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入団3年目の2015年のオールスター後、当時、
“明日やるべきことはすべて決まっている。時間の使い方は考え抜
海を渡り、アメリカ大リーグに挑戦してからもエンゼルスのロッカ
する.
う時に合わせ、パフォーマンスを最大化させることが出来る。久し
今でも牛丼を食べると……目の前でにこやかに、楽しそうに食事を
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
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入団3年目の2015年のオールスター後、当時、
“明日やるべきことはすべて決まっている。時間の使い方は考え抜
海を渡り、アメリカ大リーグに挑戦してからもエンゼルスのロッカ
今でも牛丼を食べると……目の前でにこやかに、楽しそうに食事を
シャーロックホームズものは大英帝国絶頂期の社会を背景にしているが、英国発推理小説はその基盤である階級社会、その中の知識階級の読者を意識して書かれた、知的ゲームだった。ただホームズの成功によってこのジャンルが大衆化してくると、推理というゲームを追求するあまりストーリーが現実離れしていく風潮への反抗からより現実的な作風が生まれる。名探偵の神業よりも、現実の社会のいわば普通の人間の行動を重視したストーリーである。それが米国に伝わると英国とは違った、オープンな米国の社会観や人間像の下で、純粋な推理よりも現実社会の中での行動を前面に出した作品が生まれた。推理小説という一応確立されたジャンルのなかで、従来の潮流と区分するためにこれらの作品にハードボイルドミステリ、という呼称がつけられた。ハードボイルド(以下HB)、とはなにか、をウイキペディアは次の通り定義する。
ハードボイルドは、文芸用語としては、暴力的・反道徳的な内容を、批判を加えず、客観的で簡潔な描写で記述する手法・文体をいう。ミステリの分野のうち、従来あった思索型の探偵に対して、行動的でハードボイルドな性格の探偵を登場させ、そういった探偵役の行動を描くことを主眼とした作風を表す用語として定着した。
HBを定義している文章にHBな性格、という解説があること自体おかしいので、小生の考える定義を書いてみる。それは ”人生に対する確固たる信念を持ち、いかなる環境でも曲げない“ こと、同時に(その結果だが)”一度信じた人間にはストイックに信義を尽くす” ことを ”環境や社会常識を超えて、必要ならば暴力を用いても実行する” ことを重要と考える性格、ということなのだがどうだろうか。だから、僕はHBミステリは犯人を確定するだけではなく、この信念を吐露したストーリーであるべきだと思っていて、それが僕がこのジャンルを好む理由でもある。例えば、先に本稿で紹介した 深夜プラスワン のキャントンは、一緒に戦ったガンマンが知り合った女性と恋に落ちたと知り、彼女が拳銃稼業になやむことのないようにと彼の利き腕に銃弾をぶち込んでしまう。この終末が、おそらく辛口の評論家内藤陳をして、”これぞHB” と興奮させたのではないだろうか。
ただ、HBの定義変数に入ってくるHB的文体、というのは厄介で、何をもってそういうのかが確定できない。識者のあいだではヘミングウエイの文体がそうだというのだが、そうなると英語以外で書かれたり英語からの翻訳されたものはどう評価するのか。ここでは翻訳の重要性というか訳者の個性なり感性が読者にどう響くか、が問われてくる。一時、だいぶ読み込んだ北方謙三は、自身をHB作家、と位置付けたいのではないかと思えるのだが、その文章に苦労したあとが感じられた。短い節や体言止め、と言った独特の書き方である(弔鐘はるかなり さらば荒野 など)。これが英語の世界でのヘミングウエイ調になるのかどうか、素人の小生に判断できるわけはないのだが、正直言うと違和感というか押し付け感が先だったのは否めない。ただ、この さらば荒野にはじまり ふたたびの荒野 で終わるブラディドールシリーズ)は北方特有の衒学趣味が多少鼻につくが、すぐれた国産HBだと思っている。
詳細はともかく、HBミステリ(ミステリ、と限定するのは “行動的でHB的な人物を描く”というテーマはほかの分野でも従来から取り上げられてきたものだからだ)の創始者はダシール・ハメットだということになっているのでそこから話を始めてみる。
ハメットの代表作品は 血の収穫 マルタの鷹 ガラスの鍵 などで、マルタの鷹はハンフリー・ボガートの主演で映画化され、我が国でも好評を博した。このハメットを継いだのがレイモンド・チャンドラであり、その後継者とされるのがロス・マクドナルドであるとされ、ハメット―チャンドラーーマクドナルドスクール、などと言うこともある。事実、日本でのHB創始者とされている大藪春彦のデビュー作 野獣死すべし では主人公伊達邦彦が奪った大金でアメリカへわたってこの3人の研究をすることになっている。
(注:この表題の作品は英国のニコラス・ブレイク=桂冠詩人セシル・ルイスの本格派ミステリにもある。なお、小生は金儲けの戦略はいざ知らず、大藪がHB小説家などとは全く評価していない)。
この”スクール”だが、書かれた作品群を時代的に見ればハメットが米国の興隆期を、チャンドラが第二次大戦時の時期を、マクドナルドは現代のいわば病めるアメリカをそれぞれの作品の背景にしていることになり、その影響は作品にもはっきり表れていると言える。
チャンドラの代表作が本稿のタイトルにした 長いお別れ であり、初期の作品である 大いなる眠り とともによく知られている。彼7冊の長編と数多くの短編を書いたほか、映画の編集にも携わっている。小生は長編は全部読んでいるが、なかでは さらば愛しき女よ(違う翻訳名もある。原題は Farewell my lovely)が特に好きだし 高い窓 プレイバック なんかも推理一辺倒を離れて小説としても優れていると思う。いくつかの作品は映画化されているが、ロバート・ミッチャムとシャーロット・ランプリング主演の さらば愛しき女よ や、大いなる眠り のほうはやはりミッチャムもののほか、ボガートとローレン・バコール共演で 三つ数えろ というタイトルで作られた(ほかにもロバート・ミッチャム主演のものもあって、これは本来の名前になっている)。 肝心の 長いお別れ のほうはエリオット・グールドの主演という、小生からすれば全くのミスキャストのうえ妙な改造がしてあって、評価に値しない駄作としか思えない代物であった。
さて、本題の 長いお別れ をとにかくお勧めする理由は、ミステリとしてのストーリーよりも作品全体の持つ雰囲気がしっとりと心に響くからである(ミステリというカテゴリを外れても、現代の英語文学としても高く評価されている)。前述したようにHBの決定要素のひとつが文体、という事なので、原作はともかく、日本語訳がどこまでその雰囲気を伝えているかが重要なことだ。今まで出ていたのは清水俊二訳と村上春樹訳の2冊で、最近田口俊樹訳が出たという事だが、これはまだ読んでいない。例によってグーグルに出ている識者の評価では、翻訳の正確さでは村上だが、清水訳は “清俊節” とも言われるとおりファンも多いという事だ。小生は原作も一応読み、悪乗りしてドイツ語版にも挑戦してみたが1日2ページを何とか判読するのがせいぜいで、結局原本を引っ張り出して英独対訳でほぼ半年かけてなんとか読了するのが限界だった。村上訳も期待を持って読んだが、結果を言えば小生は圧倒的な清俊節ファンなようだ。繰り返すが、清水訳の長いお別れ、は死ぬまでに絶対読む本、のリストに載ってしかるべき作品である、と僕は信じている。
世の中には専門家を含めてチャンドラにかぶれている人は沢山いるようだ。スペンサーシリーズで有名なロバート・パーカーはチャンドラの未完の遺作を完成させて プードルスプリングズ物語 という名前で世に問うた(これをいれるとチャンドラの長編は8冊になる)。”ギムレットには早すぎる” というタイトルでチャンドラ名言集を編集したのは郷原宏氏である。同氏はこの本の前書きとして、次のように書いている。ギムレットは 長いお別れ のなかで重要な役割を果たすカクテルである(僕はジントニックのほうが好きだが)。
”ミステリーを教養書として読むような野暮な人と私は友達になりたくない…….さりとて私は。ミステリ―を読んで何も感じないような鈍感な人と、ともに人生を語ろうとは思わない。”
この本はよく知られている一句を紹介するとことから始まる。チャンドラの7作目、プレイバック の一節である。
……”あなたのようにしっかりした人が、どうしてそんなにやさしくなれるの?” 彼女は信じられないように言った。
”しっかりしていなかったら生きていけない。優しくなれなかったら、生きている資格がない”
ところがチャンドラの後継者、ロス・マクドナルドの作風は全く違っていて、一言で言えば重苦しく、作品によってはあとあとまで考え込んでしまうものも多い。初期の代表作 動く標的 はその中では気軽に読めるし、映画のほうは主演が何といってもポール・ニューマンとローレン・バコール、脇にはシェリー・ウインタースという豪華版で楽しめる仕上がりだった。この作品は別として、ほかの代表作としては 縞馬模様の霊柩車 象牙色の嘲笑 人の死にゆく道 さむけ ウイチャリ―家の女 などがあるが、いずれも舞台は北カリフォルニア(チャンドラーは映画に関連した関係もあった南カリフォルニアが多い)の上流階級の間での確執や心理といったテーマが多く、チャンドラーに見るような開放感は皆無の作品がほとんどであるが、これはマクドナルドが生きた時代が、すでに米国がかつての栄光を失い、支配層であるべき人たちの間に心理的な混乱が生じ始めた時期だからであろう。
ほかにもHBを標榜する作品はミステリだけでなく(たとえばHB時代劇、なんてのもあった)お目にかかるが、多くはウイキペディアの定義の前半、つまり暴力行為の描写が主題で、主人公の心のうつろいを感じさせる作品はあまりないように思っているし、ミステリ、ではなく冒険小説とか警察小説、と分類すべきものばかりなような気がする。その中で、以前本稿でも取り上げたが、日本でいえば原尞(はら りょう)の作品は素晴らしい。惜しむらくは寡作なひとなので、次作があらわれるのを心待ちにしている。
最近のアメリカ発のものならば、僕の好みは 氷の闇を越えて でデビューしたスティーヴ・ハミルトンと、雰囲気が素晴らしい(残念ながら寡作で翻訳も今はアマゾンの中古に頼るしかない) ジョン・サンドロリー二の 愛しき女に最後の一杯を という2冊になる。そのほか、ずいぶんアマゾンにはご厄介になったが、残念ながらここで定義した、いわばホンモノのHBミステリ、ぼくが読んだ範囲ではロス・マクドナルドを越える作家にはあまり巡り合っていない気がするのが残念だ。
(菅原)大藪 春彦がダメなら、ミッキー・スピレインもダメか。
確かに、スピレインに煽情的な部分はあった(初作:1947年)。しかし、これはその先駆者であったがためであり、今は、例えば、D.ウインズローの「犬の力」(2009年)などは、その描写がもっともっとエゲツナイ。Commies(共産主義者)なんて表現は、まだ鮮明に覚えている。それにしても、スピレインから80年近く経って、コミーは何も変わっていない(特に、日本共産党)。スゴイねー。
閑話休題。と言うわけで、小生、ハードボイルドをハメット、チャンドラー、ロス・マクドナルドなどだけに閉じ込めておくことには違和感がある。評論家であり、小説家でもある片岡義男は、ハードボイルドについて、二つあり、一つは、上記3人のリアリズムであり、もう一つは、スピレインのファンタジーだと言ったそうだが、これも、大いに一理ある。何もスピレインを抹殺しちゃうことはないんじゃないか。
この映画の作られた1950年こそ、名匠アンソニー・マンが西部
原名フューリーズと呼ばれる大牧場主T・Cジェフォーズ・フュー
バーバラ・スタンウイックは流石に名女優.ウオルター・ヒ
(編集子)バーバラ・スタンウイックとはまた懐かしく、セーブゲキの古典、ジョエル・マクリーと共演した 大平原 を思い出した。小泉さんの嘆かれるのに小生も同感で、ここのところ放映されるセーブゲキは妙にひねったものが多く、大平原や落日の決闘のような正統派(つまり広々とした背景があって、いいやつと悪いのが決まっていて、必ず正義が勝ち、いいやつのガン裁きがすごい物語で、それに詩的な雰囲気が素晴らしい奴ならさらに良い)が少ない。困ったもんだ。
(編集子)しばらくご無沙汰の光景、懐かしく拝見。しかし会社時代のふたり、つまりミッキーとやっこ、こんなに活動的だったかなあ、とただ感服。つまり、いいんだな、テーシュが。
(船津)素晴らしいショットの写真深謝。
(金藤)船津さん、中町の写真、ご覧頂きましてありがとうございました。このお店は店主によって集められた暮らしの道具や器の並べ方が、
このブログがきっかけで生まれたメル友グループ エーガ愛好会 は本来のエーガ論を離れて投稿者がいろんな話題を持ち出しては議論を吹っ掛けあう、誠に楽しいグループになった。昨今の情報では、栄養やら運動やらも大事だが、社交性を維持することが老けないための重要なファクタであるというし、誠に結構なことだと思う。
ただ小生、幼いころから絵画彫刻あるいは建築といった、いわゆる造形美術の分野にはまったく関心を持つことなくここまで来てしまった。そのせいでこのメル友グループで活発な美術に関連した話題には全くついていけない。強がった言い方で言えば興味が全くわかないのである。自分が勝手に始めたことではあるが、ブログという公共性のあるツールをいじっている以上、情報は公平に扱うべきなのだが、わけのわからないことを報道することは我が慶応高校新聞会で叩き込まれたプライドが邪魔をするので、意地を張って無関心を装っている。
音楽、という分野についても同様だが、ここでは自分なりに好き、好きでない、程度の判断くらいはできる。旧高等学校出身のオールドリベラリストというか教養主義者だった亡兄からベートーヴェンを聞け,ゲーテを読め、と叱られ続けた(小生よりも8歳年上だった)こともあって、高校生のころには分かったふりをして当時流行していた音楽喫茶、なんてところに出入りしていた。その結果かどうかわからないが、自分の好み(だろうと思っている)曲を並べてみたら、その作曲家群がその道にうるさい仲間によるとロマン派と呼ばれる人たちだった、と知った。あまり数多くないCDを並べてみるとチャイコフスキーとかドヴォルザークにリスト、なんかがちらほらある、という程度なのだが、これがイージーリスニング、というのか昔風にポピュラーというあたりだと、曲ベースで好みがはっきりしてくる。一言で言えば、昨今の流行のようだが、リズムが前面に出てくる曲よりもやはりメロディアスなものが好みだが、あまり微妙なテクニックが云々されるような、デリカシーでございます、というようなやつも好きではない。ま、いってみれば、やはり昭和のおじさんの趣味なのだが、そうかといって妙に崩して歌われる演歌調や演歌の中核であることは理解しているものの、いき過ぎたこぶしは勘弁してほしい。
ふた月くらい前、しばらく使っていた自作アンプが故障してそれならと2日で作り直した奴が、やっつけ仕事はやはりうまくいかず、それなりの問題を抱えていて、ハムが気になる、というベーシックなトラブルがあって、クラシックものは敬遠してしまい、ここのところ、演歌というのか洋風歌謡曲というのかを掛け放しにしておくことが増えた。その中で、何回も飽きずに聞くのが小林旭の 北へ という曲なのだ。裕次郎全盛のころデビューしたアキラは言ってみれば裕次郎の二番煎じと言う役者だったし、ギターの弾き語りも好きではなかった。なぜこの曲だけが好きなのか。これは演歌、というジャンルの曲なのだろうか、という疑問が湧いた。
例によってグーグルで 演歌、の定義を探してみた。世の中に専門家という人はいるもので、その定義沿革について十分すぎるくらいの情報が見つかった。その中で、五木寛之が実在のプロデューサーをモデルにした 艶歌 という小説を書いているのを知った。サラリーマン5年目ごろにきっかけは忘れたが 蒼ざめた馬 青年は荒野をめざす と、学生時代に読んだ方がよかったような五木の作品に触れ、それから数年、彼の乾いたというか投げやりというか、ある意味ではハードボイルド(本人はもちろんそう思わないだろうが)ふうな作風が気に入って、だいぶ読んだのだがこの本は読んでいない。グーグルによればこの本の中で五木は 艶歌 というものを演歌の延長上に再定義し、欧米におけるシャンソンやジャズと同じような日本人のブルースであり、これを無視したときに日本人のナショナルソングはあり得ない。それまで 演歌 とされてきた音楽は大衆自身の声ではなく、インテリ警世の歌 にすぎず、“艶歌に転ずることによって庶民の口に出せない怨念悲傷を詩曲に転じて歌う” のだ、と書いているそうだ。グーグルの解説はほかにも専門的な見地から述べているが、素人受けする解説?として、その歌詞に “海・北国・北国の漁船・酒・涙・女・雨・歓楽街・雪・別れ” が出てくる曲、という見方も紹介されている。この定義は、この 北へ に100パーセント、あてはまるから、これは 艶歌 と言っていいのかもしれない。ま、それはどうでもいいのだが、小生にとってこの曲がなぜ特別か、と言えば、それは五木のいう 口に出せない怨念悲傷を詩曲に転じている からなような気がする。
他人から見れば調子よくサラリーマン生活を渡り歩いたくせに、と言われるだろうが、無理を承知で引き受けた企画が結局3年たっても陽の目を観ず、あたりまえだが首になって、体よく新しい機会をもらうことになったことがあった。表面はともかく自分では鬱々としていた時期が小生にもあったのだ。その時期のある日、職場旅行があった。酔い覚めの朝、旅館のジュークボックスで何か聞こうか、と逡巡していたとき、部下の一人が人目につかずにやってきて、”この歌、いいと思いますよ“ と勧めてくれたのがこの 北へ だった。メロディもよかったが、”俺は明日もまた北へ流れる“ という一句がずっしりと胸に響いた。それ以来、この歌は文字通り小生の支えのようなものになっているし、口では一言も言わなかったが俺の胸の内を読み取ってくれたこの男とは米寿を目前にした今も、変わらぬ友情と感謝を感じている。今日も昼寝の後にはまた聞くだろうな。
(菅原)そっちは小林旭だがこっちは中島みゆき。今、小生が夢中になって、毎日、聴いているのは中島みゆきの”糸“だ。
縦の糸はあなた横の糸は私 遭うべき糸に出逢えることを 人は仕合わせと呼びます
これを演歌と呼ぶのか艶歌と呼ぶのか、はたまたJ―ポップと呼ぶのか知らないが、詩よし歌(メロディー)よし、そして中島みゆきの歌唱、最高(間違って、Coverを度々聴いたが、その全てがマガイ物)。
実は、小生、これまで中島みゆきは食わず嫌いは損のもとだった。だが、聴けば聴くほど、正に大損したことを認識。只今、それを取り戻そうと、年甲斐もなく一生懸命に努力中。そこで、最近、発売になったCD「世界が違って見える日」をAmazonに注文(これ以上、J.ベゾスが儲けるのは癪だが)。トレiイラーで聴いたが「倶に(ともに)」が最高。病膏肓に入る。でも、ネットを見たら、1972年2月生まれとあるから、あの中島みゆきも71歳か。
夫も今年3度目のスキーに出かけましたし、
(どこから持ってきたのか?椅子に座っている、
(船津)見損ない観て居ませんが、
(菅原)「エッフェル塔」なんて映画があるんですか。ちっとも知りませんでした。で、エッフェル塔で思い出すのは、トロカデロ広場から続くシャイヨー宮のテラスからの眺めです。でも、そこを(テラス)、夜、通りかかると、押し売りがいます。夜よりも真っ黒な人なんでギョッとしました。そして、名前は忘れましたが、その近辺のメシ屋で食ったビビンバが最高でした。と言うのが、パリの想い出。冴えないねー。
(安田)ミッキーさん、さしずめエッフェル塔前のシャン・ド・マルス公園でポーズをとる吉高由里子といった感じでしょうか。素敵な写真です。
天気は晴れ。朝の気温は1℃。日中は12℃まで気温上がる予報です。日曜は午後に雪の予報も出ています。
電気料金の値上げで自宅の電気代が昨冬の倍になってしまいました。少しでも節電になればとお湯用のやかんは常に天板に置いたまま。保温、オーブン、焼き物も火の状況みて薪ストーブ活用しています。
寒さ緩むと薪ストーブ焚き続けなくなるので火が弱まったタイミングで炉内で焼き物する機会が増えました。
煙突へ煙は抜けていくので部屋の中が煙で匂うことは全くありません。火加減は弱めです。ひっくり返すときはもう一枚焼き網を用意すると網に皮や身がつきません。
(編集子)浅貝の古い小屋の、煙だらけのストーブの思い出がよみがえるOBも多いはずだ。柴山さんご愛用のストーブは現代技術をつめこんだ逸品だ。庭で焚火もできない東京生活では想像もできない、心豊かな八ヶ岳南麓の夜だろう。グリンビラ総合管理は編集子のセカンドハウスの管理を当初からお願いして長い付き合いになる。柴山さんは東京出身だが自然環境の中での仕事を求めて同社の創設にかかわりこの美しい山麓に腰を据えた、ワンダラーの夢を実現した好漢である。
1876年11月23日騎兵隊により逮捕されたアラバホ族酋長ハ
酋長聴取のシーンが終ると雪の残る山岳地帯を流れ者のガンマンがその中に、元カノ役のメ
其処は、バロア大佐(ジョン・ミルズ
チュカに対するささやかなお礼か。
そもそもアラバホ族に対する食糧融通を無視してきたこと。その後
(編集子)辺境の砦が全滅したあと、その経過が明らかになるという筋立てはほかにもあるかもしれないが、小生にとっては西部劇ではないがクーパーとまだ端役のスーザン・ヘイワードがきれいだった ボージェスト が何といっても一番。少し違うが同じような人間関係の凝った筋立ての西部劇では、ペックの 勇者のみ (同じ邦題の作品がある)が思い出される。小泉さん同様、やはり西部劇には爽快感を期待してしまうので、あまりぱっとしない時間だった。わき役でボーグナインはいつも通りだが、ジエームズ・ホイットモアに(久しぶりい!)と言いたいところだった。
(アラパホ族)
元々はミシシッピ川より東部、ミネソタ州北部のレッドリバーバレー流域の森林地帯でトウモロコシやカボチャ、豆などを栽培しながら暮らしていたが、白人入植の影響で、18世紀にそこから南西に移動し、ノースダコタ州及びサウスダコタ州の平原地帯を領域とした。そして19世紀頃にさらに南下して移動し、プラット川沿いのワイオミング州とオクラホマ州の2つのグループに分かれて行った。1863年合衆国政府と平原インディアンとの間で起きたコロラド戦争に参戦。1864年サンド・クリークのシャイアン族とアラパホ族の野営地がアメリカ陸軍の攻撃を受け、女子供などを中心に数百人が死亡。1876年リトルビッグホーンの戦いでスー族、シャイアン族らと共に参戦し、カスター中佐率いるアメリカ第七騎兵隊を破った。