お天気がよかったので松本まで行ってきました   (HPOB 金藤泰子)

中央道から見える南アルプス 右から 北岳 間ノ岳 農鳥岳
安曇野 大王わさび農場前から望む常念岳
大王わさび農場 黒澤明監督の「夢」最終章の「水車のある村」のロケ地 物語のモチーフとなった水車
松本へ行くと必ず寄る 中町の うつわ屋さんの窓から
今日は満月でした

(編集子)しばらくご無沙汰の光景、懐かしく拝見。しかし会社時代のふたり、つまりミッキーとやっこ、こんなに活動的だったかなあ、とただ感服。つまり、いいんだな、テーシュが。

(船津)素晴らしいショットの写真深謝。上手いなぁiPhonが一番良く写りますね。ライカ・ニコンが何だろう?サラリーマン時代毎夏松本へ行きレストラン鯛萬でランチ戴くのが恒例でした。良い町ですね。好きです。

(金藤)船津さん、中町の写真、ご覧頂きましてありがとうございました。このお店は店主によって集められた暮らしの道具や器の並べ方が、お店と言うよりギャラリーのような雰囲気で好きです。

この日は晴天でしたから、蔵のある街 松本中町の なまこ壁も、古い商家の2階の窓からよく映えて見えました。 iPhoneのカメラもお天気次第でずいぶんと変わります。
このお店は店主によって集められた暮らしの道具や器の並べ方が、お店と言うよりギャラリーのような雰囲気で好きです。
この日は晴天でしたから、蔵のある街 松本中町の なまこ壁も、古い商家の2階の窓からよく映えて見えました。 iPhoneのカメラもお天気次第でずいぶんと変わります。「レストラン鯛萬  」美味しそうですね。 🍷ワインも戴きたくなりそうです。
松本へのドライブ旅行での昼食は、殆どいつも蕎麦屋巡りです。 電車で行く時のお楽しみにさせていただきます。

 

 

”北へ”

このブログがきっかけで生まれたメル友グループ エーガ愛好会  は本来のエーガ論を離れて投稿者がいろんな話題を持ち出しては議論を吹っ掛けあう、誠に楽しいグループになった。昨今の情報では、栄養やら運動やらも大事だが、社交性を維持することが老けないための重要なファクタであるというし、誠に結構なことだと思う。

ただ小生、幼いころから絵画彫刻あるいは建築といった、いわゆる造形美術の分野にはまったく関心を持つことなくここまで来てしまった。そのせいでこのメル友グループで活発な美術に関連した話題には全くついていけない。強がった言い方で言えば興味が全くわかないのである。自分が勝手に始めたことではあるが、ブログという公共性のあるツールをいじっている以上、情報は公平に扱うべきなのだが、わけのわからないことを報道することは我が慶応高校新聞会で叩き込まれたプライドが邪魔をするので、意地を張って無関心を装っている。

音楽、という分野についても同様だが、ここでは自分なりに好き、好きでない、程度の判断くらいはできる。旧高等学校出身のオールドリベラリストというか教養主義者だった亡兄からベートーヴェンを聞け,ゲーテを読め、と叱られ続けた(小生よりも8歳年上だった)こともあって、高校生のころには分かったふりをして当時流行していた音楽喫茶、なんてところに出入りしていた。その結果かどうかわからないが、自分の好み(だろうと思っている)曲を並べてみたら、その作曲家群がその道にうるさい仲間によるとロマン派と呼ばれる人たちだった、と知った。あまり数多くないCDを並べてみるとチャイコフスキーとかドヴォルザークにリスト、なんかがちらほらある、という程度なのだが、これがイージーリスニング、というのか昔風にポピュラーというあたりだと、曲ベースで好みがはっきりしてくる。一言で言えば、昨今の流行のようだが、リズムが前面に出てくる曲よりもやはりメロディアスなものが好みだが、あまり微妙なテクニックが云々されるような、デリカシーでございます、というようなやつも好きではない。ま、いってみれば、やはり昭和のおじさんの趣味なのだが、そうかといって妙に崩して歌われる演歌調や演歌の中核であることは理解しているものの、いき過ぎたこぶしは勘弁してほしい。

ふた月くらい前、しばらく使っていた自作アンプが故障してそれならと2日で作り直した奴が、やっつけ仕事はやはりうまくいかず、それなりの問題を抱えていて、ハムが気になる、というベーシックなトラブルがあって、クラシックものは敬遠してしまい、ここのところ、演歌というのか洋風歌謡曲というのかを掛け放しにしておくことが増えた。その中で、何回も飽きずに聞くのが小林旭の 北へ という曲なのだ。裕次郎全盛のころデビューしたアキラは言ってみれば裕次郎の二番煎じと言う役者だったし、ギターの弾き語りも好きではなかった。なぜこの曲だけが好きなのか。これは演歌、というジャンルの曲なのだろうか、という疑問が湧いた。

例によってグーグルで 演歌、の定義を探してみた。世の中に専門家という人はいるもので、その定義沿革について十分すぎるくらいの情報が見つかった。その中で、五木寛之が実在のプロデューサーをモデルにした 艶歌 という小説を書いているのを知った。サラリーマン5年目ごろにきっかけは忘れたが 蒼ざめた馬 青年は荒野をめざす と、学生時代に読んだ方がよかったような五木の作品に触れ、それから数年、彼の乾いたというか投げやりというか、ある意味ではハードボイルド(本人はもちろんそう思わないだろうが)ふうな作風が気に入って、だいぶ読んだのだがこの本は読んでいない。グーグルによればこの本の中で五木は 艶歌 というものを演歌の延長上に再定義し、欧米におけるシャンソンやジャズと同じような日本人のブルースであり、これを無視したときに日本人のナショナルソングはあり得ない。それまで 演歌 とされてきた音楽は大衆自身の声ではなく、インテリ警世の歌 にすぎず、“艶歌に転ずることによって庶民の口に出せない怨念悲傷を詩曲に転じて歌う” のだ、と書いているそうだ。グーグルの解説はほかにも専門的な見地から述べているが、素人受けする解説?として、その歌詞に “海・北国・北国の漁船・酒・涙・女・雨・歓楽街・雪・別れ” が出てくる曲、という見方も紹介されている。この定義は、この 北へ に100パーセント、あてはまるから、これは 艶歌 と言っていいのかもしれない。ま、それはどうでもいいのだが、小生にとってこの曲がなぜ特別か、と言えば、それは五木のいう 口に出せない怨念悲傷を詩曲に転じている からなような気がする。

他人から見れば調子よくサラリーマン生活を渡り歩いたくせに、と言われるだろうが、無理を承知で引き受けた企画が結局3年たっても陽の目を観ず、あたりまえだが首になって、体よく新しい機会をもらうことになったことがあった。表面はともかく自分では鬱々としていた時期が小生にもあったのだ。その時期のある日、職場旅行があった。酔い覚めの朝、旅館のジュークボックスで何か聞こうか、と逡巡していたとき、部下の一人が人目につかずにやってきて、”この歌、いいと思いますよ“ と勧めてくれたのがこの 北へ だった。メロディもよかったが、”俺は明日もまた北へ流れる“ という一句がずっしりと胸に響いた。それ以来、この歌は文字通り小生の支えのようなものになっているし、口では一言も言わなかったが俺の胸の内を読み取ってくれたこの男とは米寿を目前にした今も、変わらぬ友情と感謝を感じている。今日も昼寝の後にはまた聞くだろうな。

(菅原)そっちは小林旭だがこっちは中島みゆき。今、小生が夢中になって、毎日、聴いているのは中島みゆきの”糸“だ。

縦の糸はあなた横の糸は私                        遭うべき糸に出逢えることを                       人は仕合わせと呼びます

これを演歌と呼ぶのか艶歌と呼ぶのか、はたまたJ―ポップと呼ぶのか知らないが、詩よし歌(メロディー)よし、そして中島みゆきの歌唱、最高(間違って、Coverを度々聴いたが、その全てがマガイ物)。

実は、小生、これまで中島みゆきは食わず嫌いは損のもとだった。だが、聴けば聴くほど、正に大損したことを認識。只今、それを取り戻そうと、年甲斐もなく一生懸命に努力中。そこで、最近、発売になったCD「世界が違って見える日」をAmazonに注文(これ以上、J.ベゾスが儲けるのは癪だが)。トレiイラーで聴いたが「倶に(ともに)」が最高。病膏肓に入る。でも、ネットを見たら、1972年2月生まれとあるから、あの中島みゆきも71歳か。

 

 

エーガ愛好会 (203) エッフェル塔  (HPOB 小田篤子)

夫も今年3度目のスキーに出かけましたし、買い物のついでに観てきました。この映画で、エッフェル塔建設の背景に、愛する女性との強い思いがあった事を知りました。今は電波塔の役割をしているエッフェル塔。xx年前の新婚旅行で訪れたきりですが、平井さんのyoutubeでその美しい姿を楽しませて頂いています。

(どこから持ってきたのか?椅子に座っている、xx年前の写真です)

アメリカの自由の女神や橋の工事を請け負っていたギュスターヴ·エッフェル(ロマン·デュリス)は1889年 《パリ万博》のシンボルとして《塔》の建設を依頼されます。彼にはお互い強く引かれるアドリエンヌ(エマ·マッキー)という恋人がいました。
しかしアドリエンヌは両親に家柄のことから結婚を反対され、家を跳び出す際に大怪我をおってしまいます。
その後建設の協力者であり友人の妻となったアドリエンヌに再会しますが、やむを得ず再び別れを決意。建設の方も反対、資金難、労働者のスト、地質など色々なトラブルに合います。
彼女の「是非観てみたい」という強い言葉にあと押しされ、2度の別れから、建設にはボルトではなく、リベットを使い、《Aduenne》の《A》を連想させる美しい骨組みの塔を完成させます。

(船津)見損ない観て居ませんが、先ず1900年の万博用に作られたとか。当時のボルトではダメでしょうね。今はハイテンションボルトで一定のトルクで締めて溶接より丈夫と言われていますが、かっては網の目のようにリベットを打ち込んで溶接以上の強度を出したのだと思います。わが新入りの頃の鉄骨工事は殆どがリベットで赤めたリベットを下からほーぃぃと投げて上で漏斗状の物でぽぃつとうけて神業でしたね。して大きな音でど゛どっと。あのエッフェル塔もオオサカ万博の太陽の塔同様に万博終了後壊す予定だったみたいですがよくぞ遺してくれましたね。上にエッフェルさんの部屋があり住んでいたようですね。

(菅原)「エッフェル塔」なんて映画があるんですか。ちっとも知りませんでした。で、エッフェル塔で思い出すのは、トロカデロ広場から続くシャイヨー宮のテラスからの眺めです。でも、そこを(テラス)、夜、通りかかると、押し売りがいます。夜よりも真っ黒な人なんでギョッとしました。そして、名前は忘れましたが、その近辺のメシ屋で食ったビビンバが最高でした。と言うのが、パリの想い出。冴えないねー。

(安田)ミッキーさん、さしずめエッフェル塔前のシャン・ド・マルス公園でポーズをとる吉高由里子といった感じでしょうか。素敵な写真です。

ストーブをかこんでいます! (グリンビラ総合管理 柴山貴一朗)

天気は晴れ。朝の気温は1℃。日中は12℃まで気温上がる予報です。日曜は午後に雪の予報も出ています。

電気料金の値上げで自宅の電気代が昨冬の倍になってしまいました。少しでも節電になればとお湯用のやかんは常に天板に置いたまま。保温、オーブン、焼き物も火の状況みて薪ストーブ活用しています。

寒さ緩むと薪ストーブ焚き続けなくなるので火が弱まったタイミングで炉内で焼き物する機会が増えました。

煙突へ煙は抜けていくので部屋の中が煙で匂うことは全くありません。火加減は弱めです。ひっくり返すときはもう一枚焼き網を用意すると網に皮や身がつきません。

(編集子)浅貝の古い小屋の、煙だらけのストーブの思い出がよみがえるOBも多いはずだ。柴山さんご愛用のストーブは現代技術をつめこんだ逸品だ。庭で焚火もできない東京生活では想像もできない、心豊かな八ヶ岳南麓の夜だろう。グリンビラ総合管理は編集子のセカンドハウスの管理を当初からお願いして長い付き合いになる。柴山さんは東京出身だが自然環境の中での仕事を求めて同社の創設にかかわりこの美しい山麓に腰を据えた、ワンダラーの夢を実現した好漢である。

 

 

 

エーガ愛好会 (202)  砦のガンベルト   (34小泉幾多郎)

1876年11月23日騎兵隊により逮捕されたアラバホ族酋長ハヌーによって語られたクレンテノン砦襲撃を聴取するシーンから始まり、その数日前の11月17~18日に遡る。それはアラバホ族に攻め込まれ駐屯騎兵隊が全滅した日でもある。この映画は絶望的な状況に置かれた兵士たちとインディアンの死闘を描くも爽快感のない物悲しさが残るという結末が異彩を放つ。原作はリチャード・ジェサップという人で脚本まで書いているということは自分でも気に入っているのだろう。監督は勧善懲悪の西部劇を作ってきたゴードン・ダグラスだけに珍しい作品だ。

酋長聴取のシーンが終ると雪の残る山岳地帯を流れ者のガンマンが歩く。これが主人公、原名Chuka(チュカ)の登場。ヒッチコックの「鳥」で主人公を演じたロッド・テイラーが扮する。偶々子供を葬るハヌー以下アラバホ族数人に会った際親切心から食料を渡す。これが最後まで、生き残れる布石になっているのだった。その後車の外れた馬車を発見、それを援助するが、その中に、元カノ役のメキシコの貴婦人ベロニカ(ルチアナ・バルッツイ)とその姪ヘレナ(アンジェラ・ドリアン)が乗っていた。馬車はアラバホ族に襲われるが、チュカの顔を見ると去って行き、馬車は無事クレンテノン砦に到着した。

其処は、バロア大佐(ジョン・ミルズ)が指揮する騎兵隊の駐屯地。早速歓迎のパーティが開かれるが、部下を口汚くののしるばかり。チュカはバロア大佐に見込まれ、アラバホ族の偵察等に行くものの、鬼軍曹と言われるハンスバーク(アーネスト・ボーグナイン)以外は、バロア大佐を反目して統率がとれないまま、アラバホ族の襲撃を受けることになり、チュカが横腹に矢を受け、一緒にいたヘレナの二人を除き全員が戦死。砦からは食料や銃弾薬等全てが持ち運ばれたが、墓が一つとピストル一丁だけが残されていた。これは酋長ハヌーが食料を貰った
チュカに対するささやかなお礼か。

そもそもアラバホ族に対する食糧融通を無視してきたこと。その後も必要食料を渡せば、こんな悲劇にならないで済んだ筈。それとバロア大佐の頑迷さ、インド駐屯の頃、酒のため連隊を全滅させたことやハンスバック軍曹の生命を救うため捕虜になり去勢されたこと等が明らかになり、これが頑迷なる大佐の理由なのかどうか。冒頭申し上げたようにスッキリしない爽快感なき西部劇。

(編集子)辺境の砦が全滅したあと、その経過が明らかになるという筋立てはほかにもあるかもしれないが、小生にとっては西部劇ではないがクーパーとまだ端役のスーザン・ヘイワードがきれいだった ボージェスト が何といっても一番。少し違うが同じような人間関係の凝った筋立ての西部劇では、ペックの 勇者のみ (同じ邦題の作品がある)が思い出される。小泉さん同様、やはり西部劇には爽快感を期待してしまうので、あまりぱっとしない時間だった。わき役でボーグナインはいつも通りだが、ジエームズ・ホイットモアに(久しぶりい!)と言いたいところだった。

(アラパホ族)

元々はミシシッピ川より東部、ミネソタ州北部のレッドリバーバレー流域の森林地帯でトウモロコシやカボチャ、豆などを栽培しながら暮らしていたが、白人入植の影響で、18世紀にそこから南西に移動し、ノースダコタ州及びサウスダコタ州の平原地帯を領域とした。そして19世紀頃にさらに南下して移動し、プラット川沿いのワイオミング州とオクラホマ州の2つのグループに分かれて行った。1863年合衆国政府と平原インディアンとの間で起きたコロラド戦争に参戦。1864年サンド・クリークシャイアン族とアラパホ族の野営地がアメリカ陸軍の攻撃を受け、女子供などを中心に数百人が死亡。1876年リトルビッグホーンの戦いスー族、シャイアン族らと共に参戦し、カスター中佐率いるアメリカ第七騎兵隊を破った。

エーガ愛好会 (201) 裏窓 

(船津)グレースケリーの綺麗さとあの服装。かって映画の服装について高校新聞に書いた記憶があり美人の?衣装に興味在りです。映画衣装デザイナーの大物イーディス・ヘッドがデザインした、ゴージャスな衣装やドレスを、グレース・ケリー演じるリサが着る。
1920年代当時、映画全盛期のハリウッド映画において、女優の衣裳はきらびやかに飾り立てた華美なもの、という考えが主流であった。しかし彼女は、映画衣裳の世界に初めてシンプルな美しさとファッションセンスを持ち込んだ。1981年に死去するまで58年間にわたりハリウッドの衣裳デザインの第一人者であり続けた。駆け出しの頃は、セシル・B・デミル制作の映画作品での衣裳の仕事が多く、当時は「アイデアに困ると、何でも金ピカにしたり鳥の羽を付けるとデミルは喜んだ」という。
大ヒット映画、『ローマの休日』(1953年)のアン王女役の衣裳や、『麗しのサブリナ』(1954年)のサブリナ役の衣裳などは、主演のオードリー・ヘプバーンの可憐さを際立たせ、彼女の女優としてのイメージを決定付けることとなった(サブリナがパリから帰国するシーンから後半はジバンシーが担当)。
アルフレッド・ヒッチコック監督はイーディスのデザインセンスを大いに気に入り、『裏窓』(1954)以降ほとんどの映画作品の衣裳を任せた。クール・ビューティな女優グレース・ケリーのセクシーな魅力を余すところなく引き出すために、彼女はこの仕事に全精力を傾けたという。彼女は、デザイナーとして自分の理想的女優であったグレースを生涯気に入った。

(河瀬) 金藤さんのご案内で今日、NHKBSの映画「裏窓」を初めて見ましたが、ジェームススチュワート、グレースケリー主演の昔の(1954)映画ならではのヒッチコックのゆったりとしたロマンとラストのスリルを感じました。ありがとうございました。

(金藤)「裏窓」 よかったですね!

僕の一番好きな画面です(安田)

(菅原)この映画、本当のことを言えば「覗き見」映画。それは別として、公開時、高校2年の小生がとんでもない衝撃を受けたのが、妻殺し。前にも言ったかも知れませんが、親父がオフクロを殺すなんて想像すら出来なかった。これは何度も言いますがスゴイ衝撃でした。

 

 

裏窓』(うらまど、Rear Window)は、1954年アメリカ合衆国サスペンス映画。監督はアルフレッド・ヒッチコック、出演はジェームズ・ステュアートグレース・ケリーなど。コーネル・ウールリッチ(ウィリアム・アイリッシュ)による同名の短編小説(原題は『It Had to Be Murder』)を原作とし、事故で車椅子生活を送る男がアパートの部屋の裏窓から目撃した事件の顛末を描いている。現在、パブリックドメインとなっている。AFIが選出した「アメリカ映画ベスト100」では42位にランクインした。Rotten Tomatoesによれば、批評家の一致した見解は「ヒッチコックはこの傑作でサスペンスの才能を存分に発揮した。」であり、76件の評論のうち高評価は99%にあたる75件で、平均点は10点満点中9.2点となっている。 Metacriticによれば、18件の評論の全てが高評価で平均点は100点満点となっている。

(編集子)本稿で船津が触れているエディス・ヘッドのことだ。慶応高校の新聞 ハイスクールニューズでは、毎夏、新人(2年生)に取材編集を任せて力量を図る目的で、いわばサブ版として ジャーミネータ(発芽試験機という意味だそうだ)というのを発行していた。昭和30年(1950年)8月1日発行のジャーミネータは映画特集というページを作成した。この面を主に担当したのが船津於菟彦で、かれの直筆は左下にある 流行を作り出す という欄である。此処ですでに彼は (小生など聞いたこともなかった)エディス・ヘッド、なんてのを論じている(虫メガネで判読できればいいのだが)。 このころからエーガの論評を楽しんでいたというわけだ。栴檀は二葉より匂うのか、三つ子の魂百までか知らないが。小生この版では論説調のぐんと硬いテーマでっ文化祭の在り方、なんてのをエラソーに書いてる。ま、若き日のことですな。

(船津)
このカメラ当時としては最先端のエキザクタ 一眼レフの元祖と言われる、エキザクタシリーズのVXです。エキザクタは旧東ドイツのドレスデンですが、オランダ資本のイハゲー社は例外的に高い品質を維持したそうです。使いにくいカメラです。何故かシャッターは左側にあったり使い勝手の悪いカメラですが、当時としては最先端。その後日本のカメラメーカーがライカのM3には勝てないと判断して、一斉に一眼レフカメラを開発して今や世界一となったというわけです。
Heinz-Kilfitt-Fern-Kilar-400mm-F5.6-1024x682-1.jpegこの映画でジェフがつけたレンズはHeinz Kilfitt Fern-Kilar 400mm F5.6という超望遠レンズです。400mmにとって、F5.6のは今で見ても相当明るいです。その大きさからも納得できます。当時は相当高価だったと思います。

(菅原)ここで、一番、印象に残っているのは、何と言っても、犯人役を演じたR.バーだ。先ず、裏窓越しのトイメンの室内は、当然、音もなく不気味。加えて、そのバーのやっていることは、妻殺しであり、世にも恐ろしい犯罪だ。世の中には、こんな奴がいるのかとかなり衝撃を受けた。安田さんのバーの写真、その恐ろしさとバレたやばさを見事に写し取っている。ただし、「陽の当たる場所」に地方検事で出ていたらしいが、全く記憶にない。

ura2.jpgテレビでは「弁護士ペリー・メイソン」(安田さんは、「弁護士ペイトン・プレイス」と誤って表記しているが、人間「グーグル」であっても間違えることはある。別の意味で、「ペイトン・プレイス」の方が面白かったが)、車椅子の「鬼刑事アイアンサイド」など良く見たものだが、バーの代表作は、この「裏窓」だろう(しかし、バーはゲイだったと言うから、いささか吃驚仰天だ)。

 

23年度第一回 月一高尾報告    (47 関谷誠)

2023年第1回目の「月いち高尾」を、2月28日、実施。 朝は冷え込んだものの、日中は春の様なポカポカ陽気の中、今年一年の健康と安全、更には、世界平和等々を各人なりの願いを込めて「薬王院」に参詣し、山頂から霊峰「富士」を拝む事を主題に参加者を募り、総勢23名が京王線「高尾山口」に集まった。 リフト+4号路経由のシニア―・コースといにしえの参拝者が登った古道の金毘羅台コースに分かれ、鮮やかな「真白き富士の峯」が遠望できた山頂に集結した。

<以下、敬称略>

(シニア―・コース) 36/遠藤、中司、高橋、吉牟田、38/町井、39/蔦谷、41/相川、47/伊川、平井、田端  <10名>

(金毘羅台コース) 39/岡沢、40/藍原、41/久米(和)、43/猪俣、44/安田、46/村上、47/水町、関谷、48/佐藤、福良、51/斎藤、中里、BWV/大場  <13名>

金毘羅台コースは登山者も少なく、ポカポカ陽気の中、汗をかきながら、マスクを外せる開放感に浸りながら、和気あいあいとダベリング(死語?)しながらの登りだった。 <登り:2時間>

下りは、稲荷山コースから、途中で6号路の琵琶滝コースに入り、下山。稲荷山コースは一部整備工事中で閉鎖されていることもあり、このコースを利用する登山者も少なく、快調な下山だった。 <下り: 1.5時間>

高尾駅近くの「テング飯店」での反省・懇親会に21名が参加。当会の新年会も兼ね、一角では、WBCに始まりラグビー・トップリーグ、話題のテレビドラマ、更には大相撲からキャバクラ、キャバレー、ナイトクラブの違いはとの取り留めのない話題で大いに盛り上がった。  そう云えば、皆、未だ「コロナ禍」の渦中にあるのを失念! 反省、反省!

(久米)天気にも恵まれ,薬王院にて今年一年の家内安全と共に健康に過ごせることを祈念することも叶い、真白き富士の山嶺を眺めることもできました。
おまけに天狗でも久しぶりにビールのおいしさを味わい幸せな一日を過ごすことができました。
お世話役の皆様に感謝の気持ちで一杯です。沢山の写真もありがとうございます。次の機会を楽しみにしております。

(藍原)最近めっきり体力が衰え、登れるか危惧しておりましたが、皆さまが私のペースに合わせてくださったので、辛うじて登ることができました。もう少し余裕を持って登れるよう、体力の回復に努めようと思います。

(斎藤)昨日はお疲れさまでした。天候に恵まれ暖かい一日で良かったですね。

(編集子)いつもどおり頂上へのエスケープルートで坊の裏へ回ったおり、今まであることは知っていたが入ったことのない、洞穴にまつられた弁天様に参拝。こういう自然と合体している信仰を見るたびに日本人の宗教観というのか感覚が好もしく思えてくるから不思議だ。

 

エーガ愛好会 (200) 怒りの荒野   (34 小泉幾多郎)

「怒りの荒野 1967」はジュリア―ノ・ジェンマ主演のマカロニウエスタン。監督が「荒野の用心棒」「夕陽のガンマン」でセルジオ・レオーネの助監督を務めたトニーノ・ヴァレリ。音楽が「世界残酷物語」の主題歌モアでアカデミー賞ノミネート等イタリア映以外でも各種賞を受賞しているリズ・オラトラーニ。主人公ジェンマ(スコット・マリー)に対決するのが、リー・ヴァン・クリーフ(フランク・タルビー)。「真昼の決闘」以降本場の西部劇では悪役専門のちょい役だったが、マカロニウエスタンに出演と共に、主演級に昇格し、特にこの映画では、ジェンマが師と仰ぐ射撃の名手に扮し、その渋い眼力と表情が素晴らしい。
父親がはっきりしない娼婦から生まれたジェンマは糞尿処理しかさせてもらえない最低辺の若者が、ガンマンのクリーフに出会うことから、クリーフを師匠として仰ぎ、ガンマンとして成長して行く姿を描く。婚外子として生まれたジェンマが、クリーフを父性への思慕と感じたのかも知れない。その若者が、疑似親子的関係が骨子となり、それに加えて、クリーフから「ガンマン心得10ヶ条」が提供され、それが能書きでない、生き様の掟として画面が進んで行き、最後に至り、ジェンマがそれを実践することにより終焉となるのだった。

その10ヶ条とは、 1.人に頼み事はするな。2.誰のことも信用するな。3.銃と的の間に立つな。4.殴られるのも弾と同じ、一発食ったら最後だ。5.撃つなら必ず殺せ、自分が殺される。6.撃つタイミングを逃すな。7.縄をほどくなら銃を取り上げろ。8.必要以上に弾を渡さぬこと。9.挑戦を受けない奴はその時点で負けだ。10.殺すと言ったら、後へは引くな。

この10ヶ条に基ずきながら、ジェンマは成長して行くのだが、その成長度は早過ぎる感もあるが、力を持つと人間関係は一変する。片やクリーフの方は、過去仲間だった銀行頭取、酒場経営者、牧場経営者等に復讐し、このまま進めば善玉で終わりそうだが、悪玉は悪玉。ジェンマはクリーフに会う前からいろいろ面倒をみてもらっていた元保安官ウオルター・リラ(マーフ・アラン・ショート)とクリーフのどちらにも恩を感じ、身動きが取れなくなるが、クリーフの暴力的やり方、街を自分のものにしようとすることに加え、新保安官となったリラがクリーフに撃たれたことが引き金となり、決闘でジェンマがクリーフを倒す。しかも瀕死のクリーフをガンマン心得第5条通り、とどめをさすのだった。決闘シーン中、勇壮なリズムが躍動し、エレキギターが哀愁の調べを奏でるとトランペットが高らかに吹き鳴らされる。ジェンマは街のために何かしてやろうなんて考え方は毛頭なく、その帰属意識のなさはマカロニウエスタン主人公の素養として必須。また珍しいのは、ジェンマが判事の娘アンナ・オルソ(アイリーン)と恋仲でありながら、全然進展せずに終わってしまったこと。

結論的には、クリーフの超絶なる個性の存在が、ジェンマという華やかさが程良く抑制された駆け出しガンマンの成長過程が描かれ、またガンマン十戒が実践されながらの銃撃戦の数々を経ながら、師匠と弟子のクライマックスへの対決の構成が巧みに描かれ楽しむことが出来た。

(編集子)エーガ愛好会投稿第200号はドクター西部劇で決まった。この企画、第一号は2020年5月15日、小生の ”赤い河を巡って” である。

エーガ愛好会 (1) “赤い河” をめぐって

事の始まりは月いち高尾の帰途、川名君との会話から始まった、”エーガ” 談義である。たまたまこの記事が小泉さんの目に留まり、お互い,懐かしいエーガ(どうも映画、という気がしない)の時代の話を始めた。小泉さんとは小生にとっては鬼の3年生、現役時代、ワンデルングで何回もご一緒しているのだが、エーガファンであることは全く知らなかった。

以下、区切り区切りの投稿は

第5号  めまい (安田)

第10号 懐かしきオールド西部劇(小泉)

第50号 夕陽のガンマン (小泉)

第100号 100号回顧 (中司)

第150号 ペンタゴンペーパーズ (安田)

新メンバーも加わり、今後一層の賑わいが楽しみだ。250号は誰になるか?