エーガ愛好会 (17)ジョ二イ・リンゴオ のことなど 

(34 小泉 拳銃王 を観た)

鼻の下にひげをたくわえたグレゴリーペックが実在した無法者ジョン・リンゴに扮した西部劇。従来ペックが演じてきた役柄とは、いかにも異質で、最後は、あっけなく殺されてしまう。リンゴは西部きっての早射ちとして名が知られることから、挑戦者が続出して、心が休まることのないガンマンの悲哀を演じる。

ある街でも、リンゴを射とめて名を売ろうとする若者に絡まれ、これを射殺したことから、その兄弟3人に追われることになる。旧知の仲間だった保安官が治める妻子のいる街にやって来るが、此処でもチンピラ若造や息子を殺されたと誤解する父親に狙われたりする。リンゴが会いたい妻は、拒否するものの旧知の保安官や酒場の歌手の説得で、会うことが出来、1年後に牧場を経営し、妻子と3人暮らすことの約束を取り付けたものの、追ってきた兄弟と遭遇。此処で原名のガンファイトが炸裂するものと思ったが、兄弟はあっけなく保安官に逮捕されたものの、ペックは諍いのあったチンピラ若造に撃たれ倒れる。

この映画、西部劇らしきガンファイトは殆んどなく、西部劇の全ては大地からと言われる景観もなく、街中と酒場でのシーンが殆んどで、弟の仇を討たんとリンゴを追う三人の兄弟との時間的切迫感や内攻的で演劇的構成は、1970年前後のニューシネマの先取りとも言える。最後はチンピラに撃たれたリンゴは、苦しい息の中、自分の方が、先に拳銃を抜いたのだから、お前には罪がないと言い、これからは、自分が今まで絶えずガンマンたちから狙われ一瞬たりとも安らげない地獄を生きてきた、その苦しみを、そのチンピラに背負わせようとした。その後教会で葬儀が行われるなか、夕日に向かって一人の男が馬に乗って歩むところで終わる。これがニューシネマもどきの結末。

しかしこの結末に異を唱えた映画評論家がいた。保安官と妻は、とっさの機転で、リンゴに死んだフリをさせたのだ。だから葬儀で、二人とも、賛美歌を歌っていなかった。これでリンゴを狙うガンマンは現れなくなり、これからの静かで平和な暮らしを保証される。馬に乗って去ったのは、リンゴだった?これこそ小生が望むハッピーエンドの結末だが、監督は、ジェシー・ジェイムズを描いた「地獄への道」、グレゴリー・ペックに復讐の怨念に燃える男を演じさせた「無頼の群」のヘンリー・キングだけに、残念ながら、後者の線はないと思われる。

(編集子)この映画、原題は Gunfighter なのだが、小生も小泉さんの感想に同調する。ニューシネマというジャンルではいろんなものを見たが、その中であまり評判にならなかった バニシングポイント が特に好きだ。ニューシネマなる流れの中で売れっ子俳優になったのは沢山思い浮かぶが、この作品の主演バリー・ニューマンはどちらかといえば地味な存在だったように思う。しかしハピーエンドなどはあり得ない展開の中で、満足した笑顔のまま、自らバリアに激突する最後をえらぶ結末は衝撃的だった。

さて、拳銃王。 なんと陳腐な題名か、と思うが小泉さんご指摘のように有名なリンゴオ・キッドの話とくれば、これはもちろん、かの 駅馬車 で若き日のジョン・ウエインが主演した人物であり、荒野の決闘 の 一連の作品のうち、 OK牧場の決闘 ではジョン・アイアランド、トウムストーン ではマイケル・ビーンが演じた実在の人物である。本名は John Peters Ringo で、古典文学を愛する青年だったが兄を無頼漢に殺されて復讐に燃え、3発の弾丸で3人を殺した、というのは史実であるという。駅馬車 では、ウエインがインディアンとの撃ち合いの中で3発だけ残しておいた、その弾丸で3人を倒す シーンが有名だ。ウイキペディアによれば1850年生まれだが1882に惨殺された死体が発見されたという。写真まであるのでご参考までにあげておく。 

小生が好きな日本人ハードボイルド作家 矢作俊彦には、リンゴオ・キッドの休日、というちょっとしゃれた作品がある。主人公がこういう名前で呼ばれている、というだけだが、なぜなのかはわからない。この著者の本名はあきらかでないということだが、司城(つかさき)志朗との共著で面白いHBタッチの本が何冊かある。なかでも 海から来たサムライ という明治初期の史実を織り交ぜた小説は傑作。まだブックオフなら入手できるかもしれない。リンゴオ話からそれてしまったが、ま、いいか。