今年2024年NHKBS1最初の放映西部劇。マカロニウエスタンの巨匠と称
冒頭から約10分余セリフもなし。3人の男が、ある駅で誰かを待
場面は代り、数年前に妻を
と鉄道の利権を収めるようになったジルが、この映画の中心人物と
モートンが部下を使い、フランクを狙う場面等も
壮大な夢を実現すべく、ジルは町の大衆の中へ、入って行く。古き
(安田)小泉さんのご丁寧な追加解説で「ウエスタン」
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
今年2024年NHKBS1最初の放映西部劇。マカロニウエスタンの巨匠と称
冒頭から約10分余セリフもなし。3人の男が、ある駅で誰かを待
場面は代り、数年前に妻を
と鉄道の利権を収めるようになったジルが、この映画の中心人物と
モートンが部下を使い、フランクを狙う場面等も
壮大な夢を実現すべく、ジルは町の大衆の中へ、入って行く。古き
(安田)小泉さんのご丁寧な追加解説で「ウエスタン」
年も明け、コロナ騒動でしばらく遠ざかっていたサントリーホールへパートナーのお供で出かけた。高校時代、母親がなにかの義理で東京交響楽団の後援会に入っていて、毎月、チケットが来る。それを自動的にもらって日比谷へ分かったような顔をして出かけたものだったが、現在、同様に何がきっかけだったか我がパートナーも覚えていないのだがなんとなく毎月、スケジュールが送られてくる。今回は小生でも知っているポピュラーな曲目だったので気安くでかけた。自分には演奏技術だとかなんだとかいう事を云々する感性も知識もなく、クラシックの名曲もまた一種のBGMを聞くくらいのつもりなのだが、やはりジョニー・キャッシュでもというのとは大分違った会場の雰囲気も悪くはなかった。
新春、ということなのだろうが幕開けにシュトラウスのワルツがあり、2曲目が小生の好きなラフマニノフのピアノコンチェルト2番。家で聞いているときは、いろんなことをやりながら、ま、今日は小林旭じゃあねえか、ラフマでもかけるか、という程度に流すだけなのだが、今日はどういうわけか、出だしのピアノの連打が終わったあたりから、全くなぜだかわからないのだが、高校時代のことをつぎつぎと思い出した。高校時代に特にこの曲に関わる想い出があるわけではないし、何より、あの時代にこの曲を聞いた記憶もない。しかし曲が終わるまで、高校時代のあのこと、このことが思い出されてきて、なんとも妙な気分でいるうちに最後の豪華なフィナーレになり、ピアニスト(小山実稚恵)がたかだかと手を挙げ、満場の拍手になってしまった。
僕は幸い、中学高校大学と一貫教育を受け、高校時代を受験という試練を受けずにきままに過ごすことが出来た。そのおかげで中学時代はラグビーで、大学はこれまたワンダーフォーゲル部での毎日とほんの少し、エリヒ・フロムをかじっただけで卒業してしまった。そういう意味では、高校の3年間の、あのゆるやかなというか、ある意味ではたおやかな、そういう時間が自分の人生観というか生き方を決めた時間だったような気がする。高校へ進学した時点では、ラグビーを辞めますと言って先輩に屋上で殴られる寸前まで苦労し、その反動半分、迷わずに新聞会という部活動に溶け込んだ。その後卒業までの間につき合った仲間たちとは文芸誌みたいなものに携わったり、一時は文学部へ行こうかなど真面目に考えたこともあったし、などとそんなことどもが次々に蘇ってきて、当時はやっていた名曲喫茶なんてのにも出入りしたものだったな、と思いいたると、どうもこのコンチェルトは俺の高校時代の描写なんだ、というようなこじつけができたから不思議なものだ。
この曲のどこが、どの部分がどうした、という議論はとてもできないし、なぜ今まで同じ曲を何度聞いてもそういう気にならなかったのはなぜか、ということもわからない。言ってみればこの日の演奏が作り出した周波数が自分の回路に共鳴した、というようなまことに不思議な体験だった。音楽を聴く、という行為としてこれがどうなのか、わからない。ただ、この日の小山さんの演奏が素晴らしかった、というのはずぶの素人の自分にもわかった。アンコールの拍手は鳴りやまず、彼女は6回、ステージにあがるという劇的な演奏であった。
この日、ラフマニノフが自分をとらえた、感傷だか何だかわからないものが、好きな立原道造の詩から感じるものと似ているような気もする。 ”のちのおもひに” というこの詩は、次のように終わる。
夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまつたときには
夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥のなかに
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
(安田)小山実稚恵のピアノ演奏をお聴きだとのことですが、彼女は198
ラフマニノフのピアノコンチェルト2番となれば、「エーガ愛好会
サントリーホールの思い出で忘れがたいのは、2004年11月、
私が強く感じていることは、「米国は自国から遠く離れ、大きな損害や影響を受けない他国間の紛争には決して自国民の血は流さない」だろうということです。
冷戦時代でこそ民主主義の盟主として朝鮮戦争、ベトナム戦争などの地域紛争に手を出し、日本も自国防衛の最前線として守られたきました。が、今後は地政学的にも太平洋や大西洋に守られている米国は遥かに消極的な姿勢に転じていると強く感じています(第1次大戦時も第2次大戦時も自国(自国船)が直接攻撃を受けて初めて参戦を決意した訳ですから)。
となると台湾有事(中国軍が台湾に侵攻・上陸するなど)が起こった場合も、米国は口先で非難するだけ、或いはせいぜい軍事的な牽制行動を起こすだけで実戦は行わない(沖縄や本土に駐留する米軍に攻撃命令は出さない)のでは、という気がします。中国は台湾上陸後の自国軍が攻撃を受ける前に沖縄などの米軍基地を攻撃することはないでしょうから、米軍の方も台湾防衛のためだけに中国軍を攻撃するとは思えません。
別報菅原さんの問題提起についての私見です。
年末から正月三が日にかけてテレビ放送で観た初見の映画の感想を記します。
・映画「ブルース・ブラザース」(1980年)監督ジョン・ランディス、主演はコメディアンのジョン・ベルーシとダン・エイクロイド。
概略はNBC放送の人気番組「サタデー・ナイト・ライブ」にストーリーを付けて映画化したもの。ブルースやR&B、ソウルミュージックなどの黒人音楽に対するオマージュと言う側面がある由。印象はスラップスティック、アクション、ミュージカルをごちゃ混ぜにした作品で、その積りで観るとバンドやダンスシーンに大物アーティストが続々と生出演している不思議な魅力がある。
レイ・チャールス、ジェームス・ブラウン、ツイツギー、スティーヴン・スピルバーク等で、彼らの演奏シーンやラスト20分ほどのカーチェイスとアクション・シーンは確かに見応えあるが、ミュージカル仕立てに統一したら、もっと良い映画になっていたかも、と勝手に思った次第。
ところで、スラップスティック(Slapstick)という日本語英語、意味は 《道化師が相手役を打つ棒の意》どたばた喜劇。無声映画の時代に米国のマック=セネットが作りあげた喜劇のスタイル。スラップスティックコメディーだそうだが、洋画を映画館で良く観た若い頃の映画雑誌「映画の友」「スクリーン」の映画評論家の評論によく出て来た言葉なので、どたばたコメディの映画のコメントに自身も適当に使ってはきたが、あまり日本人には馴染みがない言葉であり、感覚だと今でも時々感じる。
・映画「新・喜びも悲しみも幾歳月」(1986年)監督 木下恵介。主演 加藤剛、大原麗子、紺野美沙子、中井貴一、植木等など。旧作は「喜びも悲しみも幾歳月」(1957年)監督 木下恵介、主演 高峰秀子、佐田啓二、中村賀津雄、田村高広など。
転勤族である灯台守の夫婦の物語で、全国の沢山の灯台が出てくる今では貴重な風景が沢山観られ、木下監督独特の家族の絆の感覚が全編を貫く爽快さが見終わっても残る。植木等が夫妻の父親役で、ある意味で主役を演じるいい味を出しているのは、スーダラ節の植木等を俳優としても見直す良い映画だった。
多少きな臭い話しで申し訳ありませんが、ご存知の通り、1月13日(土)、台湾で総統選、立法院選(議員選)が行われます。総統選は民進党の頼が勝ち、立法院選は民進党が多数派を維持すれば、当面は、さしたる問題はないと思います。しかし、中共の干渉が余りにも凄まじいので、総統選は国民党の侯、立法院選は国民党が多数派となることも強ち否定できないようです。その国民党は、中共と仲良くなりたがっています。
ここからは、誠に悲観的な見方になりますが、そうなると、習近平は濡れ手に粟、戦わずして台湾を手に入れることになります。こうして中共の掌中に収められた台湾を、果たして米国は取り戻しに来るでしょうか。また、台湾有事は日本の有事だそうですが、米国が手を引いた台湾に、軍隊を持たない日本がチョッカイを出すことが出来るでしょうか。
勿論、総統選と立法選の結果、ねじれ現象が起こるかもしれません。ただし、そうなった場合の事を云々する能力は小生にはありません。皆さんは、どうお考えでしょうか?
グーグルによる ”台湾有事” の背景の解説ー
――台湾海峡の中間線とはどのような線ですか。
海峡のほぼ中央に引かれた折れ線です。中間線を明示した公的な地図は意外と少なく、2004年に台湾の国防部長が立法院で中間線が通る緯度と経度を明らかにしたのが数少ない資料です。最近、よくニュースになりますが、実は国際法上は何の意味もない線なんです。
――何の意味もないのですか。なぜそんな線があるのでしょうか。
1949年に蔣介石の国民党政府が大陸から台湾に逃れた際に、共産党側がそこを越えてきたら色んな対応をとるということを示すために海峡の真ん中に作戦用の線を引いたからです。当時は米軍も台湾を支援していましたから、米軍の航空部隊の戦術上もそのような線が必要でした。
――米軍が関わっているのですね。
はい、当時はまだ米軍の支援を受ける国民党の軍の方が共産党の軍より強かったんです。国民党は「大陸反攻」と言って、また大陸に戻る気構えで爆撃や偵察、工作員潜入などを仕掛けていました。中国の大陸沿岸は台湾海軍がおさえていて、中国の船を妨害することもありました。米国としては国民党軍にあまり手を出してほしくないという気持ちがあり、中間線を引いて台湾海峡をどちら側からも渡らせない、という意味がありました。
――その線が今まで続いているのですか。
はい。台湾側が勝手に引いた線ではありますが、これを越えたら敵対的な意図があるとか、挑発をしているだとか、政治的な意味を持ってきたことは間違いありません。
(編集子)先に中国経済についての識者の著述を紹介したばかりだが、大規模戦争が国内の不満をそらすために外敵をでっちあげ、国民の不安をあおった結果勃発した例はいくつもある。まして中国は共産党独裁によって国民の思想まで制御しているわけだから、その気になれば戦争に訴えるのは簡単だろう。もしそのとばっちりを日本が受けたとき、国民が一致してそれに対応できるのかどうか、誠に心もとないと思うのだが。
(小泉)珍しき、マルセイユ近くのエスタックの初日の出 と比較すれば、我が家から東の空からの初日の出(6:50)、西の初富士(6:55)は珍しく
(平井)明けましておめでとうございます!
(船津)パリは今新年に代わった真夜中ですが、素晴らしい年越しのマルセ
今年も愉しく健康で過ごせる年でありますように宜しくお願い申し
(飯田)レイ・ミランド考、興味を持って読みました。
彼の主演映画では勿論、「ダイヤルMを廻せ」ですが、「失われた週末」(1945年)も印象に残る作品でした。アル中のサラリーマンがアル中から脱却しようと努力するも、結局は元の木阿弥で人生を破滅で終えるような救いの無いストーリーですが・・・。
1970年3月にLove Storyという本がアメリカで出版されました。この本は、アメリカ国内だけで1200万部を売り切るという大ベストセラーとなりました。小説と映画が同時進行で制作され、小説が出版されて数週間後に映画が公開されました。この映画は、日本では『ある愛の詩(うた)』というタイトルで上映され、「愛とは決して後悔しないこと(Love means never having to say you’re sorry)」という名台詞が公開当時流行語になりました。