コロナ対策 補助金のこと

コロナ問題について、いろいろなメールが届き、またブログにも投稿を頂いていて、考えさせられることが非常に多い。昨日、今日と、政府の要請にも関わらず繁華街に人出が多いことについて、批判の意見があった。今夕のNHKニュースでも鎌倉や房総の観光客の話があって、困ったものだと思っていたところである。

ただ、こういう抜け駆けというか規律破りはどうしてもあり得るものだし、誤差範囲であればいいと思う気持ちもある。外国での対応がよくて日本が遅れている、という批判もあるようだが、小生は多少違う感じを持つ。上記のニューズにかかわらず、新聞によれば多くの都市では70%を超え、80%に近い人出削減が報告されているが、これは強制によらず、あくまで市民の良識に訴えた結果であり、ロックダウンとか、警察とか、軍隊だとか、はては韓国のように直接責任を持ちようもない個人を殺人罪に訴えるなどという、これが民主主義国家のありようなのか、嫌悪感すら覚えた対策の結果出た結果ではない。そういう力に訴えた結果ではないことは、前記の規律破りのような不祥事が多少あるとしても、ほかの国の例にはみられない、われわれが誇るべき結果なのではないだろうか。

日本政府のやり方にはもちろん問題もあるし、法的な制限もあるが、”日本人の底力が試される” という記事もあるように、また東日本大震災の復旧に当たって、楽天イーグルスの嶋選手が同じ言葉を使って被災者を激励していたように、今、まさに日本人の持つ道義心、公徳心、などが試されているのではないか、と考えるのである。

というところへ、二転三転した個人への補償の話が正式にスタートするようだ。どうも僕らもその資格があるらしいが、幸い、頂かなければならない事情があるわけではない。辞退しようかとも考えたが、12兆だか18兆だかという規模の予算に10万、20万円の節減を反映するよりも、受給しておいて、改めてもっと直接に自分の気持ち、日本社会の根本にあるはずの ”思いやり” を表せるように寄付をしよう、という結論に達した。夫婦で考えてみた結果、今もっとも大変な立場に居られる医療従事者のかたがたに,大海の一滴ではあるが、一市民として寸志を届けたいと思い、寄付先などについて船曳先輩のアドバイスをお願いしている。

実際の手続きもあることだし、連休明け(願わくば自粛明け)になるだろうが、せめて社会への感謝をそれなりに表すことができればと思う次第である。