KWV44年卒閑人会恒例の七福神巡りの報告があり、昔懐かしさ
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過去2000~2020年にお参りした七福神を羅列すると、日本

旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
KWV44年卒閑人会恒例の七福神巡りの報告があり、昔懐かしさ
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過去2000~2020年にお参りした七福神を羅列すると、日本
怪獣ゴジラは立ち上がり吠えていた。真っ白な雪のコジラである。雪の闇夜で樹氷の恐竜の群れにとり囲まれた。そこは雪の蔵王にある樹氷のジュラシックパークである。
蔵王の樹氷原はライトアップされた幻想的な大自然の美術館になった。暗黒の雪原に真っ白な巨大な肖像が次々と現れていく。大魔神は繊細なガラス細工の鎧を着ていた。お洒落な伊達武者。
蔵王の守護神である樹氷巨人「スノーモンスター」だった。
老夫婦は冷蔵庫を探索するような極限の寒さの中、南極越冬隊の姿になりふるえながら樹氷アートを楽しんだ。樹氷は世界的にも珍しい気象現象であるという。シベリア大陸からの季節風が蔵王連峰にぶつかり、多量の過冷却水滴と雪が常緑針葉樹のアオモリトドマツに長時間吹きつけることで生まれる。大きくなった樹氷は「スノーモンスター」と呼ばれるが、「ゴジラ」にそっくりだった。
カラフルな光に照らされ、漆黒の闇の中に浮き上がる樹氷の姿は、ファンタジーの世界に迷い込んだようだ。キャタピラ付き雪上車「ナイトクルーザー号」は、ライトアップされた樹氷群を雪煙を上げながら登っていく。樹氷が造り出した幻想的な大自然のアートを堪能した。蔵王は樹氷の芸術家だった。
「樹氷のビーナス」と「樹氷の微笑」は発見出来なかったが、蔵王温泉の湯と地酒ホットワインで満足できた。
(42 河瀬)スノーモンスターパークの写真。光の陰影が素晴らしい。
まったくの偶然から外資系会社でサラリーマン生活を終え、その結果、曲りなりも英語に親しみ、アメリカ(より正確に言えばその西部地域)の文化を知ることができた。かの国がいくら日本に近いといっても、こういう経験を持つ人は、たとえば若くして留学するとか、家族が米国にいたとかの例外を除けば、まだまだ少ない。一部の人が信じているように,英語がわかれば人間の格があがったような論説には組しないが、とにかく退職後もそのレベルを維持しようと、いろんなことをやってみた結果、読書マニアである自分にとって一番親しみやすいのが趣味のミステリを中心とした小説を読むことが性に合っているとわかったので、ポケットブックの乱読を続けてきた(こうなるとアマゾンはありがたい)。推理小説発祥の地英国の古典的作家たち、その影響を受けてニューヨークを中心とする地域でアメリカ推理小説が勃興し、それの発展というか反作用的に生まれたいわゆるアメリカンハードボイルド、いろいろつまみ食いして毎日を楽しんでいる。
僕はもちろん言語学者でも専門家でもないが、素人なりに、英国発のものと米国産のものの英語、が違うものなのだ、ということがわかりだした。もちろん国にかかわらず、1920年代の英語が21世紀の今日と違うのは当たり前なのだが、ミステリの女王アガサ・クリスティの登場人物の会話や、同じころNYで書かれたエラリー・クインの英語と、現代のHBやスリラー、たとえば本稿で小泉さんが取り上げられたリー・チャイルドなんかの文章には大きな違いがある。第一、現代ものには、辞書を引かなければ見当もつかない難解語、big word はまず出てこない。はばかりながらサラリーマン卒業後取得した英検一級必須のボキャブラリーでまず十分なのだが、今挑戦しているクイーン国名シリーズなんかには、およそ想像もつかない単語だの、フランス語だの、時にはラテン語なんかがしょっちゅう出てきて、それが当時の知識階級の会話なんだ、と改めて時の流れを知る羽目になる。
そんなことを背景に現時点では小生の余命との競争なのだが今やっている ポケットブック20万ページ読破(10万は昨年突破)は夢でもあり大げさに言えば生きがいである。しかしそれなりに何年学んでいても、判然としない、よく間違えるのが、依然として単数、複数の用法だ。日本語との懸隔、は大きいのだが、それでもドイツ語だイタリー語ださらにはフランス語なんてのに比べればまだ楽なのは体験済みなんだが。
カリフォルニアにいたころ、高速道路をがたがたの、確かフォードだったと思うが、壊れかけたやつを自分で手入れすることを趣味にしているらしい若者の後ろについたことがある。バンパーのひしゃげた後に何か書いてある。ちかづいてみ
たら、MY ANOTHER CAR IS PORSCHE とあった。思わず吹き出してしまい、持ち主のセンスに感心した。この時、ANOTHER という単語が OTHER だったらどんなことになるか、考えてみた。another は明確に もうひとつの という意味だ、と辞書にあるから、彼は車を2台持っていることを意味するんだろう。だから Porsche でいい。もし3台もっていたら another とはいえないから、other というんだろうな。そうすると その2台ともポルシェなら MY OTHER CARS ARE PORSCHES と書くんだろうか。ポルシェ、なんていう固有名詞も複数形にするんだろうか。このあたりがどうもすっきりしなかった。
文法書というものが大嫌いな性格なので、それっきり疑問も消えてしまっていたのだが、帰国後の会社で、セールス担当者に1台ずつクルマを持たせる、という方針ができた。今では当たり前のことだが、当時としてはこんな待遇をしている会社はそうはなかったのだ。このあたりはいわば進駐軍としてアメリカ本社の威光をバックにした米人マネージャだからできたことだった。それはともかく、彼の話を聞いていたら、We purchase 20 Toyotas と言っている。そうか、それならあの時の答えは MY OTHER CARS ARE PORSCHES だったんだ、とうなずいた。その間に考えてみたら3年かかって違和感がなくなった。もっともあの青年のひしゃげたバンパーにそんな長い文章が書けたかどうかは別だが。
この間、テレビの番組でだいぶ古いんだがポール・ニューマン主演の 動く標的 というのをやっていた。何度目かになるのだが、愛読書#1のロス・マクドナルドの代表作、とっくりとみた。主演のニューマンは過去に不幸な結婚をして現在独身、という設定なのだが、悪党どもに追い詰められて逃げ場がなくなり、元妻の家に転がり込む。まだ気持ちが整理されていない彼女はそれでも翌朝には昔通りの朝食を作って待つ。別室から起きてきたポールはそのまま、また街へ飛び出して行ってしまう。ドアが閉まった後、彼女は作ってあった二皿のベーコンエッグにフォークを何度も突き刺してため息をつきながらすべて捨てる。このあたりの描写が実にこころにひびくのだが、アメリカ西部のしきたり通り、その皿の上に卵は2個、焼かれていた。この時の料理はさて、Bacon and egg なのか Bacon and eggs なのか。卵が2こあるから eggsは納得しても、ベーコンだって明らかに2枚はある。それでも bacons にはならないのか。
先週、孫をふたりつれて、なじみのバーへ行った。大学生なり立て、社会人なり立ての二人に、大人の雰囲気の感じられるバー、というものを教えたかったからだ。バーテンを趣味としてやっている(本業はさる大手会社の中堅エンジニアな
んだがこういう時はバーの向こう側に立つのが趣味、という快男児である)S君は同時にバー業界の専門資格の持ち主でもある。ここでそうだ、on the rock なのか on the rocks なのか、確かめてみようと思っていたのだが孫に付き合って、ジントニック (ス、がいるのか?なんては考えなかったが)などに酔いしれてすっかり忘れてしまった。ま、三世代家族でバーのスツールにすわれるのは日本ひろしといえどもそうはいないだろうから、ま、いいとするか。
(バー ”アンノウン” オーナー 川島恭子) ご質問のオンザロックは、英語ではOn the Rocks と表記されます。元々は複数の氷を岩に見たてたのが理由です。今は丸氷を使うことが多いのと、
ノンフィクション、「力動山 未亡人」(著者:細田昌志、小学館出版、2024年)、「力道山」(著者:斎藤文彦、岩波新書、2024年)を読む。
力道山([相撲とは、力の道なり]がその名前の由来)は、戦後の一時期、正に日本の英雄だった。しかし、その力道山(本名:百田光浩)とは、一体、何者だったのだろうか。以下、小生の思い出と共に、その読後感を述べることとする。
日本では、戦後の1949年、中間子の存在を予言した湯川秀樹がノーベル物理学賞を授与されたが、当時、11歳の小生を含め、殆どの人にとってその本当の価値が分かるわけがない。一方、勝ち負けがはっきりして分かり易いスポーツの面では、以下の様に惨憺たる有様だった。同じ1949年、日本のプロ野球は、米国のマイナー・リーグに属するサンフランシスコ・シールズに0勝6敗と完膚なきまでに叩きのめされ、戦前、五輪三連覇を成し遂げた陸上の男子三段跳では、1952年ヘルシンキ五輪で、1936年、田島直人が出した世界記録16m00を実に1m以上も下回る14m 台で6位と惨敗し、それまで数々の世界記録を打ち立てていた水泳の古橋広之進が男子400m自由形でビリッケツに終わるなど、全く意気の上がらない状況だった。
それに取って代わって、全く新しいスポーツであるプロレス(プロフェッショナル・レスリング)が、NHKに加えて、テレビが民間に開放されたことと相俟って、爆発的な人気となった。その理由は、言うまでもなく、1954年のプロレスのタッグ・マッチで、日本人である力道山が米国のシャープ兄弟を完膚なきまでに叩きのめしたからだ。つまり、敗戦国の日本が戦勝国の米国をやっつけたわけであり、当時、これほど胸のすくことはなかった(しかし、後に分かったことだが、実態は、朝鮮人とカナダ人、外国人同士の争いだった)。従って、テレビの受像機がまだ極めて珍しかっただけに、例えば、お寺の境内で、それこそ立錐の余地もなくプロレスに見入っていた群衆の中に小生も混じっていた。終わって、気持ちが浄化され(カタルシス)、下駄を踏み鳴らして意気揚々と帰途に就いたものだ。それは学生の小生に限らず、境内にいて高揚したひと全てがそうであって、人口増のボーナスと相俟って、いささかなりともその後の高度経済成長に寄与したのではないだろうか。
さて著書「力道山」だが、左巻きの岩波書店から発行された岩波新書であるだけに、極めて斬新な力道山像が生み出されるものと期待していたが、何の取柄もなく、結果は大失望。これは、購入して損をした数少ない書籍となったのは甚だ残念としか言いようがない。
一方、著書「・・・未亡人」の方は、知らないことばかりだったこともあって、大変、面白く一気呵成に読了した。力動山の未亡人(田中敬子)は1941年6月6日に生まれた。従って、1938年生まれの小生と三つ違いであり、ほぼ同年代を過ごして来たことになる。現在、彼女は存命中で、無聊を託つことから、水道橋は新日本プロレスの「闘魂ショップ」で働いている。
彼女は横浜市で生まれた。少女時代から学業優秀で、高校卒業後、発足間もない日本航空の客室乗務員となった彼女は、誰もが知るスーパースター(力動山)に見初められ、21歳で結婚する。すなわち、正真正銘のシンデレラだ。しかし、力道山はヤクザとの乱闘で、1963年12月15日、刺殺され(つまり、力道山のプロレス人生は光芒一閃、僅か10年ほどで終わってしまう)、その結婚生活はたったの半年で終わり、早くも22歳にして未亡人になってしまう。つまり、借財も含め、力道山の資産を相続することになるのだが、事業意欲誠に旺盛だった力道山が残した負債は都合して30幾円にも達していた。しかし、力道山と違って、彼女は商才に乏しく、辛うじて資産の切り売りで借金を返済し、結局、残ったのは、彼女が住むリキ・マンション(旧リキ・パレス)のみとなってしまう。
その他に、力道山の弟子であるアントニオ猪木とジャイアント馬場の角逐(力道山は、弟子に対しては今で言うパワハラが凄まじかったが、弟子の中では、猪木をアゴと呼んで、一番可愛がっていた)、それと並んで、日本プロレス、新日本プロレスなど、プロレス界の勢力争いなどが述べられているが、小生が最も衝撃を受けたのは、本書の帯にあるように、「戦後日本の闇の深さを際立たせることに成功した、・・・」。つまり、1965年初頭まで、プロレスの興行を取り仕切るのは、広域指定暴力団、東は東声会、西は山口組によって独占され、暴力団の資金源となっていた。力道山が創設した日本プロレス協会の会長が児玉誉士夫、副会長が山口組組長の田岡一雄、東声会会長の町井久之(本名:鄭建永)ではそうならざるを得なかった。
小生にとって力動山は、悪玉(例えば、カナダのシャープ兄弟など)を空手チョップでやっつけるヒーローだった。だが、事前の台本と違って、柔道の木村政彦を本気で叩きのめしてから、プロレスは出来レイスであって、見世物であることが明明白白となり、また、力動山が北朝鮮出身の朝鮮人(金侘洛)であることが明らかになるなど、小生のプロレスに対する興味は完全に消え失せてしまった。
ここまでは半世紀以上前の話しだが、さて、今、そのプロレスはどうなっているのだろうか。
(HPOB 菅井)慶応高校が2008年に46年ぶりに夏の甲子園(
卒業後は三菱商事に就職し、その後スペインのビジネス・
(44 安田)僕はシャープ兄弟 vs 力道山・遠藤幸吉 のタッグマッチ試合を郷里の小倉で試合会場のリング近くで観まし
東京が美食都市として名を馳せる理由のひとつに、
なお、
東京は世界一の美食都市と呼ばれるが、
2007年に初のアジア版として発行された『
2022~2023年の最新発表によると、
それについて、グウェンダル・プレネック氏は、「京都は、
検査所の係員がバッグを開けた後元に戻し忘れたのか、
(下村)良かったですね。
(船津)中国も棄てたもんでは無いですね。よくぞ戻った。奇跡。あり得な
以前伊太利亜旅行で我がパートナーのアクセサリーがすっかり抜か
(菅原)日本人は河瀬先生ただひとり。つまり、日本を代表しており、物凄い人が「エーガ愛好会」にいるわけだ。ちょっと自慢したいなー。それにしても、他人のものを乗っ取ろうとしている中国から何事もなく戻って来たなんて、まるで奇跡。良かったです。
「父の乳」(著者:獅子文六、初出:1965-1967)を、ちくま文庫(2024年発行)で読む。
獅子は、1893年(明治26年)生まれで、76歳の1969年に亡くなった。その小説は、随筆も含め70冊以上にも上っているが、その内、これまで小生が読んだのは、「海軍」、「青春怪談」、「大番」、「バナナ」、「但馬太郎次伝」(薩摩治郎八がモデル)のたったの5冊に過ぎないから、とても熱心な読者とは言えないだろう。しかし、その中で最も面白かったのは、相場師「ギューちゃん」の波乱万丈の一生を描いた「大番」だ。
ただ世の中では、テレビ化された「悦ちゃん」、映画化された「大番」、小説「娘と私」などで人口に膾炙し、文化勲章も受賞しているから、皆さんはお馴染みだと思う。
その獅子が、自伝を書いた。本人は「私は、自叙伝を書くつもりはなく、自分のうちにある“父”を、書きたいのである」と、その主題は父親を慕う気持ちをテーマとしたものであると断っている(普通なら、「母の乳」となるところだろうが、獅子はその独自の気持ちを込めて、題名を「父の乳」としたのだろう)。しかし、読み終わった感想は、やはり自叙伝そのものだ。それに、自伝を書くだけあって、その記憶力は途轍もなく、文庫本にして660頁にも達した。しかし、余りにも面白かったので一気呵成に読了した。ただし、フランスに渡航し、フランス人と結婚。帰国した1925年に生まれた長女、巴絵については、自身の著書「娘と私」で触れられていることから、ここではその部分は割愛されている。
獅子は横浜の裕福な貿易商の家に生まれたが、話しは、小学4年生時、父の死から始まる。そして、その悲しみはいつまでも消えず、その慕情は60歳で授かった初めての息子への強い愛情へと変わって行く。
なお、獅子は、三回結婚しており、初婚がフランス人、二回目が日本人、三回目も日本人、60歳で初めて男子を授かった(1/2回目の妻はいずれも死去)。
当初は、自宅のある横浜の老松(オイマツ)小学校に通っていたが、途中で、この学校が嫌になり、慶應の幼稚舎に転校した(それだけ裕福だったことになる)。その当時、幼稚舎は三田にあり、横浜からは通えないことからその寄宿舎に放り込まれた。以後、普通部、予科と進んだが、大学の授業内容が、自分にとって余り意味なしと判断して中退した。従って、Wikipediaでは、学歴、慶応義塾大学となっているが、これは完全な間違いだ(つまり、Wikipediaにも間違いはある)。
色々、数知れぬエピソードがあるが、その一つに、幼稚舎時代、寄宿舎からの脱走がある。
寄宿舎が嫌で嫌でたまらず、塀を乗り越えて脱走するのだが、小学生にもかかわらず、三田から自宅のある横浜まで歩き続ける。この無茶振りが何とも獅子らしい(KWVの人でも、なかなか出来ないでしょう。そうでもないか)。
面白いのは、子供に巴絵、敦夫(エリザベス女王戴冠式取材に因んで)と、巴里、倫敦の名前を付けていることだ。何も森鴎外の真似(杏奴、於菟、茉莉、類)をしたわけではあるまいが。西洋人が日本で生まれた子供に東京、大阪、横浜などに因んだ名前など付けるだろうか。これは、やっぱり、明治生まれの日本人の西洋に対する根深くて根強い憧憬ゆえだろう(私事ながら、小生の親父も明治生まれだが、小生に、戦争に関係する勲を付けた。ただし、親から授かった名前なので有難く頂戴し続けている。電話で予約などを連絡する際、イサオの漢字を教えてくれとの依頼があるが、勲章の勲と言ってもピント来ない。従って、最近は、動くの下に点四つと伝えることにしている)。
最後に、全くの私事ながら、付け加えたいことがある。幼稚舎のY先生こと、吉田小五郎先生のことだ。小生の担任ではなかったが(小生は、疎開から帰った1946年の2年で編入したが、吉田先生は、1947年から1956年まで幼稚舎の舎長だった。従って、時期的にはほぼ重なっている)、獅子が言っているように、「この人は、私よりちょっと年下だが、昔の(慶應の)文化(文学部史学科)卒業生で、実に、立派な人柄だった」。そして、「こんな清浄な、誠実なひとは、ちょっと珍しい」。小生は子供だったが、正に獅子の言ピッタリのひとだった。
錦織圭選手(にしこりけい)がグランドスラムに帰ってきました。昨日12日にテニスの錦織選手がグランドスラム(Grand Slam)の一つである全豪オープンで初戦突破しました。テニスファンには最高のお年玉です。
錦織選手は2010年代には世界ランキング4位になった世界トップ常連の選手でしたが、故障のために出場機会が減少し35歳になった近年はランキング500台に低迷していました。同時代に活躍した選手はほぼ全員引退し、次の世代も引退しつつあるときに、地方の小さな大会から実績を積み重ねて世界ランキング74位にまでに再上昇して出場資格をえました。出場するだけでも大変なのに、勝利をしたのはただ驚きしかありません。2日後の15日に第2戦の予定で、相手はポール選手(世界ランキング11位)とオコネル選手(同71位)の勝者で、どちらになっても強敵ですが、勝ち進んで欲しいものです。
野球では満塁ホームランをグランドスラム(Gland Slam)といいますが、テニスではオーストラリア、フランス、イギリス、アメリカで開催される2週間続きの大会を総称するものです(通常は1週間)。今年の日程を表にしておきます。
| 日程 | 開催国 | 呼称 |
| 1/12-1/26 | オーストラリア | 全豪オープン |
| 5/25-6/8 | フランス | 全仏オープン |
| 6/30-7/13 | イギリス | ウインブルドン |
| 8/25-9/7 | アメリカ | 全米オープン |
KWV S44年(1969年)卒の「閑人会」はここ10年、