エーガ愛好会 (65) シルバラード    (34 小泉幾多郎)

西部劇が殆んど作られなくなった1980年代後半ばに作られ、妙にひねり回さず、昔ながらの王道を行く西部劇として製作されているところが良い。何もかもがオーソドックスなのだ。先ずは、ニューメキシコのサンタフェ近郊ロケの風景が素晴らしい。砂漠の土地から雪山へ、川底の深さを馬で測りながらの行進等を背景にして、昔からのありったけの西部劇的要素を、とことん詰め込んである。

ということは、西部劇ファンにとっては、西部劇らしい西部劇だから、観ていて楽しい。複数同志の銃撃戦、開拓農民の野外ダンスパーティ、暴走する牛の群スタンピード、幌馬車隊との遭遇、早撃ち1対1の決闘等々、インディアンが出ないだけ。どれがどうと確認は難しいが、何となく歴代西部劇の名シーンと思わせるような場面に何回か遭遇したりしたように感じたりした。音楽も冒頭の西部劇らしいテーマ曲も印象的。ブルース・ブロートンがアカデミー作曲賞にノミネートされている。 監督は、ローレンス・カスダン、「スター・ウオーズ」のエピソード5,6,7や「レイダーズ・失われたアーク」の脚本、この9年後「ワイアット・アープ」の監督・脚本で知られる。

レッドオクトーバーを追え のスコット・グレン

開幕は小屋にいるスコット・グレンが数人の男からの執拗な襲撃を振り切るところから。その小屋から外を眺めるカットが、「捜索者」での室内からの荒野の眺めとそっくり。グレンは故郷であるシルバラードに帰る途中、砂漠に下着姿で横たわるケヴィン・クラインを助け、縛り首の刑寸前の弟ケビン・コスナーを、また酒場で揉め事を起こした黒人のダニー・グローヴァ―を助けながらシルバラードへ辿り着く。其処には、土地独占を企てる牧場主レイ・ベイカーとその一味で、クラインが無法者だった頃に、仕事を共にし、今や酒場のオーナーで町の保安官として君臨しているブライアン・デネヒーがいた。この二人が手を組み町を牛耳っていたのだ。この悪党ぶりに怒ったこの4人が町や愛する者たちの平和を守るべく一味に戦いを挑んでいく様を描いた作品である。

この4人を演じるグレンは勇気ある人物として際立った存在、クラインは友情と悪事の狭間で苦悩する男をシリアスに、コスナーはブレイクのキッカケとなったが、少年のような風貌で二丁拳銃を操る軽快な演技、グローヴァ―は人種差別に悩まされながら、父と妹を思いつつ、ヘンリーライフルを軽々と使いこなす黒人ガンマンを颯爽とこなす。4人が夫々の役を生き生きと演じている。この4人と悪役との対決が丁々発止とと渡り合うことから女性関係をじっくり描く時間はとても足りない。幌馬車隊で早々に夫が亡くなり未亡人となったロザンナ・アークエットが自分の生き方を明快に述べたりして時代を感じさせる中、クラインとの恋心が感じられるが、進展するには時間切れ。その中で、酒場の女マスターを仰せつかったリンダ・ハントの貫録な演技が目立った。

最後はグレンの馬が牧場主ベイカーを蹴り殺し、クラインと保安官デネヒーが1対1の決闘となり、デネヒーが倒れ決着が着く。このシーンが印象的なのは、対
決シーンで、デネヒーがピストルを取り出しやすいように上着をさっとどける仕草をするが、このリアクションにクラインは全く反応しない。二人の過去についての様々な想像を掻き立てるうちに一発で決着。しかもこの決闘直前の保安官デネヒーは、ポーチ上の安楽椅子を揺らしながら銀星バッチを磨く。「荒野の決闘」でワイアット・アープがポーチの上で椅子を揺らす運動と同じ。ポーチこそが西部劇を支配する空間という歴史を継承したとも言える。

(編集子)あははあ、来ましたね! このシルバラード、封切り直後に見て大いに気に入り、ビデオテープも買っています(まだDVDが流行ってはいません
でした)。良くできた正統的セーブゲキだと思ってます。ケヴィン・コスナーがまだ有名になる前でしたし、スコット・グレンという俳優をこの作品で初めて見て、以後、気に入っています。レッドオクトーバーを追え で準主役を務め、冷静な海軍士官を好演していましたね。ほかの作品でも同様なセリフがありましたが、カリフォルニアがあこがれの地であった時期で、主人公ふたりが California !  という発音が(東海岸は知らないけどカリフォルニアにはちょっとうるさい小生にとって、ですが)とても耳によく響いたのを覚えています。ワインで名高いナパ地域にはシルバラード、という高級ゴルフコースもあります(この映画
とは関係ないはずです)。僕のセーブゲキごひいきリストでは間違いなく上位に入れている作品です(一位? しつこくて申し訳ないけど 荒野の決闘 でさあ!)。

(西部を征服した銃)

ヘンリー銃は、1860年にM1860 ヘンリー・ライフルとして発売された。1862年の夏頃から10月までの間に900挺が製造され、1864年までに一月当たりの生産数は290挺に達し、1866年の生産終了時までに約1万4,000挺が製造された。南北戦争中、ヘンリー銃は多くの北軍兵士に用いられていた。1分間に28発もの銃弾を発射できるこの銃に対し前装銃を装備していた南軍兵士達はこの「16連発銃」に直面すると、「北部野郎の銃は日曜日に弾を込めれば一週間ずっと撃てる」と驚愕したといわれている。

コルト社製リボルバーは開拓時代において保安官から巷のならず者に至るまで護身用として所有していた拳銃であるが、それに平行してライフル銃を製造していたのがウインチェスター社である。ヘンリーライフルに側面装填口や先台を付けるなどの改良を施した「M1866」と、その改良型でセンターファイア実包が使える「M1873」によって人気を博した。特にM1873は弾丸の共有可能なコルト「フロンティアシックスシューター」と共に西部を征服した銃とも称されて名高い。

”西部を征服した銃” ウインチェスターの中でも名器とされたモデルの物語