエンス映像と医学、工学的な題材を扱い、11年になります。私はKWV後輩と医学部という関係で会長のピョコさんに創立依頼協力しており,最近はコロナを主題に1−2ヶ月に一回リモート講演会を行っています。

MCIについて―認知症についての正しい理解 (2)  (普通部OB 篠原幸人)

前稿で、一寸堅苦しかったけれど、「認知機能」とか「認知症」とは何かを解説しました。面倒がらず、読んでくれました?

しかし例えば「鼻かぜ」と「入院が必要な肺炎」の間に、「仕事を休むほどの風邪」とか「気管支炎」があるように、「正常な老化による物忘れ」と「治療が難しい認知症」の間にも、認知症とは言いきれないが、可なり物忘れが進行している状態がありえます。

これがMCI (Mild Cognitive Impairment) (軽度認知障害)といわれる状況です。この境目はかなり曖昧であり、専門家(脳神経内科医ないし精神神経科医)でないとなかなか診断がむずかしい、いわゆる境界領域の病気です。MCIの定義はいろいろありますが、一般的には、

① 本人や家族から「物忘れ」の訴えがある。

② 心理機能検査などで、加齢の影響だけでは説明できない記憶障害が客観的にみられる。

③ しかし、日常的な生活能力は自立している(普通に問題なく生活ができる)。

④ 認知症の定義(前稿の「徒然」を参考にしてください)にはまだ当てはまらない。

⑤ 認知機能検査の結果に影響するような身体疾患(難聴、言語障害、パーキンソン病、書字不能など)はない。

の①から⑤の全てを満たすものと言われています。しかし詳しくは専門医に、MRI・脳血流検査・神経心理検査などの結果も加味してしっかり診断してもらう必要があります。

MCIといわれてもガッカリすることはありません。MCIのうち15%ぐらいの方が2年以内に本当の認知症に進行する(逆に言えば85%はあまり進行しないということ)というデータがあります。しかし私が拝見しているMCIの方でも、もう数年たったのに、むしろ良くなって元気に過ごしている方もおられます。念のためにお薬を服用している方のなかにも元気でお過ごしの方は沢山おられます。発見が手遅れの場合は問題外ですが。

 大事なことは、一人でウジウジ心配せず、一度家族と一緒に(これが大切です。一人で行くと良いことだけ覚えていたり、逆に心配だけしたりするからです)専門医に相談に行くことです。検査には痛いものや、危険なものは何もありません。気の利いた病院なら1日か最大2日で全て調べてくれる筈です。認知機能の障害は誰にでも年齢と共に起こるのです。恥ずかしいことではありません、頭が一寸痛いことと同じと考えてください。

 ここからが重要です。大切なのは、MCIにならないあるいはMCIを進行させないことなので、それを説明します。

① まず、高血圧や糖尿病がある人はしっかり治療してください。これらの生活習慣病は、認知機能の増悪因子です。また血圧の乱高下も危険因子。だから以前の「徒然」で毎日、血圧を測る習慣をつけろと言ったでしょう。

② 心臓病(特に心房細動)、肝臓病、腎臓病、甲状腺機能低下などは認知機能に影響します。これらの持病を持つ人は、今、以上に悪くならないように主治医と二人三脚で。

③ お酒の飲みすぎ、タバコの吸い過ぎは当たり前だけれど増悪因子。目安は、酒は肝機能が悪くならない程度、タバコを吸いたいなら無人島にでもどーぞ。ヘビースモーカーは無症状のコロナ患者と同じで、本人の自覚はないが他人には大変迷惑。耳が痛い人、いるかなぁー。

④ 睡眠薬や精神安定剤の連用は無理に頭の機能を押さえつけ、服用しすぎは脳機能に障害を与えます。最近は私たちの身体の中のある睡眠誘発物質が睡眠薬として市販されはじめました。睡眠薬がないと眠れないと思っている人、主治医にすぐ相談してください。

⑤ 夜更かしも勧められません。もっとも、私も毎晩12時過ぎまで起きているけど。できれば10-11時には寝床に入って、読書でもすれば? 寝床で横になっているだけでもいいよ。夜中に何回かトイレで起きても、すぐまた寝られるなら睡眠としては問題なし。

⑥ 転ぶな! 年をとってからの、特に頭の外傷は認知機能低下に直結。

予防法としては、

① 今からでも、自分独自の「生きがい」を探すこと。散歩でも、老いらくの恋でも、嫁さんや会社の新人いびりでも、カラオケでも、なんでもOK。今からでは一寸遅いかな?

② 配偶者やいわゆるパートナーがいる人は、独身者より長生きで認知症にもなりにくいとのデータがあります。熟年離婚を考えている方、ここは我慢のしどころですね。今、独身なら頑張れ。何を?

③ 運動;強く勧めますね。特におすすめは、テニス・ゴルフ・卓球・野球など相手やパートナーを必要とするスポーツ。英国からそれらのスポーツを好む人はしない人に比べて長生きとの報告があります。もっともこれも今からでは遅いかな?

ここまでの話は、医師会や市民講座で私がする話の一部です。

大切なのは、認知症に限らず、気になることがあったら、手遅れにならないうちに、専門家に相談すること。 60歳過ぎたら、自分は大丈夫と自信があっても、一度は頭のMRIを撮るのも良いかもね。健康保険でカバー出来るよ。今回は少し長文になってごめんなさい。

エーガ愛好会(93) リバティ・バランスを射った男  (34 小泉幾多郎)

東京都心上空を飛行したブルーインパルスが残したスモークの真偽について、河野太郎防衛相(57)が返答で引用した映画「リバティ・バランスを射った男」に関心が高まっている。 河野防衛相は1日、公式ブログで、ブルーインパルスが上空スモークで「Thank You」を示す「TU」を描いたのではという問い合わせがあったとし、「私は西部劇の名作『リバティバランスを射った男』の大ファンですとだけ申し上げておきましょう」と答え、インターネット上では謎めいた答えが「粋だ」として話題になっていた。 2日夜、Amazonのサイトでは映画「リバティ・バランスを射った男」のDVDが、外国映画の「西部劇」のカテゴリーで「ベストセラー1位」と表示された。
NHKBSP金曜日放映の西部劇は「アパッチ砦」「黄色いリボン」ときたので、当然「リオグランデの砦」の騎兵隊三部作かと思いきや、ジョンフォード監督作品乍ら「リバティ・バランスを射った男」とは、どうしてなのだろう?この映画最近再評価されているにしても、gisanからモーリン・オハラの魅力の賛辞等で語り尽されているにしても、折角だから三部作は続けて放映してもらいたかった。
 開拓時代の名残をとどめるシンボーンの街に、ランス・ストダート上院議員夫妻(ジェームス・スチュアートとヴェラ・マイルズ)が列車から降り立った。記者会見で、トム・ドノファン(ジョン・ウエイン)の葬儀に出席のためと答えるが、その名前を知っている者がいない。画面は、ランスの回顧談と共に彼の青年時代にさかのぼる。
弁護士としてシンボーンに来る途中、ランスは銀の柄の鞭を持った男ら三人組に
叩きのめされる。それがリバティ・バランス(リー・マービン)とその部下(リーヴァン・クリーフとストローザー・マーティン)だった。ランスは、トムに助けられ、娘ハリー(ヴェラ・マイルズ)のいる町のレストランに運ばれる。ランスはハリーを愛するようになったが、彼女はトムの恋人だった。結局ランスとリバティは夜の町で対決することになるが、ランスは右腕を撃たれ、銃が落ちる、左手で銃を拾うランス、銃声がとどろき、倒れたのはリバティ。結果を知った人々が集まる中、ハリーが泣きながらランスの右腕を手当てするのだ。実際は、トムが陰から、リバティをこっそり射ち殺したのだったが誰も知らない。ランスの身を案じるハリーの心情を汲み取り、良かれと思ってやったことが、恋人をとられてしまうという現実にトムは泥酔、新婚用に建てた家に石油ランプを叩きつけるのだった。ハリーと住む筈の家がたちまち灰になった。この映画、アメリカ開拓魂の象徴トムであるウエインとアメリカ良心の象徴ランスのスチュアートが近代化押し寄せる西部での夫々の生き方、銃で統治する時代から法律で統治する時代という変わりゆく時代背景に、価値観の違う男たちの友情と確執が情感豊かに描かれている。暴力の繰り返しの中で秩序を拡大してきたアメリカの歴史を苦い痛みと共に文明化していく道程を描いているとも言えよう。また主要な舞台が、フォード監督がこよなく愛したモニュメントバレーといった砂塵の舞う荒野ではなく、コーヒーとステーキの香りが立ち込めるレストランだったということ、これは荒野に生きる男性的空間からキッチンという女性的空間が作品の中心になるという異例な舞台となっていること。おまけに怪我でレストランに世話になるランスとしては、返礼のためもあり、エプロン姿で皿洗い まですることになる。どうやらフォード監督は、ジェンダー論(男女の役割)にまで踏み込んでいるというのだ。即ちランスがエプロンという女性的記号で女性の領域に足を踏み入れた存在であり、文明・法・教育が付与されているとすれば、リバティは銃と鞭という男性的記号が付与され、荒野・暴力として位置づけられる。ではトムは、どうか?リバティと同じ銃の世界に生きてはいるが、ランスの世界の対する志向性も持ち合わせる矛盾した存在でもある。

ランスが持ち込んだ文明化の波をとめるものはなく、荒野は農園と庭園に代わり、銃の男トムは文明に住むことが出来なかったのだ。

主役ウエイン、スチュアート共に出演当時54,53歳だから30歳前後の役には、歳をとり過ぎてはいたが、二人とも役に嵌っており、年齢の違和感はそれ程感じなかった。スチュアートはぴったりの役回りだし、ウエインは助けた男に恋路を奪われる西部男の哀歓を演じていた。先週の「黄色いリボン」に引き続き、その演技に惚れ直したことだった。端役と言われる飲んだくれの新聞編集長エドモンド・オブライエン、気弱な保安官アンディ・デヴァイン、トムの黒人使用人ウディ・ストロード等夫々の役で好演していた。

(菅井)何年か前に90年代のニューヨークを舞台にした「リバティ・バランスを射った男」のリメイクの企画があると聞いた覚えがあるのですが、実際に制作されたのかどうかをご存知の方がおらればご教示頂ければ幸いです。

(安田)原題「The Man Who Shot Liberty Balance」について。The Manと定冠詞付きなので、その辺のある第三者の男ではなく、特定の男を指していることが先ず解る。邦訳ではShotを「射った」としている。現在形のShootを辞書で調べると、その意味は撃つ、射る、放つ・・などがある。敢えて「撃った」としないで「射った」としたのは特別の意図があったのだろうか?「射つ」は通常使わず「射(い)る」が普通の使い方。通常、鉄砲などで射撃する場合は「撃つ」で、弓を使って矢を射る場合が「射つ」とある。ならば、リバーティ・バランスは弓矢を射られたのかと思ってしまいます。考え過ぎだが、そんなことを頭の隅にいれて観ました。それから、リー・マーヴィンが好演した、射たれた男リバーティ・バランス(Liberty Balance)は不思議な名前。Libertyは自由、Balanceは均衡。こじ付けて訳せば、自由で均衡のとれた男とでもなろうか。主人公に殺される悪党の名前としてはユニークではある。実際にアメリかでは存在した(する)名前なのか?それとも映画を面白くさせるためのアイディアなのか?

(小泉)Liberty Valance のこと、よくよく見ると、Balance でなくて Valanceでした。Valance ですと辞書を引くと、垂れ幕とか、飾りものとかの意味ということで意訳すれば、勝手放題とか、気儘な振舞とかと解釈できないでしょうか。

(編集子)フォード一家、ということで言えば、投票所になるバーのバーテンダーはジャック・ぺニック、悪党面だが憎めない役でよく出ていた存在。”駅馬車” のトリビアで書いたが、リー・マーヴィンがスチュアートと対決すべくテーブルを離れるとき、彼の手は “死の手”、ウエインに射殺されるルークが持っていた、エースと8のツーペアだった。このあたり、フォードの綿密さに改めて感心した。

自然エネルギーの作り方  (高校OB 山川陽一)

信州の茅野から伊那高遠に抜ける国道152号(杖突街道)の道中にある杖突峠に守屋山(標高1650m)の登山口があります。東京から中央道を使って諏訪インターで降り、20分も走ればもうそこは登山口です。

登山口から山頂まではたおやかな尾根の樹林帯が続き、春の新緑、夏の深緑、秋の紅葉、そして落葉、残雪と、いつの時期に行っても最上級の自然が待っていました。樹林帯を抜け山頂に立てば、北アルプス、南アルプス、中央アルプス、八ヶ岳、蓼科、そして富士山まで眺望でき、まさに360度の大展望台です。朝早く自宅を出れば日帰りもできるこの山が私は大好きで、若いころから家族や友人と何回も登りに行っていました。

数年前、山仲間と韮崎の友人宅で酒を酌みかわし、明日は久しぶりに守屋山に登りに行こうということになりました。翌朝、杖突峠の駐車場に降り立ったとき、出鼻をくじかれる異常な光景を目の当たりにして愕然としたのです。登山口一帯のあの美しい樹林がごっそり伐採されソーラーパネルがべったり貼られているではありませんか。(写真)

“自然エネルギーをつくるために美しい自然を破壊する”果たしてこんなことがあっていいのでしょうか???

東日本大震災を契機に国家戦略として2012年に発足した電力固定価格買取制度(FIT)は、日本の再エネ拡大の原動力になってきました。特に太陽光発電は場所さえ確保できれば短期間に建設が可能だったことから一気に普及しました。全国各地で山林を切り拓き、農地をつぶして太陽光パネルをべったり張り付ける工事が行われたため、太陽光発電=自然破壊という悪いイメージが定着してしまいました。近年の大型台風や大雨で太陽光パネルが置かれた斜面が崩壊するなどの事故も全国各地で起きています。ほんの一握りの悪徳業者がそんなことをやったという程度にとどまらないところに大きな問題があるのだと思います。

景観保全と安全確保に対する住民の不安の声を反映してこの5年間に全国の自治体で再エネ設備の建設規制をするところが5倍に増えたそうです。(経産省調べ 2021.9.14日本経済新聞夕刊)

その一方、地球温暖化防止施策として2050年までにカーボンニュートラルを達成する方針が国から打ち出され、まずは2030年までにCO2の排出削減目標を2013年度比で46%に引き上げること(従来目標値23%)、並びに、再エネを日本の主力電源とすることが新しいエネルギー基本計画に明記されました。その柱となる太陽光発電についても、従来の目標値を倍増することになっています。ただ、すでに適地も少なくなっていることから、切り札として全国で28万ヘクタールあると言われている荒廃農地に着眼し、どうせ遊んでいる土地なら規制を緩和して太陽光発電事業がやりやすいようにする、そのために促進地域を設けたりソーラーシェアリングの設置基準を緩和したり等、種々検討がなされています。

ただ、懸念されるのは、それが自然破壊に拍車をかけるような事態にならないかということです。もしそんなことになれば本末転倒です。自然景観の保全と安全をしっかり確保しながら自然エネルギーも作り出すものでなければいけないでしょう。

百聞は一見に如かず。さあ、みなさん、さがみこベリーガーデン(SBG)を見に来てください。ここSBGは相模原市の津久井から山中湖に抜ける国道413号線沿いにある典型的な中山間地の農地ですが、つい2年程前、わたしたちがこの地に立った時は、農地とは名ばかりで、背丈を超える雑草に覆われ、どこから手を付けていいか頭を抱えるような、まさに荒廃農地と呼ばれても仕方がない場所だったのです。そんな場所を開拓してソーラーシェアリング方式で畑の上部で太陽光発電を行い下部で作物(ブルーベリー)を育てる、周囲の緑地も十分確保しながら、ここを観光農園+生産農園の事業として再生させようというのがこのSBGプロジェクトです。

自然景観を維持しながら自然エネルギーをつくる、今までなかった新しい素敵な景観をここにつくりたい、これがわたしたちの願いです。

(編集子)投稿者は小生の慶応高校時代からの友人、塾山岳部OB。 卒業後は日本山岳会で環境問題・自然保護に関する活動に従事。その一部として高尾山広葉樹林の再生を目指す ”高尾森づくりの会” の立ち上げをを主宰。本プログラムにはKWV36年卒鮫島君も積極的に参加してきた(同期生担当の日帰りプログラムは鮫島君の好意により山の会の小屋をベースに使用させてもらった)。電力問題には早くから取り組み、太陽光発電促進事業(たまエンパワー社)を創業。今回は自然保護の専門家としてオーストラリアに留学した長男勇一郎氏(たまエンパワー社社長)とともにSBG社を立ち上げた。縁あって小生とは同じ会社に就職し、なんと自宅まで同じ町内になったという親友付き合いをしてもらっている。大企業のバックアップなどなし、一市民という環境でゼロからの出発。わが友ながらただただ見事、という気持ちである。

なお、SBGのホームページアドレスは下記の通りである:

https://note.com/sagamico_farm/m/m837505dc898f