大倉山公園の紅葉   (34 小泉幾多郎)

みんなから送られてくる素晴らしい景観とその写真。つい最近のメールを眺めただけでも、遠くはオーロラをはじめとして、上高地、秋川渓谷、香嵐渓、荻窪三庭園、錦糸町公園、載せていない景観ごめんなさい。メールを眺めているだけでも楽しませていただきました。
こちとらは、外に出るのも億劫になる歳と共に、外出の機会が、ぐんと減りました。今日快晴の日曜日、一念発起し出掛けようとしましたが、行く場所は、我が家から一番近くて紅葉しているところ、梅で有名な大倉山公園あたりしか思いつかず、久しぶりに、1時間ばかり歩いてきました。

(HPOB  金藤)大倉山公園の紅葉みごとですね。遠くに行かなくても楽しめるなんて、羨ましく思います!

荻窪三庭園をめぐって

(HPOB 金藤)
杉並区の荻窪界隈のローカルな話となりますが・・・

先日、吉祥寺へ出かけたついでに、実家から一駅隣の駅が最寄駅になる 荻窪三庭園のうち、荻外荘公園は現在は邸宅内を一般公開していて、今年7月から隈研吾氏が設計したカフェ・ショップ併設の「荻外荘 展示棟」もオープンしているらしいので、一度訪れてみたいと思っていましたが残念ながらその日は行けませんでした。  三庭園のひとつ角川公園にも行ってみたいと思っています。

荻窪三庭園とは荻外荘公園 太田黒公園 角川庭園の三庭園です。今は大田黒公園の紅葉が美しい時期です。 今年はまだ行っていませんが、ライトアップ時も雰囲気があって素敵です。

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荻外荘は昭和前期に3度にわたり首相を務めた近衛文麿の旧居。太平洋戦争のきっかけとなった近衛と軍最高幹部との会談もここで行われた。

(普通部OB 田村耕一郎)荻窪三庭園の写真とお話を懐かしく拝読、有難うございました私は荻窪の隣の西荻窪育ちで1946-1964年まで住んでいました。
その時代は荻窪三庭園との命名はなく、荻窪の近衛邸の前をぶらついたことを
覚えてますが、太田黒/角川邸は知りません。当時の散策コースは西荻窪の北側
にある東京女子大―善福寺公園-井草八幡宮でした。

京都永観堂の紅葉は素晴らしいですね、実は先週京都に出かけ、三十三間堂/
永観堂/広隆寺/仁和寺/清凉寺大覚寺を巡り、特別展での仏像、寺院/庭園、
見事な紅葉に魅せられました。特に見事な紅葉に囲まれた初めて訪れた
永観堂に驚き閉門まで過ごしました。

(普通部OB 船津於菟彦)何でも三題噺的に三にこだわることが多い。 ”六義園”「小石川後楽園」「浜離宮恩賜庭園」とか、「小石川植物園」「東京都庭園美術館」「椿山荘」何れの庭園は季節とか何を見るかです。それぞれ季節季節に素晴らしいと思います。たとえば 六義園、小石川後楽園、浜旧恩賜庭園、とか、小石川植物園、東京都庭園美術園、椿山荘、といったように。荻窪は昭和の初め頃政界・文化人が広大な土地を得られる荻窪村に住み着いたところです。大田黒邸だってば倍ぐらいのスペースがあったようですね。今でも文化人とかお金持ちの住む荻窪駅ですが、大田黒邸以外はたいしたことないですね。荻外荘は建物で、角川さんのお宅は記念館。

何を見たいか何を撮りたいかに寄りどの庭園でもそれなりの価値は在ります。江戸巡りなら「六地蔵」「江戸の鐘」とか色々巡るところは沢山ありますね。
お正月は七福神巡りとか、我が錦糸公園もかカサコソの季節です。

従兄弟会と勤務先同窓会が入り混じった夜の出来事

とりあえず阿波の国にご清遊の坂東正康兄に一報。一昨晩、親戚で、中司家ただいま一族筆頭若者頭の中司啓がプロモートして従兄弟会なるものがあった。市ヶ谷の地下鉄をおりたところで ジャイさあんと肩をたたかれたら、これなん、ウニ(染谷幸恵くん)でありました。友人とコンサートへ行く途中とか、元気でしたよl バンさんにくれぐれもよろしく、との伝言あり。 (注 :染谷旧姓木村くんは通称うに、坂東のセクレタリで名コンビをうたわれ、気難しい天才肌の良き理解者であった)。
翌日は今度はHP倶楽部のパーティ。最高齢はRDの西田さん。レギュラーだった北盾さん、吉原さん、堀江さんの姿は見えす。女性軍ではちとせが嫣然、変わらないのは岸良さんだったな。ミッキーの旦那はあいかわらずひょうひょうと。小生にしてみれば僚友横浜支社長手塚なく、敵役東部支社長片岡なく、工場時代の右腕田辺憲治またなく、だいぶ前に逝ってしまった無二の僚友曽山はたまたなく工場現場での兄貴分吉原さん森田さんなども出席敵わずとのこと、ただ時の移ろいが身に染みた一夕であった。
本来ならば会場や会員の写真を紹介すべきだがまだ未入手のため違った視点からのできごとを書かしていただく。
帰宅後、やるせない胸の内、追憶はhp時代とKWV時代が重なって鼠色、せめて今夜は明るい昼間に似合うシャルドネでなくバーボンで(”喉を焼く、と北方謙三ブラディドールは書くんだが俺はもう少し紳士的に、いわばメランコリック?に)行こうかとめったに買わないジャックダニエルを買い込み、グラスに惜春の憂いを晴らそうとしたと思いねえ、友よやすらかに、でも、あの頃あよかったよなあ、でもいい、まあいっか、と飲んでみたらこれがみょうな味なのだ。おのれ OZEKI だましおったかとラベルをみたら、なんと TENNESSE HONEY とあるではないか。はちみついりのリキュールだったのだ。当然ラベルも見ずに買った俺が悪い。ますます機嫌が悪化、こんちくしょうめ、それならばと久しく呑んでないカナディアンクラブでお茶をにごそうかとまさに一口すすったところで玄関がピンポーン。出てみたらなんと47年関谷君からなにやらずっしりと重い箱。予感もあって、はさみももどかしくやぶりあけたら、なんと Kentucky Straight Burbon Michters  と。さっすが関谷、俺が見込んだだけあるわい、と満足。となりにならべたC&Cは創業1858年つまり メージイシンのわずか10年前、方やミクターさまは1753年、米国最古の蒸留樽だそうだ。
この後、まだ眠れそうもないほど気分がマイナス興奮(俺の造語)してるので、オクガタの薬箱からマイスリーを失敬して飲んだら、今朝は9時30分を超えてもまだぼんやりしてる。
窓を開けても海は見えないが武蔵の国調布の里の空は無風快晴。なれどわが心なお波高し。

(47 関谷誠)Small batchとは「小規模生産(small batch)とは、

特定の商品や製品を少量ずつ製造することを指します。

これは、手作りや特別な製法で作られる食品や飲料に見られる形式で、品質を重視し、個別の管理や職人技を反映させることができます。小規模生産のメリットには、顧客満足度の向上や持続可能性の促進、地域経済の活性化が含まれます。

台湾についての一考察    (普通部OB 菅原勲)

本当に中華人民共和国(以下、中国)と台湾は一つの中国なのか?

11月24日、習近平がトランプに電話した際、「台湾が自国の一部と言う一つの中国」原則などを改めて説明し、「台湾の中国への復帰は戦後国際秩序の構成部分だ」と強調し、台湾統一への強い意志を表明した、と日経は報じている。

ここで習近平が言っている、「戦後国際秩序の構成部分」とは具体的に何を指しているのだろうか。

その前提には、1895年、日清戦争で日本が清に勝利した結果、台湾が日本の植民地となったことから始まる。以下が、具体的な戦後国際秩序の構成部分だ。

1943年12月1日、“カイロ宣言”と呼ばれる宣言が、米国は大統領ルーズヴェルト、英国は首相チャーチル、中華民国は主席蒋介石から出され、戦後、台湾の日本から中華民国への返還が明記された。

 

1945年7月26日、“ポツダム宣言”と呼ばれる宣言が、米国は大統領のトルーマン、英国は首相のチャーチル、中華民国は主席の蒋介石(ソ連の書記長スターリンは日本の敗戦後に参加)から出され、カイロ宣言の履行を明記した。

また、1951年9月8日、締結されたサンフランシスコ平和条約では、台湾の帰属は明示されなかった。

以上、いずれも、その対象は中国ではなく中華民国だった。何故なら、中華人民共和国の独立は1949年10月1日であり、中国は、それ以前、地球上に存在しなかったからだ。つまり、日本からの返還先は、中華民国(台湾)だったことになる。逆に言えば、台湾が中国に属すると言うことを明示した書類は一つもない。

それに対して、例えば、外務次官だった栗山尚一は、その2010年に出版した回想録の中で、ここに言う中華民国は中華人民共和国と読み替えるべきだと述べている。しかし、こんな恣意的なことが簡単に罷り通ることになれば、どんなことでも読み替えることが出来るわけで、そこには途轍もない無理がある。

その意味で、習近平が「戦後国際秩序の構成部分」だと述べたことは、却って藪蛇であり、自ら墓穴を掘ったことになるのではないか。

従って、どう考えても、中華人民共和国と台湾(中華民国)は全く別の国家であると断じざるを得ない。今、中国が台湾にやろうとしていることは、例えば、Aと言う幼児がBと言う他の幼児の持っている優れものを、優れものであるが故に、これは俺の物だと奪い去って行くようなものであって、これは、児戯にも等しい全く稚拙な行いであり、絶対に許されることではない。

(44 安田)ニクソンの電撃北京訪問1972年に続く米中国交樹立(1979年)、日中国交樹立(1972年)などを経て国際政治に於ける中国の存在感の拡大、更に国力・経済力・軍事力強化に基づいて、曖昧であった台湾の帰属問題を、統一して中国に帰属させるシナリオに、一直線に走っているのが習近平政権だろう。いつの間にか、第二次世界大戦当時存在せず、創立メンバー国でもない、中華人民共和国が安保理常任理事国になっているのは国際政治の、国連の理不尽さだ。常任理事国5カ国に与えられた拒否権(right of veto)もおかしな特権だ。5ヶ國の1カ国でも紛争当事国或いは深く利害に関わる国であれば、国連は機能しない(現在、既にその問題が顕在化している)。

中国の戰狼外交(Wolf warrior diplomacy)や恫喝外交(Intimidation diplomacy)に対して、日本は同盟国アメリカをはじめ、西側友好国を含め、国際政治の中で堂々と有効且つ強靭な外交を実践してもらいたい。