慶応大学ワンダーフォーゲル部創立90周年記念パーティ  (41 斉藤孝)

11月8日はKWV創部90周年記念日でした。

350名のワンダラーが集い「旧き友よ」を肩を組み合唱しました。80歳過ぎになった高齢ワンダラーは過ぎ去った山旅を懐かしみました。そして亡き山友を心から偲びました。 

 ”旧き友つどい語ろうは

  過ぎし日の旅 山の想い

   森にさすらい 渓を行き

    峰に立ちし日を忘れえず” 

乱読報告ファイル (55)   トーマス 愚者の街  (普通部OB 菅原勲)

「愚者の街」上・下(著者:ロス・トーマス。翻訳:松本剛史。発行:新潮文庫/2023年)。

原題は、「The Fools in the Town are on Our Side」(発行:1970年)と言う誠に長ったらしいもので、米国の作家、マーク・トウェインの小説「ハックルベリー・フィンの冒険」から引用されており、この本では、「町じゅうの馬鹿どもをみんな見方につけりゃどうだ?」と訳されている。

主人公は、1937年、4歳の時、蒋介石軍の上海爆撃で父親を喪うものの、娼館のロシア人女性に拾われ生き延びて行く米国人の男性、ルシファー・C.ダイで、その数奇な生き様を描いたものだ。ルシファーなんて名前を聞くと、小生、女性の名前ではないかと疑ったのだが、キリスト教では、堕天使の名前で、「光を掲げる者」と言う意味があるそうだ。蛇足だが、堕天使とは、神の怒りを買い、天上界から下界に堕落させられた天使のことを指すらしいが、そんな堕天使が何故、「光を掲げる者」になるのか。この辺の話しは、キリスト教に疎い小生には、まるっきり理解できない。

上巻では、ルシファーの生い立ちと、彼が巻き込まれて行く、無謀な計画に身を投じるまでのことを交互に物語って行くのだが、その生い立ちの部分がなかなか魅力的で、ここが、大変、面白かった。特に、多言語話者(マルチリンガル)の才能を発揮し、大人との奇妙な友情を育みながら数奇な運命に立ち向かって行く健気な姿には思わず引き込まれた。

下巻で、不正と暴力で腐敗した街、スワンカートン(米国はメキシコ湾沿いにある人口20万ほどの小都市)の再生計画を実行に移すわけだが、これを実施するのが、元秘密諜報員のルシファー、元娼婦、それに、元悪徳警官と一癖も二癖もある連中だ。その相手も、賭博や売春を黙認し賄賂を受け取る警察や風紀犯罪取締班なのだから、両者入り乱れての騙し合いが展開される。一言で言えば、詐欺や騙し合いを中心にしたサスペンスで、つまるところは、コンゲームと言ったところだ。ただし、上下巻を通じ、その会話の部分が、全体に面白くもない減らず口とか無駄口で埋め尽くされ、小生にとっては、興を削がれること夥しかった。

最終的には、ルシファーを中心に行われた街の再生計画は実現されるのだが、その結末がどうも釈然としない。何故なら、その後、ルシファーなどは、メキシコで優雅な生活を送っているのだが、一方、その街の悪が一掃された後、一体、どのよう形で新たに生まれ変わったのかについての言及が、一切、ないからだ。はっきり言ってしまえば、やりっぱなしであり、つまるところ、この街は元の黙阿弥となるのではないだろうか。つまり、カッコよく言えば、スクラップはあったものの、ビルドが全くないのだ。

この本のミソは、巻末で、作家の原寮が「ロス・トーマスの魅力」と言う題名で、ロス・トーマスの事を語っていることだ。初出は「ミステリマガジン」1996年12月号に掲載された。

原は、”私は小説というものをつねにレイモンド・チャンドラーの影響下で考えてきた。・・・だが、ハメットとチャンドラーではまるでものごとの表と裏のように違うし、チャンドラーとマクドナルドとはまるで陽と陰のように違うし、チャンドラーとネオ・ハードボイルド派の作家たち(この中に、ロス・トーマスが含まれるらしい)ではまるで天と地ほどにも違う” と述べ、しかし、”ここには、所謂、ハードボイルド・スクールというジャンルが成立する” と述べているが、小生、例えば、チャンドラーとトーマスの間には月とスッポンほどの違いがあるのではないかと思っている。

そして、「小説家とはどういうものかと訊かれて、詐欺師のようなものだと応えることが多い。詐欺の至芸はやはりその語り(騙り)にあると思われる」と小説家を詐欺師と同一視している。原は、最後に、「ロス・トーマスはそういう第一級の詐欺師の風格をもつ作家で、この称号には私の最大級の讃辞と憧憬の念がこめられている」と述べているが、小生、この本を読んだ限りでは、それには全く承服しかねると言わざるを得ない。

ロス·トーマス(Ross Thomas、1926年2月19日 – 1995年12月18日)は、アメリカ合衆国作家脚本家。 別筆名にオリバー・ブリーク。オクラホマシティ出身。オクラホマ大学卒業後、兵役をへてジャーナリスト、編集者、政府の新聞担当広報マン等となり、ヨーロッパやアフリカに滞在する。1966年のデビュー作『冷戦交換ゲーム』でアメリカ探偵作家クラブの最優秀処女長編賞を受賞。1984年の『女刑事の死』で同クラブの最優秀長編賞を受賞。サスペンス、スパイ小説の巨匠とされる。

(編集子)ロス・トーマスはあまり読んでいないのでスガチューの論説にコメントすることはできない。原は小生の好みの作家なので、ここで引用されている文章はどこかで読んだ記憶があるけれど。

エーガ愛好会 (348) サンセット大通り    (44 安田耕太郎)

名匠ビリー・ワイルダー監督作品の中でも人気が高い1950年公開の「サンセット大通り」(Sunset Boulevard)をNHK BS放映で初めて観た。ワイルダー監督のベスト6映画は順不動だが、1. お熱いのがお好き、2. 情婦、3. アパートの鍵貸します、4. サンセット大通り、5. 深夜の告白、6. 第十七捕虜収容所とのこと。「麗しのサブリナ」「昼下がりの情事」も上位にランクされている常連だ。挙げた映画の内「サンセット大通り」以外は全て観ている。どの映画も流石ワイルダー作品、観応えがあった。

抜擢された31歳のウイリアム・ホールデンは、その後もワイルダー監督映画「第十七捕虜収容所」(1953年、アカデミー主演男優賞受賞)、「麗しのサブリナ」(1954年)に出演、監督お気に入りの男優の一人だったのだろう。ホールデンは1950年代にはワイルダー監督作品以外にも「喝采」「慕情」「戦場にかける橋」「スージー・ウオンの世界」など名だたる映画に出演、戦後のハリウッド映画全盛期を彩った男優であったのは間違いない

さて映画「サンセット大通り」(Sunset Boulevard)だが、映画の舞台となった大通りはロサンゼルス市内北部を東西に太平洋岸サンタモニカまで貫き、高級住宅街として知られる地域を通り沿いに抱える。その一角の豪邸で一人の男が殺害され、背中に銃弾を撃ち込まれた死体がプールに浮いているのが見つかる

この豪邸は映画「市民ケーン」(1941年)の新聞王ケーン(オーソン・ウエルズ主演)の大邸宅ザナドゥ(Xanadu)を彷彿とさせ、映画開始早々何かしら不気味さを感じさせた。殺された男は売れないB級映画の脚本家ジョー・ギリス(ウイリアム・ホールデン)と判明。嘗てサイレント映画時代に一世を風靡した往年の大女優ノーマ・デスモンド(グロリア・スワンソン)との間で起こった悲劇を描いたハリウッドの光と影を活写したフィルム・ノアールの傑作。
物語はその事件の半年前に遡って展開する。貧窮するしがない脚本家ジョーは借金取りに追われ、一昔前のサイレント時代の大女優ノーマの豪邸に偶然逃げ込む。幽霊屋敷のような寂れた豪邸にはノーマと執事マックスの二人が過去の栄光に取り憑かれたように住んでいる。ノーマはジョーより20歳ほど歳上の中年女性で未だ過去の栄光を忘れられず銀幕への復帰を目論み、ジョーが脚本家だと知った彼女は自身が主演を熱望する映画「サロメ」の脚本の手直しを依頼し、彼を屋敷に住まわせることにする。ジョーも彼女の機嫌を損なわぬように努めるが、それが段々と重荷になっていく。
この映画はジョー・ノーマ・マックスの三人を巡る人間ドラマと言っていい。マックスはノーマの最初の夫、元映画監督でもありノーマをスターダムに押し上げた恩人で、自ら頼んでノーマの召使を買って出て真摯に仕え、ノーマが女優復帰の夢から覚めないように必死に振る舞う。彼のこの辺りのニヒルな演技は見応え充分だ。マックスはノーマとの曰く付きの関係をジョーには後日知らせるが、ジョーは驚愕する。
マックス役のエリッヒ・フォン・シュトロハイムはユダヤ系オーストリア人でアメリカへ移住して活躍、映画監督・俳優として映画史上特筆すべき異才であった。彼の怪奇的演技はこの映画の見ものであった。1937年公開の、印象派の画家ルノアールの次男ジャン・ルノアール監督のフランス映画ジャン・ギャバン主演「大いなる幻影」を観たが、ドイツ将校として彼独特の怪奇的演技が際立っていた。同じ雰囲気で「サンセット大通り」でも主役二人に劣らぬ存在感溢れる重要な脇役を演じていた。
Erich von Stroheimエリッヒ・フォン・シュトロハイム(Erich von Stroheim、1885年9月22日 – 1957年5月12日)は、オーストリアで生まれハリウッドで活躍した映画監督俳優。映画史上特筆すべき異才であり、怪物的な芸術家であった。徹底したリアリズムで知られ、完全主義者・浪費家・暴君などと呼ばれた。また、D・W・グリフィスセシル・B・デミルとともに「サイレント映画の三大巨匠」
と呼ばれることもある。

(船津)観ました。以前も観てグロリア・スワンソンのあの眼の凄さが焼き付いていますね。無声映画からトーキー映画への変遷は他にもなんかそんな映画在りましたが、この映画は流石ですね!

(編集子)ホールデンは小生も好きな男優の一人だが、確か、晩年は恵まれず、悲惨と言えるような最期だったと記憶しているけど人違いか? なんだかこのエーガのテーマそのものだったようにも思えたんだが。

神無月から霜月へ (普通部OB 船津於菟彦)

猛暑日から突然冬の気配になり慌てて夏物から冬物へと。秋がなくなりましたね。亀戸天神菊祭りは開催しているんですが猛暑のせいか菊は未だ咲いていません。紅葉も遅れて居る様ですね。

米国のトランプ大統領は29日、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ氏が気候変動について「人類滅亡につながることはない」と提言したことを受け、トランプ氏自身のSNSで「気候変動のデマとの戦いに勝った」と投稿し、地球温暖化への懐疑論の勝利を「宣言」した。トランプ氏は国際枠組み「パリ協定」の再離脱を表明している。そうかなぁ。矢張り地球の温暖化は進んでいるのでは。

しかし、子供の成長を祝って七五三の家族ずれが亀戸天神に参りに来ています。少子化時代に成り人口の減少は避けられなくなっていますが、高齢者も活躍しています。

高齢化が進み子供の誕生は嬉しいことと思いますね。我が家も遙か前に明治神宮まで着物を着せて行ったのは最近に思いますが遙か半世紀にナンナンとしますね
その時とは大きく変わり少子化。高齢化社会。
日本は、総人口約1億2,600万人に対し、約12%が少子人口、約28%が高齢者人口、そうでない年齢の人口が約59%となっています。
15歳〜49歳までの女性が出産した子どもの数を合計し、それを「合計特殊出生率」と定義しています。そして「合計特殊出生率」が人口を維持するのに必要な水準をある程度の期間下回っている状況を「少子化」と定義しています。
そして今後の社会保障を考える上で、これまでに進められてきた改革を反映した「社会保障の給付と負担」の見通しが進められてきました。高齢者対応が出来なくなるかも。
労働力が減少することで日本の経済活動も減少することになるでしょう。
高齢者と現役世代の人口が1対1に近づいた社会は「肩車社会」といわれます。これにより社会保障に関する給付と負担の間のアンバランスは一段と強まるでしょう。でも人生100歳時代を謳歌して参りましょう。

よく知られたサム・ウエルマンの一節を再掲しますー

青春とは人生の或る期間を言うのではなく心の様相を言うのだ.
たくましき意志,優れた創造力,炎ゆる情熱,怯懦 きょうだ
しりぞ逞を却ける勇猛心,
安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ.
年を重ねるだけで人は老いない.
理想を失う時に初めて老いがくる.
歳月は皮膚のしわを増すが,情熱を失う時に精神はしぼむ.

人生への歓喜と興味.
人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる.
人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる.
希望ある限り若く 失望と共に老い朽ちる.

(編集子)いつの間にかKWVOB会の定番になった ”月いち高尾” なんかはウエルマン説の具体化みたいに思うんだが。

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1月から12月までを旧暦の「和風月名」でいうと以下の通りになる。わかったようでわからないことの典型か。

やよいさん、どっかにいたっけ。そういえば、エーガ ”亡国のイージス” で真田広之の向こうを張った勝地涼の役名が如月、というんだったが、苗字もあるんかなあ。面白い作品だったが、愛好会のインテリ層にはうけなかっただろうし、見た人も少ないだろうけど、こういうのは時事意識の拡充には役にに立つもんだぜ。 ”空母いぶき” や ”沈黙の艦隊” では国家非常事態、という文脈がよく理解できたし。

霜月の話からえらく飛んじまった.。ご容赦ありたし。

乱読報告ファイル (64) 奇人変人はみだし者ものがたり  (普通部OB 菅原勲)

(著者:前田速男。発行:アーツアンドクラフツ/2025年)。

この本は、ごく平均的な日本人の枠からは外れた「非常な人」、偉人ならぬ異人たちの群像を描いたもので、そうは言っても、それは南方熊楠や岡潔や白川靜のような天才ではなく、身近にいる普通の人々、「非凡なる凡人」だ。それは下記の11人なのだが、小生が名前だけを知っている人物に*を振ってみたが、その数は、ボンクラのせいか僅かに3人に過ぎない。とは言え、「非凡なる凡人」であれば、さぞかし痛快無比な読み物になっているのではないかと大きな期待を持って頁を繰り始めた。

劈頭の平秩(へづつ)東作から読みだしたが、当時の狂歌師の話しから始まっているので、何が何やらさっぱり分からず、即、途中棄権。そこで、いっそのこと、知ってる人からと思い、思い切って「潜行三千里」(これは、不謹慎だが、出来の良い冒険小説の類いで、大変、面白かった)で有名な辻政信から手を付けた。

ところが、ここで思いも掛けぬ、驚くべき以下の台詞に遭遇した。そこで、ここでは、焦点をその点だけに絞ることにする。「・・・沖縄や南西諸島のみならず、日本列島沿岸の軍事基地化が、為政者による戦争の準備であることを、どうして見抜けないのだろう。・・・」。要するに、日本が戦争をしたがっていると断じているわけだ。でも、一体、日本はどこの国に侵攻したいのだろう。そう言えば、この度の高市・新政権の発足に当たって、例えば、役人から評論家に転向した古賀茂明は、極右軍国主義政権である、社民党党首の福島瑞穂は、戦争準備内閣であると言って弾劾した。

しかし、皆さんご存知のように、日本は憲法の、第9条第1条で「戦争放棄」、第2条で「戦力不所持」、第3条で「交戦権否認」を謳っている。従って、この第9条を変えない限り、日本は、他国に侵攻するにせよ他国からの侵攻を防ぐにせよ、他の国と軍事で争うことは不可能だ。現状は、それを誤魔化し誤魔化して、自衛隊の名のもとに日本を護っているに過ぎない(従って、小生は、現在の憲法を、現状に則して改憲すべきだと思っている)。つまり、軍国主義と言い募り、戦争準備と言い募っても、そんなことは、土台、不可能なことなので、それは完全に自己矛盾に陥っており、全く意味をなさない。どう転んでも出来ないことを声高に叫んでも、ただただ虚しさが残るだけだ。軍靴の音が響いてくると言った発言も(或る学術会議会員)、所詮はその類いの意味のない空論だろう。問題は、こう言ったまるで起こることが有り得ない空論を、恰も起こるかのように巻き散らす輩の存在そのものではないか。

そこで、60年ほど前の安保改定当時の朝日新聞の論説を思い出した。ここでも戦争が始まる、戦争が始まると狂ったように叫ぶ輩が執拗に駄弁を巻き散らしていたが、何のことはない、案の定、何事も起こらなかった。これは、ごく普通の日本人を脅かす、左巻きの連中の常套手段だ。でも当時と今とでは、ネットのあるなしで、情報の質と量が大きく違っており、今更、そんな威しは通用しない世の中に変貌している。

と言ったことで、早速、この本をこれ以上読み進む必要がないことがハッキリしたので、直ちに、この本を図書館に返却した。

平秩東作:蝦夷地をスパイした江戸の狂歌師。

近藤富蔵:流刑の地・八丈島の生き字引。

木村荘平:東京市内二十二の牛鍋チェーン店のすべてに自分の妾を配した牛肉大王。

山中共古:皇女和宮の御庭番から牧師へ、民俗研究家へ。

鳥居龍蔵:小学校中退の世界的ワンダリング・スカラー。

鳴海要吉:石川啄木より早い北の口語歌人。

狩野亮吉:引退後は陋屋で春画の収集、製作に専念した京都帝大文科大学長。

辻政信*:ラオスで消息を絶った元帝国陸軍の鬼参謀。

車谷長吉*:「反時代的毒虫」を自称した贋世捨人。

宮崎学:グリコ森永事件の「最重要参考人」だったキツネ目の組長。

橋下治*:規格外れの鬼才、驚異のマルチ人間。

番外・稲垣尚友:昭和・平成・令和、三代のタビ師。

 

著者プロフィール

1944年、福井県生まれ。東京大学文学部英米文学科卒業。1968年、新潮社入社。1995年から2003年まで文芸誌「新潮」の編集長を務める。1987年に白山信仰などの研究を目的に「白山の会」を結成。著書に『異界歴程』『余多歩き 菊池山哉の人と学問』(読売文学賞受賞)、『白の民俗学へ 白山信仰の謎を追って』『古典遊歴 見失われた異空間(トポス)を尋ねて』『「新しき村」の百年 〈愚者の園〉の真実』『海人族の古代史』『谷川健一と谷川雁 精神の空洞化に抗して』など。

(編集子)嘆くなかれわが友。俺が知ってるのは辻だけだ。 ”非凡なる凡人” でありたいとは思い続けてむなしく、すでに80年を超えた、という事実があるだけだ。

エーガ愛好会 (347) おーい応為    (44 安田耕太郎)

生涯何十回と引越しを繰り返した北斎は現在の墨田区に暮らしたが、絵や画材が散乱する貧乏長屋で、絵のことしか頭にない父と共に暮らす中で彼女も絵筆を執るようになり、絵の才能を開花させていく。

やがて絵師として生きる覚悟を決めたお栄は、顎が出ているとことから「あご」と呼ばれるがやがて北斎は、娘をいつも「おーい」と呼んだことから「応為」の名を授ける。葛飾応為の誕生だ。最初は出戻りの娘を煙たがっていた北斎だが、やがて一人の絵師として認めていく過程が興味深い。特に応為の代表的肉筆浮世絵の傑作「吉原格子先乃図」を描いている彼女を見ていて「そんな絵どこで覚えた」と唸ると、「お前しかいないだろ、文句あるかい?」、「いや、ねえ。ちゃーんとお前の絵になってる」ぶっきらぼうながらも、父そして師匠として、見守っている北斎の深い愛情と尊敬が滲み出ていた。白眉の一シーンだと思う。
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この「吉原格子先乃図」や「夜桜美人図」(写真貼付)など応為の肉筆浮世絵作品は「日本絵画史上、光と影を本格的に扱った重要な作品」と評される。

当時の鎖国時代、唯一入国を許されたオランダからもたらされただろう西洋絵画の書物、特に光の魔術師と呼ばれたオランダ人画家レンブラントやフェルメールの絵画を観る機会があって、応為が光と影に目覚めたかと注目して映画を観たが、そんな描写はなく、吉原の火事や貧乏長屋の自宅の蝋燭の光などに触発されたと映画では示唆されていた。宜なるかなと思う。

応為はまた美人画を描かせると北斎も敵わないとも評され、膨大な絵画を晩年まで描いた北斎画の手伝いをしていたのではと今では推察されている。

応為の性格は、父の北斎に似る面が多く、やや慎みを欠いており、男のような気質で任侠風を好んだという。家事一般は苦手でやらず、だが衣食の貧しさを苦にすることはなかった。北斎と異なり煙草と酒を愛し、煙管の吸殻を北斎の描きかけの絵に落とし台無しにしたシーンが映画で描かれる。その後禁煙したが、また喫煙を始めたという。兎に角自由奔放で、自らの信念、価値観と美意識に則り行動した現代風の芯の強い絵画の才能溢れた女性であったのは間違いない。父子とも歴史に名を残す無頼の不生出の浮世絵師だったのだ。

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丹東 鴨緑江 「老いた紅衛兵と固く握手」  (41 斉藤孝)

老いた紅衛兵と固く握手した。彼は誇らしげに五星紅旗を掲げていた。 

そこは「鴨緑江」を跨ぐ鉄橋、「鴨緑江断橋」である。約100年前に日本が建設した「鴨緑江橋梁」。1950年の朝鮮戦争中にアメリカ軍によって爆撃された断橋。彼らはマッカーサー元帥と対決し、勝利したことを中朝兄弟の絆として祝っていた。 

「丹東」は中国と北朝鮮との境に流れる「鴨緑江」に沿った都会である。朝鮮族が多く住む北朝鮮を臨む国境の町でもある。中国も北朝鮮も同じく厳しい監視国家。「鴨緑江」は監視国家が監視国家を監視する自然の大河なのだ。 

老いた紅衛兵はつぶやいた。地上のユートピアと言われた北朝鮮、今では地上の地獄と言われている”北朝鮮を臨む支流は幅50m程度であるから泳いで渡れる。双眼鏡で眺めると北朝監視兵は機関銃を抱えて警備していた。 

「一歩跨」と掘られた記念碑があった。たしかに一歩跨ぐだけで楽に往来できる。しかし現実は有刺鉄線が数本重ねられて逃亡を防いでいる。「地上の地獄」に閉じめておこうという固い決意の表れである。記念碑の横にある中朝友好の国旗は無言だった。 

中国と韓国は今では経済的に強く結ばれている。北朝鮮よりも韓国が友好国なのである。歴史の皮肉と思える。

 

 

 

加賀百万石をたずね……….るはずだったが

秋深まる北陸を尋ね、加賀百万石の街をそぞろ歩こうか、と思い立って金沢を訪れた。 静かな街を期待していたのだがなんか、違うのだ。街がなにしろ騒然としていて、晩秋の魚を楽しめるはずの名店も居酒屋も、どこへ行っても満席。1時間歩いてようやく見つけた小さな居酒屋で、板前に聞いてやっとわかった。なんど金沢マラソンの当日で、町中が沸き立っていた日なのだった。ホテルの部屋に入っていた地元紙、翌日の紙面。

まいったね。それでも翌日、ワイフの知人の紹介で尋ねた店は期待通り、加賀の秋にふさわしい、のどぐろとカニの一品と、店主おすすめ 加賀鳶 なる超辛口の熱燗がのどにしみわたった。昼間はいった蕎麦屋もまた、よし。

 

写真は名園兼六の一枚。まだ紅葉に早すぎたようだ。マラソンのうえ、ここもオーバーツーリズムだか何だか、中国人と多分ロシア人らしい客で沸騰していた。ま、お国の経済興隆のためには致し方ないか。