米国の格差問題について

11月27日付読売新聞朝刊に 米新政権の考察、という記事が載った。日本でも有名なハーバード大学サンデル教授とのインタビューで,記者はトランプ大統領がコロナ対策に多くの点で失敗したにもかかわらず7000万人を超える米国人が彼に投票したのはなぜか、民主党は勝利に慢心せず自問自答すべきだ、と訴える。

米国は能力主義を勝ち抜いた”勝ち組”が傲慢になり、置き去りにされた人々に優しさを示さない社会になってきたようだ。労働者階級の人たちは伝統的に民主党を支持してきたが、1990-2000年代前半、共和党に支持を変え始めた。グローバル化で生じた社会の不平等に、民主党が効果的に対応できなかったからではないか。民主党はトランプ氏を排除したことで自らの政策やメッセージを見直す必要はないと結論するかもしれないがそれは誤りだ。バイデン氏が大統領になっても、行き過ぎた能力主義が生み出した格差と深い溝はなくならないのではないか、というのが記者の観察である。以下、サンデル教授の発言を要約する。

1.ハーバードでの授業で、多くの学生が自分の成功は自らの努力の結果だ、と思い込んでいることに気づいた。ハーバードはたしかに狭き門だが、そこに入学できたのは、自分の実力だけではない。家庭や周辺の人や家庭教師などの支援があったこそなのだ。アイビーリーグの学生の三分の二は米国の上位20%の収入の過程出身だ。米国社会は学歴による分断を深めている。大統領も父ブッシュ以降、アイビーリーグ出身者が続いてきたが、バイデンは違う。中流家庭出身の大統領として問題の是正に力を尽くすかもしれない。

2.ここ数十年、米社会の大学卒エリートは、自らの成功を当然視する傾向が強まった。一方、高卒以下の米国人は、自分の仕事が尊重されず、見下されている、という感覚を募らせた。 ”大学教育を受ければ成功できる” という能力主義のメッセンジャーは、大学に行かない労働者には侮辱的ですらあった。そこで生じた怒りや憤りがポピュリズム的動きにつながり、4年前にトランプを当選させ、今回も底堅さをみせたのではないか。

3.”勝ち組” が、恵まれた環境、家族、地域社会の重要性を認識し、謙虚さを持つこと、仕事が生計を立てるだけでなく、尊厳や名誉にもつながる側面にもっと焦点を当てるべきだ。病院スタッフ、食料品店の店員、トラック運転手、保育士などはいずれも高給取りではないが、われわれは彼らに深く依存している。新型コロナウイルスの流行はそれを気づかせてくれた。彼らの仕事に尊厳と重要性にみあう賃金を与え、社会的評価を高める議論が必要だ。

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自分は全くの偶然から米国企業でサラリーマン生活を送った。今の企業社会では想像もしにくいような、理想的な環境でその大半をすごした。”その大半” といった意味は、そうではなかった(なくなってしまった)時間もあった、ということであり、それを作り出した遠因は、教授が指摘する点にあり、それを作り出したのがいわゆるグローバリゼーションだったと思っている。

ヒューレットパッカードの二人の創業者は、”地球上どこへ行っても電流は同じ方向に流れる” という疑いのない事実に基づいて、社業を欧州、アジアへと推し進めていったが、その在り方を グローバル、という言葉は使わず、ワールドワイド、という形容詞を使って定義した。つまり、米国企業が違う世界に進出する、というわかりやすい定義だったから、現地、たとえば日本でも、あくまでHP社が外国企業であることに誰も疑問は持たなかった。違いがあってもそれは外国資本なのだから当然のことだったのだ。

グローバリゼーション、という言葉が使われ始めたころ、中級管理職の仲間に入っていた僕はその意味を難しく考えてみることもなく、それほどの違和感も持たなかった。その難しさ、思い切って言えばうさんくささに気が付き、当惑しはじめたのは役員にしてもらって混乱期にあった人事制度の改革を担当するようになり、米国以外の国々、特にアジア諸国との交流が深化しはじめてからだった。

グローバリゼーションの理想として人的資源をひろく世界にもとめようとする考え方は結構なのだが、国々の文化や伝統やしがらみなどを考えると、どうしても誰にでも理解できる、数値的指標が必要になってくる。物理的に測定できるものならいいが、人間の素質とか知的能力を図るとなれば、どうしても学歴の高い人が有利になるのは必然だ。多民族国家米国はいままで人種、宗教による壁をなくそうと努力してきたし、まだまだ限定的とはいえ効果を上げてきた。しかしこの学歴差、という壁をどうやって越えるのか、その遠因がグローバリゼーションにあるとにあるとなれば、ある意味では自己否定にもつながりかねないし、差別を感じている人たちの感情に訴えるポピュリズム政治(トランピズムがまさにそうか?)がますます力を持つだろう。聞こえの良いスローガンに惑わされることなく、日本人の高い倫理観、社会観に基づいた世界観があらためて評価されるべき時代なのかもしれない。

 

 

 

 

歌詞のこと、追加 – さらなる情報、歓迎

(徳生)

ここまできたらもう一つ知りたい。 さすが浅野君、原曲はわかりました。でもあの素晴らしい和訳はいったいだれがやってくれたのでしょう?

(浅野)

その日本語歌詞(和訳ではないような?)は幾ら調べても不明です
アメリカ民謡としか出てこない・・・歌詞(正確には歌手によって違うようです
が)を添付します。この英語から下記のような日本語の歌詞にするなんて
天才としか思えないのですが・・・?
またしても余談ですが、ガールスカウトやYWCA(ボーイスカウト&YMCAでは不明)では下記の「我が寂しき山小屋」として手振りを含め頻繁に歌われているようです。

古びしわが山の小屋
みすぼらしくとも こころやすけく
ひごとのかては まずしく
ふしどをめぐりて ねずみたわむる
古びしわが山の小屋

まるきのはしらに ガラスなきまど
やねよりもれくるふぶき
こうやをさまよう うえしおおかみ
古びしわが山の小屋

我が寂しき山小屋

https://www.youtube.com/watch?v=IOvNeo-M124

山小屋に一人住む 寂しさよ
やつれ果てし 我が姿
鼠の行き来するよ あのふし戸
我が寂しき山小屋よ
ガラス無き窓 ただひとつあり
隙間漏れ来る北風
野獣の足音さえ聞こえ来る
我が寂しき山小屋よ

山の麓 我が牧場の小屋は
いつも楽しい声がする
牛も馬も我に慕いよれば
寂しなど消えていく
大空には雲影湧き出でて
丘にはカモシカの声
森の梢小鳥の声しげき
君よ来たれ山小屋へ

(編集子)浅野夫人はガールスカウトでご活躍を続けておられます。 寂しき山小屋、よりKWV定番のほうがなんとなくあかるくっていいかなあ。

“古びしわが山の小屋” の原曲はこれです (44 浅野三郎)

”西部魂“を観てないし聞いていないので何とも言えないのですが・・・
「古びしわが山の小屋」の原曲は”Little Old Sod Shanty on My Claim”
または” Little Old Sod Shanty”のようです。1880年頃の曲。

エーガ愛好会(31) 西部魂

(中司)トウムストーン に続いて、ついに(!)テンケーテキ 西部劇エーガ、かの 西部魂 であります。難しい議論なし、悪役は悪役、勧善懲悪、神業的ガンプレイ、あえて”B級“と接頭詞が付く西部劇スター、ランドルフ・スコットであります。ただみればいいんであります。芸術的解釈不要であります。こういう映画を作っていた時代のアメリカ、よかったよなあ。

(小泉) 懐かしき西部劇「西部魂」の初見は、中学時代だったと思う。当時米軍占領下だったから?自国ではテクニカラーで制作されながら、日本封切りはモノクロだった。同様なケースに、「モホークの太鼓1939」「地獄のへの道1939」「スイングの女王1948」等があった。こんな理不尽なことがあったのだった。

ドイツの巨匠フリッツ・ラングの監督、ランドルフ・スコット主演。NHKBSの映画、最近再放映が多いが、この映画の放映初めてでは?数年前か?有料のスターチャンネルが無料放映した際、観た記憶があり、それがカラーでの最初だった。フリッツ・ラング最初の西部劇は「地獄への逆襲1940」で、弟ジェシー・ジェームスを殺された兄フランク・ジェームスが復讐を遂げるという、いわばお仕着せで、腕の見せ場がなかった感があるが、この映画では、ドイツでの名声を垣間みることが出来たし、もう一作の「無頼の谷1952」も同様。

原名ウエスタンユニオンは電信会社。電信をつなぐため西部で働く男たちの話。ランドルフ・スコットは、怪しい過去を持つ男だが、電信会社の技師長ディーン・ジャガーの命を救ったのが縁で、専属ガイドになる。其処へハーバード出身の東部男ロバート・ヤングが電信技師としてやってきて、技師長の妹ヴァージニア・ギルモアをめぐって恋の鞘当てを演じることになる。電信工事の建設現場は種々の困難に遭遇するが、先住民の工事妨害は善良な無知丸出しに終始、これに対し,元仲間のスコットの兄バートン・マクレーン等の無法者たちは、先住民に成りすましたりして建設隊を襲い、キャンプに火を放つ等やりたい放題。窮地に立ったスコットは、汚名をはらすべく兄たちのところへ行き談判するも射ち合いになり、スコットは兄の部下二人を倒すも兄に撃たれ死んでしまう。兄を殺したのは、スコットを追ってきたヤング。

このスコットの死、西部劇のヒーローらしくない。ドイツ人監督フリッツ・ラングは、ドイツ芸術ジーグフリードの悲劇性である死すべきヒーローとだぶらせたらしい。背中に致命的弱点を持ったジーグ・フリードに対し、スコットも火事等で右手に火傷を負っていたのだ。スコットは、西部劇のヒーローを何回も演じ、特に正義と法律を遵守する保安官役がぴったりだった。それでも、この映画のように共演の主役を持ち上げる役回りにも徹しられる好感を持てる俳優だった。例:「スポーイラース1946」のジョン・ウエイン、「ヴァージニアの血闘1940のエロール・フリン、「昼下りの決闘1962」のジョエル・マックリー。

(小川)“古びし我が山の小屋“の原曲がここにあったとは、懐かしい限りです。

(35 森永正幹)私も観ました、ランドルフ スコットは大好きな西部劇俳優だったので。先住民族アメリカインデイアンの扱い方も今ではとても考えられない映画でしたな。
保安官が勤務中にバーボンをぐい飲みしたりポーカーで勝ったり隠れトランプの人達には抵抗感が全くない場面が100年と経たない昔だったのです、ポリテイカルコレクトネスなんて糞くらえ!が7千万越えの得票の裏に有るのでしょう。

(中司ー44 浅野三郎)”エーガ愛好会” で先週BS3チャネルで放映のあった 西部魂 を話題にしています。ストーリーはWestern Unionが西部に電信線を延ばしていく、その途中で例の通りいいやつ、わるいやつが入り乱れる典型的な話なのですが、途中で先住民族(めんどくさいなあ)に電信の威力を示すため、何人かに電線を持たせ、感電させる場面があります。その前に地面に水を撒いてその上に立たせる。触っている連中は大声をあげて騒ぎますがなかなか手が離せなくなって、魔力がある、と思い込むわけです。そこで、疑問。この時期の電信で、電源はどのくらいのものを、何を使ってたんだろうか? 画面には何やら操作盤みたいのものとか、おおげさなスイッチなんか出てきますし、バッテリーらしいものも登場しますが、まだこの時期、交流発電の恩恵はすくなくとも西部の辺境にはなかったはずだよね

(浅野)日本に電信機を伝えたのは1854年のペリー2度目の来日時、同時に電池やケーブル等々も幕府に献上しているので、ダニエル電池を使用した印字式の機器だったようです。米国大陸横断電信システムが開通したのが1861年10月だそうで、「西部魂」が何年代なのか不明ですが、多分電池式だったと思われます。従って、12V~50Vと思われますが?車に使用する24Vでも電流が多ければ人を十分に致死させることができるようですヨ。
(吉田広明 西部劇論 付属年表抜粋 プラス浅野記事参照)
  1789 アメリカ合衆国建国
  1822 サンタフェトレイル開通
  1836 メキシコ領テキサス、独立を宣言 (映画 ァラモ)
  1854 ペルリ提督訪日
  1855 西部辺境警護のため騎兵隊創設
  1860 南北戦争勃発
  1861 ネブラスカ州オマハーユタ準州オグデン間電信敷設  
       (映画 西部魂)
  1865 南北戦争終結
  1867 チザムトレイル開通 (映画 赤い河)
  1869 大陸横断鉄道開通 (映画 大平原)
  1876 カスター将軍の第七騎兵隊、リトル・ビッグ・ホーン
       で全滅 (映画 壮烈第七騎兵隊 小さな巨人)
  1881 トウムストーンでワイアット・アープ、クラントン
       一家と決闘事件 (映画 荒野の決闘 OK牧場の決闘
       トウムストーン 墓石と決闘
  1882 リンゴー・キッド死亡確認 (映画 駅馬車)
(ウイキペディア解説)

ジョン・フレデリック・ダニエル1836年に発明した電池のことで、起電力1.1Vの化学一次電池である。ァレッサンドロ・ボルタ1800年頃発明したボルタ電池はすぐに起電力がなくなる欠点があった。ダニエル電池は素焼きの容器で電解液を分離しプラス側に硫酸銅溶液、マイナス側に硫酸亜鉛溶液を用いることによって起電力の変化が少なく、気体も発生しない実用性が向上した電池となった。

(編集子)小川さんがいわれているように、このフィルムのバックに流れるのがKWVの定番、古びしわが山の小屋 の原曲である。編集子不勉強でこの原曲のタイトルを知らない。ご存じの方、教えてください!

米国大統領選挙の行方と次期大統領の今後の政策 (HPOB 五十嵐恵美)

 「大統領選挙の結果は依然不透明な部分があるという報道ですが、不正があったという報道はトランプ側のいわば捏造なのか、真実なのか、そのあたりまでは日本ではあまり伝えられてきません.考えてみればこれは他国の内政問題であり、真偽のほどがわからない情報はせいぜい週刊誌どまりのほうが健全だとは思うのですが、民主の地盤のSFあたりの現在の動向など、教えていただけませんか.」という依頼を編集者より頂いた.米国でも選挙に不正はつきもので様々な報道がされているがその不正を証明する「確定的な証拠がない」というのが現状のようである.不正が捏造か、真実かの議論はさておき、次期大統領の(どちらが就任するにしても)今後の政策に関して、英国紙ガーディアン、米国紙WSJに近日掲載された記事を参考に、思いつくことをまとめてみた.

英国紙ガーディアン(11月18日付)は米国大統領選の結果の統計、推移、および ”Why does it matter?”と称して米国各州の選挙結果のアナリシスを掲載している.早見表、記事共に大変に良くまとまっているので是非ご一読を勧める(下記URL).ガーディアン紙の論評は「トランプ大統領が提起している多州に及ぶ控訴目的は、現実的に考えて、実際に選挙結果を覆すことではなく、不確実性を生み出し、集計プロセスを取り下げ(合衆国最高裁判所に上訴する)ことであるように思われる.但し、集計が進行中であっても(その可能性は低いが、合衆国最高裁判所に上訴できたとしても)、合衆国憲法で大統領と副大統領の任期は1月20日の正午に終了するとされているので、もしその時点で最終結果が得られない場合は、下院議長(本日、11月18日、民主党下院議員により4期目の下院議長を承認されたナンシー ペローシ カリフオルニア州民主党下院議員)が大統領代行になる」と結んでいる.

https://www.theguardian.com/us-news/ng-interactive/2020/nov/18/us-election-results-2020-joe-biden-defeats-donald-trump-to-win-presidency

https://www.theguardian.com/us-news/2020/nov/18/can-donald-trump-stay-in-office-second-term-president-coup

 

次期大統領成功の秘訣

11月17日付のWSJに今後バイデン次期大統領が成功するには「クリントン大統領の例に従い、経済から始まる超党派の協力の分野を見つけていくこと...トランプ経済は非常に強かった為、オバマ大統領は退任してから3年後にその功績を認めた.依って、バイデン次期大統領も超党派性の協力できる分野に力を入れれば、より考え抜かれた貿易政策と不法移民政策により、経済をさらに強くすることができるはずだ.経済が楽観的な予測よりもはるかに速く回復し、Covid-19ワクチンが間もなく入手可能になれば、超党派によるV字型の回復の可能性はある.」と述べている. 

今回、共和党と民主党は非常に異なるプラットフォーム、独自の議題(アジェンダ)を持って大統領選挙キャンペーンを行った.分割された政府を選出することにより、ある意味では米国民は夫々が望むアジェンダを手に入れたようにみえる.

言い換えると、「有権者はトランプ大統領の一見混乱し、無秩序で、その上、粗暴な(政治家には望まれない)スタイルを嫌悪、拒否し、彼の経済政策を支持した.

バイデン次期大統領が就任したとしても、有権者は下院(House)の民主党議員を(Democrats)8名を減らすことによって、サンダース候補者によって代表された、根本的な ”社会主義的” 志向、変革にストップをかけた.民主党が今回のキャンペーンに記録的な8億900万ドルを費やしたにもかかわらず、共和党(Republicans)はジョージア州の1月初旬に設定された2回の決戦投票で少なくとも1回勝利すれば、上院(Senate)の支配権を維持する.上院と下院の支持がなければ、主要な政策を制定する大統領の能力は厳しく制限される.

依って、バイデン次期大統領の公約した、

  1. 4兆ドルの新税
  2. グリーン ニューディール(気候変動と経済的不平等の対処を目的とした米国の法律)
  3. 65歳未満の人々へのメディケアー(合衆国高齢者医療制度)の開放
  4. 法廷の詰め込み(最高裁判事の定員を増やしてリベラル派を送り込むCourt Packing)
  5. プエルトリコとコロンビア特別区を州として認め、政府を拡大し左派議題を実施する

等々、の政策は、上院、下院で承認されるのが大変に困難になる可能性は高い.

「バイデン次期大統領は過激ではなくリベラルの中道にいる.上院での36年間の経験は、立法に対する永続的な支援は超党派性によってのみもたらされることを的確に認識しているはずだ.その彼の本質に任せれば、バイデン次期大統領は共和党と交渉できるはずだ.230年以上にわたって私たちを支えてきた(民主主義の)知恵を、アメリカの有権者達は(新大統領を選択することによって)新大統領が、今後、交渉を重ね、(国のために)正しい選択をすることを容易にしたのではないか.」とWSJは結んでいる.

https://www.wsj.com/articles/clintons-example-for-biden-11605636370?mod=hp_opin_pos_1

選挙当日、11月3日、共和党をサポートする南部に住む友人が「今日は選挙の日です.私の希望は、誰もが選挙の結果を優雅に受け入れ、より大きな利益のために前進し、協力することを学ぶことができるようになることです.」とのメッセージを送ってきた.結論としては、米国のプラグマティズムは米国一般国民の心に健在ということになるのか.

紅葉をたずねて  (36 翠川幹夫)

昨日、朝霞市の平林寺で紅葉を観て来ました。
毎年のように観に行きますが今年は何かボンヤリと枯れたようで、輝くような赤にはなっていませんでした。

(編集子)例年の豪華な紅葉を楽しみに小淵沢から清里へ回ってみたが、まったく期待外れだった。思うに温度が高いまま紅葉に至らずだったのではないか。深い秋を訪ねたつもりだったが、落ち葉に埋もれた山道へ入ってみると、かの

からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。

の風情だった(残念だが詩情あふれる落葉松ではなかったが)。今年はなにしろ、季節までどうかしているようだ。

エーガ愛好会(30) トウムストーン

”荒野の決闘“ の静かさの後、同じ題材でこんなに違うフィルムになるのか、という見本のような作品だ。”OK牧場の決闘” をはじめいくつかの映画になり、史実としても残っているOKコラル(馬囲い)での撃ち合いも当然出てくるのだが、ここでは “荒野” の時のように中心になるテーマではない。

今回、吹替版だったのでがっかりしたが、逆にいいこともあって、初頭のシーンで人物に合わせて俳優名がスーパーインポーズされて出てきた。そのおかげで実にハリイ・ケリー・ジュニアが端役ではあるが出ていたことを(今回2度目の鑑賞だった)知った。あわててよく見直したが、騎兵隊三部作なんかにでてきた、あの顔つきからは想像もできなかったのは、やはり年月のなせる業だろうか。もうひとつ、サロンで歌い手が出てくるシーンもよくあるが、大抵はすぐ画面が変わってしまい、最後まで聞くことはまずない。ところがこの作品では歌手が珍しくも全曲歌い終わるまで出てきて、それが実に小生の愛唱歌ナンバーワンの Red River Valley だった。これも第一回に見たときには記憶になかった。感激。

オープニングの解説(ロバート・ミッチャムだったそうだ)で、当時西部には悪漢の集団、いわば現代のギャング団のはしりみたいなものがあった、とあり、それとの対決がむしろメインになった、いわば典型的ウエスターン仕立てになっている。OKコラルの話も当然だが、アープ一家が闇討ちにあったりするのも事実で、かなり史実に忠実に作られているということである。

”トップガン” でのヴァル・キルマー

再度見てみると、これはドク・ホリディを演じたヴァル・キルマーが主演、という映画であり、ワイアット・アープはむしろ助演という感じであったし、”荒野“ ではOKコラルで殺されてしまうジョニー・リンゴとの対決(アープはリンゴには勝てない、と知っていたホリディがアープに黙って替え玉で、という筋書き)は迫力があった。そのあとの、史実にはあるということだが、悪玉集団の掃討シークエンスは余計だった。OKコラルのシーンもリンゴとの対決もそのほかのガンプレイシーンは名手の神業みたいな射撃なんかではなく、近距離からとにかく撃ち合う、という泥臭い演出だが、現実の拳銃の撃ち合いでは、数メートルくらいにならないと的には当たらないらしいので、このほうが事実なのだろう。

肺病やみのホリディはコロラドの療養所で病死するのだが、”OK牧場“ ではそのホリディ(カーク・ダグラス)をアープ(バート・ランカスター)が最後に訪れる。同じストーリイが今回も挿入されている。これが ”OK牧場”では単なる逸話にすぎない印象だったが、このシーンもキルマーの残す余韻がよかった。

またマイケル・ビーンが演じたリンゴ・キッド、あるいはジョニー・リンゴも実在の人物であることは9月2日付エーガ愛好会(17)で触れておいた。しかしこの役のはまり役は “OK牧場の決闘” のジョン・アイアランドだというのが僕の主張である。

アメリカ合衆国の分断と世界 (S33小川義視さんのご投稿に関連して)  (44 安田耕太郎)

南北戦争当時1860年代初頭のアメリカは、奴隷制に基づく農業に立脚した経済基盤のアメリカ連合国・11州(南軍)と、奴隷制を必要としない工業に立脚した経済基盤のアメリカ合衆国23州(北軍)に分断されていた。アメリカ国内のいわゆる南北問題が南北戦争であった。北軍の勝利によって、南軍・アメリカ連合国は消滅し、合衆国に吸収されたのが156年前だ。

爾来、分断の有り様が変化したのが今日の現実だ。経済格差による分断、都市居住者と地方・田舎・郊外居住者による分断、宗教による分断、人種による分断、享受した教育による分断、党派による分断、ホワイトカラーとブルーカラーによる分断など、分断を生じさせる要因が複層的に交錯して複雑な分断の様相を呈している。一枚岩で国を運営することなどとても無理だと思われる。

近世以降の世界覇権の推移を観ると、アングロサクソン勢 (イギリスに20世紀以降はアメリカが加わる) に対する他勢力の挑戦という形で歴史上現れている。全てアングロサクソン勢が勝利している。挑戦した勢力は、16世紀後半の中南米植民地から富を得て無敵艦隊を擁したスペイン、19世紀初頭のフランス・ナポレオン帝政、20世紀の第一次・二次世界大戦に於けるドイツ、さらに日本・イタリア、第二次世界大戦後冷戦で覇を狙ったソ連。現在では、アングロ・サクソン勢にカナダ・オーストラリア・ニュージーランドが加わっている。

そして現在21世紀に入ってからは中国が覇権を争うかの様相を呈している。専制独裁政権の迅速な意思決定と強権に基づく国力の統合集中運用という特長を最大限に活かすであろう中国に対して、民主主義の弱点とも指摘される意思決定の緩慢さ・国論の分散分断を克服して難局に対応せざるを得ないアメリカの今後は大いに気になる。

国力は軍事力、経済力、技術力、教育力などの総和によって推し量られるであろうが、最も重要な「力」の源泉の一つは、世界で尊敬を勝ち取るべき理念のソフトパワーであろう。文化発信力をも加えた自由、公正、公平、平等、民主的価値観の理想と理念と言い換えても良いだろう。これを持ち得ない国が力尽くで覇を唱えることは不可能だし、覇権を狙っても困るし、絶対に阻止せねばならない。

こういった点で、アメリカの利己的な「America First」では困るのである。ソフトパワーの見えない「尊敬を勝ち取っている」という武器に基づき、ハードパワーにも物を言わせて世界の発展、秩序維持に引き続き平和的に貢献してもらわねばならない。大統領選挙で鮮明になった国の分断、国民の分断という難局を乗り越えて、アングロサクソンの盟主として、民主主義国家の代表として全体主義的覇権国家に対峙し、これを抑え込んでもらう使命があると思っている。
巨大な14億の人口を擁し、孔子・孟子・孫子・韓非子など世界に冠たる思想家をも輩出している中国は、これまでの挑戦者とは別格の強さがあると覚悟する必要があろう。

アメリカよ、バイデンよ、しっかりしろ、と言いたい。

トラディショナル世代から見た大統領選挙   (33 小川義視)

小生は政治学科に在籍し、1957・58年三田で当時萌芽し始めたマスコミュニケーションに興味を持ち、生田先生の「マスコミュケーション論」のゼミに入り、ナチスによる「プロパガンダ」をテーマにした卒論を提出しました。そこでこのブログに「マスメディア」を中心とした視点から今回の大統領選挙についてコメントしてみたいと思います。

先ず世代によるマスメディアの変遷をみますと、「大本営発表、本日…」を知っている我々トラディショナルな80代世代は「新聞」「ラジオ」というメディアで育ちました。続く戦後派と言われたベビーブーマー世代は「新聞」「地上波テレビ」というメディアで育ち、現在最も第一線で活躍しているMTV,ミレニアル世代には「地上波テレビ」に「ケーブルテレビ」「携帯電話」が加わりました。2000年以降に誕生したジェネレーションZ世代は携帯電話を中心にした「SNS」で育ってきております。もはや現代は新聞読まずSNS中心に情報収集するといった時代になってきております。SNSにはTwitterやYouTubeなどがあり、これらは匿名性から気楽に個人が情報を発信できる特徴もあります。従ってフェイクなニュースが氾濫する結果となり、いずれが真実の情報かどうか判断に苦しむ状態になっております。(直近の情報ですとTwitter、Facebookのトップが議会から情報管制の件で追及を受けているようですが・・・)

そこで今回の大統領選挙を見ますと、トランプ大統領は前回の政権奪取と同時にTwitterを駆使し世界中に自らの所信を発信し、テレビはケーブルテレビのFOXを自陣営に取り込み偏った記者会見を行うという姿は皆さんもお馴染みだと思います。フェイクなニュースの氾濫している中で自分に都合の良い情報だけを最大限に利用して世論を捏造しトランプのあの強烈な個性と相俟って、かって経験したことのない混乱した状態に陥れているのが現状だと思います。また今回の投票率の増加についてもSNSの中で行き交う情報戦に興味を抱き一票を投じた人もあったのではないかと思います。

国営放送を持つイギリス、日本などと違って保守の共和党・リベラルの民主党という二大政党制のアメリカでは、メディアが新聞だけの時代から共和か民主か夫々を支持する新聞社を利用して政策を訴え世論を醸成してきました。それがニューヨークタイムスでありワシントンポスト、ウオールストリートジャーナルでした。これらの今まで広告収入だけに頼ってきたメディアがSNSの出現によって大きく影響を受け、大衆からの匿名の偏向した情報をトランプがうまく利用し選挙民を扇動した結果がこの混乱した選挙戦になったと小生は思っております。

大統領指名の1月までまだ予断を許さないような報道も流れており、これらの混乱によって世界最大の国家アメリカが完全に分断された状態になっております。宗教による分断、人種による分断、経済格差による分断など世界でも非常に混迷した現代にあって、世界最大の国家の世論が完全に分断した状態になっていては、国家が情報を管理する中国などと対等に対峙することは到底困難だと思われます。民主国家を標榜してきたアメリカ合衆国がまともな国家になることを死語となった戦中派は願って止みません。

 

 

エーガ愛好会(29) 昼下がりの情事 

(42 保屋野)

「昼下がりの情事」初めて観ました。ゲーリークーパー、初見参ですね。ちょっと年食ってますが・・・

タイトルは例によって、ちょっと違和感がありますが、この映画はやはり、ロマンチックコメディーの傑作といって良いのでは。ヘプバーンとクーパー、はもちろん、脇役のモーリス・シュバリエとの競演は、ユーモアたっぷりのセリフを含めて大いに楽しめました。そして、4人の雇われ楽団が演奏する、テーマ曲「魅惑のワルツ」も(ちょっと、しつこかったけど)この映画の主役の一つでしょう。

ただ、大富豪のプレイボーイという役は、ケーリー・グラントとユル・ブリンナーに断られた経緯があったようですが、確かに、クーパーより、私は、ブリンナーの方が適役だったような気がします。

さて、ビリー・ワイルダーという監督は、この映画を始め、、ヘプバーン(麗しのサブリナ)シャーリー・マクレーン(アパートの鍵貸します)マリリン・モンロー(7年目の浮気・お熱いのがお好き)等キュート美人が好きだったようですが、確かに、お得意のロマンティックコメディーにバーグマンみたいな正統派美人は似合いませんね。最後に、ネットでは、ラストシーンに賛否両論があるようですが、私は「列車に乗らないで別れる」方に1票を投じます?

(44 安田)

探偵役のモーリス・シュバリエがヴァンドーム広場の真ん中の、ナポレオンがアウステルリッツ戦勝記念に建てさせた円柱の上からリッツ・ホテルの部屋を双眼鏡で覗き見するシーンから映画は始まる。円柱の頂きにはナポレオン像、円柱には戦争のレリーフが彫られている。映画舞台のゲーリー・クーパーの部屋から窓越しに円柱が常に見えている。映画の舞台は花の都パリの中心の一等地だと訴えているかのよう。このリッツホテルのシーンを見ると思い出すのは、この映画からちょうど40年後の1997年8月、ホテルに宿泊後パパラッチに追っかけられセーヌ河右岸沿いの道路で交通事故で亡くなったダイアナ妃の悲劇だ。妃が出入りした映画と同じ玄関前の光景を思い出す。

舞台となったリッツホテルは、オードリー・ヘップバーンがピーター・オトウールと共演した「おしゃれ泥棒」の舞台にもなり、ココ・シャネルやヘミングウェイが定宿にした欧米人であれば知らぬ人がいない程のパリでは3指に入る高級ホテル。映画の格付けも重要視したのであろう。

映画当時ヘップバーンは28歳、「ローマの休日」でグレゴリー・ペック、「麗しのサブリナ」ではハンフリー・ボガート+ウイリアム・ホールデン、「パリの恋人たち」ではフレッド・アステアと共演、彼女の映画キャリアの最盛期にあたる作品かと思う。服飾デザイナー・ジバンシーの専属となり映画でも洗練された服装が目立っていた(貼付写真参照)。相手役ゲーリー・クーパーは水も滴る男の中の男。彼は当時56歳、死の4年前の作品。「モロッコ」「ヨーク軍曹」「打撃王」「誰が為に鐘は鳴る」のクーパーを知る人にとってはその老いは隠せず、言い分があるファンがいてもおかしくはない。ただし、ヘップバーンとの28歳の年令差を乗り越えて初老の紳士役を色気も失わず魅力タップリに演じていたと思う。洋服姿も格好いい。「脱出」(To Have and Not Have) で共演した25歳違いのハンフリー・ボガート45歳、ローレン・バコール20歳の組み合わせと双璧をなす初老の紳士と若い美女の共演映画だと言って良いだろう。音楽も素晴らしい「「シャレード」でのケーリー・グラントとの共演を観るのが楽しみだ。

父親役のフランスの名優モーリス・シュバリエのいかにも家父長然とした落ち着きのある演技が、一般には不釣り合いな年齢の男女の組み合わせの恋愛物語に潤滑油的役目を見事に果たしていた。ビリー・ワイルダーお得意の軽妙なロマンチック・コメディー映画だが、ユーモアとウイットに富んだ会話が売りとなれば女優はヘップバーン、モンロー、マクレーンは適役だろう。エリザベス・テーラー、バーグマン、デボラ・カーでは似合わないと思う。

最後にラストシーンの結末だが、「カサブランカ」のバーグマンとボガートは同行するか否か、「第三の男」のキャロル・リード監督と小説作者グレアム・グリーンの墓場でのジョセフ・コットンとアリダ・ヴァリの異なる別れ方と同様、物議を醸す出発する列車に飛び乗るか否かの結末であった。一般的には20代の女性が60才近い男性に未来を委ねはしないだろうが、映画は夢を売るのが最も大事な役目の一つ。あの終わり方で良かったと思う。

主題曲「魅惑のワルツ」は映画の両輪の一つになっていたのは確かでした。片肘張らずに気楽に楽しめた面白い映画でした。

(編集子)

映画より音楽の方が印象にある一例かな。クーパー、悪くなかったけどなあ。列車に乗らずに別れる、シーンならやっぱり 旅情 のロッサノ・ブラッツイとヘプバーンのほうが小生の趣味。