エーガ愛好会 (202)  砦のガンベルト   (34小泉幾多郎)

1876年11月23日騎兵隊により逮捕されたアラバホ族酋長ハヌーによって語られたクレンテノン砦襲撃を聴取するシーンから始まり、その数日前の11月17~18日に遡る。それはアラバホ族に攻め込まれ駐屯騎兵隊が全滅した日でもある。この映画は絶望的な状況に置かれた兵士たちとインディアンの死闘を描くも爽快感のない物悲しさが残るという結末が異彩を放つ。原作はリチャード・ジェサップという人で脚本まで書いているということは自分でも気に入っているのだろう。監督は勧善懲悪の西部劇を作ってきたゴードン・ダグラスだけに珍しい作品だ。

酋長聴取のシーンが終ると雪の残る山岳地帯を流れ者のガンマンが歩く。これが主人公、原名Chuka(チュカ)の登場。ヒッチコックの「鳥」で主人公を演じたロッド・テイラーが扮する。偶々子供を葬るハヌー以下アラバホ族数人に会った際親切心から食料を渡す。これが最後まで、生き残れる布石になっているのだった。その後車の外れた馬車を発見、それを援助するが、その中に、元カノ役のメキシコの貴婦人ベロニカ(ルチアナ・バルッツイ)とその姪ヘレナ(アンジェラ・ドリアン)が乗っていた。馬車はアラバホ族に襲われるが、チュカの顔を見ると去って行き、馬車は無事クレンテノン砦に到着した。

其処は、バロア大佐(ジョン・ミルズ)が指揮する騎兵隊の駐屯地。早速歓迎のパーティが開かれるが、部下を口汚くののしるばかり。チュカはバロア大佐に見込まれ、アラバホ族の偵察等に行くものの、鬼軍曹と言われるハンスバーク(アーネスト・ボーグナイン)以外は、バロア大佐を反目して統率がとれないまま、アラバホ族の襲撃を受けることになり、チュカが横腹に矢を受け、一緒にいたヘレナの二人を除き全員が戦死。砦からは食料や銃弾薬等全てが持ち運ばれたが、墓が一つとピストル一丁だけが残されていた。これは酋長ハヌーが食料を貰った
チュカに対するささやかなお礼か。

そもそもアラバホ族に対する食糧融通を無視してきたこと。その後も必要食料を渡せば、こんな悲劇にならないで済んだ筈。それとバロア大佐の頑迷さ、インド駐屯の頃、酒のため連隊を全滅させたことやハンスバック軍曹の生命を救うため捕虜になり去勢されたこと等が明らかになり、これが頑迷なる大佐の理由なのかどうか。冒頭申し上げたようにスッキリしない爽快感なき西部劇。

(編集子)辺境の砦が全滅したあと、その経過が明らかになるという筋立てはほかにもあるかもしれないが、小生にとっては西部劇ではないがクーパーとまだ端役のスーザン・ヘイワードがきれいだった ボージェスト が何といっても一番。少し違うが同じような人間関係の凝った筋立ての西部劇では、ペックの 勇者のみ (同じ邦題の作品がある)が思い出される。小泉さん同様、やはり西部劇には爽快感を期待してしまうので、あまりぱっとしない時間だった。わき役でボーグナインはいつも通りだが、ジエームズ・ホイットモアに(久しぶりい!)と言いたいところだった。

(アラパホ族)

元々はミシシッピ川より東部、ミネソタ州北部のレッドリバーバレー流域の森林地帯でトウモロコシやカボチャ、豆などを栽培しながら暮らしていたが、白人入植の影響で、18世紀にそこから南西に移動し、ノースダコタ州及びサウスダコタ州の平原地帯を領域とした。そして19世紀頃にさらに南下して移動し、プラット川沿いのワイオミング州とオクラホマ州の2つのグループに分かれて行った。1863年合衆国政府と平原インディアンとの間で起きたコロラド戦争に参戦。1864年サンド・クリークシャイアン族とアラパホ族の野営地がアメリカ陸軍の攻撃を受け、女子供などを中心に数百人が死亡。1876年リトルビッグホーンの戦いスー族、シャイアン族らと共に参戦し、カスター中佐率いるアメリカ第七騎兵隊を破った。