「デジタル社会」ブログ記事について、ややポイントが外れるのを承知の上で僕が関係した電機業界、
日本の右肩上がりの高度成長期と期をいつにして社会人となりバブル崩壊後暫くして退職したが、働く時期はちょうど日本経済が登り坂からピークの安定期、そして退潮に至る時期に重なったのは運が良かったとしか言いようがない。
戦後の日本の高度経済成長と共にオーディオ業界も歩を一にするかのように発展したが、先ずはアナログ時代であった。生音楽を聴くのと違い、オーディオは音の入り口であるSP・LPレコード、テープデッキから電気信号を音に変換して増幅する中間部分のアンプ、そして音を実際に出すスピーカー、これら全ての機器はアナログであった。’60年代から‘70年代にかけて一挙に成長拡大した。大卒初任給月額5万円の時代にも拘らず、一台10万円以上の機器が飛ぶように売れた。ボーナスと右肩上がりの年収に自信を得た月賦購入が主であった。年収増大を確信する明るい将来をまえにして人間は消費に走るのだ。現在とは真逆の世相と社会現象だった。’70〜‘80年代にかけて世界市場を席巻した日本メーカー・ブランドの多くは退場を余儀なくされ消えて行った。アナログの全盛期は’70年代後半から’86年の「プラザ合意」までの約10年間で、僕の勤めた日・米の会社2社はそれぞれ全盛期にはジャンボジェット機のチャーター便で太平洋を飛んで製品を運ぶほど活況を呈した。アナログ時代の花火の大団円のようであった。
デジタル機器が登場したのは、1982年10月1日に世界最初のCD Player がソニー、日立(LO-Dブランド)、日本コロンビア(DENONブランド)から発売された時であった。以後、機器のデジタル化が急速に進み、産業界の重厚長大から軽薄短小の波にも乗って、21世紀に入る頃までにはデジタル機器が市場を席巻するに至り、アナログは”その退潮は時の流れ“の中に埋没していった。
デジタル化イコール製品の軽薄短小化となり、デジタル機器の革命児は2007年登場のスティーヴ・ジョブズ率いるアップル社のiPhoneであった。将に軽薄短小の代表機器で革命的変化を再生音楽視聴にもたらした。パソコン分野の進化の過程で産み出された副産物が再生音楽の機器世界に大変革をもたらした。最初のデジタル機器CD Player登場(1982年)から15年を経ていた。音楽供給機器としてのiPhoneの登場は、関連機器にも大変革をもたらし、人々は音楽を重厚長大な機器で聴く代わりにヘッドフォン、イヤフォンや簡便小型システムで聴くようになった。iPhone的機器は実はソニーが先駆者として開発導入すべきであったと、日本人としては悔しい気持ちになる。ソニーはグループ内にレコードを取り扱うCBS Sonyを抱え、iPhoneの垣根を剝ぎ取った自由で無料で行える音楽配信を許すわけにはいかなかったのが、大きな禍根を残す要因となった。
このアップルの偉業は業界に大変革をもたらし、ハードウエアメーカーの合従連衡と淘汰を結果として生じさせ、弱肉強食の競争原理の下に退場して消え去ったメーカーは数限りなかった。業界の勢力図はアナログ時代とは似ても似つかぬ様相を呈している。勝ち組の筆頭アップルの創設者スティーヴ・ジョブズは地元の世界有数の大学スタンフォード大学の卒業式に招かれ、癌に既に侵されていた身で卒業生に云った、「Stay Hungry Stay Foolish」と。遺言であったろう。今後のデジタル分野の進化と変革は予想すら出来ないが、次代のスティーヴ・ジョブズが何をするのか予断を許さないが楽しみでもある。
僕の勤務した会社は、元々アナログ時代に成長した会社であり、デジタル時代到来に生き残りと社運を賭けて製品と市場の多様化に懸命に取り組んだ。一例を挙げれば、自動車業界へのアプローチであった。車内で良い音でオーディオを聴かせる戦略を自動車メーカーに売り込みを掛けたのである。愛知県のトヨタ自動車本社詣の結果、彼らの車(複数車種)にブランド付きのままオーディオ機器を搭載させることに成功した。自動車会社側も車の付加価値を高めて厳しい競争に勝たねばならぬ必要に迫られていて、謂わばウィンウィンの関係であった。昔と様変わりのデジタル時代の生き残りは進化するハードウェア技術、消費者性向の変化に対応して多様化しつつ競争力を支持するメーカーのみに可能なのであろう。
最後に、このブログでも指摘されたデジタルの持つ無味乾燥さの一例「レストランで注文をタブレットでおこなう」は、アナログ社会のもつ人とのスキンシップの血の通う温もりを排除していて味気なく、 “生きる”楽しさと豊潤さが便利さと効率の犠牲になっている一例として寂しい限りである。オーディオで聴く音楽もiPhone或いはその類の機器からヘッドフォンやイヤフォン経由では色気がなく寂しい。アナログ機器で聴く音楽は、機器を操作して楽しい、美しい機器を見て嬉しい、個性ある(金太郎飴でない、マクドナルドハンバーガーでない)音で音楽を聴くのは素晴らしい。音楽や食事など人生の悦びと直結する行為はデジタルではなくアナログで、と思う。一方では「デジタル・AI社会ですが、そんなに大上段に構える物ではなく、単なる伝える技術の進歩‐便利な道具に過ぎないではないか」、まさに至言功罪両方あるが、趨勢は便利さと効率さ追求であるのは疑う余地はない。
(編集子)諸兄姉のごとく鋭い耳を持っているわけでもなく、音楽そのものにこだわりがあるわけではない。だが、まあ、いい音、は聞きたい。アナログであれデジタルであれ、いずれも親愛なる電子君のなせるわざだが、硬い石の間を潜り抜けてくるやつよりも真空の中を飛ぶやつのほうがどうもロマンがあるような気がして、そうするとよくわからないなりにどうも真空管アンプのほうがいいように思えてきた。引退後、何台か真空管アンプを作った(原理はともかく、実際上はデジタル処理を真空管回路でやるのは現実的ではないから、当然アナログになる)。その記念すべき第一号の写真である。部品には凝りに凝って、整流回路には入手も大変だった専用管を使い、チョークコイルというばかでかいものを入れたりしたのでなんせ重いものになった。ファイナル6B4G シングル、スピーカは安田君には申し訳ないがパイオニア製である(一世を風靡した同社の終焉が本稿のあらすじにマッチするようだ)。スイッチを入れてもしばらくは球が温まるまで音は出ない。この数秒の静寂がいいんである。しばらくぶりにキャビネットから出したらほこりだらけだった。ご苦労、わが友。