2018 夏合宿のこと - 紹介を兼ねて

KWV三田会が再組織されてから、各種の行事が活発化していき、OB会夏合宿、というプランが1999年から始まった(その前年が第一回のはずだったが、雨天のため中止)。プラン地は雲の平、初代のリーダーは40年阿部康徳、参加人数は24人であった。以後、開催地は後立山、剣などなどで、当初は血気盛んな年代が自分たちの基準をあてはめてプランを作っていた傾向が強いが、OB会の高齢化がすすみ、より広い行動パターンが求められ、登山だけでなく史跡や街並みを歩くプランも加わって参加人数は増加してきている。100人を超えたのが2010年の青木鉱泉集中で、この時は鳳凰を中心とした山岳プランに八ヶ岳山麓の平地Wが付け加えられた。2014年の白馬周辺プランから毎回参加は100人を超え、今回は史上最大、139人の参加があった。

参加人数の増加とともに、高齢メンバーの比率は必然的に上がってくる。今回は特にのこの事実に注目して清宮CL(45)から特に安全な行動を呼びかける姿勢が明確にされたが、一方で卒業したての若手の参加があり、祖父祖母の世代から孫の世代まで、スリージェネレーションに及ぶワンダー一家の楽しさ、広さ、深さが実感された。シニアメンバと新世代メンバの写真を紹介しておこう。

第一班、34年卒がリード,最若手は40年の松枝。最下級生としてそれらしくふるまったかどうかは不明。Lは37 猪股。
左から30年の川上、渡辺、高田と28年の水上。涸沢から奥穂へ行ったはずだが報告では判然としなかった。そんなことより、よく来てくれた!

集中地は北アルプス南部の平湯温泉・平湯プリンスホテル(西武系ではない)で施設、対応、食事とも今までで最高の選択だったのではないか。過去多くの場合、夕食・親睦会の席がバイキング方式だったため、どうしても散漫になる傾向があったが、今回は大広間の純日本式宴会方式で、酒席となれば各代のメンバーが席を回って盃を交わし、談論風発、爆笑哄笑あいつぐ和やかな雰囲気の、夕食と切れ目のない楽しい親睦会になったが、考えてみると、わがKWVOB会、また夏合宿の真骨頂はこのことにつきるのではないか、と思ったことだった。

塾には伝統のある運動部が数多くあり、OB会組織も歴史を誇っているが、ワンダーほど縦のつながりが深い部は無い。体育会にいた近しい友人の話によると”勝負”にかかわる部では、どうしてもその年代の結果が後を引き、例えば優勝した代と成績の悪かった代には深いつながりができない。したがって同期の集まりはあっても、代を越えた付き合いというのはできないということだ。

小生が慶応高校時代、野球部がひさしぶりに甲子園に出たことがある。その1回戦で普通部時代、親しかったクラスメートのTが緊張のあまり3つエラーをして敗北してしまった。仲間内ではもちろんため息はあったがそのことが彼との付き合いに響くなどということは全くなかった。しかし彼はOB会で先輩に叱られ、いびられていつの間にかたたまれなくなり、そのまま部を去った。野球だけが人生のような純粋なやつだったが、そのショックのためだろうがいつの間にか僕らの前から姿を消してしまい、いまも消息は不明。このようなことは考えても見ないワンダーの年代を越えた”縦のつながり”は実に貴重なことなのだ。

もちろん新年会をはじめ多くの世代が集まる機会は多いが、終電の心配もせず、その気があれば夜を徹しても語り合い、歌いあえるこの合宿での親睦の機会は、いままで”ワンデルングのご苦労会”と位置付けられていたけれども、このような場そのものが夏合宿、分散ワンデルングはそのイントロと考えることもできよう。そうすることで、高齢化によって尻込みをしがちな年代の人も、BC直行という機会であれば,安心して参加されるのではないだろうか。

始めに紹介した猪股グループはテーマを修業僧の業績に絞ってその足跡を尋ねたが、同じく”平地ワンデルング”の第二班(L.38 岡田)の行動範囲は塩尻から松本平と広範囲にわたっている。略図にあるように、範囲も広いが対象もいろいろで、まさにワンデルングの王道?なのかもしれない。メンバーの写真はホテル前でのスナップ。

昨年、中央アルプスで多くの参加があった高山植物を堪能する旅は乗鞍・位ヶ原で実施、好評であった。今後もこの種のプランは継続されるだろうが、昨年にくらべて好天に恵まれ、いろいろと知識の向上があったものと期待される。このプランの中心である吉田(44)がこれぞ!と推奨したコバイケイソウのアップを載せておこう。メンバーは昨年のプランが縁で高山植物に開眼?した人のリピートもあったし、今後、合宿の編成ではこのような企画が中核になっていくような気がする。分散プランは上記3本のほか12本でうち乗鞍周辺が4本、上高地・焼岳周辺2本、穂高周辺3本、笠ヶ岳と北部縦走が3本、という内容であった。詳細は各班の記録あるいは今後製作されるはずのホームページにゆずり、ここでは参加されなかった人たちのためにいくつかの集合写真を紹介しておく。経年変化?のため即座に人物の特定が難しいこともあるかもしれないのは計算済みである。

ふーん、何を聞いても知ってやがるなあ

コバイケイソウに始まり現在植物博士を自任する吉田の詳細な説明に感嘆しているのが4班。いつもは何かとうるさい36年組も沈黙しているようである。

同じ地域だが中の湯から焼岳へまわった第8班はリーダー小野田(47)の人柄もありまじめに予定を消化したようだ。その歓喜の山頂での集合写真を送ってくれたので紹介しておこう。

焼岳山頂。快晴。仲間。

西穂稜線へ出た7班(L.47伊川)は36年組を除き予定通り独標を制覇。日曜日でもあり人の多さにへきえきした形であった。

西穂丸山の7班メンバー稜線からメンバーを祝福してくれた笠ヶ岳の雄姿をトップにのせておいた。上高地から西穂まで、と欲張った第5班(L.43 猪股)も人込みと暑さでペースが上がらなかったようだ。

槍穂を映す鏡池で、これぞsatisfaction !

第9班(L.43酒井)は新穂高から双六を縦走。西穂組とは合い向かう形で槍・穂高の展望を満喫した。鏡池での集合写真を紹介しておこう。

BC地で愉快な夜を過ごし、月曜日朝現地解散。ミーティングの最後は例年通りのエールと古き友でエンドとなった。毎回注意しているのだが、われわれの歌う ”古き友” が正調ではない、として啓蒙につとめてきた寺田捨巳の努力は依然、実を結んでいない。

最後に話題を一つ。第一回から今回まで、全合宿参加というカネモトかキヌガサかという記録を46年の石渡美知江が保持している。前人未踏、理論上再現不可能の偉業である。おスタ、まだまだ!

平湯プリンスホテルで全員集合写真。

本稿作成に当たっては、いろいろな方にお願いして写真のご提供をいただいた。厚く御礼申し上げる。なお、この後、さらに写真や感想などおよせいただければ、続編を作成したいと思っているので、ご連絡をお待ちする。