セイブ劇とやらはなんじゃいなぁとブログを繰って見た。やはり米国の今昔物語で東から西へと開拓していったノスタルジー。まぁ暮れに成るとやる「忠臣蔵」かなぁ。
西部劇(せいぶげき)は、19世紀後半のアメリカ合衆国の西部開拓時代に当時フロンティアと呼ばれた主にアメリカ西部の未開拓地を舞台にした映画(テレビ映画を含む)や小説である。英語のWestern(ウェスタン)の訳語である。
1860年代後半・南北戦争後のアメリカ西部を舞台に、開拓者魂を持つ白人を主人公に無法者や先住民と対決するというプロットが、白人がフロンティアを開拓したという開拓者精神と合致し、大きな人気を得て、20世紀前半のアメリカ映画の興隆とともに映画の1つのジャンルとして形成された。
ブログでセイブ劇と繰って見ると第一次世界大戦後には ジェームズ・クルーズ監督 『幌馬車』(1923年)が製作された。この映画はスターによるヒーロー物語ではなく、自然の猛威や先住民と戦いながら西部の荒野を西へ西へと進む集団の物語で、それまでの西部劇とは全く違う新しい西部劇を作った。ジョン・フォードは1924年に大陸横断鉄道の建設を軸にした西部開拓叙事詩「アイアンホース」、1926年に『三悪人』を製作していた。
そして第二次大戦が終わって後に西部劇は黄金時代を迎えて、1960年頃まで多数の名作を生んだ。また多くの俳優が西部劇で主演を演じて、その中からゲイリー・クーパー、ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ、グレゴリー・ペック、ジェームズ・スチュアートらの大スターが西部劇から育っていった。
西部劇が描く人物像は基本的に主人公は白人で、強く正しくて『勧善懲悪』をストーリーの骨子とし、そこへ応援に来たりする(陸軍の)騎兵隊は「善役」であり、それに刃向う先住民インディアンを「悪役」としたものが多い。そして劇中で描かれた白人とインディアンとの戦いには史実も多いが、戦いの原因(土地の領有権)に触れたものはほとんどなかった。
1940年代の半ば頃から、フロンティア精神を肯定してそこに主人公(ヒーロー)がいて無法者や先住民を倒す「西部劇」という一つの図式が崩れ始めた。1950年のデルマー・デイヴィス監督『折れた矢』は先住民は他者で白人コミュニティを脅かす存在という図式ではなく、先住民の側から描き、戦いを好むのではなく平和を求める彼らの姿を描いた。それは、当時黒人の地位向上を目指す公民権運動が次第に激しくなる時代に入り、人権意識が高まる中でインディアンや黒人の描き方が批判されるようになって、単なる勧善懲悪では有り得ない現実を浮かび上がらせ、それまでの西部劇が捨象してきた問題に対して向き合わざるを得なくなったことであった。
これが1960年代に入ると、公民権運動が高まると同時に西部劇の衰退を招くこととなった。1960年にジョン・F・ケネディが大統領に就任し人種差別の撤廃に強い姿勢で臨み、これに伴い従来の製作コードが通用しなくなり製作本数も激減した。そしてイタリアなどでいわゆるマカロニ・ウェスタンと呼ばれる多くの西部劇が作られ始めると、サム・ペキンパー監督『ワイルドバンチ』のようにマカロニウエスタンに逆に影響を受けた作品も数多く生まれた。
(編集子)西部劇映画の泰斗吉田広明氏は2018年に西部劇論という大著をあらわし、その副題を ”その誕生から終焉まで” としている。同氏はこの本の締めくくりとして ”1992年、クリント・イーストウッドは、自身、”最後の西部劇” と称する ”許されざる者” を発表する。この作品以降も西部劇が完全に作られなくなってしまったわけはないが、それらの作品はすでに前章に記したように………”許されざる者”に代わる新しさをもたらすことはなかった” と書き、イーストウッドを 西部劇に引導を渡した男 と定義している。同氏のこの本はかなり難解であり小生も拾い読み程度の理解しかできないのだが、彼は ”オルタナティヴ西部劇” というアイデアや、ギャング映画とその延長にあるいわゆるフィルムノワールと西部劇の親和性を説く。いろいろな論議があるが、編集子が愛するセーブゲキ、はかれの分類によると ”神話と化す西部劇” というジャンルに入るらしい。神話になってしまえばこれはもう現代に復帰はできないわけだ。だからセーブゲキはなくなった、という気持ちはないのだが。
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