夏目漱石にも影響を与えた英国人画家ルイス·ウェイン(
北京の今 (普通部OB 田村耕一郎)
中国の現状に精通している友人からの情報を転載します。メディア報道とあわせてご参考まで。
極端なゼロコロナ政策の是正などを求めて、中国各地で若者たちが
■「誰が与えた権力なんだ!」PCR検査のテントを破壊 SNS投稿で強まる「ゼロコロナ政策」への反発
SNSに投稿された防護服を着た警察官に住民たちが物を投げつけ
こうした市民の不満は、厳しいゼロコロナ政策に向けられたものだ
■「白紙運動」抗議デモで掲げられたA4の真っ白な紙 そこに若者たちが込めた意味は…
抗議デモは、中国各地に拡大。そして今回のデモの特徴が「白紙運
■「ネット規制にデモの要因」天安門事件リーダー王丹氏が見る白
習近平と若者が衝突しているのは、ネットの検閲にとても力を入
1989年の時は、最初から『共産党政権は退陣せよ』とは言い
エーガ愛好会 (179) おくりびと (普通部OB 舩津於菟彦)
しかし、その後、脚本を青木に見せると、舞台・
峰岸徹。余貴美子。吉行和子。
(安田)「おくりびと」封切り時に映画館で観ました。随分前のことです。それまで「納棺師」なる専門職の存在、そしてその仕事内容をほとんど知らず、特に死に装束の段取りなどに大変驚きました。鳥海山を仰ぎ見る酒田の自然と街並みの美しさが印象的でした。主役がチェロ弾きだということでオーディオ製品も登場しますが、僕の勤めていた会社の製品を撮影に貸し出しました。そこのところは注意して観ました(笑)。この映画を観て数年後に母親が故郷九州で他界しましたが、実家での「おくりびと」が死に装束を施す行程を何とも表現のしようのない気持ちで見届けました。映画ではない現実のこととして実感させられました。
木本と広末もさるものでしたが、山崎努、余貴美子、笹野高史のベテラン脇役は見事な演技と役割で映画を締めていました。NHK番組「ファミリー・ヒストリ―」の語りをやっている余貴美子の語り口が大変気に入っています。山崎努は黒澤明映画「天国と地獄」の誘拐犯役で大いに注目。40年後の演技を観るのはイイモンですね。笹野高史は、藤沢周平作・山田洋次監督の「武士の一分」が忘れがたい。彼は昔から老けて見えますが、実は僕より2歳若い。余人を以て代えがたい役者ですね。
乱読報告ファイル (36) 司馬遼太郎の世界 (普通部OB 菅原勲)
司馬の「坂の上の雲」、「竜馬がゆく」などは多くの人に読まれ、高く評価されているが、これに対する反論も数多ある。その最たるものが評論家の加藤周一だ。ちょっと長いが以下に引用する。「司馬遼太郎氏の史観は天才主義である。数人の天才たちが、対立し、協力しあいながら廻天の事業を行う。そこには民衆が演じた役割と、経済的要因がもたらしたであろう意味は、ほとんど描かれず、ほとんど分析されない。この小説が提供する歴史の解釈、歴史的事件の全体像は、われわれがわれわれ自身の社会的現実と歴史的立場を発見するのにはやくたたないだろう」と切り捨てている(「司馬遼太郎小論」)。この最後の一行は、ボンクラな小生には具体的に何のことを言っているのかさっぱり分からない、「やくたたない」と言いたいのは良く分かったが。要するに、小生を含め大半の人にとって、司馬を読んでも「やくたたん」と言ってるわけだ。つまり加藤のような進歩的文化人から見ると、司馬の作品を持て囃す一般大衆は大バカだと言っているに等しい。ここまで言われると、何やら、加藤の個人的な嫉み、恨みではないかとも思われてくる。そして、その根底にあるのは、どうやら人騒がせなK.マルクスにあるらしい。下部構造は上部構造を規定すると言うその考えに合致しないと言うことなのだろう(司馬が最も忌み嫌っていたのは、あることを絶対視し、それに反することは全く認めない絶対思想であり、彼の基本は、それとは真反対のリアリズムだった)。加藤さん、面白いものには、もっと素直になれば良かったのに。でも、進歩的文化人はそうもいかなかったか。
ここに、司馬が書いた作品がある。「上方武士道」、「風の武士」、「風神の門」、「十一番目の志士」、「大盗禅師」、「韃靼疾風録」。その特徴は、司馬と言えば必ず取り上げられる「坂の上の雲」、「竜馬がゆく」などの主要作品とは違って、その主人公が全て司馬の想像、創作で成り立っていることだ。勿論、司馬の書いたものは厳密な意味での学術論文ではなく、小説なのだが(本人はそうは言っていないようだが)、上記以外の作品の主人公は実在している人物だ。ここで何を言いたいかと言うと、上記の作品は等閑視されているのではないかと言う大きな疑問だ。いや、むしろ、司馬の本領は、想像力、創造力が天井知らずに羽搏くことにこそあるのではないか、と。勿論、ここには司馬史観もないし、背景にはあるが、歴史そのものを語っているわけではない。しかし、司馬を論ずるには、この両方を等分に論じなければ、司馬の本質には迫れないのではないだろうか。その意味で、小生は、「坂の上の雲」、「竜馬がゆく」などと並んで、上記の作品を、大変、面白いことから、再三再四、手に取っている。中でも、「十一番目の志士」の主人公、長州藩の暗殺者(刺客)、天童晋介は極めて忘れ難い。余談だが、余りにも真実らしいので、歴史学者さえ実在する人物だと思ってしまったと言われている。
あっ、この本のことを、ここまで、一切、語っていない。しかし、作家、作品を紹介するこの類の本よりは、先ずは、作品自体に触れて読んで楽しむのが本来の姿だろう。従って、これ以上は言及しないことにする。
(編集子)司馬の主な作品は一応読んで、それなりに納得している一ファンからすると、世にいう司馬史観論とかいう論議自体がばかばかしい。司馬が書いているのは小説、であって、史書、ではないと思うからだ。そういう立場からして、小生は菅原の進歩的文化人観に100%同意する(彼とは ”顔も見たくない有名人” リスト、でもほぼ同じである)。
加藤某が何と言ってるか知らないが、小生は 坂の上の雲 を第一のものと思っていて、そのうち歩けなくなったらビデオでもみて過ごすことになろうかと、この一式を大枚はたいて買った。まだ封も切らずに本棚で出番を待たせてある。スガチュー、俺達ってひょっとしてウヨク?
(菅原)俺たちゃー、右翼でもなければ左翼でもない。お天道様の真下を堂々と歩いて来た、また、これからもそうして行く国士だ。文句、あんめえ!
(船津)生粋の保守本流。右翼でも無く左翼でもなーしと思いますね。
(菅井)字引によると国士とは「国中で最もすぐれた人物」
(安田)お二人の投稿記事、大変興味深く拝読致しました。多々同感です。
司馬遼著書を’60年代半ばに読み始めて殆ど読みました。初期の頃の「梟の城」「竜馬がゆく」「燃えよ剣」「国盗り物語」あたりまで来てのめり込み始め、越後長岡藩家老・河井継之助の「峠」に感心しました。黒田官兵衛の「播磨灘物語」も面白かった。近代国家として歩み出し日露戦争勝利に至る勃興期の明治日本を無邪気なまでに楽観的明るさと元気さで描いた長編「坂の上の雲」では、秋山好古・真之兄弟と正岡子規をその明るさの象徴として位置付けた手法に唸りました。薩長土肥出身の歴史を中心的に動かした“大物”を主人公とせず、松山出身の三人の生き様を浮かび上がらせた発想は大変素晴らしい。後年、松山の秋山兄弟生家にも足を運びました。その後も新刊小説が発売され次第読み続けたが、随筆・紀行・対談物が加わり、今世紀に入りる頃まで30年以上楽しませてもらいました。‘70年代初めに著し始めた「街道をゆく」はとても興味深かった。モンゴル、中国、オホーツク、アイルランド、オランダ、南蛮(スペイン・ポルトガル)、アメリカ及び日本各地を巡る紀行。歴史を遡る縦の時間軸とその歴史の現場である地理的な横軸が交差する、司馬が紡ぐ綾を読むのは興味尽きない心地良いひとときでした。「十一番目の志士」は、管原さん同様、大変気に入っています。
読者の多くの歴史知識は司馬遼本に拠るほどに歴史とその舞台に痕跡を遺した人物を、目の前で躍動しているかのような筆致で描いて、読者を惹き込ませて止まないる面白さがあった。僕もその最たる読者の一人です。司馬史観を云々するなど全く無意味であるとのご意見に賛同します。小説を読むのは娯楽なのだから。本格的歴史書は並行して読めば良いのですからね。
今日は何の日 (普通部OB 舩津於菟彦)
81年前の今日、日米開戦!真珠湾攻撃.。無謀な戦争に突入!
この日のニューヨークタイムスと当日のラジオ放送のレコードを持
70年以上戦争のない日々が続きました。
(編集子)
舩津の名調子を茶化すようで申し訳ないが、”エーガ愛好会” 目線でいうと、この12月8日が場面チェンジャーになった例を思い出す。第十七捕虜収容所 はウイリアム・ホールデンが主演、敵役というか米軍将校捕虜に扮してのスパイにテレビ番組 ミッションインポッシブル の主役になったピーター・グレイヴスの絡み合いが面白く、テーマ音楽 (ジョニーが凱旋するとき)とともに大ヒットした作品だ。土壇場でホールデンがグレイヴスがドイツのスパイであることを暴露するが、そのきっかけが ”真珠湾はいつだ?” という質問。それにグレイヴスが平然と答えるのだが、ホールデンが ”それはベルリン時間だ!” と喝破して捕虜たちが企んでいた脱出計画の危機を救う。やはり当時米兵の理解していた真珠湾、という史実の重みが感じられたショットだった。
また別のことでいえば、イスラエルの電撃作戦で始まった中東危機では、イスラエルが実行した奇襲計画は真珠湾作戦にヒントを得た、という担当した将軍の話もあって、歴史上、事務上の手抜かり(詳細は トラトラトラ に詳しい)のため日本にとって不名誉な史実を残してしまったが、真珠湾攻撃は軍事作戦としては大成功であったようだ。Rmember Pearl Habour ! という一語がアメリカ人を団結させてしまったのは事実だが、その裏にはルーズベルトの冷酷なトリックが仕掛けられてもいたわけだ。このあたり、アングロサクソンの歴史操作についてはいま、エマニュエル・トッドの大著 我々はどこから来ていまどこにいるのか―アングロサクソンはなぜ覇権を握ったか なる本を読み始めたところなので、いつになるかわからないが読書報告をしたいと思っている。
現在の学生や若い層のなかには日米が戦争をしたという史実さえ知らない人も多いと聞く。事の是非はともかく、この日のことは国民として知っておくべきことだと思うのだが。
(安田)「真珠湾攻撃」については、81年後の今日でさえ、日米同盟の堅固な関係を結んでいるアメリカ国内ではその日が来ると、「宣戦布告なしのだまし撃ち」「卑怯な日本」「屈辱の日」「リメンバー・パールハーバー」の声が挙がるそうです。NYの9.11テロ事件を「the second Pearl Harbor」、リーマン・ショック金融破綻を「Financial Pearl Harbor」と呼ぶほどです。レゼンスキー大統領が渡米してアメリカ議会で演説した際、ロシアのウクライナへの侵攻を「ウクライナにとってのパール・ハーバー」と称し、やんやの喝采を浴びていました。歴史の時効は数百年はかかるのではと思い知らされます。
アメリカ政府の極秘資料には、時効があり、時効を過ぎると全面公開することが決められています。案件の重要度・秘密度合いに応じて、コンフィデンシャル、シークレット、トップ・シークレット、ウルトラトップ・シークレットに区分けされています。トップ・シークレットの時効は30年、その上のウルトラトップ・シークレットは60年です。「真珠湾攻撃」案件はウルトラトップ・シークレットでした。因みにGHQの日本占領は時効30年のトップ・シークレットに分類されていました。もろもろの事実が明らかになってきましたが、「勝ては官軍」がまかり通る歴史の真実を突きつけられた感がします。窮鼠になってしまった日本は、戦後、猫を噛むことはせず、戦勝国・親分のアメリカには抗えないまま戦後80年近くを経てきました。政府・マスコミもこれらの公開情報を国民に広く伝えて行こうという意向は全くみえません。
エーガ愛好会 (178) セーブ劇固め打ち
(小泉)「明日なき追撃Posse1975」はカーク・ダグラスが製作、
連邦保安官ナイチンゲールは、その名声と野心を達成すべ
(編集子)この放映は知っていたが、なんとなく合わせたチャンネルでやっていた マグ二フィセントセブン のほうを見てしまった。
Magnificent Seven はかの 荒野の七人 として紹介された,黒沢明の 七人の侍 をリメイクして大ヒットとなった名作だが、同じタイトルで3本、西部劇が製作されている(荒野の七人4部作、ともいわれる)。原作の主演だったユル・ブリナーが再登場し、スティーブ・マクイーンの役をテレビのシリーズもの ララミー牧場 のロバート・フラーが演じたのが第二作、第三作は主演がジョージ・ケネディ、第四作はマカロニウエスタンで売り出したリー・ヴァン・クリーフである。この4作はすべて見ているが、この作品が5部目にあたるかどうかは見方によるようだ。無頼のガンマンが七人、義侠心から立ち上がるという筋は同じだが、今回は主演が全4作と違うのは主演がデンゼル・ワシントンとという黒人であることとだけだと思っていた。だから見るまで知らなったが主人公の名前がチザムであり、カンサス州リンカーンから来た、という設定は面白かった。この名前は先回小泉さんがまとめられたヤングガンの付けたしとして紹介しておいたように、リンカーン・ウオーの中心人物のものだからだ。
ジョン・チザムは実在の人物で、チザムトレイルとよばれるテキサスの牛をカンサスまで運ぶルートの開拓者である(さらに話がとぶが、ジョン・ウエイン出演でかのモンゴメリ・クリフトが初めて出た西部劇として知られる 赤い河 のものがたりはこのチザムトレイル開拓の話をかたどったのだという説もある)とされる人だし、この作品の設定とは全く違うのだが, 言ってみれば推理ドラマの主人公を宮本武蔵と名づけるようなものかもしれない。しかし作品そのものは平凡で、圧倒的に多いバッドガイを迎え撃つ趣向もヴァン・クリーフ版の焼き直しだし、残念ながら典型的Bクラスウエスタンに終わったのが期待外れ。今週はドクター小泉同様、主役のネームヴァリューにつられたセーブ劇党には悪日だったようだ。
(菅原)誠に遅まきながら、クリント・イーストウッドの「ペイル・ライダー」(1985年)を、CATVで見ました。詳細は、確か、小泉さんが、秀逸な感想を投稿されていたので触れません。
文句なしに、滅茶苦茶、面白かった。兎に角、イーストウッドがスゲーカッコ良かった。それに、最後、それこそ神出鬼没で、悪者をやっつける、これぞ正に西部劇。理屈抜きってのが最高。「許されざる者」は、そう云った意味で馴染めなかった。「ペイル・・・」のイーストウッド、この時、55歳だから脂が乗り切っていた。
新雪が来ました (グリンビラ総合管理 ホームページから)
胸に応えた一句のこと
自分は子供時代から本好きで、今でもその傾向は変わっていない。中学3年ころから高校時代は世界文学名作集、などをわからないままにただ読み漁った。そのころにはなぜなのか考えてもみなかったし、昔から名作というんだから読んだ方がいいんだろうくらいの感覚だった。ましてその著者がノーベル賞を受賞した人だ、などとなれば無条件で名作なのだと単純に信じ、だから教養として読んでおかなければならない、と単純に判断していた。
しかし年を重ねるにしたがって、そのノーベル文学賞というやつに疑問を持つようになった。自然科学とか社会活動等であればだれにでも納得できるクライテリアがあるが、文学、となるとそのあたりは何を基準にするのだろうか、という疑問である。
日本の文学界には多くの才能のある人がいるだろうし、その作品に共鳴できるかできないかは自分の感覚で納得できる、これはあくまで、自国語で書かれていて、それを読んだときに受ける感動なり共鳴なりが書いた人と同じ文化的背景をもつからこそのものだろう。どこかで書いた記憶があるが、たとえば 英語で言えば blue という意味を持つフレーズがあるとしよう。これをある人は 青い と書き、ほかの人は 蒼い という文字を選び、ほかの人は碧い と、あるいはただ あおい と表記するかもしれない。アルファベットだけでなく表意文字になれている日本人にはこの4つの訳が表そうとしている背景なりシチュエーションを区別することは難しくないが、この違いを多国語に書き換えるときにはその翻訳者がどういう意味としてとらえるかが、翻訳者の能力であり原作品をどれだけ原著者の感覚でとらえられるのか、によって、外国語しか解しない人がその結果をどう解釈するか、が変わるだろう。これは何も日本語―英語だけの問題ではなく、およそ外国文学を読む人間すべてにあてはまるはずだ。そういう中、”世界に認められる作品” をどうやって判断するのだろうか、という素朴な疑問である。
小説とかエッセイという分野であれば、単なる翻訳上のいわばテクニックから生じる結果のほかに、その構成だとか時代背景との関連だとか著者の持つ主義主張だとかいうものが複雑に絡み合うから、その結果としての価値が判断される、ということは理解できる。では詩はどうか。詩はあくまで感覚に訴える部分がメインであるから、外国語の詩がもたらす感動がその言語で書いた人間のそれをどれだけ、どのように伝えるのか、途方もなく難しいのではないか、と思うのだ。例えば誰でも知っている有名な詞の和訳で、”ヴィオロンの ため息の” が ”バイオリンを 弾く音の” とでもなっていたら(フランス語を知らないのでこの例が正しいのかどうかは知らないが)結果としてこの詩は日本人にはどう響くだろうか。この例の様な長い詩であれば、ほかにもいろいろなファクターがあるが、日本文化のいわば骨頂にあたる感覚を競う俳句はどうだろうか。
小生の義母は早くから俳句に親しみ、句集を出したくらいのひとで、小生にも俳句を始めさせようといろいろ勧めてくれたものだが、残念ながら興味はわかなかったし、最近のテレビ番組の影響もあって俳句論議も盛んであるがもうひとつ乗り切れないところがある。おもい出してみると俳句、というものを初めて知ったのは小学校4年くらいの時だった。学校で出していた文集にある女の子の句が紹介されて、これはとてもすばらしい、と先生たちが喜んだ句をどういうものか鮮明に覚えている。
ポケットに 手を入れてふむ 初氷
というのだ。戦後まもなく、防寒着もお粗末なうえに東京でも冬は寒かったし、母親の頑固なしつけで真冬も半ズボンだったから、この句の持つ感覚が何かに共鳴したのだろう。その後、申し訳ないが俳句の世界とは無縁のまま来たのだが、今朝、新聞に高名な人の作品だと紹介されていた一句が最初の感動から半世紀を超えた時点で僕の心につきさった。
さびしさは 散る花よりも 残る花
たてつづけに親友が帰天してしまって、いつか来るとは理解していてもなお耐えるしかない寂寥感の中にある自分の心に応えた一句だった。これが芸術というものの力なのだろうか。
(小川)「さびしさは散る花よりも残る花」 痛感している毎日です。東海支部の忘年会、3日土曜夜に三年ぶりに開催されました。参加18名、34年キューピーが京都から、43年酒井夫妻が茅ケ崎から来てくれ、若手も4人、38年ラゲがコロナ恐れて欠席、代わりに地元有松絞の38年竹田が出席、最長老出席も今年を最後にしたいと思っております。 オジイや大崎が亡くなり俳句が身に染みております。
(保屋野)掲題、興味深く拝見いたしました。俳句「さびしさは散る花よりも残る花」・・・心に染みる一句ですね。この句は「散る桜残る桜も散る桜」(良寛)を想起させますが、人の寿命は誰が決めるのでしょうか。
(船津)
死支度致せ致せと桜哉/一茶
死下手と又も見られん桜花/一茶
業平も死前ちかししぶ団扇/一茶
昨日こそ君はありしか 思わぬに浜松が上の雲にたなびく
今よりは秋風へさむく吹きなむを 如何にか独り長き夜を寝む
言われるとその時に向かって日々進んでいるる気になってしまいま
(下村)そういえば昔「俳句第二芸術論争」というのがありましたね。
私も俳句ほど選者によって評価の異なる芸術はないと思っています。小説でも絵画でも音楽でも同じような気候風土、歴史的・文化的背景を共有している人(民族)の間では、鑑賞する人によって評価にそう大きな差は出ないでしょうが、俳句のような17音の作品の巧拙を評価することは非常に難しいと思います。事実、夏井先生も生徒の作品を評価するに当たって、「先生によってはこの言葉を嫌う先生もいらっしゃいますが、云々・・・」と、評価者によって尺度が異なることを認めていらっしゃいますね。
「古池や蛙飛びこむ水の音」、「静かさや岩にしみいる蝉の声」など、熱帯地方や寒帯地方、砂漠のような乾燥地帯に住む人々にはいくら想像を逞しくしてもらっても到底理解できるものではないでしょうね。
(保屋野)確かに俳句はは不思議な芸術ですね。「古池や・・」も私が投稿したら、間違いなくボツでしょう。我々が知る俳句は、芭蕉、一茶、蕪村・・・せいぜい子規までで、例えば近代俳句の巨人といわれる高浜虚子ですらその俳句はほとんど知られていません。下記代表作、皆さん聞いたことがありますか。
「桐一葉日当たりながら落ちにけり」「遠山に日の当たりたる枯野かな」
山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」も有名な句ですが、・・これって俳句?
写真はやはりカメラが基本です (普通部OB 船津於菟彦)
(船津発 平林寺の紅葉 の投稿によせられたメッセージ)
(安田)船津さんの写真はいつも構図と色彩のバランスが素晴らしい。保屋野さんに同感です。最初の写真の構図は、日本の床の間のような構図に見えます。床の間では棚も畳もスペースの区切り方に特徴があり、そのスペース分割はそれだけで美そのものとなり得ます。最初の写真には、茅葺屋根、格子扉の門、粋な黒塀、紅葉それぞれが他を引き立てるように相互にバランスが取れています。Less is more とでも言える単純かつ静寂でありながら無限の神秘させ感じさせてくれます。
(保屋野)さすがプロ、平林寺の紅葉中々のものですね。特に写真1(11)の構図は素晴らしい。
(金藤)
器材はカメラ ニコンZfc レンズ NIKKOR ZDX18-140m1:3.5-6.3VR カメラ ニコンZ6 レンズ NIKKOR-S Z 14-30mm 1:4二台とレンズはモウ一本持参しましたが使わずでした。重い
調子に乗って当マンションのクリスマスツリーをクロスフィルター
22年11月度 月いち高尾 (47 関谷誠)
10月の「月いち高尾」は、KWV三田会の秋ワンもあり、見合わせましたが、11月30日(水)、2か月振りに実施しました。なお、前回の9月「月いち」で城山・小仏コースをご一緒した菅谷国雄さんが、急病を得てそれが原因で逝去されました。仲間の旅立ちを悼み、改めて、ご冥福をお祈りいたします。
前夜の大雨も上がり、曇りながらも、季節外れの穏やかな気候の中、22名が、高尾山口駅に集結。今回、文教短大ワンダーフォーゲル部OGの大場陽子さんが初参加。当WVに対しては、KWV昭和60年代卒が、現役時代に、コーチをしていた関係でのお付き合いが続いています。大場さんの健脚、ワンダー精神等々が参加者全員に大いに評価され、「月いち高尾」の正式メンバー入りしました。
大垂水峠~一丁平~もみじ台~稲荷山コースに13名(37/矢部、39/堀川、岡沢、三嶋、多田、40/武鑓、藍原、41/相川、46/村上、51/斎藤、中里、BWV/大場、47/関谷)、今回より正式に命名したケーブル利用の「シニア―・コース」に9名(36/中司、吉牟田、遠藤、高橋、鮫島、46/木川、47/田端、平井、伊川)。両コースとも晩秋の静かな高尾の紅葉を満喫してきました。
下山後、「テング飯店」に20名が、恒例の ”後の祭り” に参加、ワイワイガヤガヤとコロナを吹き飛ばした。
(51 齋藤)本日は楽しい「月いち高尾」の山行を有難うございました。
とりわけ、大場さんが幹事団に入って頂けることになり運営体制の強化が図られたことが本日の大きな成果です。私が撮影した本日の写真をおお送りします。