日吉記念館詳報    (42 下村祥介)

先ほど散歩から戻りました。今日は大学のキャンパスまで足を伸ばし、新装なった記念館の写真を撮ってきました。 どこの仲間も人恋しくなってきているようで、今晩は昔の会社仲間とラインを使ってオンライン飲み会です。

(堀川)
ありがとうございます。前の芝生が無くなっているのですね?
ちょっと、クールですね。

(中司)日吉も僕らのイメージとは様変わりですね。喜ばしい事でしょうが、一抹の寂しさもある、妙な気持ちです。

このあたり、僕らが高校時代はフリーの広場で、マムシ谷へ練習に降りていく連中、山食へ向かう仲間、高校生、大学生がそれとなく交流し時としては雑踏する場所でもありました。そして若干の無頼性?を感じる空間でもあったのです。創立以来の古色蒼然たる慶応高校の、旧制高校由来の空気と新制高校の息吹が重なっていたあの校舎、後何年あるかわかりませんが、その雰囲気がせめて僕らが生存している間はあってほしいもの、と思うのは老人の身勝手でしょうか。昨日の読売のコラムに、”雑踏ということばなじむのが “都会”だが、街路から人影が消えていき、鉱物化したのが ”都市” だ、という文章がありましたが。

も一つ、同じコラムから拾い読みを付け加えたくなりました。中国の詩聖,蘇東坡に
  年々 春を惜しまんと欲すれども 春去って 惜しむを容れず
と。