”とりこにい”抄 (7) 八甲田 – 忘れられない夏

KWVでわれわれの1学年上、35年卒の方々が卒業60周年記念の同期会(野郎会)をt特に ”拡大野郎会” のネーミングで八甲田夏合宿の思い出をテーマに、ゆかりある先輩後輩を糾合する、という企画をたてられた。大いに楽しみにしていたのだが、憎きウイルスのため延期されてしまった。当初の予定は4月9日であったので、その日に僕の八甲田合宿での想いを書かせていただくことにした。

合宿、解散の朝。

ワンダーフォーゲル部生活3年の夏、現役部員として一番脂の乗りきる時期。僕らの場合、このときに八甲田合宿という歴史的な企画に参画できたのは心底、幸運だった。過去、ベースキャンプ方式で運営されてきた夏合宿を、分散集中方式に切り替え、実行に移された荒木総務以下、35年卒の先輩の皆さん (現在の ”野郎会” メンバー)の決断とそれを実現させたたぐいまれな結束力にただ感謝するばかりだ。この方式は以後、KWVのお家芸として定着し、僕らが主宰した木曾開田高原合宿はまさに ”八甲田の再来” を目指したものだった。

開田高原のベースキャンプまで、わざわざ休暇を取って参加してくれた荒木さんに、”ジャイ、うまい所見つけたなあ” と褒められて本当に嬉しかったことを思い出す。”ショッペイさん” のあまりにも早かった旅立ちがあらめて悔しい。

その時の ”ふみあと” 特集号に、編集を担当された吉沢さんに命ぜられて巻頭のページに掲載していただいた詩まがいのものがある。2018年8月、本稿で ”山のあなたに” として書いたのだが,山戸先輩に ”カール・ブッセみたいなもの” とからかわれたのがこれである。同期の文集を編纂した時、横山美佐子に強く勧められて再び、巻頭詩とさせてもらった。やはり同期一同、”八甲田” の印象は生涯わすれられないもののようだ。

 

八甲田の夏

 

あの時 教わった星……..

ヴエガだっけ ?

どこにあるのか もう忘れちまった。

いっぱいあるからなあ 星なんて。

星だらけだっけな……..

八甲田の夜は。

黒かったっけな……

八甲田の夜は。

もう一本 薪を持って来いよ。

もっと 火の粉を 飛ばすんだ。

何故?

さあ…….

あの夜の 火も こんな 色だったからな。

おかしいかい ?

でも 想い出って いいもんさ。

そっと しまっとくんだな、おたがいに。

 

(36 高橋)
なつかしい写真。私どこにいるかお分かりになりますか?
コロコロ太っていて健康優良児だったわねェ。

つい先頃まで笑い興じもした、大騒ぎもした、遅くまで酒を飲み、夜更かしもした、気のおけぬ連中と。
でも、もうみんな消えてしまったのだ、あの昔の懐かしい顔は。
いとしい人も去ってしまつた。       チャールズ・ラム

風が立つ、生きようとつとめなければならない。  ポール・ヴァレリー

(38 町井)八甲田の夏合宿は私にとっても一番忘れがたい合宿です。テンテンさんリーダーで、東北の東海岸を尻屋崎まで歩きました。途中、小舟に乗って、船上でビーバーさんから「海女の子供」を歌唱指導して頂きました。体力不足でしたので、重いキスリングで肩から腕がつり、一緒の班にいらしたドテさん(医学部5年生?)にお世話になりました。そして、何と言ってもインディアンごっこです。牧場のような広い野原の両端に陣地を作りました。あまりに広いので、敵の顔は良く見えませんでした。間にある灌木に隠れながら、敵の陣地に忍びこもうとしました。まだ一年生でしたから、大人のような大学生がインディアンごっこを大規模に、ダイナミックにしていることに驚きました。そして、このクラブは楽しいクラブに違いないと思い、続けることになり、今も楽しんでいます。この夏で57年間です。