エーガ愛好会 (4) ”めまい” のこと

“めまい” は編集子にはちと特別なエーガである。この映画を見たのが自分にとって生まれて初めての”デート“ だったからである。相手は水原八恵子、すなわち現在のオクガタである(だから今、こうして書けるのだが)。場所は確か日比谷映画だったと思うが、当時あのあたりに洋画専門のロードショー館が固まっていたから、ひょとすると有楽座だったかもしれない。なんとかキミマロのセリフではないがあれから40年(プラス)、再び隣り合ってみることになったが、昼飯のときのシャルドネが効いてきて、5分くらい眠ってしまったのはこの40年プラスの時の功(?)かもしれない。1週前は ”知り過ぎた男“ だったから、2週続けてヒチコックものを見た事になるが、記憶は断片的で、改めて時間の魔力を感じた事だった。しかし、今回は一つ、疑問を持つことになった。

“めまい”のストーリーの中心は妻を殺そうとする夫が友人の刑事(ジェイムズ・スチュアート)に妻の監視を依頼するのだが、その時には本人ではなく違う女性(キム・ノヴァク)を妻と思いこませ、あたかもキムが自殺したようにみせかけておいて妻を高い塔から突き落とす、というトリックである。スチュアートが疑われることはないのだが、自分に過失があったように思いこみ悩む。その後、街でキムに酷似した女性を見つけ、トリックを見破ることになるのだが、今回おかしいなとおもったのは、スチュアートは殺された人妻の本当の顔は知らないわけだから、もし死体の検証に立ち会っていれば、あきらかにキムが偽物であることはすぐわかったはずである(判別できないほど顔がつぶれていたのなら別だが)。しかし映画の中では彼が死体確認に立ち会う場面はない。

それと、いつ、どうしてスチュアートが(自殺ではなく殺人ではないか?)という疑問を抱くようになったのかが映画の場面では定かではない。街で(サンフランシスコという大都会の中で)偶然キムに再会し、解決へもっていくというのは不自然だから、意識して探していたに違いない。このことは再会以後のスチュアートの行動が確たるステップ(事件当日と同じ服、髪型にさせて現場へ連れていき動揺させる)で導かれることから明白である。僕が今回抱いた疑問は、“なぜ死体確認に、現場にいた現職の刑事が立ち会わなかったのか?” とうことである。どなたか、この疑問にお答えいただけないだろうか?

(菅原)小生、お気に入りのキム・ノヴァクに60年振りに再会しました。キレイだけど、超ダイコンですね。従って(これって、また、独断と偏見か)、ヒッチコックは二度とノヴァクを使っていません。しかし、小生、大不覚をとりました。今のいままで、「めまい」はヒッチコックのものだとばかり思っていたら、タイトルにボワロー=ナルスジャクの「死者の中から」が原作とあるじゃないですか。シモーヌ・シニョレが出たコワーイ「悪魔のような女」の原作者です。

ヒッチコックは、映画が始まって暫くしてから、用もないのに門の前を左から右に過りました(これが彼の役どころ)。それにしても、60年前、外出するに際し、日本でもそうだったんでしょうが、米国では帽子を被り、上下おなじ色のスーツを着用し、靴はフローシャムだったかどうか。今なら、さしずめ、野球帽、ティーシャツ、ジーパン、ナイキの厚底靴と言ったところですかね。そう言えば、ヒッチコックは「知り過ぎていた男」でも、スチュワートがソフトを頭に乗せていたのに、今回も帽子なし。ヒッチコックの売りって禿頭であることなんですか。

(金藤)「めまい」観ました。子供の頃に観たヒッチコックの印象しかないのにわざわざ書くのも恐縮ですが、今日の「めまい」は私の印象の中のヒッチコック映画と、ストーリーの展開が違うような気がしました。 原作者が他にいたのですね。ヒッチコックがどこに出て来るか、見るのを忘れていました。 もっと注意深く観なくては・・・それでは、皆さま、めまいと熱中症にお気をつけてお過ごしください!

(中司―金藤)めまい がおわるとすぐ 新選組血風録。今日は夕方まで忙しい。