NHKの大河ドラマ『豊臣兄弟』が面白い。秀吉の弟豊臣秀長にスポットライトをあてた物語である。前に前に突き進む兄秀吉を陰で支え、天下統一の縁の下の力持ちだったと称される。
沈着冷静で、戦略性に優れ、豊臣政権の安定に不可欠な存在だった。
今はほとんど死語になってしまったが、かつては、ヒマラヤの未踏峰に挑むときは極地法(polar method)と呼ばれる方式が取られるのが主流だった。ベースキャンプを設営し、次々と前進キャンプをすすめて最終キャンプを設営する。登攀道具や食料の荷揚げをし、ルート工作をし、難所にはフィックスロープを取り付ける。これ等の作業は山頂に挑むアタック隊員以外のメンバーやシェルパたちが受け持つ。ベースキャンプには総指揮をとる隊長や通信隊員などが陣取る。
アタック隊員が山頂に立ち無事に帰着するまで、ひとつの目的達成のため全員が役割を分担し一致団結して行動する。
先日私は人生の集大成として一冊の本を発行した。5年にわたり.ネット上で書いてきたブログをまとめたものである。当初は本にまとめるつもりなどさらさらなく、そのときどき自分が感じたことや考えていることを「さがみこファーム」のホームページ上にアップしてきたものである。本にしたいと思ったのは1年ほど前だっただろうか。自分が生きてきた証として形にできればいいやという程度の軽い気持ちだったのだが、編集作業が進むにつれてできるだけ多くの人たちに読んでもらえるものにしたいという欲がでてきた。自分のボルテージが上がるにしたがって、編集や装丁、イラストレーターの方たちの熱意も高まって最後は一心同体となり、自身の想定をはるかに超えるいい形に仕上がった。
この一冊の本づくりを通じてつくづく思ったことは、表紙に堂々と書いてある名前は山川陽一でも、最後のページに小さく書いてある編集者やイラストレーターなど、多くのひとたちの心をこめた協力あっての産物なのだ、ということである。
私が長年勤めた会社をリタイヤし第ニの人生に踏み出したのが2000年だった。好きな山登りや渓流釣りを楽しむかたわら、かねてから考えていた山岳自然環境問題に本格的に取り組む毎日で、このまま終われたら本望だと思っていた。そんなとき起きたのが東日本大震災だった。
地域で自然エネルギーを自ら作る、夢想もしなかった第三の人生の始まりだった。思いを共有する仲間と一緒に多摩電力を起業し屋根上太陽光発電事業に乗りだした。そのあと、たまエンパワー、さがみファームの設立、ソーラーシェアリング事業の立ち上げと続くのだが、齢77歳、もはや先頭に立って未知の世界を切り拓く力は残っていない。ただ、サポートならできる。社長山川勇一郎を支え目指す山頂に立たせることが自分の役割だと腹を決めての再出発だった。厳しい言葉のやり取りは日常的にあるが、親子喧嘩ではない。経営は真剣勝負。そこに甘えは許されない。時にはナビ、時にはブレーキとして機能する。お互い立場は違うが同じ夢の実現を追う共同作業は楽しい。
あれから10年が過ぎ、いまやなかなか現場に立つのもむずかしくなっている。自分がやれることも限られてきているが、やるからには妥協は許されない。それが機能しなくなれば裏方稼業も終了だ。いつまで相手にしてもらえるだろうか。「もういいよ、ゆっくり休んでて」 そう言われないよう頑張ります。
(編集子) 山川との付き合いは高校時代から。彼は栄光の塾山岳部を経て、”山” に関してはいつも小生の無言のインストラクタだった。まったくの偶然で同じ会社に職を得て、サラリーマン稼業の偶然で終盤は顧客と業者、という構図で終わった。寡黙だが気が付くといつの間にか先を行っている、そういうやつだ。まして夫人は我々入社時点で人事課勤務、しかも新人担当だったという間柄。そんなやつの述懐は俺も共有させてもらう資格があるようだ。









