ジャイさん 遠藤さんを忘れていますよ! 私は、クマ夫婦とジェラ達に叱咤激励されながら佐々木大輔さんの
第二回目のスキーのない冬を過ごしています。いろいろとやること
旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
ジャイさん 遠藤さんを忘れていますよ! 私は、クマ夫婦とジェラ達に叱咤激励されながら佐々木大輔さんの
第二回目のスキーのない冬を過ごしています。いろいろとやること
昨年12月20日、日影沢で、今年のKWVニューイヤーパ
KOBUIKI(編集注:41年久米行子)が、”私はマリア・
映画「私は、マリア・カラス」はトム・ヴ
名が重すぎるの」と打ち明けると直ぐに”蝶々夫人”で
演奏会以外の場面、インタビューやプライベートな動きの中で
スの歌声が心地よく鳴り響く。なかには、澄んだ美しい声とは合致
また、カラス生涯での大きな事件としては、1958年のロ
オナシスとジャックリーヌとの結婚ののち失意の後、パゾリーニ監督
映画は巻頭での蝶々夫人のアリアから最後は日本での演奏会が、フ
2019年の初の月いち高尾は暖かな晴天に恵まれ、歩いても汗をかかない程度で何とも心地よい高尾を楽しむことができました。例によって10時に高尾登山口に集合定番の稲荷コースと楽々組は大垂水峠までバスで行きました。
日 時 2019年1月17日(木)
楽々組 船曳夫妻、小泉、平松、椎名、中川、堀川 7名
稲荷山コース 遠藤、吉牟田、高橋、翠川、中司、町井、三嶋、蔦谷、武鑓、浅野、伊川、岡沢 12名
楽々組は大弛峠までバスを利用、楽々コースの名にふさわしく、山の裾をまくコースで最後の高尾山頂上への登り以外は、ほとんど登りを感じないゆったりしたトレッキングを楽しみました。汗もかくでもなく日差しが穏やかで問題はなかったのですが、登りが少ない分距離があったためでしょうか、12時10分に頂上に着きました。
本隊は日当たりの悪い6号路(びわ滝コース)でなく 真冬の定番コース 尾根道歩きの稲荷山コースを歩きました。10時高尾山口駅発 いつもの12時に細田小屋に着くペースで歩きます。今日は本当に天気よく 途中で暑くなり 衣服の着脱のための小休止何回か 鼻かみの小休止。10時52分 東屋着 休憩11時発 頂上直下の四差路で 私含め3名は右折し1号路経由頂上へ。残り9名の元気組は 直登を選択。11時55分に頂上着。 楽々組も 以外に(失礼)早く 12時4分着でした。
細田小屋が休業だったため、久しぶりに昼食は山頂の三角点周辺で暖かな日差しの中で昼食をとり、全員で人気の少ない4号路を利用し、
みやまつり橋を経由して蛇滝への下山路へ。途中何人かはケーブル利用、1号路利用で下山しましたが、全員元気に蛇滝口バス停着。バスで高尾北口に行きこれまた定番のてんぐ飯店で打ち上げ15名が参加しました。
翠川いわく:
今日は今年初めての「月イチ高尾山」をご一緒させて頂きありがと
生憎の「この時期らしい」天候で頂上からの富士山も撮影の面から
また次回もよろしくお願いします。
1月12日、今年度のNYPが恒例通り、芝パークホテルで開催された。30年卒宮本・坪田先輩らの主宰されていたシニアワンダラーズの会とOB会公式行事とを合わせて行われるようになった新年会で、すっかり暦年行事として定着したが、今回は24年卒溝口先輩のご出席を得て、”OB会1年生”を任じる30年卒の川上君まで、年齢差は実に70歳、ありていにいえば曽祖父から孫の年代まで、合計128名(うち2名は現役)という大規模な集まりになった。
実行担当の親睦委員会メンバーや女性として初めてこの会を取り仕切ったCLの久米行子君、司会者としておなじみの54年卒石倉周一郎君、ほか多くの関係者に感謝したい。
挨拶に立たれた27年卒亀井先輩は塾評議員から引退されたことを報告され、”数多くの三田会のなかでもベストテンに入る素晴らしい会であることに自信を持て”と結ばれた。
たしかに会員数などでいえば、大企業や地方組織で我々よりも大規模な会はたくさんあるだろうが、行事への参加とか、年台を越えた ”われらケイオー” の、福沢以来の ”社中” 精神の意義がこれほど濃密な会合はあまりないだろう。今後とも、”若手” の参加が増えていくことを期待しよう。
年代別出席者人数と全体に対する割合は20年代が5名で4%、以下30年代45名35%、40年代57名44%、50年代17名37%、60年代17名で13%となった。平成年代は今回は川上君のみだったが、次回からはもっとにぎやかになるだろう。現役からは部長の中川直輝、山荘の武藤遼、両君。
このあとはスキー合宿、春の日帰りプラン、と行事が続く。活発な各位の参加があることだろう。
(亀岡自慢のキンカン)
思いもかけず、編集子小学校(大田区立赤松小学校)時代の恩師、五十嵐先生からお便りを頂戴した。プライベートなことではあるけれど、とてもほんわかとした、暖かいやりとりをしたので、先生とこれで70年近く交友している友人との往復メールを、ご了承を得て紹介する。先生力作のグレープルーツの写真そのものはまだ頂戴していないが、同好の士というか園芸フリークの方から先生へのアドバイスでも頂ければ望外の幸せである(なお、五十嵐学級のクラス会はまだつづいていて、傘寿を迎えての小学校仲間との付き合いはまた格別に感じる。先生は卒寿を越えられてなお年齢を感じさせず、まさに矍鑠、いまだに愛車を駆って元気でおられる。まさにわれわれの理想の姿というべきか)。
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(五十嵐―中司)
恭君がアメリカにいるときに、親孝行で、
(中司―五十嵐、亀岡)
メールを読ませていただき、一瞬、あっけにとられたというか、
(亀岡―五十嵐、中司)
今日 午前中は今春初めての絵の教室に出席、帰宅し昼食後PCを開いたら先生と中司さんのメ-ルのやりとり 転送で入ってました。グレ-プフル-ツ約40年で結実との事 庭いじり好きの家内に話しました。
30年前 入間の家を新築、移転した際家内の友人がすでに実が少しついたキンカンの苗木をお祝いに頂きましたがその後 木はすくすく成長しましたが実は全く付かなかったのに一昨年から急に付き始め昨年秋は大豊作!柑橘類は「バカなり」と言って忘れた頃になりだすとの事です。家内は「キンカンジャム」を沢山作ってくれました。お昼 パンに塗ってます。美味しいですよ。先生の家の「中司さんのグレ-プフル-ツ」も今年の秋からはきっと沢山 実を付けますよ。
(五十嵐―亀岡、中司)
亀岡家のキンカンは苗木から30年かかり、
40年前に亀岡君から頂いた「金木犀」は10月になると必ず「
(中司―五十嵐)
昨日、お葉書頂戴してご返事しようかと思っていたところです。
メキシコから南下してエクアドルのアンデス山中 赤道記念碑を訪れた際、
前にブログで書いた記憶がありますが、時折美術館に足を運ぶもの
安田君のフェルメール対する蘊蓄の深さには感心するというより驚
安田君
小泉さんのご友人で、映画評論家として名高い青木勝彦氏から光栄にもご感想をいただくことができ、また嬉しいことにご著書 ”私の追憶の名画” をご恵送いただくことになった。今後も折に触れてご投稿を頂くことが楽しみである。以下、小泉先輩あてメールの一部をご紹介する(身に余るおほめを頂いて嬉しいのであります!)。
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中司恭様の「ああ、エーガの日々よ、帰れ」を拝読しました。脇役
私の手持ち在庫がまだありますので住所、氏名、電話番号をお知ら
本は2年目の方が部数は少ないですが売れているようです。講演依
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この間の記事に書き忘れたことがあった。西部劇に絶対必要な悪役のなかに、かのジャック・パランス(”シェーン”でデビュー)の名前がなかった。ついでにつけくわえればアーネスト・ボーグナインなんてえのもいたっけ。