アマチュアの楽しみ―シリコンバレースタイル (もとYHP 五十嵐恵美)

小金井市での演奏

(編集子注:恵美さんは筆者YHP在職中の同僚、米国現地での企業へ転職し結婚後、カリフォルニアはメンロパーク住まいを続けている。HP時代の仲間との楽しい交流はずっと継続。今回は数日の滞在であったが親しい友人が集まり旧交をあたためた)

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“シリコンバレーの近況やトランプ下での状況”の投稿をというエディターからのリクエストであったが、初稿は最も書きやすいサブジェクト、”個人の近況” に独断で変更し、自己紹介も兼ねて、下記、題して”アマチュアの楽しみ”。

今春の帰国は友人家族親族との再会の他に A P A (エイパ Amateur Music Player’s Association JAPAN 日本アマチュア演奏家協会)のメンバーと、 A P Aと提携している筆者が所属するACMPのグローバル メンバーとのコラボ。ACMP (Associated Chamber Music Players) は米国の室内楽演奏家のネットワーキングの組織で、ACMPの前身は1940年代後半にNew York で設立されたACMP (Amateur Chamber Music Players) である。今年1月に入ってから、筆者が偶然にも3月帰国の予定であった為、急遽、同時期に開催されるA P A主催の第4回国際室内楽音楽祭に飛び入り参加が決まった。ヨーロッパ、アジア、北米から約30人のアマチュア演奏家が集まり、中央線武蔵小金井駅前宮地楽器小ホ-ルでコラボの成果が3月30日にコンサートという形で発表、演奏された。

今回、東京でコラボした曲は、カリフォルニア州メンロパーク市で筆者が数年前に結成したピアノ トリオ グループ  Monats-Trioが、帰国直前のリサイタルで演奏した、メンデルスゾーン作曲ピアノ トリオ OP49。東京でコラボしたメンバーは、日本人のピアニスト、英国人のチェリスト、筆者がバイオリンで、3月30日の発表会前にたった3回の音合わせという、スケジュールだけはプロ並のスピードで、集中されたリハーサルが3月最終の週に開始された。(ちなみに、日本ではメンデルスゾーンのトリオを演奏家が”メントレ” と呼んでいるのを今回知る)

トリオのメンロパークでの演奏風景

筆者のカリフォルニアの音楽仲間Monats-Trioのメンバーは、上海生まれの中国人のピアニスト、ドイツ人のチェリストという、シリコーン バレーでは日常になっている典型的な国際色の豊かさ。エンジニア、サイエンティスト、等、技術系の人の中には技術的にもまた知識の豊富さからいっても(おそらく日本でも同じことが言えると思うが)クラシック音楽Enthusiastsが多い。よってシリコーン バレーではアマチュア室内楽が盛んに弾かれている。

Monats-Trioの場合、ピアニストはすでに引退しているアナログ関係のエンジニア、チェリストはSLACに勤務する現役の物理学者。今回、東京でトリオを組んだメンバーは全員すでに引退していて、ピアニストは音大を出たピアノ教師、チェリストは(まだお若いとお見受けしたが)元弁護士、筆者はシリコンバレーで約30年広報関係の仕事をして2011年に引退したという全員、文化系。

おそらく個人の性格によるところも大きいのではないかとは思うが、米国のMonats-Trioの場合、大変にリラックスしていてあまり他のプレーヤーの批判はしない。黙々と一回のリハーサルに4-5時間は弾く。反して、今回の東京でのトリオは、批判ではないが曲想に関するコメントが飛び交う。一般論で言えば、技術・理科系の寡黙な性格と、文化系の多弁な性格の違いである所も大きいと思う。

「本来、アマチュアとは “愛する人” のことであり、自分のためだけに物事を究めることができる人のことをいう。」「音楽の世界に置き換えてみた場合、プロは五回に一回しか失敗しないが、アマチュアは五回に一回しか成功しない、という話を聞いたことがある。」(辻栄二、アマチュアの領分)。

”アマチュアの領分”の筆者辻栄二氏に同感するところが多い。「今までは、プロとアマチュアの二つに区分された平版な状況しかなかった。しかし、これからは、非同質社会、高齢化社会、情報化社会、生涯教育社会、クリスタル時代、余暇時代、感性の時代、等々といった言葉の数々に象徴されるように、プロはプロで非凡な人たちの集団でよし、アマチュアはアマチュアで何らの権威におもねることなく、自由に音楽を楽しむことのできる時代 ―多極化、多様化された時代― とみてよいのではないだろうか。」「また、高齢化社会に到達すると、いやでも生涯教育、余暇対応の比重が高まり、これまでの定型化されたメニューによるものではなく、様々なカードを自分自身の判断で選んでその組み合わせのなかに自分の生き方を発見しなければならなくなるし、またそういうことができるようになるであろう。国際化が進むと、外国との文化摩擦を通じて、これまでの同質的、集団的な思考パターンや生活様式に何らかの考察や対応をせまられることとなる。また、情報社会では、ファミコンを枕にして育ちコンピューター・アレルギーのかけらもない世代が自分自身の基準で情報を選択するようになる。」 辻氏の著書が発行された1990年から既に30年経った現在、辻氏の語るアマチュアの世界、多極化多様化された時代、はすでに米国でも、恐らく日本でも、また世界の多くの他の国で現実になっていると思う。

室内楽を弾かれる読者の方々はご存知だと思うが、室内楽を楽しく同じメンバーで長年弾いていくにはメンバーの性格の適合性によるところが大きい。今回の東京でのコラボはアマチュアとしては成功であったと思う。コラボの後、トリオのメンバー全員が来年もまたコラボしようと笑って別れた。令和2年3月30日、再び中央線武蔵小金井駅前宮地楽器小ホ-ルでコラボの成果を披露できるか、あるいは世界のどこかの街での再会、共演ができるか、今から楽しみだ。

 

花見しかすることがない訳じゃないけど (34 小泉幾多郎)

小生卒業の高校は神奈川県立平沼高校。入学(1951年) 2年前までは女子の名門神奈川県立第一女子高等学校だったが、1950年男女共学になり、平沼高校となった。女子高時代の先輩に岸恵子、草笛光子、小園容子といった女優, 最近では、テレビ朝日8時からのニュースキャスター羽鳥慎一(早稲田大)が後輩。この時のクラス仲間と毎年恒例にしているクラス会の花見、今年は湯河原。

万葉公園の桜

83歳ともなると参加者も減り、男5名、女6名計11名。日帰りで計画したのに女性軍は折角湯河原の温泉に行くのだからと前日旅館泊、夜更けまで話し込んだようだ。一人を除き未亡人、文句を言われる人もなく自由気儘な生活だろうが男性は全員日帰り。

湯河原着からバスで美術館前へ行って女性軍と合流、町立湯河原美術館を鑑賞。月刊誌文芸春秋の表紙絵を2000~2010に亘って飾った平松礼二画伯が館長でその絵を中心に常設館には有名日本画家のこの地ゆかりの作品が並ぶ。他に現代作家展として渋谷武美という人の彫刻が展示されていた。昼食は庭園に面したミュージアムカフェで地元豆腐店十二庵の豆乳スープセットの定食。美術館前を流れる藤木川に沿って下り光風荘へ。

われわれ生誕の翌年1936年の2.26事件の東京以外の現場が此処で、吉田茂の岳父に当たる前内大臣牧野伸顕が家族使用人と共に滞在中襲撃されたのだった。牧野伯爵は無事脱出したが、護衛巡査が死亡し、負傷者も出たという。その時の貴重な資料が多数保存されていた。此処から万葉公園へ。藤木川から分かれた千歳川沿いに川のせせらぎを聴きながら散策。入口には万葉の歌碑があり、「足柄の土肥の河内に出つ”る湯の世にもたよらに子ろが言わなくに」万葉集4500種の中に、ただ一首、温泉のこんこんと湧出している様を詠ったものだそそうだ。新しい元号が、万葉集からの「令和」に決まったことから、この地も人気が出ることは間違いない。

千歳川の花

滝が小規模ながら二つあり、其処から大きい規模の独歩の湯に到着。郷土資料展示室を見たりして、千歳川沿いの道を下る。千歳川の北側が湯河原、南側が熱海で熱海側に桜並木が続く。桜並木が消えたところでちょっとだけバスに乗り湯河原駅へ。花見と共に芸術と歴史にも浸ることのできた一日だった。

(編集子 なにか高校時代の甘酸っぱいオモイデなんかも確認されたのでは?)

アサ会今年の花見 (34 小泉幾多郎)

本門寺五重の塔 本稿の写真は矢郷君撮影による

日時 4月4日 参加者:佐成、椎名夫妻、城田、田中、西川。西島、平松、藤野、船曳夫妻、真木、松本圭、矢郷、林田、小泉 計16名

林田君の幹事で、洗足池と池上本門寺の花見を開催。例年夫妻で参加していた妹尾君がいなくなり寂しいことだが、これも夫妻で参加していた永野君、茂手木君が都合で不参加となり、これだけで例年に比べ6人少ないことになった。

池上線の洗足池駅11時集合。洗足池公園は駅前の眼の前で桜と池が見渡せた。

先ずは、勝海舟のお墓へ。勝海舟と民子夫人のお墓が仲良く並んでいた。勝海舟が官軍のおかれた池上本門寺に赴く途中洗足池畔に憩い、その風景にうたれ此処に別荘を構えたという。此処に勝海舟記念館を本年夏までに完成予定にしているとのこと。池の周りの桜は丁度満開でした。再び洗足池駅に戻り、池上線で池上駅へ。徒歩15分で池上本門寺へ。眼前に仁王門から96段あるという階段が望めたが、我々は向かって右側にある池上会館からエレベータを使い本門寺の前へ。どうしても階段を登りたいという人が3人おりました。上へあがると矢張り五重塔が目立った。桜とのコラボレーションが此処での見ものとなっている。

この五重塔の近くに、明治の文豪幸田露伴のお墓があったが、その墓碑銘は、わが西川加耶子さんの御尊父で昭和の三筆と言われた西川寧(ヤスシ)氏が書かれたものだった。西川さんによれば、五島慶太氏や山本周五郎氏等からも依頼されたそうです。会食は池上会館の2階で、白梅の間を借り切ってゆっくり寛ぎ、今年のアサ会花見は無事終了。

4月4日,快晴

京王線仙川駅。区画整理のため伐採されるはずだった桜が市民の運動でそのまま残り、毎年、みごとに咲く。

2019春季 OB会ゴルフ大会

開会にディフェンディングチャンピオン佐藤君(48年)挨拶

3月29日、春のゴルフ大会が先回に引き続き37年菅谷君のホームコース、府中カントリクラブで開催された。天候は予想よりも穏やかだったが、名物桜の花にはほんの数日、早かった。

参加者は32年卒荻原さんから52年卒の諸君まで、年齢差20年に及ぶダイナミックレンジとなった。また、今回から80歳以上はゴールドティも使用可能になった(編集子もそのひとりだが同様、意地になって使わなかった人も多数)。府中CCは数年前からゴルフカート使用が義務付けられており、”歩く” ことに関してのハンディはなかった。

結果、トップは昨年に引き続き佐藤充良君だったが、”連覇禁止”条項(自民党にも教えてやったらどうだ)のため、2位の斎藤邦彦君(48・44)が優勝。ベストグロスは猛打にいささかの衰えも見せない藍原瑞明君(42・42)が獲得。余談だが”連覇禁止”のほか、”表彰時本人不在” のため、繰り上げが2件発生するという椿事の多い大会となった。

次回幹事は今回のスコアにより、斎藤邦彦、藍原瑞明、それと地主菅谷国雄の諸君と発表されている。

PS 帰途はほとんどの人が倶楽部バスで多摩センター駅へでて二次会へ繰り出したようだが、駅のアプローチに入る直前に渡る乞田川沿いの桜が当日、まさに満開であった。土地勘が多少ある編集子はこのあたりを散策し、飲み会には出遅れてそのまま帰宅して驚かれた。

イチローのこと、映画のこと (44 安田耕太郎)

イチローについて、もとより今回の東京開幕戦が引退セレモニーとして設定されていたのは理解していたが、世界の安打製造機がここまで落ち込むとは予想していなかった。オープン戦での盗塁を見たとき、こんなピッチの上がらない走りなのかと驚いたし、またバッティングのスウィングスピードがまるでスローモーションのようで、三振も多過ぎたし動体視力の衰えは隠すべくもなく、潮時を実感した。
メジャーに行った時現地の悲観論にバカじゃあないかと、彼の成功を確信していたし、実際途方もない成績を残してくれた。レーザービームの強肩、韋駄天の盗塁、幾度と観た5打数5安打。新人でメジャーに行っていればピート・ローズの最多安打数を抜いていたに違いない。但し、華奢で非力な10代後半の少年が入団させてもらえたかは分からない。
生で一度は観てみたい選手がいるものだ。サッカーのマラドーナ、メッシ、ボクシングのモハメド・アリ、短距離走のウサイン・ボルト、バスケットボールのマイケル・ジョーダンなどだ。全盛期のイチローもこのエリート集団に入る。なので、彼はずうっと我らがヒーローである。
映画の話。ボヘミアン・ラプソディーの話題がブログ紙面を賑わせていたが、アカデミー賞授賞式の生中継をテレビで観た。今年2019年のアカデミー賞作品賞を獲得したグリーンブックGreen Bookを観た。
似たようなテーマ、白人と黒人の友情を描いた1967年制作の映画「夜の捜査線」(In the heat of the Night) が印象 に 残っている。南部の白人警察署長ロッド・スタイガーが、東部から来たフィラデルフィア市警警部シドニー・ポアチエを間違って殺人犯として逮捕、黒人に対する偏見と差別意識で侮辱する。やがてポアテュエの身体を張って事件解決にぶつかる姿勢と人柄に敬意を抱く、格調高い映画であった。時代を特徴付けた社会的テーマを両スター俳優が見事に演じた。わずかな仕草でそれが繊細に示されていた。当時は人種偏見葛藤問題を抱えながら、白人と黒人の絆、協調、友情を描いた知的な大人の映画だった。作品賞とロッド・スタイガーはアカデミー賞主演男優賞を獲得。アメリカ映画界の理性を感じた映画であった。
グリーンブックは黒人ピアニストと、雇われた白人イタリア系の運転手が、車で南部地域への演奏旅行に出かける。色々な都市が垣間見えて良かった。時は1962年、人種差別が色濃く残る南部を舞台に二人の葛藤、対立、友情を描く。白人目線で描いて、人種差別問題を爽やかに映画チックに取り扱っているのがやや物足りない。現実はこんなもんじゃあなかったのでは。50年前の夜の捜査線に軍配をあげる。次はボヘミアン・ラプソディーを観に行きます。

グラフトンのこと (35 徳生勇二)

  アメリカでは人気作家が亡くなった後に勿論遺族とか出版社の諒承を得てからだろうと思いますがその作家の名前でシリーズものなどが出版されていることがよくありますよね。
Tom Clancyも随分前に亡くなっていますけどまだClancyの名前で新刊が続々出ています。(もちろん実際の作家名も表紙に表記されていますけど)もしかすると最後のZもでるかもしれませんよ。
こんな話も昔征ちゃんやマックスとしていたことを思い出しました
今後ともどうかよろしく。
(中司―徳生)
ありがとうございました。酒井さんや畠山さん、床平さんなんかとチャンドラー論議をやっておられたのを懐かしく思い出しました。あのころはまだハードボイルドに目覚めておらず、興味がわかなかったというのが実のところです。今頃、何言ってんだ?と床平さんなんかに怒られそうですね。

近況です (51 斎藤邦彦)

「黄金の10年」の1年目の昨年は18回、山に行きました。バケットリスト目標の「100名山制覇」は8座を消化し累計81座まで進捗しました。何とか数年のうちに到達できればと思います。

今年は春ワンの調査行2月「景信山」、3月「石老山」に行きましたが、石老山では頂上で鉄板焼きバーベキューを家徳さんと丸満さんにも参加頂き大勢で楽しんできました。

昨日(3/23)は栃木県佐野市の三毳山(みかもやま229m)に同期とカタクリの群生を見に行きました。アズマイチゲやミズバショウも咲いており、男体山や燧ケ岳の眺めも素晴らしかったです。写真を添付します。

29日(金)の府中CCでのゴルフコンペでお会いするのを楽しみにしています。

また、4月7日(日)には秋ワンで担当することになっている東丹沢の「シダンゴ山」を調査に行きます。

秋ワンは10月26日(土)とまだまだ先ですが、シダンゴ山は日本一の馬酔木(アセビ)の山と言われているので(せっかくなら)花の季節に行こうと企画しているものです。

よろしければ一緒に行きませんか?秋ワンでは初級★★☆☆☆で計画しているコースです。

(中司―斎藤)

しだんご山って、富士急の何とかいう駅から入るルート、あります? 実は引退後まもなく、仲間を誘ってどっかへ行こうよ、と呼び掛けたところ、中島英次(キンタ)が探してきて7-8人で登って、えらい雨に遭って、しかも帰りのルートをキンタが間違えて、ひどい藪漕ぎをして、ずぶ濡れで気が付いたら小学校の運動場に出ていた、という大変な同期初ワンデルングをしたのが、そういう名前だった記憶があります。
(会社時代酒浸りだった吉牟田が人生を反省して、これからお前らに付き合う、と言って出てきたのがここでした。それ以来、彼は月いち高尾のファンディングメンバーになっています。そんなわけで、もし同じならあんまりいい印象がありません! もちろん、参加しますけど)。
先月の高尾が景信山と小下沢梅林というプランで天候に恵まれ、いい一日を過ごしました。僕らの代はKWV史上初、という新人キャンプに参加
した場所でもあり、小下沢には特別の想いがあります。

G is for Grafton

アメリカの女性ハードボイルド(HB)ライター、スー・グラフトンが惜しまれつつ他界したことについてはすでに書いた。女性のミステリ作家といえばもちろん大御所アガサ・クリスティーだが、HBの分野にもたとえばサラ・パレッキーなどが翻訳も出ていて女性ファンも数多いようだ(わがワイフもそのひとり)。

前にも書いたがグラフトンは ”アルファベットシリーズ” と称して、タイトルがアルファベットで始まる(第一作は A is for alibi)26本の小説を書くと宣言していたのだが、残念至極なことに25本目の Y is for Yesterday が遺作になってしまった。ライフワーク完了目前のことで、さぞ本人も口惜しかっただろうとしみじみ同情を禁じ得ない。最終作になるはずだった Z のタイトルは Zero であったと言われているが、こればかりは今となっては確認のしようがない。生前,彼女は ”自分の作品がクリスティのように愛されるものであってほしい” と願っていたという。クリスティには自分の最期を予測し、代表作 アクロイド殺人事件 に初めて登場させたエルキュール・ポアロを退場させるために、最期の作 カーテン を書く余裕があったのだが病魔はスーにその時間を与えなかったことになる。

このようなシリーズ作品には、愛読者の間に一種の連帯感みたいなものが生まれ、全作品を読み込んでその中からいろいろなトリビアを拾い出したり、それからいろんなことを自分で推理したり研究したりする仲間ができることがある。有名なものはシャーロック・ホームズ愛好者の集まりで、世界規模で協会まで設立されている。日本でも高名な作家やアマチュアにもシャーロッキアン、ワトソニアンを自称して、いろいろな研究を発表している人が数多い。たとえばワトソン博士が戦争で負傷したというがその部位がどこかとか、ホームズが東洋にいたというがそれはどこかとか(題名を思い出せないが、これを事実として書かれた日本を舞台にしたミステリがあった)、ホームズはアイリ―ン・アドラー( ”ボヘミアの醜聞” に登場し、ホームズが生涯ただひとつの敗北を喫する美女)を本気で愛していたのかとか、ありとあらゆることを作品の記述の中から推理するのである。小生横河HP在職中の先輩堀江幸夫氏も関連した論文を投稿されたように伺った記憶がある。

僕はまち中のひとりのHB読者であるにすぎないが、ロス・マクドナルドスティーヴ・ハミルトンあるいは原尞など、同一人物が主人公のシリーズ物は結構読んできた。 ただ、グラフトンはその作品の舞台が僕のサラリーマン生活を通じてなじみのあるカリフォルニアであること、25作すべてが80年代という時代背景であって、スマホだとかグーグルだとかいうおよそロマンのない無機的な夾雑物もなく、すべて主人公キンジー・ミルホーンが数少ない手がかりをひとつひとつひろっていく過程、マクドナルドのクオーターパウンダーが好物という彼女の生活態度などが僕の見知っている限りではまさにカリフォルニアウーマン(それも僕のいたころの、という但し書きがつくが)のスタイルであること、などたいへん気にいって第一作から読み始めた。

訃報に接して、それなら自分の読破計画に沿って全巻読破しようとアマゾンから何回かにわたって25冊、1年かかって取り揃えた。そのうち遺作になった ”Y is for Yesterday” は(なぜだか伺ったが忘れてしまった)1冊余分に持っているから、とKWV35年卒の徳生さんから頂戴した。現時点で T is for Trespas まで素読が終わって一息ついているところである。付け加えると徳生さんからはつい先日、また同じものを買っちゃったから、と今度はバルダッチの新作をもらった。先輩、この調子で行ってください!。

ここまでくると、自分もキンジーアンかミルホーニアンになるつもりでトリビア研究でも始めて見るかと思案していたら、なんのことはない、すでにその集大成みたいな本があることを偶然知った。それが G is for Grafton である。まだ目次をみただけだが、その内容は、キンジーがどんな性格であるかとか、男運が悪いとか、食べ物の趣味はなんだとか、住んでいる部屋はどんなものだとか、まあ面白そうなものだが、これは25冊読了してからの楽しみにしておく。

さて、このシリーズの舞台はサンタ・テレサという架空の街になっていて、熱心な読者の一致するところ、太平洋に面した美しい街サンタ・バーバラがモデルなのだということがほぼ結論づけられている。今まで読んだ中にも、たとえば ”ロスアンジェルスから何マイル” とか、”サンフランシスコは北に何マイル” だとか、頻繁に出てくるハイウエイがUS101(ベイショアフリーウエイ)という著名なものであったり、それを裏付ける記述はたくさんある。さらに面白いのはこの町の名前が HBの大立者ロス・マクドナルドの後期4作品にでてくることであり(代表作 ”動く標的” もそのひとつであることは早速確認した)、ミルホーンが生前、マクドナルドに心酔していたということなどがわかってきて、サンタ・テレサがどんな街か?という興味がわいてきた。25作読むことがまず当面の目的だが、その中から、街の描写とか、通りや施設の名前とか、そういうものをまとめると ”サンタ・テレサ市街図” ができやしないか? というのが今の僕の思惑で、1冊終わるごとに関連項目をエクセルにためこんでいる(全作でキンジー自身は情報管理にはインデックスカードを用いている)。G is for Grafton までたどり着けるかどうか、が当面の心配なのだけれど。

 

 

 

恩師からの贈り物

1月13日、本稿で、小生小学校時代の恩師から頂いた便りを紹介した。40数年前の滞米中、母親に送ったグレープフルーツ(当時まだ珍しかった)のいくつかを母が先生にお送りしたらしい。その種を庭に蒔いておいたところ、実に40数年後,実がなった、という驚くような話であった。

今日、彼岸にあわせて、そのうちの1個をわざわざお送りいただいた。驚くと同時になんとも嬉しく、当日関西出張中で最期にも立ち会えなかった母のことを改めて思い出した。私事ではあるが、ほのぼのとした体験をわかっていただけばと思い写真をとった。同封されていたメモ、先生にお断りはしていないが小生の、いわば時空を超えた、感激を味わっていただけるように転載させていただく。