「意志の勝利」(原題:Triumph des Willens。監督:レニ・リーフェンシュタール。以下、レニと省略。1935年)を、15年前の2009年、確か、渋谷の小さな映画館で見た。
この映画のことを思い出させたのは、11月に入って、ノン・フィクション作家、沢木 耕太郎の「オリンピア1936 ナチスの森で」(1998年)を読んだからだ。勿論、沢木は1947年生まれだから1936年の五輪は見ていない。しかし、幸いなことに、まだ選手(例えば、男子三段跳で世界記録を樹立し、日本の三連覇に寄与した田島 直人)をはじめとする当事者への聞き取りが可能な時期だった。加えて、沢木はその時、90歳を優に超えているレニ(1902年生)ともインタービューしており、そこで「意志・・・」にも言及されていたからだ。
小生、同じ、レニの1936年ベルリン五輪の「民族の祭典」は見ていたが、これは陸上競技を扱ったものだ。が、ここで、沢木は「レニのオリンピア(「民族の祭典」、「美の祭典」陸上競技以外の種目)は、必ずしも正確にベルリン五輪の姿を伝えるものではなかった。オリンピアは彼女の美意識によって事実の変更が大胆に行われていた」、と述べている。具体的には、例えば、男子の棒高跳だ。これは決勝が長引いて、夜に入ったが、撮影のための照明が足りず、後日、米国と日本の選手を呼び戻して撮り直しをしている。そうであれば、「意志・・・」にも事実の大胆な変更が行われているのかもしれない。が、これは、関係者の殆どが物故している現在、最早、その証明は難しい。
「意志の・・・」は、1934年、ニュールンベルクで行われた、国家社会主義ドイツ労働者党(いわゆるナチス)の第6回全国大会のドキュメンタリー映画だ。ナチスはこの2年前の1932年、ドイツ議会に233人の議員を送り込み、既に第一党となっていた。
この映画は、勿論のことナチスのプロパガンダなのだが、その映像美は、白黒の画面と相俟って群れを抜いている。その中で、最も印象に残っているのは、一つはヒットラーの演説だ。確かに、その演説風景は、C.チャップリンの映画「独裁者」中の独裁者を彷彿とさせた(実際には、その逆で、チャップリンのヒットラーの物真似は正に抱腹絶倒だった)。
もう一つは、ドイツ人の凄まじいまでのナチスに対する肩入れだ。その典型的な例が、ツェッペリン広場での国家労働奉仕団(ナチスが失業対策として設立した労働組織)の入場風景だった。それは、各地区の整然たる行進や隊列の美しさで描写されていると共に、広場を埋め尽くした大観衆は、例えば、バイエルン、ポンメルン、シュヴァルツヴァルト、ドレスデンなどなどの各地区労働奉仕団が入場する都度その大歓声は耳を揺るがす程のもので、未だに小生の耳朶に残っている。これを見ると、有名、無名を問わず殆どのドイツ人が、ヒットラーに、ナチスに熱狂していたことが良く分かる。つまり、多少の例外を除いて、ドイツ人は総ナチス同調者だった。そこにアリバイ(不在証明)などある筈はない。にもかかわらず、有名だからと言って、有名人だけが糾弾されたのはどうにも承服できかねる。
確かに、例えば、レニはナチスのプロパガンダ映画を作成した(本人は否定しているようだが)。指揮者のW.フルトヴェングラーは、亡命せずにドイツに居残り、ナチスの高官の前で指揮を執った。また、作家のG.グラスは、武装親衛隊に入隊していた。しかし、戦後、その有名人を糾弾した無名の人たちだってナチスに与していたのだ。こう言う人たちは、無名であるが故に、恰もアリバイ(不在証明)があったかの如く、有名人たちを糾弾する。なんとまー、誠にふざけた行為ではないか。しかも、それが延々と続いたのだ。要するに目くそ鼻くそを笑うの類いの話しで、同じ穴のムジナであり、全くの茶番劇と言っても言い過ぎではない。
また、ナチスの諸々の蛮行は、ナチスがやったものであり、ドイツは全く預かり知らぬとの弁明もあるようだが、話しが長くなるので、ここでは触れないことにする。いずれにしても、西洋だからと言って、何事も無批判に礼賛するのは断固として御免を蒙りたい。
レニ・リーフェンシュタール(ドイツ語: Leni Riefenstahl)ことベルタ・ヘレーネ・アマーリエ・リーフェンシュタール
(ドイツ語: Berta Helene Amalie Riefenstahl、1902年8月22日 – 2003年9月8日)は、ドイツの映画監督、写真家、女優。世界最年長のスクーバダイバーでもあった。近年ではレニを「レーニ」と表記する例も見られる。