生涯何十回と引越しを繰り返した北斎は現在の墨田区に暮らしたが
 
やがて絵師として生きる覚悟を決めたお栄は、
 
この「吉原格子先乃図」や「夜桜美人図」(写真貼付)
当時の鎖国時代、
応為はまた美人画を描かせると北斎も敵わないとも評され、
応為の性格は、父の北斎に似る面が多く、やや慎みを欠いており、

旧き友集い語ろうは 過ぎし日の旅山の想い (投稿は著者あてメールでお願いします)
生涯何十回と引越しを繰り返した北斎は現在の墨田区に暮らしたが
 
やがて絵師として生きる覚悟を決めたお栄は、
 
この「吉原格子先乃図」や「夜桜美人図」(写真貼付)
当時の鎖国時代、
応為はまた美人画を描かせると北斎も敵わないとも評され、
応為の性格は、父の北斎に似る面が多く、やや慎みを欠いており、
老いた紅衛兵と固く握手した。彼は誇らしげに五星紅旗を掲げていた。
そこは「鴨緑江」を跨ぐ鉄橋、「鴨緑江断橋」である。約100年前に日本が建設した「鴨緑江橋梁」。1950年の朝鮮戦争中にアメリカ軍によって爆撃された断橋。彼らはマッカーサー元帥と対決し、勝利したことを中朝兄弟の絆として祝っていた。
「丹東」は中国と北朝鮮との境に流れる「鴨緑江」に沿った都会である。朝鮮族が多く住む北朝鮮を臨む国境の町でもある。中国も北朝鮮も同じく厳しい監視国家。「鴨緑江」は監視国家が監視国家を監視する自然の大河なのだ。
老いた紅衛兵はつぶやいた。“地上のユートピアと言われた北朝鮮、今では地上の地獄と言われている” 。北朝鮮を臨む支流は幅50m程度であるから泳いで渡れる。双眼鏡で眺めると北朝監視兵は機関銃を抱えて警備していた。
「一歩跨」と掘られた記念碑があった。たしかに一歩跨ぐだけで楽に往来できる。しかし現実は有刺鉄線が数本重ねられて逃亡を防いでいる。「地上の地獄」に閉じめておこうという固い決意の表れである。記念碑の横にある中朝友好の国旗は無言だった。
中国と韓国は今では経済的に強く結ばれている。北朝鮮よりも韓国が友好国なのである。歴史の皮肉と思える。
秋深まる北陸を尋ね、加賀百万石の街をそぞろ歩こうか、と思い立って金沢を訪れた。 静かな街を期待していたのだがなんか、違うのだ。街がなにしろ騒然としていて、晩秋の魚を楽しめるはずの名店も居酒屋も、どこへ行っても満席。1時間歩いてようやく見つけた小さな居酒屋で、板前に聞いてやっとわかった。なんど金沢マラソンの当日で、町中が沸き立っていた日なのだった。ホテルの部屋に入っていた地元紙、翌日の紙面。
まいったね。それでも翌日、ワイフの知人の紹介で尋ねた店は期待通り、加賀の秋にふさわしい、のどぐろとカニの一品と、店主おすすめ 加賀鳶 なる超辛口の熱燗がのどにしみわたった。昼間はいった蕎麦屋もまた、よし。
写真は名園兼六の一枚。まだ紅葉に早すぎたようだ。マラソンのうえ、ここもオーバーツーリズムだか何だか、中国人と多分ロシア人らしい客で沸騰していた。ま、お国の経済興隆のためには致し方ないか。

 ジョン・ウエインが唯一アカデミー主演賞を受賞した「勇気ある追
「勇気ある追跡」同様ウエインは大酒飲みの片眼の保安官を演じ、少女の代りに、牧
保安官ルースター・コグバーン(ジョン・ウエイン)は、派手に人
このウエイ
 3人はホーク一味が騎兵隊から奪ったニトロの入った荷馬車を追跡
最後のヘプバーンのセリフが良い。「忘れないわ、
その仏頂面や大
ジョン・ウエインはこの作品の後、「ラストシューティスト197
(編集子)ジョン・ウエインについては今更繰り返すまでもないだろう。よきアメリカ人を代表する存在だったウエインが、トランプ騒動の今、生きていたらなんと言っただろうか。
大根役者だとか言われて役者としての評価はいろいろあるだろうが、彼の死がせまったとき、生涯の相棒だったモーリン・オハラが涙ながらに全国民に訴えたことを編集子は忘れられない。ヒーロー、とはこういう人間のことなのだろう。その実像はこの本にくわしい。
もう一冊、ジャーナリストとしていろいろと物議をかもした人物、広瀬隆の本の狙いは表題とは異なっているのだが、一読に値すると思うので紹介しておく。これにはウエインのみならず、同時代の映画スターを襲った悲劇の詳細が書かれている。
(明日から3日間、本稿は休載します。ご投稿は歓迎ですが、アップはその後になります)
尾瀬へ
誰もが憧れ一度は歩きたいと思う尾瀬。私も尾瀬に魅せられ通いつづけてきたひとりです。初夏のミズバショウ、夏のニッコウキスゲ、秋は見渡すかぎりのクサモミジ。春まだ浅い頃、山の鼻でテントを張り至仏山で春スキーを楽しんだことや、いつもの重いザックから解放されサブザックひとつで足どりも軽く三平峠を越えて燧岳の山頂まで一気に駆け登って一休み、そこからまた山の鼻まで跳ぶように歩いて山小屋泊まりなんてこともありました。若き日の思い出です。
忘れてはならないのは、長蔵小屋平野親子三代の自然保護活動です。この活動がなければ、尾瀬ヶ原はダムの底に沈んでいたと思うと頭がさがります。
屋久島の森と山
「屋久島の自然が危ない」 2005年、あの太田五男さんからの依頼で始まった自然保護委員会の屋久島通いは3年間に及びました。残念ながら成果を残すことかなわず幕引になりましたが、これを機に私個人の屋久島通いもはじまりました。
屋久島=縄文杉でだれもが縄文杉をめざします。
「一度登らぬバカ二度登るバカ」は夏の富士登山の騒雑を揶揄(やゆ)した言葉です。縄文杉もそれに近く、神格化され人工の手が入りすぎました。
5月連休明け、屋久島の山々はヤクシマシャクナゲの花の山に変わります。宮之浦岳までは行っても永田岳まで足を延ばす人は多くありません。その先、無人の鹿之沢小屋で一日の疲れを癒し、翌日は海岸線まで丸1日、全面苔や地衣類に被われ点在する屋久杉の巨木に出会える至福の森の中をひたすら下ります。私が歩いたのは花山歩道、尾之間歩道、宮之浦歩道の3本だけでしたが、屋久島にはこんな歩道が随所にあります。みんな、かつて屋久杉を切り出した夢の跡です。
栂(つが)海(み)新道を歩く
新潟県親不知海岸から北アルプス朝日岳(2,418m)に通じる栂海新道は小野健さん率いるサワガニ山岳会により1966年から5年の歳月をかけて切り拓かれました。
学生時代の山仲間3人でこの栂海新道を歩いたのは夏も終わりの 8月末でした。栂池から入って白馬山荘で1泊のあと雪倉岳を経て朝日岳へ、この夏は残雪が多く秋も近いというのに夏の花々に加え秋の花も咲き始めて見事なお花畑が広がっていました。朝日小屋で1泊のあと、早朝小屋を出て、栂海新道の入り口に立つと懸崖を駆け降りるカモシカが出迎えてくれました。栂海新道は全長27km、下り15時間の長丁場で途中避難小屋に1泊、ハードワークの末海抜ゼロメートルの親不知海岸にたどり着いたときの達成感は言葉にならない感動がありました。
天空の楽園羽後朝日岳
道のない山で知られている羽後朝日岳は、いつか行きたい山のひとつでしたがパートナーが必要でした。日本山岳会のOさんと登ったのは、いつの夏だったか忘れましたが、確か部名(へな)垂(たれ)沢の入口にテントを張り、早朝出発、厳しい沢登りと猛烈な籔こぎのあと稜線に飛び出すと、待っていたのはまさに天空の楽園でした。咲き乱れるお花畑の中の踏みあとをたどって山頂へ。誰でも行ける山ではありませんが、花の百名山番外編に選ばれるだけのことはあります。
ブータン北辺の山旅
同じトレッキングルートでもエベレスト街道とは大違いでした。ブータンの北辺チベットとの国境に沿って200キロを20日かけて歩きます。メンバーは自分を含めて日本山岳会員の4人。手許の地図はカトマンズで発行された39万分の1の等高線が入っていないブータン全図だけで、雇ったガイドも10年前に歩いたことがあるとかで何とも頼りになりません。 確実なのは現地の馬方とヤク方の情報だけで、一日の行程も6時間が12時間になったり、4時間が8時間になったりで、標高も地図上の表示とGPSで全く違っていました。突然思ってもみなかった川や無名峰が現れたり、地図と反対方向に川が流れていたりで、未知の世界に分け入った探検隊気分でした。
5,000mを超える峠が幾つもあり、見たことがない高山植物と出会い、圧巻の氷河湖地帯を行き、半ばあきらめていたガンゲルブンスム(7,541m世界未踏の最高峰)の雄姿を眺望できたのは大収穫でした。
カンゲルブンスムとその一帯は神の宿る峰々として保存され、未登の7,000m峰として世界に君臨し続ける。5,040mのテント場を早朝出発、8時35分今日超えるリンチェンゼーラ峠(5,269m)に立つ。 見えた! 谷を隔てた台形の雪嶺の奥に輝いている鋭鋒は紛れもなくカンゲルブンスムだった。その雄姿を眼底に焼き付け、カメラに収めて数分後、その姿はたちまち湧き出した雲の中にかき消されてしまった。
山川はこのシリーズ投稿をこうしめくくっている。
”経営にあまり関係ない話ですが、強いて言えば”夢の実現”ということでしょうか。なんで私がこの年になるまでたまエンパワー、さがみこファーム両社に関わり続けてきたかと問われれば、ひと言「そこに夢があるから」です。
山川は環境保全活動の集大成として、太陽光発電と農業の両立のモデルケースとして、相模原市郊外に さがみこふぁーむ を建設した。夢を追い続け、実現した努力にはただ感服あるのみである。https://sagamicofarm.co.jp で詳細を。
(編集子 : エーガ愛好会シリーズの連番が間違っているとのご指摘があり、先回の345の次に1回344号を掲載する)
2008年制作の西部劇にしては、監督主演がユル・ブリンナーば
冒頭ニューメキシコ準州アパルーサの保安官が助手二人を連れ、ブ
就任早々から、酒場でやりたい
この映画、バージル
冒頭のブラックが保安官らを殺したことを証言する部下により法廷
(編集子)原作は ”スペンサーシリーズ” で現代風なHB作家として一時日本でも大人気だったロバート・パーカーである。編集子も当時完全にスペンサーものにはまってしまったが、その後シリーズキャラクターがスペンサーでなくなってからはご無沙汰してしまっている。パーカーは自作のほか、レイモンド・チャンドラーが ”長いお別れ” の続編に着手しながら急逝してしまった後、その話をうけついで ”プードル・スプリングス物語” として完成させている。作品はチャンドラーの後継、という解釈をされるが、当初は主人公をスペンサーという名前で登場させた。このスペンサーシリーズは日本には菊池光の翻訳で紹介され、編集子は菊池の独特な文体に違和感を持ちながら結局全作読み切ってしまった。本のつくりや装丁がスマートだったせいもあって、今も書棚にきっちり収まっている。パーカーはスペンサーものでデビュー後、ジェシイ・ストーンズ、サニー・ランドル、そしてコール&ヒッチと三代にわたるシリーズものを書いていて、この映画はコール&ヒッチものの第一作 Appaloosa の映画化である。このシリーズはほかに Resolution  (和訳名 レゾリューションの対決)、Brimstone (ブリムストーンの激突)とまだ和訳されていない Blue-eyed Devil がある。
金沢にある「金沢建築館」を訪れました。
その印象は「直線」。直線が生み出す緊張感。徹底して整えられた直線。どれも無駄なく揃い、空間に静けさを与えてくれます。
老婦夫の終活も「直線」すなわち「A Simple is the Best」。信念を真っすぐ力強く貫けと励まされました。
「金沢建築館」は、金沢の名誉市民、建築家「谷口吉郎氏」の住まい跡地に、吉郎氏の長男「谷口吉生氏」の設計により建設されました。
「直線」 みごとです !
 (普通部OB 船津)先にも書きましたように谷口吉郎さんには大学で建築史の講義を受
 ご子息の谷口吉生さんの建築は大好きですがお亡くなりになりまし
 それが金沢記念館があるんですね。訪ねてみたいですが、今やキン
 谷口の建築は確かに直線ですね。
(42 下村) 西域の次は金沢ですか。砂漠の世界から和の世界へ、一直線。
杉浦日向子著「百日紅」に興味を引かれ図書館に蔵書を尋ねるも「下巻」のみ有りと中途半端な回答だったので、昨日、大阪へ出て「上・下巻」を購入しました。数日前の2025年10月5日発行(第21刷)
杉浦日向子は、私が会社勤めを終えた20数年前に毎週テレビで江戸文化を本人出演のドラマ形式で放送していた時期があり、大変面白く見ていました。この時に彼女の著作を読んだ中にサラリーマンのリタイアー後の一番の贅沢は、馴染みの「蕎麦屋」で午後3時頃から気の置けない友人と酒を飲みながら談笑するのが良いと言う行があり、それに相応しい全国の蕎麦屋リストも沢山出されました。(人気蕎麦屋も午後3時頃が一番、客足が遠のく時間帯なのでその時間帯のお客にはサービスが良いとの彼女の分析でした)。
自分も実行したいとリストを随分みたのですが、生憎、蕎麦屋は関東が殆どで関西はちょっとしかなく、未だに実行が出来ていません。

以前と違い、成田で2枚の搭乗券を渡され、「
こどもの頃から、嘘をついてはいけません、と諭されて、今日に至っている。しかし、逆に、この世から嘘が全く亡くなってしまったら、タワー・レコードの謳い文句、「no music no life」ではないが、それと同様、「no fiction no life」 と言うことになろう。それ程、嘘の効用は凄まじい。
最初から断っておくが、法学者、末弘嚴太郎に「嘘の効用」(1922年)と言う著作がある。これから述べることは、その「嘘の効用」とは縁も所縁もない代物だ。
何故、こんな話を始めたかと言うと、最近、読んだ、と言うより、何とか、二三回、試みてみたものの、見事に途中棄権してしまった本、「ロベスピエール」副題:民主主義を信じた「独裁者」(著者:高山裕二。発行:新潮選書/2024年)に大変失望してしまったからだ。全く面白くなかった。その原因は、著者が明治大学政治経済学部准教授で、その学術論文にも等しい内容だったことにある。何の創造力も想像力もなく、ただただ事実の羅列に過ぎず、ロベスピエールの演説、論文なども、数多、引用されているが、もともとが分かりにくい文章なのか、小生が度し難いボンクラなのか、彼が言っていることが、今一、ピンと来ない。つまりは、主人公であるロベスピエールに感情移入することが出来なかったから、何らの感動も起らない。
そこで思い出したのが、森鴎外に、短編「大塩平八郎」、長編「渋江抽斎」(ただし、小生、5/6行読んで通読を断念した)がある。ところが、「山椒大夫」、「高瀬舟」などと言う創作(嘘)では、激しい感動を呼び起こされるのだが、「大塩・・・」にせよ「渋江・・・」にせよ、単なる事実を述べているだけで、上記の「ロベスピエール」同様、何らの感動も起らない。
つまり、ただただ事実を書き連ねても、何の感動も呼び起さない。要するに面白くないのだ。小生の持論は、読書は面白くなければならない。さもなくば、鉢巻きしての苦痛の勉強となる。最早、この歳での勉学はご免を蒙りたい。
この後で、「残光そこにありて」(著者:佐藤雫。 発行:中央公論/2025年)を読んだ。これは、2027年のNHKの大河ドラマに予定されている江戸幕府末期の幕臣小栗忠順(ただまさ)が主人公だ。勿論、創作だから、作家は思う存分、自身の創造力と想像力を働かせている。従って、小栗に感情移入できるし、その行く末(彼が目障りであったことから、新政府によって斬首される)が分かっているものの、一喜一憂して手に汗することになる。
いずれの本も、最後は、ロベスピエールがギロチン、小栗が斬首されることになるのだが、これは全くの偶然に過ぎない。また、誰がどこで言ったかは覚えていないが、この小栗忠順と言い、佐賀の乱の江藤新平と言い、いずれも稀代の逸材であっただけに、新しい明治政府は、いずれをも殺すべきではなかったと言う説がある。皮肉なもので、逆に、最後の将軍、徳川慶喜は静岡に隠遁し、公爵相当の礼遇を受け、76歳まで永らえた。
余談だが、司馬遼太郎に有名な逸話がある。小生も面白くて、二三回、読んだ覚えがあるが、「竜馬が行く」を、本来の坂本龍馬ではなく、その名前を竜馬にしたのは、これがフィクションであることを明示するためだった。
小説は、英語で言えば、フィクション、つまりは虚構だ。言ってしまえば嘘を書き連ねたものだ。嘘から成り立ってるのが小説である。そこでの会話なんて、記録には殆ど残っていないものだろう。その全てがフィクションであり、想像の産物だ。でも、読んで、それらに感動するわけだ。だけど、これって嘘なんですよ。勿論、読むたびに、これは嘘だ、嘘だなどと呟ききながら、読んでいるわけではない。
今、「翠雨の人」(著者:伊与原新。発行:新潮社)を、半分ほど、読んで来たが、なかなか面白い。これは、日本の女性科学者を表彰する猿橋賞の猿橋勝子を描いたものだが、巻末に、「本書は史実をもとにしたフィクションです」と断っている。勿論、作家の手腕次第ではあるのだが、だからこそ、面白いのだ。

マクシミリアン・フランソワ・マリー・イジドール・ド・ロベスピエール(仏: Maximilien François Marie Isidore de Robespierre, 1758年5月6日 – 1794年7月28日)は、フランス革命期の有力な政治家であり、代表的な革命家。ロベスピエールは国民議会や国民公会で代議士として頭角をあらわし、左翼のジャコバン派および山岳派の指導者として民衆と連帯した革命を構想。直接に参加した事件は最高存在の祭典とテルミドール9日のクーデターのみであり、もっぱら言論活動によって権力を得た[1]。
しかし国外の第一次対仏大同盟といった反革命軍、内部のヴァンデの反乱に代表される反乱に直面し、危機的状況にあった革命政府では非常事態を乗り越え革命を存続させるため、敵を徹底的に排除する事を目的に恐怖政治が支持される。ロベスピエールはそれに同意した。こうして行われた恐怖政治は共和国を守るためとして、自党派内を含む反革命とみなした人物を大量殺害するものであり、これは後のテロリズムの語源となった。