”ベイシー” で思い出したよ

”エーガ愛好会” ではここのところ、ジャズ演奏店 ”ベイシー” の話がはずんでいる。オーディオ業界に身を置いて関係の話題に詳しい安田耕太郎と音楽フリーク飯田武昭の蘊蓄合戦は僕ら一般市民にはついていけないレベルの話であるが、これで思い出したいわゆる ”ジャズ喫茶 と僕らのころの喫茶店文化のことだ。

僕らの高校―大学時代、東京には喫茶店の数が急増していた。その中でも目先の利いた人たちが始めたジャンルがジャズ喫茶といういわば新しいマーケットで、各種音楽ファンを任じる学生たちのたまり場になった。それならクラシックはどうだ、ということででてきたセグメントは名曲喫茶、主に左翼系の若者たちの止まり木になったのが歌声喫茶、それまでの路線でこの種の付加価値を認めない店は俺達こそ王道、とばかり純喫茶と自称する、まさに喫茶店乱立時代であった。

その中からさらにオーディオ音源に寄らず舞台を設けてバンドの生演奏をする店があらわれ、その一番手というべき店が銀座にできた ”テネシー” であった。編集子が初めて行ったときは、もちろんプレイヤーなど覚えているわけもないが、ウクレレで ”世界は日の出を待っている” の演奏を聞き、びっくりしたことを思いだす。この種の生演奏を押し出した店はどんどん増えて行って、店群はさらに細分化され、シャンソン喫茶だのハワイアン喫茶だのが現れた。そのうちのどこだったか覚えていないがKWVの悪童たちと当時売り出し中のハナ肇とクレイジーキャッツ、なんてのを見て大笑いした記憶があるし、同期の飯田昌保が知ったかぶりで ”この店は雰囲気がいいんだ”というから入ったところメニューはパフェばかり、周りを見回したらなんとオンナノコばかりで大慌てしたら、ここはパフェ喫茶です、と言われて小さくなったこともあった。

名曲喫茶と言えば双璧はランブルと田園、が知られていて、入ると足元が危ないくらい暗く、”クラシックはこうやって聞くもんだ” と言わんばかりに(多くは眼鏡をかけた秀才タイプの)男(そういえばこういう場で女性を見た記憶がない)が必要もないのに目をつぶったり頭を抱え込んでいたりしたものだっだ。その後、銀座で ”ウエスト” という存在を知り、ここでは超高級のオーディオセットと丁寧な説明文まで用意されているに感激したものだ。この店は現在も小生の好む店である。

他にも学生街神田には世に知られた ”さぼうる” だとか有名な店が乱立していたものだ。現在主流の、ま、いってみれば 軽喫茶、とでもいうべきか、大規模チェーン店の向こうにかすんでしまったキッサテンもまた、”昭和レトロ” なのだろうか。

目下のところ、編集子のご愛用は銀座あたりなら前記ウエスト(最近、妙な人気が出たようで、夕刻、戦場入り前のオネエサマ方で満員になるのが不満だがこれは勝手に言い分か)か吾妻通のトリコロールになった。吉祥寺あたりで最近はほんとにご無沙汰だけれど、カントリの生演奏が聞けた サムタイム。カントリの演奏なら新宿にあったウイッシュボンにも良く行ったがまだあるのかしら。そういえば(喫茶店、ではないが)銀座のスイングはどうだろう。地元では、もと クローバーのパティシェだった人がやっている 喫茶 坂本 がごひいきである。そう言えばマスター、コロナ以来脚が遠のいてて申し訳ない。

(飯田)
「“ベイシー“”で思い出したよ」を楽しく読ませて貰いました。
昭和の時代の音楽喫茶、ジャズ喫茶、歌声喫茶にシャンソニエや純喫茶のことが絶妙に点描されていて、裕次郎映画の全盛時代と重なって懐かしかったです。
私は友達に誘われて田園や、らんぶるに1~2度は行きましたが、そんな時間があるなら映画館へ行っていました。

次に本人に断りもなく実名を出して恐縮ですが・・・・。

その後にシャンソニエに一時通っていた時期もありましたが、所属していた倶楽部(混声合唱団)の同級生の5~6人の麻雀仲間の周りに、残念ながら昨年故人となった黒川昌満君(日本ビクターに就職して晩年までクラシック音楽の著名な評論家でした)がクラシック音楽レコードの収集家で、彼からの情報や同じく輸入楽器も扱っていたプリマ楽器の大橋幸雄君からの情報に結構興味がありました。
大学のクラスメイトの井上良勝君のジャズピアノ、岩瀬敬一朗君のハワイアンバンドのスチールギターの生演奏もたのしませてもらったものです。