11月27日付読売新聞朝刊に 米新政権の考察、という記事が載った。日本でも有名なハーバード大学サンデル教授とのインタビューで,記者はトランプ大統領がコロナ対策に多くの点で失敗したにもかかわらず7000万人を超える米国人が彼に投票したのはなぜか、民主党は勝利に慢心せず自問自答すべきだ、と訴える。
米国は能力主義を勝ち抜いた”勝ち組”が傲慢になり、置き去りにされた人々に優しさを示さない社会になってきたようだ。労働者階級の人たちは伝統的に民主党を支持してきたが、1990-2000年代前半、共和党に支持を変え始めた。グローバル化で生じた社会の不平等に、民主党が効果的に対応できなかったからではないか。民主党はトランプ氏を排除したことで自らの政策やメッセージを見直す必要はないと結論するかもしれないがそれは誤りだ。バイデン氏が大統領になっても、行き過ぎた能力主義が生み出した格差と深い溝はなくならないのではないか、というのが記者の観察である。以下、サンデル教授の発言を要約する。
1.ハーバードでの授業で、多くの学生が自分の成功は自らの努力の結果だ、と思い込んでいることに気づいた。ハーバードはたしかに狭き門だが、そこに入学できたのは、自分の実力だけではない。家庭や周辺の人や家庭教師などの支援があったこそなのだ。アイビーリーグの学生の三分の二は米国の上位20%の収入の過程出身だ。米国社会は学歴による分断を深めている。大統領も父ブッシュ以降、アイビーリーグ出身者が続いてきたが、バイデンは違う。中流家庭出身の大統領として問題の是正に力を尽くすかもしれない。
2.ここ数十年、米社会の大学卒エリートは、自らの成功を当然視する傾向が強まった。一方、高卒以下の米国人は、自分の仕事が尊重されず、見下されている、という感覚を募らせた。 ”大学教育を受ければ成功できる” という能力主義のメッセンジャーは、大学に行かない労働者には侮辱的ですらあった。そこで生じた怒りや憤りがポピュリズム的動きにつながり、4年前にトランプを当選させ、今回も底堅さをみせたのではないか。
3.”勝ち組” が、恵まれた環境、家族、地域社会の重要性を認識し、謙虚さを持つこと、仕事が生計を立てるだけでなく、尊厳や名誉にもつながる側面にもっと焦点を当てるべきだ。病院スタッフ、食料品店の店員、トラック運転手、保育士などはいずれも高給取りではないが、われわれは彼らに深く依存している。新型コロナウイルスの流行はそれを気づかせてくれた。彼らの仕事に尊厳と重要性にみあう賃金を与え、社会的評価を高める議論が必要だ。
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自分は全くの偶然から米国企業でサラリーマン生活を送った。今の企業社会では想像もしにくいような、理想的な環境でその大半をすごした。”その大半” といった意味は、そうではなかった(なくなってしまった)時間もあった、ということであり、それを作り出した遠因は、教授が指摘する点にあり、それを作り出したのがいわゆるグローバリゼーションだったと思っている。
ヒューレットパッカードの二人の創業者は、”地球上どこへ行っても電流は同じ方向に流れる” という疑いのない事実に基づいて、社業を欧州、アジアへと推し進めていったが、その在り方を グローバル、という言葉は使わず、ワールドワイド、という形容詞を使って定義した。つまり、米国企業が違う世界に進出する、というわかりやすい定義だったから、現地、たとえば日本でも、あくまでHP社が外国企業であることに誰も疑問は持たなかった。違いがあってもそれは外国資本なのだから当然のことだったのだ。
グローバリゼーション、という言葉が使われ始めたころ、中級管理職の仲間に入っていた僕はその意味を難しく考えてみることもなく、それほどの違和感も持たなかった。その難しさ、思い切って言えばうさんくささに気が付き、当惑しはじめたのは役員にしてもらって混乱期にあった人事制度の改革を担当するようになり、米国以外の国々、特にアジア諸国との交流が深化しはじめてからだった。
グローバリゼーションの理想として人的資源をひろく世界にもとめようとする考え方は結構なのだが、国々の文化や伝統やしがらみなどを考えると、どうしても誰にでも理解できる、数値的指標が必要になってくる。物理的に測定できるものならいいが、人間の素質とか知的能力を図るとなれば、どうしても学歴の高い人が有利になるのは必然だ。多民族国家米国はいままで人種、宗教による壁をなくそうと努力してきたし、まだまだ限定的とはいえ効果を上げてきた。しかしこの学歴差、という壁をどうやって越えるのか、その遠因がグローバリゼーションにあるとにあるとなれば、ある意味では自己否定にもつながりかねないし、差別を感じている人たちの感情に訴えるポピュリズム政治(トランピズムがまさにそうか?)がますます力を持つだろう。聞こえの良いスローガンに惑わされることなく、日本人の高い倫理観、社会観に基づいた世界観があらためて評価されるべき時代なのかもしれない。