4月月いち高尾報告 (39 堀川義夫)

何カ月ぶりかに‘月いち高尾’が晴天に恵まれ、歩いても汗をかかない程度で何とも心地よい里山歩きを楽しむことが出来ました。今月は高尾山から少し離れて八王子城跡とたま森林科学園を訪ねました。

日 時 2018年4月10日(火)

参加者 中司、吉牟田、高橋良子、遠藤、鮫島、岡、深谷、町井、岡沢、多田、蔦谷、河合、武鑓、藍原、堀川   以上15名

高尾駅北口10時集合。何時もと違って今回は出だしはタクシーを利用、到着順に4人づつタクシーで八王子城跡へ、10時30分頃城跡の管理棟に全員集合。

この日は、出発前に皆さんに悲しい知らせをしなければなりませんでした。35年卒の妹尾清次先輩が昨夜亡くなられたとのこと、皆さんにお伝えしました。

ボランティアガイドをお願いして、約1時間強城跡の案内をしてもらいました。その後ガイド付きでなければ通れない山道を案内していただき、城山登山道の五合目に出ました。そこからガイドさんと別れてほぼ30分程で頂上本丸跡に到着、心地よい風に恵まれながら昼食。12時40分に頂上を出て約40分で管理棟着。

再び呼んでおいたタクシーで多摩森林科学園へ。ここは100種類以上の桜の保存林があり、3月から4月末ま様々な桜が順次咲いていくそうです。それにしても桜が早かった今年で期待はしていませんでしたが、本当にびっくりするくらいの見事な景観を見せてくれました。写真をご覧ください!

3時20分に解散。12名は何時ものてんぐへ。さほど歩いた感覚はなかったのですが、2万歩以上歩いたそうで結構疲れました。でも、生ビール最高! 心地よい春の里山歩きでした。

5月の月いち高尾は 5月23日(水)です。5月13日ごろにご案内します

アサ会花見に23人集結 (34 小泉幾多郎)

第22回ゴルフ大会記録

現在の形でのOB会が組織されて間もなく ”100人ゴルフ!”という掛け声も勇ましく開催されたKWVゴルフ大会は今回で22回目となった。夷隅CCから武蔵CCと開催地も変わり、22回目の今回は先年に続き府中CCでの挙行となった。参加人数は55名、最年長は32年の荻原、中村両先輩、最年少は51年の斎藤君で、年度別では37年が11名、47年が6名と世話役の菅谷、伊川両君のメンツを確保。かつて何かといえば最大人数を誇った36年も5名と減少し、41年の7名に席を譲った形となったのも、20年を超える歴史のわざであろうか。部外者として34年の椎名夫人壽子さんも参加されちゃっかりご夫婦にて賞品獲得。優勝は別稿のとおり学年ただ一人の参加であった佐藤充良君で主な成績は下記のとおりである。

優勝     佐藤充良 (48)  準優勝 矢部精一  (37)

3位     鈴木孝  (41)  4位  伊川望   (47)

BG     矢部精一 (37)  BB  小祝昌樹  (39)

BM     椎名亨  (34)

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KWVゴルフ大会 MYゴルフ史に残る満開の桜のもとでの優勝!

                          佐藤充良(48年)

3月30日、名門府中CCでの54名の大コンペで、図らずも優勝してしまいました。朝方は風のためやや寒かったのですが昼過ぎは半袖でもできるほどの絶好のゴルフ日和となりました。加えて18ホールすべてで見事な桜に囲まれたコースは、ゴルフもいいけど酒盛りを始めたくなるほどでした。

しかし、リタイアして参加できるようになっての初参加での優勝であることや、世間的には充分にシニアなのに、当日は54名中下からかぞえて3番目の若手?の私が並み居る諸先輩をさしおいて優勝するのは、若干空気が読めないヤツ感があるかもしれませんが、ここは素直に私のゴルフ史を飾る快挙として大いに喜びたいと思います。 私の計算によれば、当日の参加者(60代~80代)の平均年齢は約75歳、そしてその54名の平均スコアは107.5ストロークで、なかなかの成績でした。何と元気過ぎる集団でしょう!驚きです。

素晴らしい舞台を用意していただいた菅谷先輩、見事な運営をしていただいたリーダーの久米先輩、サブリーダーの加藤(37年)鈴木(47年)両先輩と事務局長の伊川先輩、そして一緒にプレーした田端(47年)、大谷(47年)両先輩と齋藤さん(51年)に感謝します。

来年は幹事の一員として参加者に満足していただけるよう一生懸命努めます。引き続き府中CCでの開催の予定ですが、今回参加されなかった方もぜひ仲間とともに春を満喫し、若さを爆発させませんか!

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楽しませてもらいました!

                         椎名 亨 (34年)

 

KWVゴルフ会青年団     (51 斎藤邦彦)

「定年後 田舎に帰れば 青年団」という川柳を聞いたことがあります。今回のKWVゴルフ会では私(51年卒)が「青年団」のなかでも2番目に若いという立ち位置で、錚々たる諸先輩方のお仲間に入れていただき感謝しております。このコンペが大好きで毎年楽しみにしています。

最初に参加したのは5年前でそのころは清澄CCで開催されていました。かつては「百人会」と呼ばれたこの大会は私にとってさすがに敷居が高く、その年の私の参加姿勢は「トーチカ(ザリガニ)作戦(恐る恐る前進して近寄り、危険を察知すると腰を引いて一気に退却する。)」というものでした。

その際ご一緒させて頂いたのが30年卒の宮本雅司さんでした。ラウンド中からいろいろお話しいただきましたが、驚いたことに宮本先輩は私の職場の女性社員と同じ小唄の先生に習われていること、私の以前の職場で扱っていた印刷用紙の調達の紙問屋の会長でいらっしゃることなどが分かり、会話が大いに盛り上がりリラックスした雰囲気のなかで一日を楽しむことが出来ました。(さらには20年以上の先輩に都内まで車で送って頂きました。恐縮しました。)

なんと私はその日のコンペで準優勝し、翌年の幹事団の一員を仰せつかることになりました。この頃から世話役として本格的に参加するようになったと思います。翌年は予期せぬ4月の大雪でゴルフ場がクローズ、2年続けて準備会を開催しました。39年卒の榊原リーダーを中心とした準備会では様々な情報を頂くことが出来、OB活動に理解を深めるのに大いに役立ちました。

その後もこの大会は参加のつど多くの先輩方から退職後の生活等に関する助言を頂く良い機会となり、退職すれば「黄金の時代」が始まるなどと激励されてきました。また今回は41年卒の久米さんから岡山朝日高校の先輩の41年卒の佐藤さんを紹介していただきました。40年卒の武鑓さんも出席されていたので同じ高校の卒業生が3人も参加していたことになります。郷土を愛する私にとって非常にうれしいことです。

今年の大会は41年卒の久米リーダーのもと47年卒業の鈴木さんが幹事団の中心を果たされご伊川さんをはじめご同期の先輩方が5人参加されました。さらに48年の佐藤さんが優勝されるなど「青年団の活躍」が際立ってきたように思います。まだまだゴルフ好きの「青年団OB」の方はたくさんおられ「黄金の時代」を迎えられていると思います。より幅広い世代の参加で多様性の豊富な大会になるよう声を掛け合っていきたいと考えています。

夫婦でゴルフを楽しんでいます (41 久米行子)

3月30日、府中CCにて第22回KWVゴルフ大会に参加しました。スタート時は快晴ながら風を冷たく感じるような花冷えの天気でした。しかし、満開の桜が素晴らしくて幸せな気分になりました。キャディさんによると約3000本の桜があるということでした。下手なゴルフは置いておいて桜を多いに楽しんだ一日でした。

思い返しますと以前、夷隅CCでKWV100人ゴルフが開催されていた頃が私がゴルフを始めた時期でした。我が亭主殿は会社の付き合いもあり随分昔からゴルフを始めていたと思います。私はその頃はテニスに夢中でゴルフなど汗をかかないのはスポーツではないなどと思っていましたがテニス仲間が徐々にゴルフにスタンスを移し始め、それに伴い私もゴルフを始めました。50歳に突入する頃でした。始めるなら個人レッスンに行った方が良いと主人に勧められてレッスンに嫌々通っていました。それも今は昔の話で私も主人も大の練習嫌い、出たとこ勝負というゴルフです。主人はもともとアプローチとパッティングなど小技が上手で私は1Wが一番得意というよりアイアンが苦手なのです。

友人夫妻とラウンドしたりしますとご主人があれやこれやとうるさく指導をしていることがありますが大体最後は喧嘩になります。主人がそれを知ってか知らずか、もう少しアドヴァイスしてくれてもいいんじゃあないのと思う位一切助言はしてくれません。でも結局それがいいのかと思います。夫婦で楽しくラウンドする為にはお互いのプレーについて色々と干渉しない方が円満に進むようです。東富士CCに入って随分二人でラウンドしました。ゴルフに関しては全く主人とは勝負にならないので勝った負けたがないので気楽なものです。でも最近はレディスから打ってたまに主人をオヴアードライブすると秘かにほくそえんでおります。

夫婦で同じ趣味があるというのは楽しい事です。主人にとっては、昼とアフターゴルフで心置きなくアルコールを飲んで帰りの車の運転を私に任せるというのが私をゴルフに誘い込んだ主たる理由だったような気もしております。 昨日から始まったマスターズ、二人で松山英樹を応援しております。

JIJIのこと  補遺 1 (47 関谷誠)

スナック JIJI のこと

3月31日という日にちは日本の社会慣習上、特別な日である。学期の終わり、決算の締めの日、など、一つの事柄の終わりを示す区切りという意味を持っている。僕らも数え切れない多くの3月31日の想いを持ってきているはずだ。

ここでもう一つ、その ”特別な日” のことを書く。2009年3月31日である。僕らがOBになってからの ”部室” であった、スナック JIJI がその灯を落とした日だ。このことについて新たに書く代わりに、同期の文集、”ナンカナイ会 そのふみあと” に記載したコラムを転載する。この日以降、OBに加わった諸君に JIJI が果たしてくれた意味を実感してもらうことができないのが誠に残念であるが。

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            スナック・ジジ

銀座の灯が青春の象徴だったという人間は沢山いるだろう。町並みは変わり、”いちこし”も”ジュリアン・ソレル”も”スイス”もなくなってしまったったとはいえ、今なお古き良き時代の思い出は我々とともにある。

その銀座に住吉康子が店を持ったのは1983年6月9日、名前はスナック・ジジ。女子高時代演劇部にいた彼女は演じた役の名前がそのままニックネームとなり、友人たちの間では本名をとっさに思い出せないのがいるほど、親しまれた名前であった。

この店の誕生には、1年上の”マックス”こと畠山先輩の強い勧めがあった。彼女はこれに先立って、友人に請われ横浜、都橋の近くで”こけし”というスナックをマネージしていたことがある。ヨコハマ、というきらびやかなイメージとはかけはなれた、どちらかと言えばうら寂しい一角だったが、六郷沿いに住んでいた小林章悟が私設応援団長的にひろくワンダー仲間によびかけ、仲間が集うこともたびたびで、荒木ショッペイ夫妻もよく訪れていた。ここへ来た畠山が、”ジジ、おまえ、銀座に出ろ”と強く勧めたのだという。

住吉はいろいろな友人を通じて、塾体育会のOBたちに知己が多く、そのひとりだった野球部OBの増田先輩(1957年卒)からの紹介で、ホテル日航に近いあの店の権利を得て、スナックとして開業した。バーテンも置かないから、当然カクテルなぞというものとは無縁、、カウンター1本しかないせせこましい造り、住吉本人だって世にいう”銀座マダム”とはかけはなれて不愛想。それでも、ここは開業以来、”慶応”、それもどちらかと言えば”体育会(この場合はKWVも含めてだが)OB”,の何とも居心地抜群の、理想の止まり木でありつづけた。

何しろ、店の場所がよかった。都心オフィス勤めの人間にして見れば、”帰りがけに銀座でちょっと飲む”プライドを持つことができたし、古びたドアを開けて入れば、先ず5割の確率でワンダー仲間がいた。あれ、今日は誰もいないか、と思って奥を見れば、何年何十年ぶりかで見る高校、中学時代の仲間が、これまた5割くらいのヒットレートでにやにやしているという、まさに”おれたちケイオー”の場所だったのだ。

KWVで同期以外の常連、といっても枚挙にいとまがないが、なんといっても2年上、34年卒の三ツ本和彦がダントツだったのは、先ず誰もが納得する事実だろうし、後輩連では41年の田中透、44年の浅野三郎、45年の島哲郎などの名が浮かぶ。同期の仲間は当然としても、後輩年代でも ”それじゃ、ジジで”と云うのが決まりだった。

われわれの”部室”であった”スナック・ジジ”は、2009年3月31日、その”銀座の灯”を落とした。

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           JIJIのこと

3月月いち高尾報告  (38 堀川義夫)

3月22日

参加者 翠川、遠藤、深谷、後藤、平松、町井、岡沢、堀川、蔦谷、河合、川名、伊川   以上12名

前日は大荒れの天気で催行するかどうか迷いましたが、昨年も3月の梅を鑑賞できなかったので、なんとしても今年は実施したいと思い強行(?)しました。残念なことに新しいコース、楽々コースの設定なしその上天候不順が響いたのか参加者はやや少なく思いました。

高尾駅北口よりバス9時34分ー10時夕焼け小焼け10時15分―10時45分ジグザグ道尾根へ。10時50分ー11時45分黒ドッケー12時05分杉の丸12時25分―13時10分狐塚峠ー13時38分木下沢14時00分ー14時30分木下沢梅林ー梅の里入口15時11分ー15時30分高尾駅北口 15時40分天狗飯店 17時解散

今年の一つの方針として、高尾山以外の周辺の山々を楽しもうと言う第一弾の企画でした。私が知らないこの会の初期に実施されているとのことでしたが、夕焼け小焼けの里から高尾の北北高尾山稜縦走コースを行きました。紅一点のカボちゃんもよく頑張りました。コースタイムよりやや早めに登り、下りは昨日来の雪が残っていて足元が悪く、皆さん苦闘されていましたが怪我もなく無事小下沢林道に下山できました。下山したところは鮫島先輩がボランティアで活動されている森林保護団体の小屋があり、鮫島先輩が出迎えて下さり、お仲間が紅茶を振舞ってくださいました。ありがたいことです。しばし休憩の後林道を下り木下沢梅林に向かいました。梅林はまさに満開で素晴らしい花見が2年分楽しめました。余談ですが、この地は中央高速関節の折の残土を持ったところに植林したそうで土の部分が薄く根っこが大きく育たないそうで、当初は梅も取れたらしいのですが、最近は身をつけない姥桜ならぬ姥梅になってしまったそうです。うばざくらは姥梅の方が漢字のニュアンスが伝わるように思うのは私だけでしょうか・・・?? そのあとはバスで高尾へ、そして何時もの天狗で乾杯!!

春告鳥って俺のこと?   (34 小泉幾多郎)