新型コロナウイルス感染症第二波   (34 船曳孝彦)

新規感染者の増加は収まらないようです。これまで、「今一向に減らないのは第2波の襲来ではなく、第1波を抑えきれていないのだ」と、述べてきました。第2波はウィルスの突然変異によって、より感染力が強く、病原性も強い(重症化しやすい)ウィルスになって襲って来るだろうと言ってきました。前にも述べましたが、この新型コロナウィルスはウィルスの中でも変異しやすく、既に何千回もの変異を起こし、大きく分けてアジア西太平洋型、ヨーロッパ型、アメリカ西海岸型、東海岸型の4型に分類されているとも述べてきました。

昨今の日本での感染状態を見ますと、特に大都市以外の感染者数は、4月を中心とした波と7月の急増する波との間に明らかに収まっている時期があり、現在は第2波と見てよいようですので、訂正します。

ではウィルスの変異はどうなっているのかと言いますと、医学的、ウィルス学的根拠を自分で掴んではいませんので、科学者の端くれとしては多少抵抗感があるのですが、東大児玉教授の『東京型に変異し、東京が感染の震源地となっている』という説を支持します。軽症者、無症状感染者の比率が高く、会食、電車だけで感染したのかというような原因不明感染者の増加、欧米と比べて死亡率の極端に低いことを考えると、『東京型』の特徴は感染力が強くなって(罹り易く)、病原性は強くなっていない(むしろ弱くなっている)という印象です。そろそろクラスター重視の大方針の変換(クラスター追跡を否定するものではありません)を検討すべき時と思います。

そもそも、他所の国と比べて桁違いに少ないPCR検査のために、無症状、軽症者が巷に溢れ、そこへGo To Travelなどが加わってきているのが原因と考えます。世田谷区で、“誰でも、何時でも、何回でも“PCR検査が出来るようにという方針を打ち出しました。ニューヨークや韓国で成功した先例があるのです。もろ手を挙げて賛成します。これまでにも山梨大学、新宿区など、その試みが打ち出されては来たのですが、政府は一向に取り上げてきておりません。PCR検査が唾液法や、簡単キット法で素早く、安価で大量に検査できるといわれながら未だに公的には採用されていません。日本で開発されフランスなどで採用され、医師、技師、防護服などの検査用機材も少なくて済むというのに、コロナ禍が始まって半年が過ぎているのです。信じられません。コロナ禍克服に、国は本腰を入れて対処してほしいと念願します。

PCR検査により、陽性者が多数出るでしょう。これが医療崩壊を招くという反論が出ます。しかし検査対象を膨らませての陽性者ですから、必然的に軽症、無症状者が大部分を占めると予想されます。彼らは今閑古鳥の鳴いているホテルや、前からいっている選手村予定施設に1週間~10日収容すれば、回転も早く、医療施設に負担を掛けずに済みます。むしろ医療崩壊の回避に役立ちます。区民、都民、首都圏民が全員受けるような機運に持って行ければ、推計学に詳しくありませんが、新規感染者は急速に減ることが期待できます。陰性の結果であってもすぐ後から感染するかもしれないという危惧は当然あります。だから『何回でも』が必要ですし、医療関係者はそれこそ何回でも必要とします。

医療機関は、コロナ用病床を用意し、コロナ用医療スタッフに人数を割くため、一般のがん治療、成人病治療に手が回らず、赤字が膨らんでいます。これ自体皆さんの健康にとっての大問題なのですが、お気づきになっていない方が多いと思われます。さらに東京女子医大で、ボーナスカット、賃金カットで大量の退職希望者が出たと報じられましたが、8割以上の医療機関が経営困難に陥っており、その何割かは閉院に追い込まれようとしています。医療崩壊です。国は支援するとは言っていますが、とても今程度で支援しきれないことは目に見えています。

第2波『東京型』は幸いにして病原性が弱くて済みそうですが、これを若者たちが本能的に感じ取って、「どうせ罹っても軽症だろう」「調子悪いところなんか全くないから大丈夫」と奔放に動き回っているようにも思えます。政府なり、メディアなりは自覚を促すよう本腰を入れるべきです。

しかし、次の第3波、第4波は、もっと強力かもしれません。それに備えて、十分な体力、気力を蓄えておきましょう。

エーガ愛好会 (13) 荒野の七人

ここのところ、人間グーグル安田vs日野の賢人保谷野の ドクトルジバゴ をめぐるトークとか、久米行子の 眼下の敵 の ”ユルゲンス クーパー論” についてのサブロー反応など、博識者間のやりとりが面白い。それぞれにうなづいてみたり ? などとやっている間、これは文句なし単純明快典型西部劇がBS劇場に登場。なんせブリンナー以外は当時は無名に近かったわき役陣、マックイーン、ブロンソン,コバ―ン、ヴォーンがその後のスターダムにのし上がるきっかけとなった作品だし、タイトルバックに introducing Horst Buchholz と出てくるのもなんともカッコよかった。ブッフホルツはドイツでは評判が高かったようだが、日本で見る機会は少なかったような気がする。テーマ曲は今でもポピュラー曲CDの常連でもあるし、日本映画がハリウッドでリメイクされた (確かではないが、よく知られたという意味では)はじめてのものではなかったか。ま、理屈抜きに改めて4度目を観た。

西部劇がその後アメリカ社会の変貌に従って人種問題や社会観やはたまた心理学的手法とかなんだとか、いろんなことで理屈っぽくなってしまい、論理的にはわかってもなにかすっきりしなくなってきた。やはりセーブゲキてえのはこれなんじゃああるめえか、と思わせる作品だ。

(小泉) クレジットタイトルと共に、打楽器が効果的に使われた小気味よい興奮を誘うエルマー・バーンスタインの音楽に始まり、開巻イーライ・ウオーラック率いる山賊たちが襲ってくる音楽もまた不気味で素晴らしい。タイトルに日本映画東宝作品「七人の侍」にもとずくと書かれているのが好感だ。
>  ご承知の如く、物語は黒沢作品を其の侭巧みにメキシコの寒村に移したものだが、「七人の侍」が人間性重視の野武士たちにタテ社会の成員としての自覚を持たせ、農民のために戦わせたのとは異なり、「荒野の七人」は、七人夫々の技量を際立った特質として付加している。アメリカ社会の個人に対する責任という理念が、七人の男各々の特質を強調しており、その切れ味も鋭い。
> どうやら、主演のユル・ブリンナーが、「七人の侍」を見て感動し「OK牧場」「ゴーストタウン」「ガンヒル」という決闘三部作のジョン・スタージェス監督に映画化を任せたとのこと。ユル・ブリンナーを除く6人のガンマンは、当時売り出しはじめの新人を使い、夫々が、寒村行きのガンマン募集に応じる際の腕前の見せ所から、のちの作品への出演での特質が、萌芽として表れているから驚く。スティーヴ・マックイーンは、早打ちの流れ者で行動力ある最も魅力的存在として活躍する。ホルスト・ブッフホルツは若き渡り者で、進行役を仰せつかりながら、若き農民女性と恋する木村功の役をこなした。「七人の侍」同様7人のうち先出の3人の他の4人が死んでしまうが、その山賊との死闘の中に趣向が凝らされている。ブラッド・デクスターは、最後まで村に宝物があるからこそ山賊と戦ったと思い込みながら死んで行く。ロバート・ヴォーンは早業の抜き打ちで3人を殺すも、いきなり撃たれ、くるりと回り崩れるように倒れる。ジェームス・コバーンはは過去の暗い影を引きずる孤高の男で冷静なナイフの名人も投げ切れず撃たれて息絶える。チャールス・ブロンソンは早撃ちだが、人間的味わいがあり、子供たちに慕われ、子供をかばって撃たれる。
>  要約すれば、ブリンナー以下7人のガンマンと山賊の頭領を含め。個々の強烈なパーソナリティが相殺されずに、男の誇りと意地を賭けての死闘が展開されていて何度観ても面白い。

(安田)半世紀以上ぶりにこの映画を観た後、3度目の「7人の侍」も観ました。テクニカラーとモノクロ、メキシコの荒野の寒村と日本の農村、真っ青な青空とどんよりとした日本の空、銃と刀・槍、2時間と3時間半、太鼓とギターの音楽に対して不気味な鵺のようなテーマ音楽、陽と陰・・・、全てが対照的。小泉さんの名解説に酔いしれました。さすが西部劇の横綱です。ありがとうございます。
銃によるやや淡白な殺し合いに比べて刀剣では間合いが圧倒的に近いので、緊迫感や殺気の点では7人の侍に一日の長あり。千秋実、加東大介、稲葉義男、志村喬、宮口精二の侍らしくない助っ人浪人に対して、荒野の7人では皆Magnificent Sevenに相応しい個性を売り物にする配役でした。
The King and I ではユル・ブリナーは“I”役に決まっていたモーリン・オハラをデボラ・カーに変えさせたくらいに押しが強い頑固な役者ですから、6人の仲間の配役にも影響力を及ぼしたのではないか。マックイーン、コバーン、ブロンソン、ボーンなどのその後の活躍を知るにつけ、人を瀬踏みする才能も流石だったのではと思いました。

荒野の7人を観た頃は沢山印象に残る映画を観た記憶があって調べてみました。1960年の公開。他に観た映画が凄くて今更ながら驚きました。「サイコ」「アラモ」「栄光への脱出」「アパートの鍵貸します」「スパルタカス」「太陽がいっぱい」「許されざる者」「勝手にしあがれ」「エルマー・ガントリー」「甘い生活」「日曜はだめよ」「雨のしのび逢い」「バターフィールド8」。40年台から続く映画の全盛期後半の大団円の花火を見るかのようでした。

(編集子注)この作品自体がリメイクである上に、この後、日本での題名が 荒野の七人 を冠している(カタカナでずばりマグニフィセントセブン、というのもある)映画は4本あるが、そのうち、いわば正当な続編はブリンナーがクリス、として出てくる “続” だけで、あとは主演もどちらかといえば悪役のイメージがあるジョージ・ケネディやら、なんとデンゼル・ワシントンなんかに変わっていて、ストーリー上のつながりは全くない。

クレジットタイトルもエーガの楽しみのひとつで、昨今のモダニズムとCG技法を多用したものも悪くはないがあまり心に残るものがない。古いもので恐縮だが小生愛してやまないフォード 荒野の決闘 の牧場の柵に刻まれたものとか、地上最大の作戦(何度も言うがなんとつまらない題名にしたもんだ)の波打ち際に転ぶ、主を失った鉄兜とか、印象に残るものが多い。又中学生から高校時代、みんながほぼ一様にもっていただろうアメリカへのあこがれ、それをたきつけるタイトルの作り方のひとつが、主演陣の紹介のあとに1行あらわれるいかにも思わせぶりな、introducing…..という見せ方だった。ただ僕が知る限り、ケイン号の反乱の ロバート・フランシスにしても エルダー兄弟 のマイケル・アンダーソンにしても、こうやってお披露目され、楽しみだな、と思わせた連中の多くはその後は鳴かず飛ばず、フランシスに至っては確か事故死してしまったと思う。そういう意味ではこのブッフホルツなんかは期待通りだったのかもしれない。

 

 

エーガ愛好会 (10)懐かしきオールド西部劇  (34 小泉幾多郎)

ミネソタ大強盗団” を観た。史上名高いジェシー・ジェームズ強盗団が、1876年ミネソタ州ノースフィールドの銀行を襲撃した経緯をリアルなタッチで描いた西部劇。監督は、これが3作目だった「ライトスタッフ」「ライジングサン」のフィリップ・カウフマン、撮影が「荒野のストレンジャー」等クリント・イーストウッドの西部劇を撮ってきたブルース・サーティース、音楽がモダンジャズの大家ディヴ・グルーシンという一流スタッフ。主演はジェシージェームズにロバート・デュヴァル、コールヤンガーにクリフ・ロバートソン等どちらかと言えば準主役級で主役を食ってきた芸達者達が活躍する。

 巻頭、フランク、ジェシーのジェームズ兄弟、コール、ジム、ボブのヤンガー兄弟の他3名計8名の名前と特徴の紹介から始まり、テロップで、当時鉄道会社の西部開拓により、狙われた家族は何の術もなく土地を追われることが多く、この鉄道会社の連中を痛めつけ追い払ったアウトローに恩義を感ずる人が多かったと説明があり、一時ミズーリ州議会は、ジェシーの一団に対する恩赦を与えるという驚きの決議するまでになった。ジェシーの独白にも「俺たちが奪った連中に正直者はいない。鉄道会社、銀行、山高帽をかぶった野郎どもという泥棒から奪ったんだ」というセリフがある。これからすると義賊としての西部のロビンフッド的な描きを期待したが、1970年代のニューシネマの流れは、従来のジェームス兄弟の陰にあったコール・ヤンガーにスポットを当て、強盗団の首班争いから、結果的に、銀行襲撃事件は、コールの苦策もジェシー達のミスも重なり、失敗に終わる。特にジェシーが従来の義賊としてではなく、コールの統率を嫌い。自分本位で市民を平気で撃ち殺す冷酷な面を強調し、逆に市民を味方から敵に回す、時代に取り残された刹那的な男の象徴として描いているのだった。主人公を如何に正当化するかに全力を注いだ「地獄への道1939」のタイロン・パワー扮するジェシー・ジェームスが懐かしく思い出される。

(編集子) ここの所、ドクトル・ジバゴ をめぐる上質(と思いたい)かつやや難解かつやや長めの議論が続いている。映画芸術論も素晴らしいが、今回はこれまた、わが中学時代に胸躍らせた一連の話について、ひとつちがいのお兄様の名調子、ばんざい。

タイロン・パワーねえ。あのころの美男子で女たらしでと言えばこの人か,エロール・フリンかはたまたケーリー・グラントか。“キング”とまで呼ばれたクラーク・ゲーブルはワンテンポあとだったかな。風と共に去りぬ では圧倒的だったけど、ほかのいくつかの有名作はなんとなく気が乗らなくて見ないで来てしまった。保谷野くんあたりはあまり気乗りがしないようだが、もうひとりのキング、ジョン・ウエインものは日本未公開ものを米国駐在中にみつけたビデオテープ(!)を含めて大分見ている。生涯に撮ったフィルムは長編153本というが、そのうち西部劇と思われる(古いものは内容までわからない)ものは100本以上あるから、まさに西部劇のキングであったことは間違いないだろうが、演技が評価されることはなかった。しかし彼が二度目の癌を患い、再起不能とわかったとき、モーリン・オハラが全米に涙のメッセージを送ったことはまだ記憶にある。

 

 

”メルケル演説” その後

少し前にドイツ、メルケル首相のコロナ対策に関する演説の紹介があった。格調も高く、いかにも優れた政治家の資質がよくわかる文章だったと思う。その後、田村耕一郎など旧友たちから海外諸国の対策とか政治家の動向などについて、貴重な資料が紹介されてきたし、一部は本稿にも紹介してきた。これらを読んで、その内容もさることながら、引用されている政治家各氏の文章の練られかたとか、背後にある教養の高さなどにも感心することが多かった。

 

数日前、テレビで007シリーズ スカイフォール を観た。長らく M をやってきた名女優ディンチが殉職するやつだ。007の元祖コネリーはともかく、ロジャー・ムーアといいピエール・ブロスナンと言い、近来の007はおふざけが強すぎて多少へきえきしていたのだが、今のダニエル・クレイグとその前のティモシー・ダルトンになって、人間味というか現実味が増し、面白いと思うようになっていたので今回の作品も興味をもって見た。007を擁するMI6の部門が取り潰しの危機に直面する。その公聴会が議会であり、Mが主張を述べるのだが、このくだりのディンチが素晴らしい。なるほど、これが欧米の政治家の教養か、と思わせる数分の演説だ。詳しくは延べないが、こんな演説は残念ながらわが霞が関の議事堂では(維新直後の時代はわからないが)まず聞くことはないのではあるまいか。メルケルのリーダーシップあふれる演説にふれて、それにひきかえてなあ、という感じを持ったのは小生も同じで、この映画のシーンに垣間見るような、政治家、といえるべき人物を支えている文化的教養の違いをあらためて感じる(田中新弥は以前から、国会議員に立候補する人間には資格試験をすべきだ、と主張している)。

 

ところが昨日の読売新聞のコラム(”ワールドビュー“)に、ドイツの成功は本物か、という一文が載った。西欧諸国の中でドイツは人口当たりコロナ感染症の人数の抑え込みには成功しているのだが、10万人当たりの死者数は10.93人、対する日本は0.78人で、もしドイツの成果具合を日本に当てはめると我が国ならば15,000人を超える死者が出ている計算だというのだ。この数字の意味することをうんぬんする知識は持っていないし、 ”ファクターエックス“ がもし、コーカソイド対モンゴロイドという人種の差からくるものだ、としたら、さらに比較や評価は難しいだろう。だからこの記事が言うように、”ドイツが成功なら日本は大成功だ“ という結論もそうならいいけどなあ、という程度で読み飛ばすつもりだった。

 

しかしこのなかで、”ドイツの成功を可能にしたのはメルケル氏の指導力で、あの演説がきっかけだった“ という定説に筆者が疑問を呈したところに興味をひかれた。この記事によれば、あの演説が出るまでにドイツ政府の対策は後手後手に回っていて、国境封鎖に強力に反対していたのはメルケル首相その人だったのだ、というのだ。国境封鎖、ということはEUの基本理念のひとつである域内自由交流の否定であり、反対することにも正当性はある。このあたりの事情を異国の素人がうんぬんするのは控えたいが、小生がはて?と感じたのは、はじめにのべた国家指導者の素質、特にその文化的教養から生まれるはずの世界観とか歴史観、と言ったものがいったいなんなのか、ということである。

 

もう一度、かのメルケル演説とわがシンゾー君をはじめとする昨今の首相各位の演説を比べてみるまでもなく、その内容、格調、影響力の差は残念ながら明らかである。もし、首相の演説(ナチの猛攻を劣勢な空軍で防いだ、かの バトルオブブリテン を支えたというチャーチルの防空壕からの放送のような)が国民を鼓舞し成功に導くのが歴史の原理であるならば、わが国の未来にあまり大した期待は持てない。しかし一方、厳然たる事実として、現在の経済大国を作り上げた基本的な構造が、当時は批判の的でもあった日本列島改造論であることは事実である。この画期的な構想を組み立てたかの首相がメルケルを凌駕する文化的素養の持ち主であり、聞くものをして感動させる人間力を持っていたとは思えない。日本の飛躍的な変革を現実のものにしたのは、ひとりひとりの日本人の勤勉さと公徳心とまじめさ、それと現実には(問題は多々あるのは承知しているが)やはり優秀な官僚制度であって、首相の演説が感動を呼び起こしたので俺たちがやる気を起こしたからだ、などという記憶はない。このことは高度成長の歯車として、時には100時間を超すことも多かった残業地獄をこなし続けてきたわれわれが一番よく知っているはずだ。

 

思うに、どっちが成功なのか大成功なのか知らないが、欧州の指導的立場にあるとはいえ過去の歴史負荷を引きずるドイツ、日本人と共通点の多いドイツ人、メルケルさんがどうあろうと自分たちの努力をひたすら続けて結果を出した彼らとわれわれの現在にはそういう意味での共通点があるのではないだろうか、という気がするのである。

だがそれはそれとして、多難な国を守り続けるメルケルさんのご活躍を祈念することには変わりはない。わが同期の仲間、横山美佐子は愛嬢によればご家庭では メルケルさん と呼ばれていると聞く。併せてふたりのメルケル、ご健康を祈る。

 

20年6月 月いち高尾報告 (39 堀川義夫)

 

完全にコロナ過が治まったわけではないが、自粛が解除されたので恐る恐る月いち高尾の募集をしたところ、あっという間に30人からの参加申し込みがありました。皆さん、山に飢えていたのでしょうか?

ところが、コロナの感染者数が増加傾向になり、それを理由に参加取りやめる方、2日前になると天気を心配して取りやめる方等々、そして当日も2名の取りやめがあり結果13名の参加となりました。梅雨のこの時期、雨模様はやむを得ず、小雨程度は想定内でしたが…リーダーとしては慎重に我流ですが雨模様でも小雨は降っても山歩きに支障なしの判断で中止にはしませんでした。

琵琶滝を下り一休み

当日、参加者13名は定刻10時前に全員集合して相談の結果、人数激減の為2班に再編成して、とりあえず薬王院までケーブル利用で行き、安全祈願をしに行こう。その先は天気の様子を見ながら決めよう、ということで出発しました。

有難ことに、山の神が素敵なプレゼントをくれました。雨雲を遠ざけてくれました!! ケーブルで山頂駅に着いた頃から雨は止み、薬王院に着いて参拝した後、誰が言うこともなしに当然のごとく、久しぶりの高尾山頂上を目指して歩行開始し11時40分頃には全員登頂して、集合写真を撮ることが出来ました。下山は4

おなじみ4号路釣り橋

名が4号路でつり橋経由山頂駅に行き、ケーブルで下山。9名が稲荷山コースを下山して、悪路の為、途中からビワ滝方面へ下山しました。途中、ビワ滝で休憩後快調に下山して、駅舎にあるイタリアン「Fumotoya 」で12名で打ち上げ。今回は狭いテング飯店は避けました。結構、広くソーシアルディスタンスを取った店内でしたが、他のお客からうるさいと言われながらワインを数本空けて久しぶりにそれはそれは楽しい時間を過ごしました。

 

参加者(順不同) 遠藤 後藤 菅谷 矢部 岡沢 保屋野 安田 関谷 伊川 中司 吉牟田 藍原 堀川

(関谷)久々の団体での野外行動を満喫させていただき
ありがとうございました。
人との交流が如何に素晴らしいものかと実感しました。
打ち上げのイタリアンでの約半年ぶりの外飲みでの生は
格別でした(これまで家飲みで缶の発泡酒で耐えていました!)
自粛警察気味の白い眼がありましたが、ワイワイガヤガヤ
出来るのは良いですね!ありがとうございました。

(保谷野)あれから、温泉に入って、高幡不動のドトールで軽食後2時に帰宅しました。16000歩でした。
今日は悪天予報にもかかわらず、13人もの老人?が登山とは・・・やはり「ワンダーですね。それにしても雨・風予報を好天?に変えてしまう堀川さんの念力は何時もながら凄い。

(それにしてもなんで正藤山のときはあたらないの? 編集子)。

高尾山は自粛期間も何回か登っていましたが、やはり一人よりもワンダーの皆様と登るのは数倍楽しいです。また皆様とご一緒出来るのを楽しみにしております。ありがとうございました。

季節は間違いなく来ている―アジサイが見事だった。ここに名前を書かせるのにいくらかかるんだろうか?北島サブちゃんと並ぶのは大変だろうけど。

エーガ愛好会  (9)  シェナンドー河

コブキお姉さまの情報によって、またまたBS3劇場の半日。この映画のタイトル ”シェナンドー“ という地名は小生にはなつかしく、快い思い入れがある。

ひとつにはワンダー時代の僕のいわば ”持ち歌“ に関連しての思い出がたくさんあるからである。いまの現役や平成時代のOB連はあまり山で歌を歌う、ということがないようだが、僕らの時代、テントサイトでたき火をし(まだ北アルプスの稜線でもはい松を切って火をおこし、飯盒で飯を作っていた時代なのだ)、歌を歌った。だからどんな自称音痴でも、なにかひとつ、”持ち歌“ を持っているのが当然だったし、新人がどこかのプランでいいのどを聞かせて大拍手が起きる、”デビュー”現象が尾ひれをつけて語られたりしたものである。

僕が ”デビュー”したのがどこでいつだったかは確かではないが、不破さんのプランで指名され、当時はやっていたマリリン・モンローの”帰らざる河“ をうたった時がそうだったような記憶がある。そのころは ”あいつが持ち込んだ歌“ というようなのが沢山あり、今はOB会の定番歌 “海女の子供” は女子合ワンに参加したチンタお姉さまとかわがビーバーこと栗田なんかがならってきたもののはずだ。そういう意味で、”ジャイが持ち込んだ歌“ は Red River Valley だと自負しているのだが、高校時代にクラスメート、KWVはナンカナイ会でと付き合いの長い関根達郎が、父上がもっておられたというレコード(もちろん、78RPM,セラック製でだいぶ溝が傷んでいたが)をくれたことに端を発する。唄っていたのは REDRIVER DAVE という無名の歌手で、かなりマウンテンミュージックスタイルにアレンジされたものだった。僕らの1級上で人気のあった森永さんがウクレレを言うものを持ち込んだことから(本来のワンダラーならギターだろうが、ちと大きすぎたので)、KWVにもカントリーが流行りだした。僕が次に仕込んだのが ACROSS THE WIDE MISSOURI という、エディ・アーノルドだったかスリム・ホイットマンだったかが歌ったもので、これの原曲が SHENANDOH という古い民謡で、現在、バージニア州の州歌である、OUR GREAT VIRGINIA はこの曲の譜によっているという。

アメリカの人たちの心の中になんとなく郷愁をもって語られる地域がいくつかあると思うのだが、そのひとつが西部開拓前夜までの辺境であった、テネシー、ケンタッキー、バージニアあたりのようだ。その中のひとつがこのシェナンドー渓谷からブルーリッジ山域にかけてのあたりなのではないか。小生も家族旅行でどうしてもこのあたりが見てみたく、アトランタで 風と共に去りぬ の雰囲気を味わった後、このアパラチア山系を越えてケンタッキーへ、返す刀でナッシュビルまで行き、プリンターズアレイのライブ店に入ったところ、まだ日本人がめずらしかったのかどうか、なんと指名されてステージへあがらされ、それなら最もジャパンらしいのを、と炭坑節をうたったことがある。ホステス役だった女性シンガーがくれたサインん入り写真がまだどこかにあるはずだ(今思えば RED RIVER VALLEY にすればよかったと思うんだが)。毎日好天、太陽を見飽きてしまうような、あっけらかんとしたカリフォルニアしか知らなかった自分には何とも言えず暖かな、人恋しくさせる1日だった記憶がある。ジョン・デンバーのヒット曲、Country Roadにも Blueridge mountains Schenandoh river という一節があるのをご記憶の方も多かろう。

さて映画のほうだが、スチュアートの西部劇、というポジショニングはちとまとはずれな気がする、いわば一種のホームドラマみたいなものだ。後半に突然現れて長男と嫁を惨殺する(このあたり、風と共に去りぬ の一場面を思い出させた)悪漢3人を除けば、基本的に悪人は出てこない。皆与えられた任務の中で苦悩する人々の話である。最後の教会の場面で、後ろの入り口のドアに、そこまでの筋からはなれてカメラがとまる。あ、そうかな、と思っているとドアをゆっくり開けて、行方不明だった末っ子が杖にすがりながら入ってくる。これでアンハピイエンドが少し救われる、というのがやはりフォードをついだV.マクラグレンの味付けだろうか。それと挿入場所を忘れたけれども、これも古い民謡から来たはずのYELLOW ROSE OF TEXAS のメロディが一瞬、流れていたのに気が付かれただろうか。ミッチ・ミラーの合唱曲で一時はヒットパレードの常連だった曲だが。また、ヒチコックの出番を見過ごしてしまった。残念。

なお、”スチュアート西部劇” なら、”ウインチェスター銃73” がベストだと僕は思うのだが,諸賢のご意見やいかに。“笑う悪漢” ダン・デュリエがよかったし、トニー・カーチスが端役も端役のインディアン(ごめん)役で出ていたと記憶がある。

(34 小泉)

 今週はBSPで珍しく西部劇が、月曜(6/29)「ダンス・ウイズ・ウルヴス(1990)」、金曜(7/3)「シェナンドー河(1965)」の2作が放映された。「シェナンドー河」は西部劇というよりは、南北戦争を時代背景とした家族の物語。主演のジェームス・スチュアートが当時57歳、時代に翻弄されながらも、妻亡きあと息子6人娘1人次男の嫁の大家族の頑固親父を渋く演じる。父権制的な大家族に自由と自立性を重んじる個人主義的精神など、この古典的アメリカンスピリットが、南北戦争の渦中にありながらも反戦のスタンスに立つ原動力であると一貫して訴えているように思われる。頑なに中立を守りながらも、末っ子が誤って北軍の捕虜になってから戦争にに巻き込まれる形で、次男夫妻、長男を失うことになる。全編に流れるオーシェナンドーのメロディと最後スチュアートが呟く「戦争とは・・・葬儀屋の一人勝ち、政治家は戦争の栄光を説き、老人は戦争の必要性を説き、兵士たちは家に帰りたいと願う」が印象的。監督は先週放映の「ビッグケーヒル」のアンドリュー・V・マクラグレン。

 「ダンス・ウイズ・ウルブス」は、1931年「シマロン」のアカデミー作品賞以来、1990年に西部劇でははじめて作品賞をはじめ監督賞等12部門にノミネートされ7部門でアカデミー賞を獲得した。この年は、1972と1974年に作品賞受賞した「ゴッドファーザー」「同PARTⅡ」に次ぐ「同PARTⅢ」と争うことにもなったのだった。ケビン・コスナーが監督主演し、南北戦争のさなかに、自ら選んで西部の辺境の地に赴いた騎兵隊の中尉が先住民のスー族と出会い、大地に根差した自然賛歌を織り込みながら新しい生き方を見出していくという映画。ネイティヴ・アメリカンが独自の文化を持ち自然を敬い、自然と共生する姿といった高潔さを賛美する。バファロー狩りの描写も素晴らしいが、毛皮と舌の肉を取り他は捨て去る白人に対し、祈りを捧げ感謝しつつ全てを消費するネイティヴ。騎兵隊に捕まった中尉の貴重な日記帳を奪い、キジを打つ同僚に単なるカミとして切り裂いて与える。中尉になついた題名通りの狼を射的同様に、面白半分に撃ち殺すシーン等々。しかし突然変異的に、ネイティヴ・アメリカンの立場の映画が作られた訳ではないが、本格的にネイティヴ・アメリカンの言語、此処ではスー語が使われていたことは画期的なことだろう。それらネイティヴ・アメリカン寄りの映画で、小生が観たものを列挙すれば、「折れた矢1950デルマー・デイビス監督、ジェームス・スチュアート主演」「アパッチ1954ロバート・アルドリッチ監督バート・ランカスター主演」「シャイアン1964ジョン・フォード監督リチャード・ウイドマーク主演」「ソルジャー・ブルー1970ラルフ・ネルソン監督、ピーター・ストラウス主演」「小さな巨人1970アーサー・ベン監督、ダスティ・ホフマン主演」「ジェロニモ1994ウオルター・ヒル監督、ウエス・ステュディ主演」がある。

Sneak Preview (6) (44 安田耕太郎)

巡礼路とレコンキスタ (Reconquista)

バスク地方を満喫したあと、スペイン中央部を対角線に横切りマドリッドに立ち寄ったあと、ラ・マンチャ、アンダルシア地方を通りジブラルタル海峡に向かう旅程だ。バスクの首都ビトリア・ガスティスの南西100キロに位置するブルゴス(Burgos)が最初の目的地だ。

スペイン中央北部の内陸に位置するブルゴスは、次に向かうマドリッドのほぼ真北200キロに位置している。市内の真ん中に澄んだ川が流れ、目玉ともいうべきゴシック様式の、聖母マリアに捧げられた、巨大なカトリック教大聖堂(Catedral de Santa Maria de Burgos)の荘厳な美しさには感銘した。構造、ファサードのデザイン、内部の装飾などユニークで決して忘れることはない。13世紀に造られはじめ完成したのは16世紀であったという。

ブルゴスには聖地サンティアゴ・デ・コンポステラ(Santiago de Compostela)へ向かう巡礼路が通り、イスラム勢力に占領されたイベリア半島を、キリスト教徒の手に奪回することを目的とするレコンキスタ(再征服運動)初期における軍事上の根拠地ともなった。その大聖堂に入るサンタマリア門には11世紀後半の対イスラム勢力との戦いレコンキスタで活躍したカスティーリャ王国の貴族エル・シド(El Cid)の像が飾られ、彼の遺体は大聖堂に埋葬されている。アメリカ俳優チャールストン・ヘストンが主役を演じた映画「エル・シド」を中学生であった1961年に観ていて、救国の英雄の出身地を訪れ感慨もひとしおであったのを覚えている。

スペイン北西部ガリシア州(Galicia)の首都サンティアゴ・デ・コンポステラには、聖ヤコブ(ヘブライ語Jacobの和訳、スペイン語でSantiagoサンティアゴ、フランス語でSaint Jacquesサン・ジャック、英語でSaint Jamesセイント・ジェームス)の遺骸があるとされ、ローマ、エルサレムと並んでキリスト教の三大巡礼地に数えられている。

 

フランスの項で、訪れてすでに述べた通り、リヨンの南西150キロに位置するオーヴェルニュ地方のル・ピュイ・アン・ヴレ(Le Puy-en-Velay)に端を発する「フランスの道」はスペインへ向かう主要な巡礼路のひとつであり、全長1500キロにも及ぶ。ピレネー山脈の東山麓のフランス側バスクの起点サン・ジャン・ピエ・ド・ポル(Saint Jean Pied de Port、バスク語でドニバネ・ガラシ)からピレネー山脈を越えてスペインバスク地方の, 牛追い祭り(サン・フェルミン祭)で有名なパンプローナを通って、カスティーリャ・イ・レオン州(Castilla y León)の北部を西に横切り、ガリシア州(Galicia)の聖地コンポステラへ向かう。

伝説によれば、イエス・キリストの十二使徒の一人聖ヤコブがエルサレムで殉教したあと、その遺骸はガリシアまで運ばれ埋葬されたという。813年コンポステラでヤコブの墓が発見され、これを記念して墓の上に大聖堂が建てられた。サンティアゴ・デ・コンポステラへの巡礼の記録は951年のものが最古であるという。町の名前について、コンポステラ(Compostela)のコンポは野原、ステラは星のこと。野原に輝く星の聖ヤコブ、といった意味であろうか。2014年に巡礼路を実際歩いたが、僕の独断と偏見によれば、巡礼路はレコンキスタ運動と密接に関係しているのは間違いない。

すでに述べたように、イスラム勢力は8世紀にはイベリア半島を支配してフランス領内にも深く侵入した。キリスト教勢力側はイスラム支配にくさびを打ち込む目的もあってキリスト教信者の巡礼による人と物の移動を活発にさせ、その結果政治的、経済的、社会的、軍事的にキリスト教勢力を伸長かつ増強させ、相対的にイスラム支配の弱体化を狙っていたとしても不思議ではない。むしろ自然な発想で神学も虚構の上に成り立っている可能性を否定できない。

エルサレムで2000年前の古代ローマ帝国時代に殉教した聖人の遺骸が数千キロも離れたイベリア半島西部の田舎町で埋葬されたとは現実的には考えにくい。ローマ帝国が当時エルサレムもイベリア半島もその支配下に置いていたとはいえ、遺骸の移動・輸送・保存などの困難さ、なぜスペイン北西部の辺鄙な場所で発見されたのか、なぜ発見されたのが殉教から800年後なのか、など疑問は多い。

巡礼路の創設は結果としてレコンキスタ運動を活性化かつ増強させ、イベリア半島からイスラム勢力を駆逐することに多大な貢献をしたのは疑いのない事実である。そのことこそがサンティアゴ・デ・コンポステラ巡礼路の創設意義と動機のひとつであろう。私見である。

ブルゴスの南西100キロほどのところに位置するカスティーリャ・イ・レオン州の小さな町で生まれ、スペインを統一したイザベル女王は、イベリア半島におけるイスラム勢力最後の拠点であったグラナダ王国のアルハンブラ宮殿を陥落させ約800年にわたったレコンキスタを成功裡に完成させた。1492年のことである。コロンブスのアメリカ航路発見の年だ。彼女の遺骸は遺言によりアルハンブラ宮殿の聖フランシスコ修道院に埋葬された(1504年)。

なにせイスラム勢力は711年のイベリア半島侵入からグラナダ王国陥落まで781年間の長きにわたって存続していたのだ。イベリア半島にキリスト教勢力が完全に戻った1492年から今日(2020年)まで528年間経っている。しかし、それ以前、イスラム勢力はそれより250年以上長い実に800年近い長期間にわたり居座っていたのだ。現在の視点で観ると驚愕せざるを得ない。ピレネー山脈から北のヨーロッパ人が「ピレネーから南はアフリカだ」というのもうなずける気がする。

エーガ愛好会 (8)  7月必見エーガの数々   (40 久米行子)

チンタさん早速映画館にお出かけのようですね。さすが「出歩き弓子」と以前アドレスにしていらした先輩とその行動の素早さに感心しております。

ところで今日2018年制作のドキュメンタリー「MIFUNE The Last Samurai」を観ました。インタビューにはマーティン・スコセッシやピルバーグ香川京子、司葉子などが出てきて三船敏郎について語っていました。素晴らしく恰好良い写真なども数多く、あーあーやはり三船は素晴らしいとの感を深くしました。皆様の「岸恵子礼賛」にも負けません。

ところで前回はBS放映の予告でミスが多かったので日時はお知らせいたしませんが7月は6月の放映作品に負けず劣らずの名作が放映予定で楽しみです。

先ず早々に7月1日ヒッチコック監督の「ハリーの災難」が登場致します。1955年の制作で「裏窓」や「知り過ぎていた男」などの評判作品にはさまれて隠れた名画と私は思っているのですが可愛らしい頃のシャーリーンマックレーンが出演している映画です。是非皆様にご覧いただきたいと思います。そして翌日にはロバート・テイラー、デボラ・カー共演の「クオヴァディス」ローマ観光の折にはわざわざこの教会を訪ねて糸杉街道を主人と歩きました。

続いてジェームススチュワート主演の「シェナンドー河」、「西部開拓史」に続くスチュアート西部物です。そのほかにも7月は「雨に唄えば」「アラビアのロレンス」「E・T」「シャレード」「「荒野の7人」「グラン・トリノ」「最高の人生の見つけ方」「ニノチカ」「炎ランナー」「眼下の敵」等々・他にも007シリーズなど見逃せない作品が揃っております。

この中でも先ず推薦したいのは「ニノチカ」1939年制作の古い名画です。

あの冷たい美女のグレタ・ガルボが演じるロマンチックコメディです。なんとも言えず笑ってしまうのですが私の大ごひいきのビリーワイルダーの脚本と解れば納得いたします。次に「眼下の敵」さほど好きではなかったロバート・ミッチャムの男くささに参った作品で以後ミッチャムの作品を次々と見た歴史があります。「帰らざる河」を見直したり、「さらば愛しき女よ」はハンフリーボガードのフィリップマーロウより感じが出ている気がしますがチャンドラーにお詳しいGiさんのご意見を伺わねばなりませんね。それに引き続き「ライアンの娘」もミッチャムは大熱演。そしてとうとうリチャードロートンが一作しかメガホンを取っていない恐怖映画「狩人の夜」まで、見まくってしまいました。

「眼下の敵」はあのドイツの名優のクルト・ユルゲンスを向こうに廻して一歩も譲らないミッチャムがいます。最後に船の上での敬礼が何とも言えず胸に来るものがあります。無論、皆様ご覧になったことがおありでしょうが今一度ご覧くださいませ。「炎のランナー」もきっとオリンピック開催を意識したと思いますが今一度見直したい作品です。

(中司)相変わらず元気なご様子、なによりです。昨日はチンタお姉さまに続いてオヤエが出かけて上機嫌で返ってきました。滅多になかったことですけど真昼間にテレビをつけると予期しない映画にぶち当たるもんですね。一昨日は何回か見落としてきた 大砂塵 をやっと見ました。それなのに昨日は日曜だとばっかり思い込んで、何と全巻見る覚悟だった 新選組血風録、その最後つまり土方歳三最後の回を見落としてしまった。しゃんめえ、高いけどDVDを買おう。

 

今日のBS1300、レッドフォードの スパイゲーム。おすすめでっせ。

あ、それと さらば愛しき女よボガートのカサブランカよりもはるかに趣のあるミッチャムです。なんか、最近の俺って男の哀愁がただよい、こんなかなあと思ってます。。絶対見てよ。それとここではシャーロット・ランプリングの妖艶さがよかったねえ。ローレン・バコールの知性は感じられなかったけど。

米国の対中国政策について (4)

(つづき)

3.力による平和の維持 Preserve Peace through Strength

2018年制定の国家防衛戦略(訳注 National Defense Strategy, NDS)では、長期にわたる中国との競合を最優先とし、中国人民解放軍の技術的向上、戦力展開及び国外でのプレゼンスと発言力の増強に対抗する近代化と他国とのパートナーシップが強調されている。核戦略レビュー(訳注 Nuclear Posture Review)に挙げたように、本政権は三元戦略核戦力(注 地上、潜水艦、長距離爆撃機という3種の核発射能力をいう)を主眼とし、中国の大量破壊兵器やそのほかの戦略的攻撃を抑止するため、これに伴う各種の能力の近代化を推進している。あわせて、われわれは中国指導部と一堂に会し、核兵器の近代化と拡大、また世界最大の中距離ミサイル群の削減について協議していくことを要求している。すべての国々にとって北京政策の透明度の向上、誤解による偶発の防止、膨大なコストのかかる武器増強を避けるために望ましいと考えるからである。

一方、国防当局は超音速の機体整備、サイバーおよび宇宙空間に関する投資、さらに強力で順応性に富みかつコストのかからない運搬手段の開発を続け、北京の拡大を続ける野心的行動をいましめ、中国軍の技術レベルの向上拡大を抑止しようとしている。

世界での航行の自由を確保するため、我々は中国の覇権主義と過剰な要求を断固として退け続ける。米国海軍は、国際法が認める限りにおいて、南シナ海を含む海域での航行の自由を主張し続け,この地域にある友好諸国とパートナーが、北京政府の軍、準軍事組織および警察組織による強制的問題解決と対抗する能力を保有することを支援していく。これに関連して、米国は2018年度は中国軍を隔年ごとに実施してきたパシフィックリム演習への招待をしなかった。中国が高性能のミサイルシステムを南シナ海の人工島に設置したことへの対応である。

NDSの中核の一つが同盟国やパートナー国との強力な提携関係である。米国は提携関係の強化とあわせて、武器などの共通化(訳注 interoperability)を深化させることで戦闘現場での確実性(訳注 combat-credible forward operating presence)を高め、これら同盟諸国との高度の融合によって、北京のいかなる攻撃も排除できる能力を構築している。通常兵器移転政策 (Conventional Arms Transfer policy)では、米国製兵器の各国への整備を促進して提携各国の戦闘能力が戦略的かつ補完的に機能するように変革されることを期待する。

また、2019年の国防省による初めてのインド太平洋報告(Indo-Pacific Report)には、NDS戦略をこの地域にも展開することが明記されている。

長い間にわたり、米国は台湾と非公式ではあるが強固な盟友関係にある。これは台湾関係法(訳注 Taiwan Relations Act)および米中間に交わされている共同宣言に基づいた”中国一国主義であり、米国は台湾海峡に関する論議はすべて平和裡に両国人民の意志により、いかなる脅威も強制にも依らずに解決すべきとする姿勢を堅持してきた。しかしながら北京政府はこのコミュニケの精神に違反し巨大な戦力の増強を行ってきており、その結果としてわれわれに台湾にしかるべき自衛を可能にし、地域の安定のためにする援助を継続せざるを得なくなっている実情である。1982年、当時のレーガン大統領は台湾支援の軍事援助の量、および質は中国の対応によってのみ決定される“と述べており、2019年度における台湾への武器援助の規模は100億ドルを超える額に上っている。

米国の基本方針は従来通り、中国との間に建設的かつ目に見える関係を維持することである。すなわち、我が国と中国間の防衛に関する接触の範囲は戦略目標を伝達し、それによって事故の発生を制御して、危機を招くに至るような誤解や偶発を予防して双方に関係のある地域の不安定化をはかることにある。このため、軍事当局は中国軍部との間に、万一の危機発生時に実行のあるコミュニケーションメカニズム、想定以外の問題が発生した時その不拡大に役立つ即効手段の維持に努めている。 

4.米国の影響の維持拡大 Advance American Influence

過去70年にわたって、自由で開かれた国際秩序は独立した主権国家の繁栄とかつてない経済成長をもたらしてきた。広大かつ先進国のひとつであり、この秩序の大きな受益者である中国は、地球上の各国がこの恩恵を受けられるように積極的にかかわるべき立場にある。しかしながらもし北京政府が権威主義、自己検閲、腐敗、重商主義経済、倫理や宗教の多様性の否定などを押し通すならば、米国はこのような悪意ある活動に抵抗し、それに対抗するよう、国際的活動を先導するであろう。

2018年と2019年、米国ははじめて宗教の自由に関する聖職者会議(訳注 Ministerial to Advance Religious Freedom)を主宰した。2019年9月に開かれた国連総会(UNGA)において大統領は宗教の自由の保護に関する地球運動(訳注 Global Call to Protect Religious Freedom)という異例のよびかけをおこなった。これらの会合によって、各国の宗教指導者が世界中で起きている宗教迫害行為に対する非難の声をあげることになったのである。2回の会合において米国と同志国は共同声明を発表し、北京政府に対してウイグル人およびトルコ系イスラム教、チベットの仏教徒及びキリスト教徒そのほかの宗教信徒への抑圧と迫害を撤廃するよう呼びかけを行い、2020年2月には米国国務省は同様の考え方に立つ25ケ国と史上初の国際自由宗教連盟(訳注 International Religious Freedom Alliance) を結成し、個人の信教の保護を訴えた。大統領は2019年の聖職者会議の時間を利用して中国からの脱出者や生存者と面会し、総会においては中国の宗教迫害の犠牲者とともに登壇もした。このほか米国政府は人権保護活動者や中国内外で活動する市民団体への支援を継続して推進する。

2019年10月、米国は同志的な国々と共同で中国がチワン自治区で継続している人権侵害そのほかの抑制行為が国際平和と安全保障を脅かすものと非難声明を出した。これに続き、米国政府は特定の中国政府機関と監視技術会社がチワン自治区の人権侵害行為に共謀してかかわっていたとして米国からの輸出を禁止、中国関係者とその家族が北京政府の国際人権という公約違反に責任があるとしてビザの発行を停止し、同自治区で強制労働によって製造された製品の輸入の禁止を開始している。

米国は中国の軍事および技術を駆使した権威主義にわれわれの技術が使用されることに対して、毅然とした原理に基づく反対行動をとる立場であり、同盟諸国やパートナー諸国の賛同を得ている。この方向に沿って、急速な技術変化に合わせ、中国が民間製品の軍用目的への転用をはかって、企業に安全保障や情報サービスの提供を強制していることに対応する政策を用意しているのが現状である。

これまでに述べたいろいろな方策は、第二次大戦後の国際的制度の基礎となる価値体系や規範を遵守するという米国の公約を明確にしたものである。米国は中国の内政問題にかかわるいかなる欲求も持たないが、中国がその国際的公約や責任ある行動から逸脱したとき、、特に米国の国益にかかわる場合には率直にこれを糾弾してゆくであろう。例えば、わが国は香港の将来は米国の国益に重大な関心を持つ。およそ8万5千人の米国市民、および1300を超える企業が香港に居住しているからである。大統領、副大統領、国務長官はたびたび北京政府に対して1984年の英中共同宣言と香港における高度の自治、法治の原則、民主的自由の順守を呼びかけてきた。これらの事項は香港が国際的商業及び金融のハブとして存在し続けるために必要だからである。

米国はインド太平洋地域においても、企業活動の自由と民主主義の統治の推進役の任務を果たす覚悟である。2019年11月、米国、日本、オーストラリアはブルードットネットワーク(訳注 Blue Dot Network)を創立した。このねらいは透明な財政基盤と高度に品質の高いインフラストラクチュアを世界各国の私企業の主導によって確立していくことにあり、インド太平洋地域だけでほぼ1兆ドルにのぼるアメリカ企業の投資を実現する。同時に国務省はインド太平洋地域戦略、自由インド太平洋:共有目的の推進報告(訳注 A Free and Open Indo-Pacific: Advancing a Shard Vision)を刊行し、我々の同地域での統一戦略の詳細な結果報告を行っている。 

結論  Conclusion

本政権の中国に対するアプローチの根幹は、米国の、世界最大の人口稠密国であり世界第二位の経済を有する国家の指導者に対処する方策を、最も基本的な立場から再評価した、ということに尽きる。米国は長期にわたる戦略的競合が二国間に生じていることを認識する。

全政府一貫体制のもと、NSSに明示されたように基本的な原点に回帰し、米国政府は国益と米国の影響力を守り続ける。しかし同時に、両国の国益が共有できる限り、建設的でひらかれた、成果重視(訳注 results-oriented)の協力体制には門戸を閉ざすことはない。我々は中国指導者に敬意を払い、冷静な方法を通じて、中国がその公約を果たすよう説得してゆくであろう。

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われわれが脅威と感じている軍事面での対決はどのようなことになるのだろうか。6月20日づけ週間東洋経済誌に笹川財団の主席研究員 小原凡司氏が書かれている記事の一部を抜粋しておく。

”価値観の対立が引き金 現実になった米中 “新冷戦”  より抜粋

(前略)米国のギアチェンジを示すのは言葉だけではない。米国は、軍事的にも本気で新冷戦を戦うモードに入ったようだ。米国が次々と米ソ冷戦後の信頼醸成の枠組みから撤退しているのである。

5月21日,ポンペオ国務長官は米国がオープンスカイ条約から撤退する方針を表明した。同条約は欧米の旧東西陣営が相互に査察飛行を認めるものである。中国を抑え込みたい米国にとって、中国が加盟しない同条約に意味はない。そもそも戦略情報を相互に提供する枠組み自体が、米国にとっては過去のものなのだ。軍事的にも中国と対立する米国は、戦術情報の収集にシフトしている。

また、トランプ政権は18年10月にINF(中距離核戦力)全廃棄条約離脱を表明し、翌年8月には同条約は失効した。米国が地上発射型中距離ミサイルを開発・整備すれば、戦術核兵器における中国の優位は失われる。そのため、中国は核戦略の見直しを迫られている。米国にとって米ソ冷戦後の信頼醸成の枠組みは現状に適さない。米ソ冷戦後の世界は終わり新たな米中の冷戦が始まっているのだ。

米国の対中国政策について (3)

(つづき)

政策の実行   Implementation

大統領のNSSに示されたとおり、本報告があきらかにした政治、経済、安全保障政策はアメリカ国民と郷土を守り、米国の繁栄を拡大し、国の強さを通じて世界平和を維持して海外における自由と開かれたビジョンを推進するものである。本政権は当初3年間、ここに示した中国に関連する政策の実行に関して着実な成果を上げることができた。

  • アメリカ国民、領土、アメリカ的生活様式の保護 Protect the American People, the Homeland,and the American Way of Life

米国司法省の中国問題対策(訳注 China Initiative)及びFBIは、企業秘密窃取、ハッキング、産業スパイ行為を主な対象とした調査を行い、国家インフラストラクチュアやサプライチェーンへの不正な外国人投資や米国政府の方針を妨害するような動きを除去するために引き続き努力を続けている。例えば、司法省では中国国有のメディア会社CGTNアメリカに対し、外国企業登録法(訳注 Foreign Agents Registration Act, FARA)の規定に基づいた登録をするよう指導した。同法に依れば登録者には業務の内容を連邦当局に報告し、発行物には適切な識別をする義務があり、CGTNアメリカもこれを了承したという。

中国共産党による米国国内のプロパガンダに対して、本政権では悪意ある行動を明示し、あやまった情報は訂正して透明性を保つように指導している。またホワイトハウス、国務省及び司法省など米国当局者は米国民に対して中国共産党が我が国の自由かつオープンな社会制度を悪用して、米国の国益や価値体系を傷つけようとしていることを理解するように教育してきているが、一方、互恵主義の観点から、中国外交官に対して連邦および州政府要員や学術団体に事前に届け出を要請することにしている。

また政府では、北京が米国の学術団体において各種委員会などの運営に携わるような行動(訳注 co-optation)を従来の産業スパイや誘導行為などの域を超えて中国市民または関係者に強制している事実に注意するようよびかけるとともにそのような行動を阻止するための努力をしている。また大学当局と連携して、米国キャンパスにおける中国人学生の権利を保護しながら、中国共産党のプロパガンダや偽情報の拡散に対応する情報を提供し、米国学術環境における倫理綱領への理解を求めてもいることを挙げておこう。

現時点で中国人学生は全米の外国人学生中最大の勢力になっているが、これら学生や研究者の貢献はまた顕著なものがある。2019年現在、その数は史上最大のものとなり、一方では中国からの学生ビザ取得の拒否件数は着実に減少してきている。米国は開かれた学術的交歓を強く支持しており、外国人学生による適法な範囲における研究活動の成果は高く評価する立場を堅持しているが、一方では少数ではあるが身分を偽ったり、悪意を持って入国しようとする中国人学生を事前に探知するためのプロセスの改善を急いでいる。

米国の研究開発関係者の中で、国立健康研究所(訳注 National Institute of Health)やエネルギー省では、活動の透明性を維持するとともに利益相反行為を防止する目的で規定されている行動要領や報告形式を明確化する規則や手続きを制定しているし、国立科学技術会議(訳注 National Science and Technology Council)の合同委員会は連邦予算で行われる開発に関する標準や推奨する行動基準を定めた。また国防省は開発依頼先が中国の人材募集プログラムと関係することを禁じているが他方、国外からの研究者を増やしていくことも行っている。

さらに米国内の情報システムに対する海外から不正なアクセスを防止するため、”情報通信システムおよびサプライチェーンの保護” および ”テレコミュニケーションシステム分野への外国からの参入審査のための委員会の設置“ について大統領令が発令された。これら法令の実施によって、特定の企業が外国の競合相手からの照会に答えたり関係を持って米国政府、私企業、個人から、私的あるいは機密の情報を提供することを未然にふせぐことができる。また、世界規模でわれわれの情報、すなわち機密の軍事及び関連情報などを保護するため、政府は同盟諸国やパートナーあるいは多面的な会議体などと協力して安全かつ強固な、地球規模の情報経済の根幹をなす、信頼度の高い情報基盤の確立を図っているし、中国に責任ある国家としての行動をとらせるため、同盟国、パートナー国と協力して、不正なサイバー攻撃の確定、あるいはまたは回避する行動をとっていることを指摘しておく。

さらに外国投資リスク検証法案(訳注 Foreign Investment Risk Review ModernizationAct)を準備し、米国内外国投資委員会 (訳注 Committee on Foreign Investment in theUnited States, CFIUS) の権限を強化、従来担当範囲に含まれていなかった投資制度の悪用による国家安全保障への悪影響に対処する。この範囲に該当するものとして、米国内の革新的技術に小数株主として参加し、中国軍の近代化を図る、などということがあげられる。

米国政府は輸出管理規定を改定したがその重点は北京指導のMCF(前記 軍民混淆体制)を通じて超音速技術,量子コンピュータ、人工知能、バイオテクノロジー、そのほか開発途上にある基礎技術に関する情報の逸脱を防ぐとともに、同盟諸国やパートナー国にも同様の外国投資のスクリーニングや多面的な制度会議体などを通じた輸出規制法制の整備をよびかけている。

米国の消費者を中国製のにせものや低品質製品から守るために具体的な方策も実施されつつある。2017年から2018年にかけて国土安全保障省が摘発した中国製の偽造品は5万9千件、金額にして21億ドルに上る。これはほかの国からの輸入されたものの5倍に上っている。衣料、靴、ハンドバッグや時計など有名ブランドの偽造品だけではなく、米国税関や国境警備隊は3度にわたって5万3千丁の中国製銃器および電子部品の不正輸入を摘発した。これらが米国の企業、個人の安全を脅かし、プライバシーを侵害しかねないことはあきらかである。また、関係各機関は高濃度の汚染物質、バクテリアや動物の排泄物などを含むものも発見されている中国偽造の薬品や化粧品について、標準を定めて取り締まりを行っている。

米国は中国側の該当機関と協力して、違法である中国製フェンタニール(訳注 鎮痛剤の一種)の米国向け輸出を撲滅する努力をしてきた。2018年12月、大統領は中国の責任者から、中国においてあらゆる種類のフェンタニールを管理するとの通報を得た。2019年に中国側の法的規制が実施され、以来両国の法的執行機関は協力して中国の麻薬製造業者や密輸業者を排除するための法規制を進めてきており、あわせて、中国の郵政機関とともに小型郵便物の監視についても同様な努力を継続しているのである。

  • アメリカの繁栄の維持   Promote American Prosperity

中国の不正かつ目に余る貿易及び産業秩序に対する行動が明らかにされたことに基づき、政府は米国の企業、労働者、農業従事者の保護と、米国製造業の空洞化を引き起こした北京の政策に対応する毅然とした対応を決定し、米国・中国間の経済的関係のバランスを取り戻すことを確約する。われわれは政府の全力を集中し、公正な貿易を支援して米国の競争力を高めることでべく国の輸出を促進する。また、米国の貿易及び投資に対する不正な障壁を取り除く。2003年以降続けてきた、公式な、ハイレベルの対話を通じて経済上の公約を求めてきた北京の説得が失敗に終わった結果、我が国は中国の市場規範を無視し、製品に関税の形式を利用してでコストを上乗せする方法で技術や知的財産の簒奪を図ってきた中国に正面から対抗する。ここにいう関税は米中両国が公正な第二段階について合意するまで存続させる。

我が国が中国に対して市場慣行を破壊する域に達するまでの政府の補助金政策や過剰生産を削減、あるいは排除すべく繰り返し要請してきたにもかかわらず、改善がされないため、米国は自国にとって戦略的に重要な鉄鋼とアルミニュウム産業の保護を目的として輸入税を課すことで対応してきている。これら中国側の不公正な貿易慣行はWTOにおける調停の対象事項であり、複数のケースについて係争し、勝訴してきた。結果として、商務省は中国の広範囲にわたるダンピングや補助金行為について前政権を上回る規模で米国アンチダンピング法ならびに相殺関税法の適用を認める断をくだした。

2020年1月、米国と中国は経済及び貿易に関する第一次の協約に署名した。これは中国側の経済貿易慣行の構造的改革と関連する変更を促し、長期にわたって懸案となってきた米国側の関心事項に対処するものである。本協約によって、外国企業が中国において事業を行う前提として技術移転を強制すること、すべての重要領域において知的財産の保護を強化しそれを遂行すること、中国内での米国の農業および財政関連事業の展開に関する障壁を除去して市場を開放すること、及び長期にわたって中国が展開してきた通貨の不正な規制の除去、などが要求されているほか、実効ある早期の実施を監視確約するための強力なメカニズムを設置した。このような構造的貿易障壁への対処とその公約の全面的実現のため、この第一段階にあっては米国から中国への輸出の増加を拡大させる。中国は米国からの商品およびサービスの輸入金額を四つの領域、すなわち工業製品、農産品、エネルギーおよびサービスの分野において、今後2年間2千億ドル以上増加させることとしていて、よりバランスの取れた交易関係の推進と、米国の労働者に対して公平な機会を創出するという意味で画期的な試みと言える。

国内対応の面では、本政権は米国経済の強化と将来の産業分野、たとえば5G技術などの強化を税制度改革と堅固なディレギュレーションによって実行していく。そのいい例が ”人工知能分野における米国リーダーシップ確立“ に関しての大統領令は、米国政府の先導によって投資と協力を推進し、米国がイノベーションと経済成長のモデルであり続けるための好例であろう。

また、同じ考えを持つ諸国との協力を通じて米国は国家主権、自由市場、継続的成長を基盤とsる経済ビジョンを推進していく。EUおよび日本との間では、国家保有企業、産業補助金、技術移転の強制、などについて、三者間の堅固なプロセスを構築して必要な規範を制定しつつあり、あわせて、差別的な産業標準が世界標準となることを防止するため、各国との協議を継続する。世界最大の良質な消費財市場であり、最大規模の外国直接投資対象であり、地球規模での技術的革新の源泉でもある米国は、同盟諸国やパートナーと一致協力して挑戦を共有し平和と繁栄のための実効ある対応を強力に推進する。米国企業との協力という面では、例えば プロスパー・アフリカ計画(訳注 Prosper Africa),中南米におけるアメリカクレーセ (訳注 America Crese)、インド太平洋にあっては 開発成長促進計画(訳注 Enhanching Develpiment)などの安定的な行動の支援などを通じて国内および国外での競争力強化を図っている。