桜の宴も終わり、寂しくなりました。花の命は短くて・・・、潔く散る人生は憧れですが、まだ私は欲深く生臭いです。
お隣、近くて遠い異国に行って来ました。初体験の旅でした。あちらの女性から「チマチョゴリ」を着けて抱き付かれました。日韓は仲良くしたいと強く実感しました。
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
2024年3回目の「月いち高尾」を4月19日(金)に実施。
3月29日に予定していた花見「月いち高尾」は、ピンポイントでの雨天、それも「春の嵐」の様な悪天が予報され、早々に、中止を決定。神のお告げだったか!桜の開花が、今年は、例年より遅く、結果良しだった。 そのリベンジとして、「春の花々を探訪する山歩き」をテーマに、一般コースは、ワンダーの「牧野富太郎」こと、吉田ズン六博士(S44)の簡易スピカ―を駆使した解説付きで実施。
シニア・グループは、多くの小学生、高校生、外国人それに御多分に漏れず高齢者グループでごった返す「高尾山口」に集合。定番のケーブル利用と琵琶滝コースに分かれ、春と云うか初夏の様な気候の下での「月いち高尾」を満喫した。
1.シニア・コース
(1)参加者10名: S36/中司、遠藤、大塚、高橋、 S37/矢部、 S39/岡沢、S41/相川、 S48/福良、 S47/伊川、関谷
(2)10;15「清滝」ケーブル駅 ⇒ ① ケーブル利用 (中司、大塚、高橋、相川、福良、伊川) ②琵琶滝コース (遠藤、矢部、岡沢、関谷)⇒ 11:45 もみじ台「細田小屋」 ⇒ 12:30 4号路経由 ⇒ 14:00ケーブル「高尾山駅」下山」」
(3)琵琶滝コースでは、10~11歳の小学生のグループと、「何歳だと思う? 86だぞ」と自慢!しながら、抜きつ抜かれつ、沢沿いの草花をそれなりに鑑賞しながら登った。高尾山山頂での混雑を予想し、両グループ共に、山頂を迂回し、もみじ台の「細田小屋」で集合。「細田小屋」の名物「なめこ汁」を味わいながらの昼食。下山もピークを迂回して4号路の「つり橋」経由、木の根に躓いた某氏は、すれ違った外国人家族に助けられる一幕もあり、国際交流も図りながら、和気あいあいとケーブル駅に到着。高尾の「天狗飯店」になだれ込んだ楽しい「月いち高尾」だった。 (文責: 関谷誠)
2.一般コース(日影⇒日影林道⇒小仏城山⇒一丁平園地⇒高尾山)
(1)具体的行程 (アクセス)高尾駅北口バス停9:12⇒9:25日影バス停
日影バス停9:35⇒(日影林道)⇒11:30小仏城山(昼食)12:00⇒12:30一丁平園地⇒13:30稲荷山13:45⇒14:20高尾山口
(2)参加者19名(敬称略()内は昭和の卒年)
(39)堀川義夫 (40)武鑓宰(42)保屋野伸(43)猪俣博康(44)安田耕太郎、吉田俊六(45)徳尾和彦(46)村上裕治 (47)平井利三郎、水町敬、福本高雄(50)丸満隆司、家徳洋一、実方義宣、岡田隆喜(51)五十嵐隆、斎藤邦彦(63)斎藤伸介(BWV)大場陽子
(3)行程概要
高尾駅北口から小仏行きのバスは早い時間から50人を超える長蛇の列。集合時間が早かったので全員が問題なくバスに乗って出発する。天候は晴れ、気温20度と絶好のコンデションのなか、吉田さんの説明を聞きつつ周囲の花を探しながら歩く。歩き始めからすぐに「ニリンソウ(二輪草)」「ラショウモンカズラ(羅生門鬘)」「ヤマブキ(山吹)」「シャガ(射干)」などに出会うことが出来た。
スミレは何種類か見つけることができたがお目当ての「高尾スミレ」は花が終わっており独特の葉の形を教えてもらうことに留まった。このほか、マムシグサと総称される「コウライテンナンショウ(高麗天南星)」や清楚な「ヒトリシズカ(一人静)」なども散見された。
歩くペースの調整が難しく「花をじっくり観察するグループ」と「先を急ぐグループ」に分かれてしまい小仏城山到着に時間差が生じたため城山の頂上で昼食を摂ることとなった。帰路はわずかに残った桜を見上げながら一丁平園地を通過、紅葉台付近で解散し各々好みのルートで高尾山口まで下り「天狗飯店」に向かった。 (文責:斎藤邦彦)
<写真> https://photos.app.goo.gl/68aNcLnn5BrqLgtq8 参照
(BWVOB 冬城陽子)それとは別に、今回の自然観察で見つけた植物の写真の一部を分類
https://photos.app.goo.gl/iFZDXZWaKUjnyMz96
(46 村上)昨日は、たいへんお世話になりました。「春の小さい花見つけた」をテーマにした楽しい登山でした。
「タカオスミレの群落」を見つけ、感激です。山の新しい楽しみ方を経験し、満足いたしました。
尚、ヤマレコにデータを公開いたしました。
記録ID:6675284
名称:「月いち高尾」日影沢-小仏城山-高尾山-金毘羅尾根-高
https://www.yamareco.com/modul
(44 吉田)日影林道の植物観察実況放送の試みの機会を賜り、誠にありがとうございました。ナント、s38.…巨星のごときレガシーより「道すがら花に目を奪われ、名前など知らずとも綺麗だな、美しいと感じれば大満足だ、他にあるか?」御意!「心」そこが大切なポイントですよネ。
今日は女子大の日(注:4月20日)。 1901年(明治34年)に日本初の女子大学である日本女子大学
NHK朝ドラは「寅に翼」が話題。「虎に翼」は、中国の思想
当時女子に唯一法学の門戸を開いていた明治大学専門部女子部法科
我が法学部の担当は米津昭子教授でやはり戦後女性の殆ど居ない慶
女性の社会進出が叫ばれている、日本の国会議員の衆議院10
戦後GHQ-米国-により無理矢理押し込まれた民主主義が浸透し
西欧を憧れるのでは無く、伊藤塾長が読売新聞論壇で書かれたよう
マァ補選の結果とか自民党の今後により大きく世も変わっていくか
(編集子)いろんな ”日” があるもんだ。新聞に載っていたが、この日、4月20日の20、を ”ツー・ゼロ” と詠ませて よーつーぜろ (腰痛ゼロ)というのもあるんだそうだ。どっかの薬品メーカーか健康器具会社の発明だろうが、参ったね。
何年ぶりかの山歩きで今日は肉体的にも精神的にもとても疲れた。伊川・関谷両巨頭がシニア・コースにおられるのは「危なっかしい先輩がいる」ためであることもよく分かった。
Because it is thereを拝読。改めてMany of Congratulations!
「自分の英語力が改善したのか、とおおもとの議論に立ち返ってみるのだが、ここ数年、第一英語を使う機会などはほとんどなかったから、どう考えても結論は出ない。」の部分だけれど、
Dublin School of Englishから「英語教師資格」をもらった時の特訓と自分の体験から、集中して英語の本を読めば必ず英語力は向上」しています。Dublin School of Englishでも、「英語(に限らず外国語)を身に着けるためには英語浸けになるのが一番で、それを生徒に教えて習慣にさせなさい」ということ、また、”言語は文化だから、個々の単語やIdiomを覚えることも必要だけれど、”それは断片的な知識の英語であって文化としての英語ではないから、本当の意味をつかめない」という事だった。
折角身についた英語力を落としたくないので、私はBSTVの第二音声が英語の時は、できるだけそれを聞くようにしている。一番多く聞くのは、大谷君を始めとするMLB。MLBがoff seasonの時はWOWOWでNBA(米国バスケットボール)。テニスの4大大会は必ずみる。ルールを良く知っているスポーツなので殆ど理解できるし、分からないときは米国英語に浸っていると割り切っている。
次は映画。ただし、よほど集中していないとストーリーについていけない。
最後は、NHKの夜の地デジニュース。日本人にも分かりやすい英語だし、旬の日本語の英語も学べるからこれはこれで意義があると思っている。
(編集子)語学のことを離れても、もともと ”人の言うことを聞く” よりも、”俺の言うことを聞かせる” ことが好きだった自分の性格上、しいて言えば、リスニング能力よりもスピーキング能力の方に重きを置いてきた小生では悔しいがフミには太刀打ちできない。テレビも英語で見ることもあるが、ほぼ満足に理解できる(言語が、だ。念のため)のはドナルド・トランプのスピーチくらいだろうか。彼の経歴にはいかがわしいところも多いけれど。
ジョン・ヒューストン監督が初めて試みた唯一の西部劇であり、オ
人物の設定とその配役が多士済々。レイチェル(オードリー・ヘプバーン)がメはザカリ―姓で、長男ベン(バート・ランカ
ベンが競技で得たピア
楽の派手さはないが、所々に米国民謡やリパ
が、平和は長く続かず嫌なうわさが立ち始める。
亡霊のような男ケ
た。
深めあってきたベンとの愛はインディアンの血縁より強しとい
で、この映画の原作者がアラン・ルメイで、ジョン・フォードの「
許されざる者とは誰なのか?白人?等と考え出すと難しい問題になるので
パートナーは目の具合があってアルコールは厳禁されているし、当然一人であけられるわけはないのを承知で近くの酒屋でシャンペンを買ってきた。ジャック・ヒギンズのシリーズキャラクタ、ショーン・ディロンはこういう時には ”ノンビンテージのクルーク“ しか飲まないんだそうだし、浅海とか新弥とかはたまたミツョシに水町、なんて言うのが出てくると講釈が長くなるんだが、俺にはそういう難しい議論は不要だ。ただ、今晩はなんでもいいからシャンペンを飲まずにいられるけえ、という状態なのだ。なぜか。
もう10年も前のことだが、退職したあとの落ち着かない気分もどうやら収まったころ、ある雑誌で “1年に100冊ポケットブックを読めば英語の達人になれる” という記事を読んだ。何か一つ、チャレンジできるものはないか、という気分だったので、試しに数冊、ペンギンブックを読んでみたが、1年に100冊、とは1週に2冊、というペースだという事がわかり、これは無理だ、と観念した。そこでもう少しゆっくりしたチャレンジは、と考えたのが、”ポケットブックを10万頁読む“ という事だった。思い立ったのが2013年3月で、記念すべき第一冊に選んだのは当時売り出し中の リー・チャイルドの Killing Floor だった(少し前に公開されたトム・クルーズの アウトロー という映画の原作はチャイルドの One shot である)。それから、目的達成まで、翻訳本は一切読まない、というルールを自分に課してただひたすら、原書を読み続けた。当初は目的をいわゆる冒険小説・スリラーあるいはミステリだけに絞っていたのだが、自分が興味を持っていた社会思想に関する本とか、ヒギンズの第二次大戦秘話シリーズの背景についての参考書なんかを加えたので、その対象がひろがった。また同じころ始めたドイツ語も確かめたくなって数冊読んだのと、かかりつけ医と雑談していた時、認知症の予防に外国語を読むというのは素晴らしく効果があるという事を知ったので、目標を ”原語で10万頁読む“ に切り替えた。
その10万頁目を、今日、すなわち2024年4月15日17時30分に読み終えた。シャンペンを飲もうという背景はそういうことなのだ。自慢話になって申し訳ないが、少しばかりその過程を書かせていただく(10万頁完了までの記録はもちろんあるのだが、エクセルにして301行、文字が並ぶだけなので興味のある方があれば別途お送りする)。
リー・チャイルドにいっとき入れ込んだ後、いわば後戻りして米国のHBものに集中することにした。もちろん、”長いお別れ” はその第一号だが、この本はドイツ語訳にも挑戦してみた。さすがに筋を追うのがやっとで、清水俊二訳を読んだ時のような満足感とは程遠かった。ドイツ語訳では、ロス・マクドナルドの ”さむけ” もなんとか消化できたし、昨年にはヘッセもうんうんうなりながら数冊、読むことになった。
しかし冒険小説、といえばその原点は英国にある。アリステア・マクリーン、デズモンド・バグリー、バーナード・コーンウェル、ギャヴィン・ライアルにハモンド・イネス、ご存じジャック・ヒギンズ。その中でも大御所といえばマクリーンだが、文体は結構凝っていて苦労することも多かった。またジャック・ヒギン ズには第二次大戦秘話、ともいうべき得意分野があって(代表作がかの 鷲は舞い降りた)、それを読むうちにノルマンディ上陸作戦(D-Day) に関する興味が湧いてきた。アマゾンに発注したはいいが届いた本の厚さに驚いて読めるかどうかぐらついてしまったものもあったがなんとかフィニッシュ。別稿で、まだ1か所、どうしても行きたい処、にオマハビーチを挙げたのはこの数冊の結果でもあるのだ。
HBに戻ってからはしばらくはロス・マクドナルドに集中して、結果として、一般に刊行された小説は(多分、だが絶対的な自信はない)全巻、読んだ。アルファベットシリーズで知られたスー・グラフトンは A for Alibi から Y for Yesterday まで読み終えて Z が出るのを待っていたら、なんと著者が急逝したというニューズが入ってきたのは驚いた。何しろ残念だったのは本人だろうなあと哀惜の念で一杯である。
一時テレビでも人気のあったエド・マクベインの87分署シリーズもだいぶ読みこんだもののひとつだが、こういうシリーズで登場人物に親しみをおぼえてくるのも楽しみだ。
10年を超える時間をかけて、いわばコケの一年でやってきた(結果論として)認知症予防の挑戦は、同じ時期、自分の経験を後輩に伝えたい、という熱意をもって著作にはげんできたKWV同期の大塚文雄とお互いを意識しながらのものになった。フミに、俺の方も、9万頁を越えた、と伝えたら、(それじゃこれで上がりにしろ)と言ってフレデリック・フォーサイスのDevils’ Alternative を送ってくれた。フォーサイスは ジャッカルの日 とか オデッサ・ファイル などで知られるスパイものの大家であるが、この作品について言えば最後の1頁に出てくる、その道でいう ”犯人の意外性” は小生にとっては名作 幻の女 に匹敵する見事さであった(スガチューの意見をききたいものだが)。
フミのアドバイス通り、この本に最終ランナーをまかせ、その415頁めがチャイルドの1ページ目から数えて累計10万頁を記録した。ありがたいことだ。翻訳家とか学問にいそしむ人にとって10万頁なんてのは当たり前の数字だろうが、定年後の老人にとってはそれなりの意味というか重みはあるだろうとにんまりしているんだが。
一つの区切りがついたところで、自分の英語力が改善したのか、とおおもとの議論に立ち返ってみるのだが、ここ数年、第一英語を使う機会などはほとんどなかったから、どう考えても結論は出ない。それじゃ、なんでそんなことしたの?というといかけはあるだろう。それに対する答えはエヴェレストに命をささげたジョージ・マロリーの有名なフレーズが一番いいのかもしれない(文中 it が何を指すのか、という議論はあるようだが)。
Because it is there.
大事なことを書き忘れた。本チャレンジの開始は 2013年3月13日(読了日)、407頁。5万頁めは エド・マクベインの HARK!(累計50141頁)、終了日は2024年4月15日で累計10万83頁である。
もう一つ。おめえ、それだけ読んだんならなにがおすすめか?という質問には、マクリーンの 女王陛下のユリシーズ号(HMS ULYSSES)と ヒギンズの 廃墟の東(EAST OF DESOLATION) 、それにスティーヴ・ハミルトンの 氷の闇を越えて(A COLD DAY IN PARADISE) とお答えしておこう。もちろん、長いお別れ (LONG GOODBYE)は別にしての話だけれど。いずれも名手による翻訳があるので、初夏の緑陰、お読みになることをお勧めしたい(認知症予防効果についてはわからないが)。
4月6日の普通部同窓会は実に楽しかったです。心あたたまると
普通部というとまず思い出すの労作展です。何の芸もない小生はお
中学を卒へ七十年や花吹雪 伊藤俊昭